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小説『空生講徒然雲6』

『もの生む空の世界』にとうとつに現れた行者は一様に我を失っていた。
━━行者にはわすれなくてはならない事情があった。
だから、ある種の麻酔が行者のぜんたいにうまく作用して、行者自身の『我』をしばし放逐しているのだ。行者自身の内心で草を食んだり、花を摘んだり、田畑に人糞をばらまいたり、行者自身の内心の自由はそれぞれだった。
しばらくすればうつろ状態は収まり、足下のふらつきは定まり、空をしっかり踏みしめるようになるのだ。そう、空をだ。

これは、何者かの正しい配慮だ。そうでなければ行者はこの奇妙な世界につくなり、即、狂うはずだ。目がない、腕がない、足がない、首がない、友がない。わすれなくてはならない事情とはそういうことだった。
『もの生む空の世界』についた行者は、少しばかりぼんやりしているものの、充分な健康を有していた。五体満足にあった。これも配慮だった。

あらかじめ行者の魂には見込みがあった。見込みこみで行者は『もの生む空の世界』に来た。あるいは来れたのだ。魂の見込みのない者は此処にはいなかった。だから、御師である私にやっかいごとなどまるでなかった。
でも、ふとおもう。魂の見込み不足の者はどこでなにをしているのだろうか、と。しかし、ふとおもうのも一瞬の気まぐれだ。まあ、いいではないかと、私はすぐわすれる質だ。その領域内には私は立ち入らない、そう決めていた。それは何者かが決めることだ。私はただの下働きの御師なのだ。プロレタリア御師であり、ブルーワーカー中のブルーワーカーなのだ。

名付け名人の私の快作を披露しよう。初出だ。地は『もの思う種の世界』という。空は、ご存知『もの生む空の世界』という。どうだ。
世界は二つから成り、それをしる者は『もの思う種の世界』にはない。
『もの生む空の世界』から見下ろす地の世とは、かぎりない半透明のなかに密封されて大きく膨れたコンビニ袋のようなものだった。
『もの思う種の世界』の一切は、こうして『もの生む空の世界』から見下ろされていた。そういう仕組みを、何者かが創造したのだ。

私はしがない御師だ。此処の居心地がよいのであえて思考を千日止めている面を否定しない。つまり『もの生む空の世界』での私の役割は、行者の世話人であり、案内係であり、地獄の番人かもしれなかった。妖精の可能性も捨てがたくもある。でも、それらはどうでもいいのだ。私は走りたかったのだ。見上げた空を。そこに引かれる電線を。ながれる雲を。ただ走りたかったのだ。

私は御師のライダーだ。行者を連れて、電線上を『カワサキW650』で千日走っている。


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