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『休薬期間。2024。7/10日~8/14日まで。122日目~157日目。一気読み用。20000字』

休み休みではあるものの、5クールをやり遂げた。尻に負担をかけながら、意地で減薬を断って、体表面積から算出される最大量の抗がん剤の服用も出来た。ほっとしている。あと数日で『腹下り』も収まるだろう。今月は、もう、絶対に抗がん剤を服用しない。3クール連続は私には無理だ。今月は検査だけだ。絶対に、絶対に、絶対にだ。

私は、いま、深夜2時にフィッシュマンズを聴いている。すこしばかり切なくなった。なぜだかしらないが、涙があふれている。今夜は『腹下り』の代わりに『涙下り』が起こっている。ストレスが溜まっていたのだろうか。いっそ、泣ける映画でもみようかと思った。私が過去にいちばん泣いた映画はなんだろう。ぱっと思いつくのは台湾映画の『海角7号』だ。
『海角7号』とは終戦間近の台湾のとある住所だ。いまはもうない。その住所に手紙を届けようとする者がいる。そんな映画だ。端折りすぎているが、これでいい。あとは、観てからのお楽しみだ。私は、ぼろぼろに泣いてしまった。

そして、なぜだか、私は牛丼が食べたくてしかたがない。この一年、肉類は鶏肉しか食べていない。いや、嘘だ、アメリカンドッグを食べていた。今月は牛丼を食べよう。私の身体が欲している。なまものも控えていた。鯛の刺身も食べたい。寿司だ。回転寿司でいい。それだけでうれしい。
朝、目覚めたら。だるく。体温を測ると、38.5度ありました。腹下りと発熱を同時に抱えこんでしまった。これは大変だ。冬用の布団をひっぱり出した。


我が人生最悪のときをすごしている。まともな文章は書けない。ここは、箇条書きでいこう。

昨日朝。発熱385。
2日ぶんの飯を全て吐く。
発熱。398になる。
ロキソニンを飲む。
発熱38〜39をいったりきたり。
身体の震えが止まらなくなる。
昼から湯船につかる。
脳なり、腹下り、吐き気、発熱、ふらつき、どうにもならない。
ロフトベッドからおりた。はしこがのぼれない。
みかんの缶詰を食べた。
5分後にすべて吐いた。
睡眠薬を飲んで布団に入った。
右腹を下にする横寝がいちばん下痢の頻度を減らせる。
深夜、階段でよろけてそのまま玄関ドアに激突した。
真冬装備で寝た。
汗だくになってなんども着替えた。
また、漏らした。
朝がきた。平熱に戻った。
水分補給をした。全部吐いた。
栄養ドリンクと吐き気止めでしばらく過ごそうと思う。

昨日書いたものは、朦朧としたまま書いた。それも、がん患者の現実だと思うので、そのまま残そう。読み返してもいない。昨日の私の調子が20だとしたら今日の私は30はあるだろう。昨日の夕飯は桃の缶詰を半分、その残りを朝飯にあてた。食べすぎと飲みすぎは吐き気の原因になる。こんなにすうっと自然に吐いたことなどなかった。草津温泉の湯畑のようにいともたやすくじゃーじゃーと出た。何の抵抗もなかった。抵抗がないということは、前ぶりなくいきなり来るということだ。

もうすぐ花火の季節だ。「吐き屋~」「下痢屋~」と叫んでみようかな。
私はこのところ24時間中22時間は布団の上で横になっている。そして、着替えること、布団から立ち上がること、風呂に入ることが、これほど私の体力を奪うとを知らなかった。汗くさい私は本日の風呂をスキップするかもしれない。服を脱がせてくれる者と服を着させてくれる者が欲しい。身体は自分で洗える。
ああ、400字書いたところで限界がきた。終わろう。

私は、泥の、塊である。
身体の、どこを長押ししても、再起動しない。
空気だけを、吸う吐あ、吸う吐あ、しながら生きていかれる宇宙に生まれたかったなぁ。
私が、いま、いちばん欲しいものは、おむつである。これ、ほんと。
まあ、そうだろう。この20日間で6キロ痩せていた、久しぶりに、60キロ台の私をみた。目標は66キロなのたが、さすがに落ち方の勢いがすごい、まずいな。
食べたら、全部吐いてしまう。マッハで、予兆なく、例えば食べた5分後に「うっぷげろげろげろ」となってしまう。水曜日からずっとだ、『腹下り』が治ったらと、悠長な事を言ってる場合でもなくなってきた。月曜日に病院に電話を掛けよう。
栄養ドリンクを直で飲んだら、咳と吐き気が止まらなくなった。5∶1にしたら飲めた。おすすめです。
屁か便を判定するセンサーが欲しい。お腹にあてるだけだ、「これは屁です」「これは便です」「どちらとも言えません」
24時間中、22時間、横になっているのに、6kg痩せるということは病気か、病気か、病気だな。
抗がん剤治療中に、いちばんストレス解消になるのが、湯船に浸かること。いちばん体力を奪われるのも湯船に浸かること。悩ましい。
「余った薬は捨てて下さいね」、と薬剤師に言われているが、余った薬は取っておいたほがいいな。特に解熱剤、胃腸薬などは。買いにいく気力がないもの。そのうち、薬版のウーバーが始まるのではないか。
前にもつぶやいたのですが、栄養ドリンクを薄めてチビチビ半日くらいかけて飲むといい。体調が戻りつつある。こんないい方法があったとは、知らなかった。
そして、いまの私には長文は書けない。しばらくは、つぶやきだけになります。
卵料理を食べた。吐かなかった。どうも、うす味なら身体への負担が少なそうだ、あと、胃腸に張りがあるときは、なにも食べてはいけない。
二階のベランダにプランターがある。そのゴーヤの株元にキノコが生えていた。私は、そっと窓を締めた。見なかったことにするつもりだ。さよならゴーヤ、生きるも死ぬも君次第というわけだ。がんばり給え。
5クールが終わって1週間が経った。『腹下り』が収まらない。家では薄めた栄養ドリンクでなんとかなる。ただ、金曜日のCT検査前にも水分を多めに摂取するよう指示があるのだ。検査自体は数分で終わる。おむつを買うか、腰までスボンを下ろされるのだが。
暫くは、自作ロフトベッドが使えないので、ヘルメット置き場にしました。床板の隙間は、湿気対策としてワザと空けています。タンスの上に置いていたヘルメットを移動してみました。地震対策てす。ベッドが強そうになりました。

遺影ってイエー」、ということで正岡子規風に撮って置きました。免許書の変な写真を雑に使われるのは嫌なので。今度は宮沢賢治風。どこかで撮って置こう。

頬の黒ずみと、でかい染み、肌荒れ。全部、抗がん剤治療前にはありませんでした。

蕁麻疹がでてきた。これからアレルギーの薬を每日服用しなければならない。嘔吐と発熱は去った。残るは、腹下りと蕁麻疹だ。蕁麻疹の方は早めに手をうった。いざという時の為に薬を20錠ほど常備している。汗に反応したのかも知れない。

ほんの少しではあるものの、三食食べる事が出来た。
朝、目玉焼き、
昼、グミ、葡萄。
夕、焼鮭、ぬか漬け、葡萄。
この他は、栄養ドリンクを薄めてチビチビ半日かけて飲んでいた。

さあ、アレルギーの薬をCT検査の12時間前と2時間前に8錠づつ服用すれば一段落。アナフィラキシーショックを防ぐ為の抗アレルギー薬なのだが、ついでに蕁麻疹にも効果を発揮してほしい。
丁度、腹下りは止まったっぽい。あくまで、ぽいだ。


ひと段落ついた。病院までの往復30分を歩く事が出来た。検査結果は一週間後に解る、私はこれをあまり気にしていない。やることはやったのだ、あとはどうでもいい、いわば運だ。何度も書くが、抗がん剤治療をしながら働いている人を尊敬している。私には到底できないことだ、100M走を9秒台で走れという具合に無理だ。体質もあるのだろうが「無理だ」ということで十数年ぶりに爆風スランプをechoにオーダーして聴いている。
爆風スランプのなかに好きな曲があったのだけれど思いだせない。

『鹿賀丈史 映画 主題歌 爆風スランプ』で、検索をかけてみた。『きのうのレジスタンス』という曲だった。amazonmusicにはなかった。たぶん。ショック。

ゴーヤの株元のきのこは消えていた。ほったらかしにしていたからかも知れない。10cmくらいのゴーヤが二本成っていた。これから暑さが続く、もう、きのこは出てこないだろう。プランターの土はカラカラだった。

私は、七割方元気を取り戻した。布団は畳に敷きっぱなしではあるが。あとは『痔』だけだ。尻をやさしく包み込むような、ビーズクッションを頼んでしまった。これで、四苦八苦せずとも、やすやすパソコンも打てるだろう。
当分の間ロフトベッドには戻らない。ロフトベッドにechoを置いたら思いの他、いい音がしたからだ。十数年経った木材の乾きも一役買っているのかも。
爆風スランプの『きのうのレジスタンス』amazonmusicにあった。私の勘違いだった。早速お気に入り登録をした。


暇で、つい『X』を覗いてしまった。相変わらず罵詈雑言であふれていた。
体操選手が喫煙、飲酒でオリンピックを辞退したそうだ。おじさんの擁護が溢れていた。私見を述べると、ナショナルトレーニングセンターでも飲酒をしていたそうだから、これは彼女自身の命にかかわる大事故になる可能性もあった。見ての通り体操競技は危険で溢れている。飲酒していなくても、命に関わる大事故につながっていたかも知れない。もうすこし、早く発覚していれば良かったのだろうが、そうであれば一年謹慎とかで済んだのではないか。間も悪かった。

元アスリートは擁護派が多いようだ。もし、彼女がナショナルトレーニングセンターで、飲酒によって練習中に半身不随などの大けがをおっていたら同じような意見は述べられないだろう。専門家でもないのでわからないけれど、この歳で場をわきまえず飲酒をやめられないとしたら、アルコール依存症になったり、飲酒運転にも繋がるのではないかとの懸念も残る。日本でも近年、飲酒運転でたくさんの命が失われている。そして、法律も厳しくなった。
彼女の四年後の復活を待とう。


真夏のベランダのアルミニウムの手すりが熱すぎる。ゴーヤの葉がつぎつぎに枯れていく。紐を使ったほうが良かった。私はツーリングキャンパーでもあるので紐ならいくらでもあったのだ。

もう、七月末だ。間に合わない、今年は諦めよう。バケツのプランター栽培も群馬の二階のベランダの環境では過酷すぎる。紐であったなら、今頃はしっかりカーテンの回廊が出来ていたはずだった。

それでも、十センチほどの実がいくつか梅雨の間に成っていた。二階のベランダにも受粉を媒介してくれる虫がやってきてくれていた。昨夜にはなんの前ぶりもなくどしゃぶりが降った。今朝の水やりはさぼろう。

梅雨より、真夏、猛暑のほうが元気がでる日本人がどれだけいるのかわからない。私はそれにあたる。とにかく、梅雨はつらい。梅雨の私はまるでスライムのようになる。挙句の果てに、久しぶりに蕁麻疹まででる始末だ。いまのところ両太ももで収まっているものの、油断すると、一気に全身に見たこともない世界地図が拡がる。一度世界地図が現れると『師走』まで治らない。

ロフトベッドから、畳に移動して暮らしている。たった1.5Mの高さの違い
が、これほど寒暖差に影響するとは思っていなかった。意外と涼しい、晩秋までは畳生活で暮らそう。寒くなったらロフトベッドに戻ればいい。電源ケーブル類の移動と、パソコンとスマホのセッティングを済ませた。新しいビーズクッションも悪くない。その上でパソコンで文章も打てる。
当面の私の生活スタイルが固まった。


昼飯を食べて、いま起きた。午前一時前だ。シャワーは、朝でいいだろう。
一年前のこの時期、私はぎりぎり働いていた。虫垂炎と癌を患いながら、午前中だけ、お盆休みの前までは働いていた。はるか昔のように感じる。

日曜日はきっと猛暑だったのだろう。私は寝ていたので知らない。午前中、とうとう紐を二階の壁際のヒサシに括り付けた。これで、窓を覆えるはずだ。あと、二月半くらい、ゴーヤカーテンは活躍してくれるはずだ。やるつもりはなかったのだ。今週からの天気予報にびびった側面もあるし、猛暑による電気代節約の為でもある。因みに、部屋の内側の窓には、レース柄のテーブルクロスを一年中ぶら下げている。これは、案外効果的で部屋のエアコンの効き目が良くなった。一応、ギミックを施して上部に纏められるようにしてある。

もう、久しくバイクに跨っていない。エンジンは掛かるのだろうか。今週は走ろうと思う。私の体調が整った。筋トレも再開した。金曜日の抗がん剤治療の効果判定が下る前に。絶対にゆこう。そして、牛丼を食べるのだ。

これだけ時間があれば北海道ツーリングにもゆけるのに、それができないのがもどかしい。そして、旭川があんなに恐ろしい場所だとは知らなかった。いつも素通りしていて正解だった。その南の美瑛、富良野が平和で良かった。交通取り締まりが異常に厳しい事を除けば、だが。観光客が一時不停止でバンバン切符を切られている。総じて、道警は異常なのかも知れない。
これで、北海道で近づかない場所が二箇所になった。もうひとつは、釧路だ。釧路で訳のわからない土建屋に怒鳴られてから行かない事にしている。なにか、バイク乗りに恨みでもあるのかも知れない。


久しぶりに牛丼を食べた。きっと数年ぶりだろう、美味しかった。
癌発覚から一年。もう、過剰な食事制限は止めた。ほどほどにストレスのない食事でいいだろうと思うようになった。この私の心模様と食事の変遷は、自由気ままだ、何処までも転がる。ただ、飲酒はとっくに止めた。これは当分変わらない。

バイクに火を入れたい。が、酷い暑さでそれが出来ない。日帰りツーリングに行きたいけれど、私の体力で何百㎞走れるかもわからない。高確率で夕方の雷雨に出会う。

四十分もあれば、赤城山の中腹までは軽く行ける。そこで、涼める。
しかし、『アーバン熊』よ、誰が名付けたのだ。此処は絶対的な田舎だぞ。山奥へ帰っておくれ。山で昼寝ができないではないか。

このように、私は、すべてが億劫になっている。やらない理由を探すようになっている。それが判っていながら、動けない。動機にに火が付かない。湿気ている。うだうだしている。このところの昼夜逆転生活のせいかも知れない。直すか。

昨日は、腹いっぱいの食事を平らげた。満腹状態の私の腹の調子を知りたかった、という事もある。いつもの実験だ。腹痛は現れなかった。どこかに異常が現れると思っていたのだが、私の予想は良いほうに外れた。右脇腹がキリリと痛むと思っていた。梅雨の時期は、そうだった。調子が上がってきたのだろうか。
そんなことはない。今日は朝から『脳鳴り』がする。


毛玉だらけの敷きパッドを変えた。ストレス氏が何処かへ行った。
暑さは半ば居残ったままだ、どうやら夕立はギリギリ北を通り、我が家には立ち寄らなかったようだ。暑気が廊下でむんとしている。

この二日間は、腹いっぱい食べる実験をおこなっていた。腹いっぱい食べることによって、腹圧で肝臓がんの自覚症状がでるのか知りたかったからだ。結果的に自覚症状は現れなかった。もう、食べたいものはない。イカの刺身をちょろっと食べたいだけだ。

もう、だいたいわかった。痩せよう。痩せたほうが調子がいい。秋までに66㎏にしよう。
一時体調をくずして68㎏まではいった。それを、70㎏まで戻した。一月で10㎏の減量はさすがに危険だ。ゆるりといこう。


明日、抗がん剤治療の効果判定がある。
さて、どうなるのだろうか。入院、手術は色々面倒で嫌だな、という気持ちはある。盲腸癌の手術は十日間の入院だった。病院内は省エネ対策で暑いのだ。とくに廊下が暑い。マスクもしなければならない。入院棟は高層にあるのだ。アイスノン無しでは過ごせなかった。エコノミークラス症候群対策のストッキングの締め付けと機械の圧力も嫌だった。
今日は、すこし微熱があるのでここまで。


抗がん剤が効いているそうだ。
大小6の肝臓がんの縮小が認められた。というわけで、手術の方向で話しが進みだした。が、一年前に手術した盲腸癌のあたりにも、やや怪しい所見が認められるそうで、大腸癌(盲腸癌)の再発の可能性も残された。ペット検査、MRI、大腸内視鏡検査を来週中に行うことも決まった。

とりあえず、『腹下り』からは当分逃げられる。私の尻は限界を突破しているのだ。抗がん剤の効果があって良かった。現状維持で御の字だと思っていたので、私の尻も喜んでいるだろう。

で、順調にゆけば八月末あたりに、入院、手術となるだろう。丁度、一年ぶりだ。入院期間は十日を超えるそうだ。人によっては一月、二月の入院となる事もあるらしい。「手術してみなければわからない」との事だ。

来週は忙しい。さて、昼寝をしよう。私は体調管理を徹底するだけだ。オリンピックも気になるが、如何せん深夜だ。日本代表のサッカーだけのテレビ観戦にとどめよう。


ご近所様から新鮮な卵を頂戴した。
早速卵かけご飯を食べた。ああ、美味しかった。

フジロックの季節だ。因みに私は行ったことがない。北海道ツーリングの最中である事も多かった。群馬から新潟の港までの間に苗場があるので、それを横目に見ながらツーリングを楽しんでいた。
昨年は手術明けの九月に、猪苗代湖から霞ヶ浦を二泊かけてツーリングを楽しんだ。今年はどうだろうか。手術明けに体力があるだろうか。
フジロックに大貫妙子が登場したのか、それは観たかった。細野晴臣、矢野顕子、大貫妙子は、私の大好物なのだ。今年はアマプラで観られるのか。

私はアマプラには入りっぱなしなのだが、ネットフリックスは出たり入ったりを繰り返している。観たいものがある時だけ入るのだが、『地面師たち』が観た過ぎる。入院中は暇なのだ。でも、今すぐに『地面師たち』が観たい。去年は『サンクチュアリ』の為だけに入った。せこい。その前は『浅草キッド』の為だけに。せこい、せこい。その前は『僕たちは大人になれなかった』の為に。せこい、せこい、せこい。
で、また入ろうっと。今日。

ネットフリックスには、高村薫の『合田雄一郎シリーズ』を完全映像化して欲しい。一部、他の媒体で映像化された作品もあるけれど、どれも満足がいかない。舞台を外国に置き換えてもいい。宮部みゆきの『模倣犯』のように。日本には面白い小説がたくさんあるのに、それをしっかり映像化できる環境がない。残念だ。作品至上主義という、当たり前のものが、ない。
『踊る大捜査線』あたりからの、テレビ局主導の広告打ちまくりの映像化ムーブメントの害は大きい。公共放送の名が踏みにじられているようで、虚しい。公共放送はNHKだけではないだろう。民放テレビ各局も公共放送だ。
と、私は何を熱くなって書いているのだろうか。
とにかく、『ブラッシュアップ・ライフ』のような良質な作品を、また見せて欲しい。


ネットフリックス、『地面師たち』を一気見してしまった。
鑑賞後、頭痛と吐き気に襲われた。それほど、面白かった。心身ともに弱った私には強烈に響きすぎた。が、これは傑作で間違いなし。

第一話のオープニングからのCGはアマい。とある動物に本物感は、ない。
そこは、見逃そう。唯一、そこだけはアマくて軽い。原作を読んでないのでわからないのだけれど、その動物である必要はあったのか。数頭の狼くらいで良かったのではないか。身の丈を大きく誤ったのは、そこくらいだ。あとは、寛容になろう。

この作品は傑作で、いい。
私の胸にしっかり後味の悪さを残してくれた。地面師は言うに及ばず、警察も、ハウスメーカーも、東京も、揃いも揃って狂っている。これが現実なんだと、突きつけられる。

鑑賞後に、この作品の元ネタの経済事件を調べたくなった。
YOUTUBEにあがっている、原作者と監修にあたった司法書士の対談も興味深く拝見した。この司法書士の方の快活さと雄弁さにも驚いた。作品と合わせておすすめしたい。今は、地面師の活動は沈静化しているそうだ。服役中の犯人が出所すると、また、地面師の活動は活発化するかも知れないという、警告をありがたく頂戴しよう。

ああ、貧乏でよかった。よくないけれど、よかった。


『地面師たち』の例のCGについて、『X』のポストでもチラホラ気になる方が現れているようだ。なぜ、あのCGが了として通ってしまったのか。これではハウスメーカーと同じではないか。そんな疑問が湧いてしまう。映画という総合芸術の難しいところかもしれない。あのCGひとつで、観るのを止めてしまう人もいるのに、勿体無い。

「ストップ」をかけられない体質の問題がここにもある。内部から声は上がらなかったのだろうか。身の丈に合わないところはカットすればいいのに。
今からでも、とさえ思う。それが、小回りの利く配信の良さではないだろうか。

『ゲームオブスローンズ』でも、大狼の毛並みには苦労していた。とにかく『毛』のあるやつはCGでも難しいのだろう。ゴジラやドラゴンには『毛』が(殆ど)ないのだ。『ゲームオブスローンズ』でも、大狼の出番はどんどん減っていった。『毛』のあるやつを本物に見せるには、金と時間が掛かる。
視聴者は、気持ちよく、前のめりに騙されたいのだ。もっとうまく騙してくれ。カモッてくれ。ハリソンが監督なら、もっとうまく騙してくれたのに。


今週の検査三連戦が始まった。
本日は、MRI検査を手早く終えた。服装に金属類はなし。ファスナーなしの短パンで病院に行ったので、着替える事もない。準備万端だ。造影剤で、少しのアレルギー反応を出しながらも。ささっと終えた。MRIは一年ぶりだろうか。

明日は、どうしても着替えなくてはならない。たしか、尻に穴の開いた服装になるのだ。これも一年ぶりだ。一年前の大腸内視鏡検査では途中で足がつってしまったのだ。その反省点を活かして、今日はかるくストレッチをしている。昨年は四十分くらい掛かったのではないか。

そして、本日の食事はランチパックとお粥だ。とにかく消化のよい食べ物を口に入れて、いつもより水分を余計に摂取する。そして、明日の朝から下剤を飲まなければならない。十二時から十四時までには、必ず、全部お腹を空っぽにしなければいけない。本来は朝九時スタートで良いのだが、私はそれより一時間早めに飲みはじめるつもりだ。

今日は、歩いて病院へ行った。明後日のPET検査の為に、前日である明日は軽い運動もしてはいけないそうだ。ウオーキングもダメだという。でも、大腸内視鏡検査は、中程度の筋トレにもなる。無理な体勢を強要されるのだ。立派な運動になる。ま、この予定を組んだのは私ではないので、いいとしよう。PET検査とはそういうものらしい。この検査だけは、別の病院で検査を行う。一回、保険適用で三万円也だ。

昨日のこのあたりの気温は四十度を超えた。
しかし、今日は雷雨がこのあとくるはずだ。たった一時間の雷雨でもありがたい。早くきてくれ。私の部屋は35度なのだ。エアコンを昼からオンにしても殆ど効果がない。

いや、うわ、なぜだ。エアコンがずっと送風だった。
これは酷い、あぶね。昼寝してたら大変なことになっていた。膝の上のパソコンの底がびっしょりだった。昨日より暑いから、なにかおかしいとは思っていた。私がおかしかったようだ。


朝から大量の下剤を飲む。かなり、甘ったるい味だ。この数時間で、私は、二度漏らした。昨年はそんな事はなかった。この5クールのがんかわいがりで、いちばん、かわいがられたのは、癌ではない。断トツで、尻という事なのだろう。私の尻は、弱々しい。

もし、入院するとしたら、少しお金を余計に払って個室部屋の希望を出したほうがいいのかも知れない。

とりあえず1000ml程度を一時間くらいかけて飲む。そのあと、水を500mI飲む。
これで、綺麗な水便になっていれば大腸内視鏡検査が受けられる。少しでも、固型便らしきものが残っていれば、これを繰り返す。制限時間は、12時くらいまでだ。14時から検査がはじまる。水を飲めるのも13時までだ。

終わった。意外に早く。ストレッチ効果か、無理な体勢も苦ではなかった。

一年前は「ほら、少し触れただけで血がでるでしょう。貧血の気はありませんか?」、画面を見ながらそんな会話をした。もう、見た瞬間に癌だと判る兆候があった。今回は細胞を採取して、その細胞を検査にだしてからでないと解らないという状態だ。一年前に癌細胞を大きめに切除して縫合したあたりの場所が怪しいそうだ。ホッチキスらしきものが腹のなかにあった。それは知らなかった。溶けていると思っていた。これからも、年一くらいで大腸内視鏡検査はやり続けるのだろう。

一時間早めに下剤を飲み始める作戦が私にはあっていた。これからも、その作戦でゆこう。一時間の余裕があって良かった。なにせ、二回漏らしたのだから。

検査三連戦もあと一日。人生初めてのPET検査だ。検査の五時間前から食べ物はダメ。無糖の飲料だけは飲める。ただ、今日の検査で大腸の中の細胞を採取している。血も出ているので刺激物は口に入れられない。つまり、カフェインも控えている。PET検査は昼頃には終わる予定だ。午後になったらキンキンのアイスコーヒーを飲みたい。

そして、私の身体から完全に抗がん剤が抜けた状態になった。すこぶる体調がいい。それだけ、抗がん剤は正常な細胞をも、かわいがるという事だ。あらためておそろしいと思う。「これこそが、癌を患う前の私か」と、感心してしまった。どこまでも散歩できそうだもの。この暑い中で。
そして、オリンピックの数々の誤審に腹がたたなくなっていた。
「ふうん、そう」で、終われる。こだわりがなくなっている。ドラマや映画に対するこだわりは多少残っている。このこだわりもいつかなくなるのかもしれない。

ネットフリックスのトップ10に入っていた。ドラマ版『シャイロックの子供たち』は映画版のほうが数倍良かった。観るなら、映画版のほうがオススメ。橋爪功と柄本明がいるだけで、もう、勝ち。
WOWOWのドラマは途中から息切れする作品がある。『シャイロックの子供たち』がまさにそれ。

『地面師たち』がネットフリックス製作で本当に良かった。


ふむ、わりと綺麗な控室に案内された。ただいま、八時半だ。「PET検査は待ち時間が多く。ほぼ寝ているだけなので、御安心ください」との説明があった。まず、糖と放射線を注射するらしい。そのあと休憩がある。PET検査自体は20分程で終わるらしい。でも、放射能をあびる事もあり、休憩時間をちょこちょこ設ける仕組みになっている。思いのほか、ゆったりとした広い病院だった。病院内にゆとりを感じる。リゾートホテルみたいだ。


さて、十一時半にはすべて終わった。新しい検査はワクワクする。そんな境地に達している。
放射線は一日くらいは身体に残るそうだ。私と触れる他者が被爆する可能性もあるそうだ。CTやMRIとは放射線の量が違うのかも知れない。「幼児が家にいますか?」と、数回聞かれたので幼児のいる家庭は特別な注意が必要なのだろう。

そして、PET検査棟は隔離部屋がいくつもある。そこで、待機を命じられる。そこまで、万全に施設を造らないとPET検査は出来ないのだろう。PET検査を導入するとなると施設の広さが必要になる。学校の教室が二つか三つ、そのくらいの広さが必要だ。

だから、私はいま、高崎の病院にいる。通路も広い。施設も新しい。混んでもいない。エアコンの効きもいい。会計も早い。ただし、迎えにくるはずの父親が四キロ手前をゴールだと勘違いしていつまで経っても来なかった。当然、車にナビはある。しかも、私を、朝、この病院まで送り届けてくれたばかりだった。「あせらなくていいよ」とひと言電話を入れて、もう一度履歴から病院を入力してもらった。三十分後に父親が迎えにきてくれた。

これでひと段落だ。抗がん剤から逃げられる毎日は充実している。こんなに気分のよいものなのか。私は晴れ晴れした気分だ。
いちばんつらいのは『梅雨+抗がん剤+副作用』だ。あの状態には戻りたくはない。生きている意味を見いだせない。あの頃の私はただの泥だった。いまの私はただのお日様だ。それほど違うのだ。


父親が買ってきた『冷水ポット』が、パスタ入れだった。
どうやっても水が出ないのでおかしいなとは思っていた。まさかパスタ入れだとは思わなかった。で、新しいのをダイソーで買ってきた。

GW明けに買った、能登半島復興のジャンボ宝くじは九千円買って、三千九百円戻ってきた。残りの外れ金で早く復興を進めて頂きたい。私がかつて行った能登半島一周ツーリングが思いだされる。輪島の海は美しかった。

私の体調はぐんぐん良くなってきた。筋トレも再開している。この暑い中、今日はバイクでかるく走る事もできた。二階のベランダのゴーヤは息も絶え絶えのように感じる。ゴーヤの命を私が吸い取っているようだ。

私は私の命をとっくに天に放り投げている。あとは知らない、勝手に天が決めてくれ。そう思っているので、気は楽なのだ。所詮、がんばるのは私ではなく医療従事者なのだから。
私はストレス氏と折り合いをつけながら日日をおだやかに過ごすだけだ。


森林浴をしている。
暑さと森林欲の間で揺れている。風が吹けば、とてもいい。今日はいい風が吹いている。

蝉が「キキキ、ケケケ」と鳴いている。写真の蝉(たぶん。よくわからない、蝉じゃないかも)は抜け殻かも知れない。キケの抜け殻だろう。せっかくなので、名前をつけてあげた。私が立ち上がると鳴き止む、座ると鳴きだす。
一応、キケは私を観察しているようだ。が、私は、キケを見つけられていない。本体はどこにいるのだ。

周りに誰もいないので、イヤホンを外してスマホからキケの好みを探ってみた。キケは『レッドホットチリペッパーズ』が流れると、元気よく鳴く。キケはレッチリが好きなのだと思う。逆にセロニアス・モンクがかかると鳴き止む。キケは明らかにモンクに戸惑っている。

私に来世があるとしたら、ロックスターになっているはずなので、キケをベースとしてバンドメンバーに入れてあげる約束をした。


私の好物が復刻されていた。「やったあ」と、心の中で叫んでしまった。セブンイレブンさん、お好み焼きパンを常連にして下さい。常連にしてくれたら、nanacoをメインで暮らしてゆきます。Edyと別れてもいいです。勿論QUICPayとも別れます。お願いします。
でも、ずいぶん値段があがったもんだ。適正価格は、百五十円だ。美味しかったけれど。また、買うけれど。私はお好み焼きパンをずっと待っていたのだ。二個も食べちゃったよ。


今日は、一日中引きこもり。私は、毎夜しっかり睡眠をとっている。
まさか、オリンピックを無視して過ごせる人間になれるとは思わなかった。
私はおそらく、リベラリストのナショナリストだ。これは私の中で両立している。この国が好きなのだ。けれど、オリンピックを殆ど無視して暮らしている。健康第一に生活の舵をきった、という事もあるけれど、癌を患った事により、世界市民感が私を包みつつある。WW3など、起こしてなるものか、と。

隣人感で競技の結果だけ知って「あら、おめでとう」という感じはあるのだ。私はどうしてしまったのだろうか。これこそ、『偶然解脱者』か。抗がん剤の効き目が凄すぎて、ついつい解脱してしまった。私はいま、首相にもなれるし、ホームレスにもなれるだろう。


『光る君へ』は、離脱していない。面白い。
安倍晴明の登場は良かった。この国が神社仏閣だらけなのがよくわかる。これでも、神仏混交〈神仏習合)で減じたのだろう。信じられない多さだ。敬虔というよりも、恐れがつよいのだろうと思うが。ときどき、この国に興る占いブームの元が平安時代のこのあたりにあるのだろう。それが、よくわかる。

『鎌倉殿の13人』でも、呪いが描かれていたところを見ると、この世界観はあと二百年は続いていく事になる。そして、仁義なき、鎌倉会北条組の政子姐さんの時代に入ってゆく。日本文学の幕開けも女。武士の幕開けも女だ。男ではない。日本社会の扉は常に女が開いたのだ。それを、忘れてはいけない。女王卑弥呼も偶然ではないだろう。たまたま女だったわけではないと思う。必然だ。

大河ドラマでは、とうとう主人公のまひろが紫式部に変身しそうだ。この、変身も日本人の情緒をくすぐる。水戸黄門から、ウルトラマンから、仮面ライダーから、いたるところのエンターテインメントに、変身がある。なぜ、日本人は変身が好きなのだろうか。そういう私も、まひろが紫式部に変身するのを楽しみにしている。


『地面師たち』を観てから、アウトロー系の作品をよくみるようになった。
最近のアウトロー系の作品に限った事でもないのだけれど、不必要な濡場が多すぎるのではないか。と、思ったりしている。

映画業界のそのあたりの酷さは、様々な書籍や、インタビュー、裁判でも明らかになっている。

これでも、昔よりはマシなのだから驚く。そう考えると『北野映画』の
スマートさが際立つ。えっぐいシーンの連続ではあるものの、監督自身に照れがある。勿論、濡場はあるものの、品がある。観ているほうが許容できる範囲に収まっている。と、私は思う。これは、私が北野映画のファンであるからかも知れない。私の生涯ベスト1の作品は『ソナチネ』なのだ。総じて北野映画はカラッとしている。

『首』の加瀬亮のえっぐい信長にさえ、品があった。監督自身でも冗談めかして三池監督より品があるだろう。と、言ってもいたが。北野監督のまわりには太鼓持ちばかりではないのだろう。たしか、水道橋博士などが、折を見て「師匠、お言葉ですが・・・」と、話しをするとも聴く。だから、一貫して、自身と映画の品質が保たれているのだろうと思う。

北野監督は90年代の作品を自ら壊している。「飽きた」とも言っている。90年代の延長線上に作品を創作し続けていれば、大巨匠が保証されていた。それをわかっていながら、破壊する。

でも、私は90年代の北野映画が好きだ。キタノブルーの世界に戻ってきてほしいと思っている。


新たながんの転移、再発はなかったらしい。これで、肝がんに絞り込まれた。念のため、胃カメラを14日に鼻からぐいぐい押し込まれる。その結果を経て、晴れて入院、手術となる。明日は、採血、採尿、レントゲン、心電図、心エコー、肺機能、術前口腔ケアがある。まとめてくれてありがたい。午前中で終わるのだろうか。

何もなければ、八月十九日の週のどこかで入院の予定だ。
このところ、ネットフリックスとアマゾンプライムでがんがん作品を観ているので、少々控えなければ入院期間中の暇つぶしがなくなる。ハラキリ三日くらいは、痛くてなにもできないだろうけれど。十日を超える入院だ。暇はいくらでもある。

人生二度目のがん手術。知っている事が多い分、強い気持ちと弱い気持ちで揺れる。ほんとに、痛いんだもの。ハラキリなんだもの。先祖は新潟の百姓の出なのに。ハラキリなんて野蛮な行為を二度もなんて。腹腔鏡手術なのか、開腹手術なのか、それもまだわからない。恐ろしくて聞いていない。腹腔鏡手術であんなに痛いのに。開腹だったらと想像するだけで恐ろしい。術後、半日くらいは麻酔で眠りっぱなしにしてほしいくらいだ。目覚めて即、激痛なんだもの。


昨日は、「痛いのやだ、痛いのやだ」と弱音を吐いてしまった。
けれど、元来、私は痛みには強いほうだ。

まず、ま冬の田んぼに原付バイクで滑り落ちたことがある。右手の親指が曲がってはいけない方に曲がっていた。勇気をだして、一応、その場で押してみた。「かくんっ」と、元どおりに入った。医者にはいかなかった。そのせいで、いまでも右手の親指の可動域は制限されている。

続いては、妙義山をホンダGB250クラブマンで、行ったり来たり。上ったり下ったりを繰り返していたら、下りのカーブを曲がり切れなくて、ドブに嵌って、私は壁に激突した。

次は、街中をヤマハSR400で走っていたところ、車に幅寄せされて逃げ道をなくした。当然、歩道に突っ込んだ。歩道にはだれもいなかった。しかし、私は一回転した。アウターの肩口がぱっくり裂けていた。薄着だったら、出血していただろう。

次も、ヤマハSR400での事故だ。赤城山の麓だ。今度は1.5~2mはあろうかというトラクターのタイヤに激突した。下敷きになったり、巻き込まれていたら御陀仏だっただろう。「このまま行ったら胸を強打するな」、冷静な判断が私にはあった。そして決断をした。腕をボクサーのように構えて胸を守った。私は、もんどりうって倒れこんだ。胸が詰まったように息ができなかった。胸を守った腕に穴が開いていた。しばらくすると、のたうち回る蛇のように血が噴き出した。このとき、はじめて救急車に乗った。ヤマハSR400は廃車になった。

カワサキW650でも痛い目にあっている。立ちごけをして、バイクに足を挟まれないようにサっと飛んで逃げた先の着地で足を捻挫した。惜しかった。GW中の東北でも砂利に乗って滑って転倒したこともある。カドヤの引き裂き強度のたかいジャケットに救われた。が、あばら骨が折れた。そのあばら骨が折れた状態でツーリングを続けた。
このように、私は痛みには強いほうだ。その私がハラキリ手術の激痛を恐れている。

あらかじめ、大谷翔平の全力投球が私の肝臓に当たると知りながら、打席に立つようなものだ。その恐怖。それがハラキリ手術。


再血液検査になった、理由は知らない。
今回の血液検査は、初めての検査だったので余計わからない。左腕に一回薬品を入れる。その後、右腕から五分おきに三度採血した、と思う。ベッドで横になりながらの採血だったので、半眠りで、看護師さんにまかっせきりでよく覚えていない。

肝臓がんの手術特有の事前採血だったのだろう。一年前にはなかったものだ。その、数値が悪かったのか。血液が足りなかったかのどちらかだろう。
血液が足りなかったケースはたまにある。化学療法の前の血液検査で、血液が足りなくて、もう一度採血、という事もあった。

私の腕は採血がやりにくいのだろう。手の甲から採血される事もある。四月に採血した左の腕にはどす黒いあざが残ったままだ。
警官からの職質経験はないけれど、こんなに注射痕があると「尿検査おねがいします」とか、言われそうでなんか居心地がわるい。

まあ、胃カメラと同日に再血液検査なので、どうという事はない。
手術中に南海トラフ地震が起こらない事を祈るのみだ。群馬なので、影響は最小限ですむだろうが。

我が町の『話』をしよう。と、思ったら『話』の送り仮名の『話し』がしたくなった。『はなし』は正確には『話』でいいのだろうが。でもなぜか『話し』と書きたくなってしまう。変換してみるとどちらも出てくる。『話』は内容で『話し』は行為という事らしい。『話をする。話がまとまる。話にならない』が内容で、『お話しをする。話しあい。話し相手』が行為という事らしい、そんな話しです。なんだそれ。なんとなくわかったようなわからないようなどうでもいいような、日本語の迷宮に迷い込んでしまう。私は今後『はなし』とひらがなで書くことが増えそうだ。

我が町のはなしをしよう。
今年の我が町には七夕祭りがなかった。夏祭りの看板も見かけない。中止なのか、延期なのかもわからない。金銭的な理由なのか、それとも暑さのせいなのか。ひょっとすると市政新聞には理由が書いてあるのかも知れない。が、私は読んだ事がない。花火大会は行うそうだ。場所が変わった。以前は我が家の、そばの広瀬川の広場で打ち上げられていた。

それが、埼玉との県境の利根川に変わった。埼玉の自治体と共同で花火大会を開くそうだ。これはいいアイデアだと思う。わざわざ、おのれの自治体単独で打ち上げる必要もない。これからは、県境に河川が流れている自治体は連携して、花火大会を行えばいい。花火大会の数は減じていくだろう。花火師には苦難の時代になるかもしれない。それでも夏の伝統を継承していくギリギリの線が、この県を跨いでの自治体の連携による花火大会なのだろう。降雨による中止のリスクも分散できる。利根川は広い。大玉も打ちあがるだろう。もう、我が家からは見えないかも知れない。でも、この県を跨いでの連携には賛成だ。

余談をひとつ。
以前、川向うから打ち上げられた花火が、観客席に向かってきて、その上空で花開いた事があった。空から火の粉が降ってきたのだ。その時の私の逃げ足は誰よりも速かった。爆速で物陰に隠れた。観客は呆気にとられて殆ど誰も動けないまま火の粉を、ただ、あびていた。「やばい」と思った時の私の反応は速く、正しい。災害から生き残るタイプの人間だと思う。本質的に臆病なのだろう。だから、バイクで何度も事故にあってもこうして生きている。

みなさん、なにかあったら逃げましょう。


嫌なことを言うと、結局、原発は地盤が強くて水源が豊富なところがいいんだよな。近隣国とこれだけ仲違いしいるのに、海岸線にゴロゴロ原発があるのは危ないよな。現状、地震と津波とミサイルの脅威に常にさらされている。

絶対反対なのだけれど、枯れない湖がいっぱいあって地震に強いのって群馬なのよね。なにかあったら、北風に乗って東京に放射能が到達するだろうけれど。絶対反対だけれど。海辺より内陸の湖のほうが立地的にいいよなあ。

でも、日本には内陸に原発が一基もない(はずの)ところをみると、火山との関係と、住民の理解が得られづらいのかな。それと排水による水道水の関係とか、コストの問題か。海辺のほうが安価に建てられるのだろうか。

と、ロシアとウクライナの内陸の原発をみて思った。チェルノブイリ原発が黒海沿岸にあったら、被害は少なくてすんだのだろうか。彼らの飲料水はどうしているのか。ペットボトル一択なのか。原発の下流域の人々の生活が気になる。ウクライナ軍はロシアの原発を占拠するのだろうか。うまく、脅しに使える算段があるのか。占領された領土や原発と交換するのか。さて、どうなるのだろうか。

で、どこであれ。原発は絶対反対ですが、とくに、日本は危険過ぎる。災害が多すぎる。東アジアは宗教的にゆるいので、世界中の仲違いしている地域よりは幾分冷静で、戦争のステップは上がりにくいだろうけれど。

日本には、アメリカの犬と中国の犬を使い分けて務めるだけの、卑屈のなかに狡猾さをひた隠した強靭な胆力があるのか。そうでなければ生き残れない。犬のふりをすれば、やさしくしてもらえるぞ。だれができるのだ。次の首相は犬のような人間がいい。石破はブルドッグ。小泉は柴犬。う、犬の知識が足りなくて次がでてこない。犬の知識が欲しい。

犬がいやなら『萌え』になるしかないのだが。『萌え人間』より『犬人間』のほうが簡単だろう。


古いはなしになる。
誤解を恐れずに言えば、タモリンピックのようにオリンピックを楽しむ事ができた。私には、勿論アスリートへのリスペクトはある。けれど、つい、この間にも書いたように、抗がん剤治療によって『解脱』してしまった。
パリ五輪には、『不可解な判定、誤審』もあった事だろう。私に怒りはない。

その『誤審』の歴史も古い。アスリートたちも、それに慣れて対処法を覚えてきたのだろう。一日、二日、経てばアスリート同志は分かり合えるのだろう。そうなると、日本人というよりも一人の人間に近くなってゆく。すべてのまともな人間にたいしてリスペクトが向かう。外野の視聴者と観客もそうあるべきだろう。のめりこみすぎないように、酒の肴だと思って一杯吞めばいい。

SNSの発達と管理、抑制は難しい。アスリートもスポンサーがいなければ活動ができないのが現状だ。よりいっそう、SNSとの付き合い方は難しくなる。ここで、有吉弘行氏の言葉が効いてくる「ブレイクするという事は馬鹿に見つかる事だ」、この身も蓋もないような、投げっぱなしジャーマンスープレックス(プロレス技)みたいな言葉は十年以上前の言葉になる。この時代、よりいっそう、この言葉が効いてきた。軽量級のパンチだったものが、時代とシンクロして、ヘビー級の言葉になった。一種の発明だろう。

オリンピック期間中にも様々に世界情勢が動いている。
そちらの『不可解な判定と誤審』は深刻だ。土地をめぐる争い。誰のものでもなかった土地に意味を与えて自分のものにしてしまう。農耕を始めた人間の性か、末路か。そんな争いに辟易としている。このあたりの私の考えは、若い頃読んだ、司馬遼太郎の随筆や対談集の影響がモロにある。そして、司馬遼太郎の小説はあくまで娯楽だ。歴史書ではない。そのあたりの線引きも間違えてはいけない。

土地に歴史を与えて、バームクーヘンのように層になってしまった。
どの層を見るかは、とっても恣意的だ。時代が進んで遺伝子検査であらゆる事がわかったときにどうするのだろうか。いつか、遺伝子に基づいた歴史の書き換えも起こる。その際の人間の混乱と右往左往が目に浮かぶ。宗教的に表にできない事も起こりそうだ。人権も複雑に絡んでくるだろう。


入院したら、新章に入ろう。
わかりにくいので、日付にしようと思う。癌が発見されてから一年と十日ほど経った。順調にはいってはいない。だから手術をする。体調はいいのに、実際問題として肝臓に癌が転移した。自覚症状がゼロなのでまったくピンとはきていないのだけれど。転移が確認されてから五か月になる。

入院すると、冊子が頂ける。興味深いところでは『せん妄』の章がある。お年寄りは気をつけてたほうがいいらしい。普段使いの身近なものを手元においておくといいそうだ。他にも色々な注意点が書いてある。去年バージョンと今年バージョンでもすこし違うように思う。

昨年の入院もコロナ過が下火になっていたので、不自由なこともそれほどなかった。昨年は腹帯を買う指示があった。今のところそのような指示はない。これから追加されるのかも知れない。

コロナが下火になっているのはいい。けれど2024年は、人類史の悪い分岐点になるような出来事が目白押しになる可能性が世界を包んでいる。日本だけでも、南海トラフ地震注意報がはじめて発令された。群馬という安全地帯に住んでいても気にはなる。とりあえず、入院中はゆっくりしたい。なにも起こらないで欲しい。

そして、世界はさらにまずい方へと日日進み始めている。入院中になにか起こるかも知れない。宗教が絡むと理性が失われてしまう。宗教批判はしたくない。けれど、あきらかに、宗教の『物語』のほうに自ら寄せにいっている者たちが散見される。ネット規制はしたくないけれど、行き過ぎた煽りに世界がみすみす巻き込まれてゆくのを見るのは苦痛だ。

良からぬことを起こしたい者たちの影響力がネットの力を借りて、人類史上最大化している。ネットによって眠りから醒めてしまった。それでも、日本は抑制が効いていると思う。一部に、マスゴミとか、犬HKとか書き込んで悦に入るだけの者はいる。それらは、世界にたいしては無害だ。なんの力もない。

私の世代は『ガンダム』の一年戦争を子どもの頃に刷り込まれている。その結果、戦争や世界情勢を多面的に見る教育を自然と身につけている。基礎はあるのだ。そのあとの学校教育が、からっぽなのだが。

日本のアニメの力も、いまが最盛期だ。これから他国に抜かれていくだろう。その前に、しっかり『ガンダム』の一年戦争を正しくリメイクしたほうがいい。世界の財産になる。オリジナル版に郷愁はある。でも、それでは世界に広がらない。

『はだしのゲン』とか『火垂るの墓』の力は限定的だ。日本には侵略者、加害者の側面があるからだ。
日本ができることは、完全なファンタジーとして『ガンダム』をリメイクすることくらいだ。これなら、どこの国も文句を言えない。邪魔もできないだろう。



さて、今日は再血液検査と胃カメラ検査がある。これで、入院と手術日程が決まるはずだ。
私は、昨年の盲腸癌の手術が終わった時に、色々調べてみた。その結果、余命はあと五年くらいだろう、と思っていた。盲腸癌及び大腸癌の再発を懸念していた。

それが、今年の三月に肝臓に癌の転移が確認された。ステージ4、余命は、「平均すると二年半というところです」、そんな言葉を主治医から頂戴している。一気に余命(死神)にまくられた。その後の、5クールの抗がん剤治療はキツかった。5クールの間中、ほぼ『腹下り』だったのだから。私はなんど漏らしたことだろう。おそらく、手術後には、また、抗がん剤治療生活に戻るのだろう。一日の排便(水便)が二十回を超える生活が待っている。

再発と転移の可能性を残しながらの暮らしは、『腹下り』がなければどうという事もない。下痢止めの種類を変更してもらうつもりだ。それが効かなければ私の尻は破綻してゆく。下痢とともに去りぬ。そうはなりたくない。
手術前に手術後のことをアレコレ考えてもしかたがないのは、わかっている。でも、なにかよい方法を考えださなければならない。 

今日は、九時、11時に血液検査、胃カメラ検査がある。終わったら、いったん家に帰って十五時に主治医からもろもろ説明がある。
久しぶりの雨歩きなので、ブーツを履いている。とても気分がいい。染めQのモスグリーンが成功したように見える。後は、バイクで走ってどうなるかだ。

なかなかいい発色だ。もともとは茶色なのだ。
病気のはなしにもどろう。私の記憶では昨年の胃カメラ検査は鼻から挿入したはずなのだ。けれど、今回は口からだった。おそらくコレは私の記憶違いだ。昨年も口からだったに違いない。人間の記憶なんて曖昧なもので、簡単に記憶の改ざんが起こるのだろう。人間なんてそんなものだ。

なななんと、ここに来て入院、手術が中止になった。とある肝臓の数値が手術ができる範囲内を超えていた。手術ができる上限の倍だ。このまま手術をすると、そのまま死ぬ可能性があるらしい。若しくは、そのまま入院暮らし。家にも帰れず、終末病棟ゆき。複数の先生で検討した結果、抗がん剤を変えて様子を見る事になった。肝臓の解毒作用が追いついていないのかも知れないという。もともと、体質的に高いのか、抗がん剤の影響で高いのか、それも、まだわからない。新しい抗がん剤で化学療法をするクールな每日にもどる。三種類目の抗がん剤になる。一種類目の抗がん剤の副作用は『頭』、二種類目の副作用は『腹』、さて、三種類目の抗がん剤の副作用はなんなのだ。どんとこい。

おお、とある女性タレントが乳癌になって泣いている。私とは比べるべくもなく、失うものが多いのだろう。同情しよう。

さて、私は死んでなにを失うのだ。と、私は私に問う。私にはどう考えても失うものがない。もともとなにもない。私のまわりにあるものはすべて雲だ。見るもの聴くもの触れるもの、ぜんぶ雲だ。そんなふうに思っている。ただ、私ともども風にふかれてながれてゆくだけだ。
私のこれまでの人生がうすっぺらすぎたせいだろう。どこかで、私は怒涛の癌生活を楽しんでいるところがある。がんをかわいがり、がんをおためごかし、がんと戯れている。そんな私はきっと異常だ。滅多にいない種類の者だ。noteがなければこんな独白もなかっただろう。私はがんという初めてのスリルをくちゃくちゃ噛みながらしぶとく味わっている。
雲の上で。

明日から新章に入ろう。
















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