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『ま夏。八月二十五。腕点滴からおさらば』ありのままの写真を載せています。不快に思われそうな方は注意してください。

腕の点滴からは、しばらくおさらばできる。なかなか、血管が見つからなくて看護師を難渋させてきた。これで、winwinの関係を結べる。
何か、緊急事態が起こらないかぎりはこれでゆけるはずだ。もちろん、入院、手術となれば腕の点滴に戻ることもあるだろう。

気になることもある。鎖骨に埋め込まれたポートに針をさすときに、「なんだこれきつい、ふん、ふん」と、力をこめて「痛いでしょう。ごめんね」と、男の看護師が言っていたことだ。化学療法センターに男の看護師はいただろうか。この二週間で器具がこなれて、さしやすくなっているといいのだが。
これが続くと ↓

こうなって ↓
見た目、薬物中毒者のようになる。点々とした『・』はすべて点滴と採血によるものだ。青白いあざは、四月のものでしこりができてしまっている。

そして、右鎖骨の下側に埋め込まれた器具。横からみると『荒船山』のようにポートが盛り上がっている。カラメルのない小さなプリンだと思ってくれてもいい。やや、グロテスクだったら申し訳ない。一瞬卑猥にみえたかもしれない、大丈夫だ。私はこの秋で五十歳になる中年男だ。乳首はぎりぎり隠した。

第三の抗がん剤でも、四十八時間連続の点滴でも、しゃっくりはおさまらないようだ。このくらいはどうってことないのだ。『腹下り』さえなければ、それでいい。ハゲてもいい。しみだらけになったっていい。人間らしい生活が遅れれば、それでいい。

さすがに、自分で針をさすのは資格や免許がいるだろうとは思っていた。そのとおり、私は家に帰って四十六~四十八時間後に手順に従って針を抜く。体外から出ているものはすべて使い捨ての医療用産廃になる。二週間後の次のクールに病院の指示にしたがって持参すればいいそうだ。

ここで、自分で針を抜いた後はしっかり、無菌ガーゼなり、無菌綿棒なりに、ヨードチンキ的な液体をつけてぐるぐる回すように消毒する。その後は大きめの絆創膏と水対策をするのだ。一日二日経ったらそれを剝がして終りになる。

抗がん剤は丸二日持つという。プラスチック瓶のなかの風船に抗がん剤が前もって入っている。私の肌の体温を感知して、体内に送り込まれる抗がん剤には多少の誤差があるらしい。体温が高ければ早くながれ、低ければ遅くながれる。そして、風船がしわしわに絞んだら終わり。予定時間を五時間オーバーしても多少の抗がん剤が残っている場合は手順通りに則って破棄となる。

在宅での抗がん剤治療中、私は専用のポーチに抗がん剤を下げたまま過ごす。シャツの襟口から透明の細い管がでているだけで、『となりのトトロ』のメイが肩掛けに持っていた水筒の半分もない大きさくらいだろうか、私のものはプラスチック製のものなので、随分かるい。ここで、恐ろしいのはわたしに記憶違いがあるかも知れないということだ。私の記憶では、黄色のポシェットにピンクの水筒だったはずなのたが。合っているといいのだが。まっくろくろすけは黒ですよね?

今、気付いたが『x』のトレンドをチラ見した感じでは、たまたま金曜ロードショーで『となりのトトロ』の再放送があったのかな。

このポシェット型の抗がん剤装置。これならバイクにも乗れそうだ。抗がん剤が毒物に指定されていなければ、だが。あとで、調べてみよう。もし事故になったときに、不意に誰かが抗がん剤に触れてしまうのは怖い。目にでも入ったら大変だ。外出に絶対安全はない。歩道を歩いていたって、横断歩道をわたっていたって、注意を怠れば事故に巻き込まれることもある。これは、私の常識が試されている。常識について色々考えて見よう。

あ、でも抗がん剤が体外にあるのか、体内にあるのかの違いしかないともいえるのか。事故でぐしゃぐしゃになってしまえば一緒だ。ポーチと管がある分だけ、救急隊員にはわかりやすいだろう。

で、軽く抗がん剤を調べて見た。まともなものと、陰謀論が混在していた。ので、この問題は先送りにしよう。ここには、書かないかもね。

病院では各種レンタルがある。タオルの入ったセットや、高級おむつが入ったセットが三種類くらいのグレドーに分かれている。値段もちがう。一日、五百円くらいがスタンダードになるのたろうか。私も今回は借りて見ようと思ったのだが、普段着のほうを選んだ。やはり、入院しても断然普段着派だ。自由度が高い。リラックス効果も高い。いかにも大病を患っています感がない。病棟のパジャマには私は生気を吸取られるようで、気が滅入る感じがするのだ。

手術のときは仕方ない、手術着に着替えるのは、いい。いまある手術着が日本のベストなのだろう。でも、世界の手術着のベストが浴衣っぽいものであるはずはないだろう。衛生面からいって手術のときには強制的にクリーニングされた衛生的なものになるのいい。でも、あの浴衣型がベストなのだろうか。そんな疑問がわく。それに、手術が終ったらだんだんに普段着やルームウェアに着替えていったほうが予後は安定して、入院期間も短縮するのではないだろうか。

ただ、私は、手術が終わったら普段着に気がえるチャンスを逃すことはなかった。新しい抗がん剤に切り替わる瞬間で、ササっと普段着に戻った。これで、私の情緒が安定する。

そもそも私の人生にパジャマ人生はあったのだろうか。あったとしても、余所行きの両親の実家への帰省とか、せいぜいが小学校低学年までだろう。それからは、ない。

ホテルに泊まっても、旅館に泊まっても、私は普段着だ。「情緒はどこにいったのだ」と声が聞こえる。が、これは私が正しいだろう。日本は災害大国だ。浴衣で寝るのと、普段着で寝るのとでは逃げ足が違う。パジャで逃げるのとルームウェアで逃げるのでも、逃げ足がちがう。

ああ、ヒマすぎて二千字書いていた。病棟の旅情に浸り、筆がすすんでしまった。

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