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『小説。空生講徒然雲34』

 蛍の残照が私の頭をいっぱいにしていた。季節は秋だ。けれど、受け容れよう。此処はそういうところなのだから。
 タナカタさんとの別れに、感傷的な現象も私には起きない。まあ、青猫タルトもそうだ。「みやおう」と啼くだけだ。鬱鬱不安骸骨のタナカタさんは左の『見玉』を得て、暗やみの『見玉不動尊』の掃除をはじめている。祝勝な態度だった。掃き掃除の音から嬉しさが伝わってくる。いずれ、その骨に肉と血が通うというのだ。また、会ってみたいものだ。これから、たびたび訪れよう。鬱鬱不安骸骨のタナカタさんの見玉の次は、どこを直すのだろう。このままでは余りにも、不自由だ。足腰が定まってはいない。足腰が入るのか。脳はいまのままでも愛すべきタナカタさんではある。それでいいと思う。それがいい。それがすばらしい。
 そう、これからの、空生講徒然雲は二人と一匹になるのか。
「違うぞよ、御師千日。我もゆくのだ。陀伽羅尊者の了解は得ておる。我は奉公を尽くした。しばしの暇を頂いたのだ」
 ん。緑蛙も同行するのか。そうかそうか、だから、いちいち嬉しそうであったのか。嬉しさが余って、自慢気になるタイプの者か。わかりやすい質でよかった。
「御師千日。詮索するな、文字通り我は井の中の蛙。旅に出ねばならぬ理があるぞな。我の名は『緑蛙野路みどりかえるのじ』、のじと呼んでいいぞよ」
「のじ、今晩は、これからよろしくね」、と、シマさんが緑蛙の、のじを赤子のように「たかいたかい」してあげていた。たしかに私から見ても、のじには愛嬌があった。
「おお、これはよいぞよ。よいぞよ。ない者行者シマ。よいぞよ」
「青猫タルトも、たかいたかいが好きなのよ」、そうシマさんが言った。
 ほう、これは面白い事を聞いた。この青猫が。たかいたかいが好きなのか。知恵者でありそうな二匹がいずれも、たかいたかいが好きだとは思わなかった。やはり、この世界は面白い。
 私はチラと頭の上の青猫タルトを窺った。照れているようだった。嘘眠りをしていた。私も照れていた。「たかいたかい」のハードルはとてつもなくたかい。私もやってあげようとしたが、断念した。
「タルトもたかいたかいしてあげるわね」。青猫タルトの短い尻尾が動いた。やはり、嘘眠りをしていた。
のじは案外素直なのかも知れない。心から楽しそうだ。
「おほ、おほ、よいぞな、よいぞな」と、まるで飽いていない。

いつのまにか、龍は消えていた。秋の蛍のように。あの巨大な体躯があっという間になくなった。お礼も言えなかった。
シマさんが言った。
「空っ」
おお、空を龍が跳ねている。蜷局を巻いていた龍の全身がばるんと蜷局を解いた、緑色の胡乱な花が夜空に咲いていた。その色はやがて黄金になった。とつぜん、景気がよくなった。一尺玉の規模の花が咲いた。秋の蛍が全身に纏わり付いて離れない。龍声が轟く度に、金粉が散乱するように、蛍が散ってゆく。空かける黄金の龍が、ばるんばるんばるんと蛍と遊んでいるようでもあった。もの思う空の世界には、無邪気者が多いのだ。これがいい。


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