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『電子的線香花火』または『電子的熊猫遊戯症状』

調べてみたら『離脱症状』というものらしい。
頭の中に電子的線香花火が備え付けられてしまったようだ。

不安神経症の薬を、急に止めてみた。これを、『極私的勝手減薬人体実験』という。医師から薦められたものではない。私が勝手に、私の判断で、もしかしたら不安神経症は治ったのではないだろうかと思い実験してみた。
もう、春だし、軽い気持ちで「薬、止めてみっかな」、そんなふうに。

三日間は日常生活に支障はなかった。それから、薬の離脱症状が始まった。
不安感はない。ただ、頭の中で電子的な線香花火がパチパチ鳴っている。
恐ろしいことに、当初、私はこの花火を私の頭の中で爆ぜている現象とは思っていなかった。家の外で電気工事をしているのかと思っていた。一日中電気工事をしているわけがない。それで、家人に尋ねてみた。家の外で電気工事は行われているのか、と。

もしくは、いま、サンタクロースが鈴を鳴らして飛んでいないか。アレクサが、YMOの『テクノポリス』を再生していないか。誰かが金属のたわしで台所のシンク掃除をしていないか。私に痺れ薬を一服盛っていないか。
勿論、電気工事の有無の質問が『無』であったことから、私の頭の中と身体に原因があると解っていた。脳梗塞も一応疑っては見たが、症状を検索して「これが噂の離脱症状かぁ」と、唸ってしまった。

この離脱症状を一般的には『シャンピリ(医学用語ではないと思う)』というらしい。身体中に奇妙で微弱な電気信号が流れている感じで、突然、漏電して爆ぜるのだ。概ね『シャンピリ』であっているのだが、私としては『電子的線香花火』としたい。それが、煙をあげてショートしている。めまいもする。フラフラして、突然、力がぬける。

色んな名前のパンダが私の身体中で遊んでいる気もする。シャンシャンとかリンリンとかトントンとかピンピンとかビンビンだ。
『電子的熊猫遊戯症状』が可愛いかも知れない。
ということで、一端、人体実験を止めて医師の指示に従う生活に戻る事にした。私が思っていたよりも、抗うつ薬の止めた後の反動は強烈だった。抗がん剤とは違った味わいがある。

追記。20時に薬の再服用を始めた。
それから4時間が経った。私の頭の中でパンダはまだ遊んでいる。せめて多頭飼いを止めたいと思っている。2頭くらいは四川省に帰国したと思う。
追記から3行タイピングするだけ。また、頭や首を動かすたびにパンダは遊びだす。私は黒柳徹子さんではないぞ。
因みに、『遊んでいる』とか『戯れる』とか『闘う』いう意味で『遊戯』と使った。正しい使い方なのだろうか。ブルースリーの『死亡遊戯』から安易にチョイスしてしまった。誤用かも知れないが、広義の意味で適当ではないだろうか。

こうしてる間にもフィンランド由来のサンタクロースの飛行音が聴こえる。到着したのか、帰国したのか、できれば帰国して頂きたい。トナカイとパンダを入れ替えてほしい。それが、私の望みだ。鈴を両手にはめたサンタクロースがサンドバッグを殴っている音もする。なんだこれは。ひっちゃかめっちゃかだ。
これが『パキシル25㎎錠』の私の離脱症状です。でも、昨日の夕方よりは落ち着いてきた。サンタクロース様。私の頭の中の靴下に寝ている間に『抗うつ薬』を入れておいてください。

火曜日には、盲腸癌手術後の六ヶ月検診の結果もでる。今週は祭りのように忙しい。

追記2、朝の5時だ。薬の再服用をはじめて9時間が経った。
雪山でパンダがサクリサクリ歩いている音がする。やはり、家の外からだ。
私は関東平野の北の縁に住んでいる。雪は積もっていない。ついでにいうと、私は二階でこの文章を書いている。それなのに、一階で何者かがハタキを叩いて掃除を始める雰囲気がする。
もう、わかっている。これはぜんぶ私の頭の中で推理され、まるく収まって、完結されている事象だ。私がものわかりのいい中年名探偵男であることに日本と家族は感謝したほうがいい。

もう、この際だから『離脱症状』をしっかり覚えておこうというモードに私は切り替わっている。せっかくだから記しておこう、と。ついでにPUFFYの『アジアの純真』を私の意志で聴いている。これは本当に私の外で鳴っている曲だ。作詞は井上陽水氏。歌詞に白いパンダが出てくる奇妙奇天烈なヒット曲。丁度良いではないか、私の『離脱症状』にぴったりだ。

私は一昨日テレビ視聴中に、テレビ画面がひしゃげたのを何度か目にしていた。これも私の頭の中の現象だ。夜中にトイレに起きたとき、暗がりの廊下で小さな火の玉がパチンと爆ぜたのも、私の頭の中で起きていた現象だ。
私の頭の中にある映写機から投写された私の頭の中だけにある疑似現象だ。それは、私の頭の中から一歩も外に出ていない。私はそれが理解できる。薬の離脱症状によって私の頭の中の引き出しが脈絡なく盛大に開いたのだ。

ぜんぶ私が生み出した。パンダ。火の玉。サンタクロース。私の頭の中のまぼろしだ。私はそれを私の頭の外で見聞きしていると勘違いしてしまう。しかしそれは絶対的に、私の頭の中の私の離脱症状のバグだ。私の頭の中では薬の離脱症状に一時的に雇用された映画人が働いている。離脱症状が終わるまで映写機は回転を止めないのだ。

そう、正しく理解できる私でよかった。それは、薬の離脱症状という確固たるエビデンスがある世界に私が暮らしているからだ。そうでなければ、私はどうなっているのだろうか。エビデンスがなければ、『パンダ神』に十戒を授けられている可能性もある。『猪神』に八戒を授けられれば、私は猪八戒になっているかも知れない。そういう日だってあったかも知れない。


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