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小説『空生講徒然雲8 』

 私の姿は『もの思う種の世界」にはなかった。というよりも、空下がりした私の存在は失われている。私には『もの思う種の世界』にいながらにして、この土地の者たちには、私が見えていなかった。私はこの土地の者たちの間をどいうわけか「ぬける」ことができた。
 夕方になると川の両岸にある百もの石灯籠に灯りがつぎつぎ点されていった。この石灯籠は変わったかたちをしていた。子どものお尻を模した石が漫画の吹き出しそっくりに加工されているのだ。土地のものはこれを『石尻』と呼んでいる。その前部分の石を浅く削いで凹みをつくり蝋燭がたてられている。後ろのお尻には短い詩が二品ずつ掘られていた。名の知れたものもあればそうでないものあった。
 この、面の屋台と尻石灯籠の景観目当てに日本各地から見物客が来ていた。全国から送られてくる作品には品評会もあった。最優秀賞に選出されると、石尻に採用されて彫られることもあった。自分の作品を石尻に彫られたい者は多かった。右尻左尻とあるが、どうせなら両尻に自分の作品を彫られたいものだ。片尻だけではもの足りない。私でもそうだ。片尻落ちではなんだか居心地がわるい。皆、両の尻がほしいのだ。落ち着きとはそういうものだ。
 戦いは熾烈だった。市長派と反市長派にはお抱えの文人もいた。その文人同士が良作をひねりだそうと争い分裂していた。毎年のように賄賂の応酬があるのではと囁かれてもいた。
 これを『天下分け目の戦い』になぞらえて『両尻分け目の戦い』という。
つけ加えると、この戦いに市民のほとんどは関心がない。「片腹痛いわ」の代わりに「片尻痒いわ」と馬鹿にしている者もいた。
 この祭りのメイン会場は、両岸にたてられた病院をむすぶ歩行者専用の橋の周辺に作られた小さな森だ。この辺り一帯が整備された公園と散策路になっていた。『もの思う種の小径』もここにあった。この辺りを散策すれば、自由律俳句のひとつやふたつうかぶのかもしれない。そんな風情があった。
 漫画の吹き出しに切り出したオリジナルの画用紙を売る屋台もあった。見物客はそれを列になって買い求めて、その者なりの思う種を見つけてなにごとかを書き記している。それを係の者が七夕の短冊のように小さな森の木々にくくりつけていた。
 かつてこの土地を襲った大水から始まった鎮魂の祭りは、賑やかな夜をむかえていた。こうして水難者の魂は静まり、いくつもの詩がうまれては木々に垂れてゆれていた。

 

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