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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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『ほう』

「ほう」と感心してみましょう。 何ごとも「ほう」から始めてみましょう。「ほう」には含みが持たせてあります。一例をあげましょう。「ほう」と言いながら、その間に脳をフル回転させて見ましょう。二の句が出てこない時の時間稼ぎの「ほう」です。そのわずかな時間で失言も防げるでしょう。 また、よりよい対人関係づくりの為の一歩だと思って、毎日トーンを変えて「ほう」の練習を心掛けてみましょう。リラックスして反響する風呂場がいいのではないでしょうか。そこから、メロディーが出てきたら儲けものです。

『満プク』

脳のドアが開いてしまったようだ。 これは、久しぶりに日帰りの『走りっぱなし』ツーリングに行ったせいだ。 書かずには眠れない。そんな日もある。脳のドアが開く。そんな日がある。 私のツーリングは、ほとんど走りっぱなしだ。ガソリン給油とたまの珈琲タイムと尻痛の限界超え以外は止まらない。なぜ、そんなことができるのかと言うと、私はオートバイでツーリングしている間中、常に満腹なのだ。 ツーリング中だけ、なぜか腹が減らない。今朝も朝食にバナナ1本食べたきり。走り出せば缶珈琲を2本飲んだだ

『4連単の顔と馬』

見た瞬間「ぱっ」と私の頭で花開いたのは、リアル世界の馬と4連単の顔だった。もろに「エグい」古墳時代の見てはいけない側面を見てしまったような、なんともいえない感情が私を刺激した。 これを『もろエグい』感情として私の心にスケッチされた。 古墳時代のある時期から、古墳人も、はたと人身御供の『もろエグい』ことに気づいたのだろうか。そして、土塊を焼いてこの形にした。 それとも、敵方をあのように4連単の顔にして勝利を誇ったのだろうか。しかもわざと敵方に見えるように高く。 バランスから考え

『ホンダを着てカワサキで走る』

私には春秋オートバイ服コレクションのミリタリーコートがある。カーキ色と濃紺の二着、同じ型のホンダ製だ。春秋のツーリングには、革ジャンかこのミリタリーコートの2択と決めていた。ぺらぺらの生地に裏地もない。中綿もない。縫製もあまい。スナップボタンも良くとれた。クレームを入れても良いくらいの品質だと思う。 その、ホンダ製のミリタリーコートが私は大好きなのだ。「がんばり」過ぎていない。そんな所が好ましく、私の心はつかまれた。インナーで私なりに、「がんばる」からアウターでは「がんばら

『月誕生日』#シロクマ文芸部

「誕生日をなんとか乗り越えた」、そんな夏の終わりがあった。 もうすぐで私の月誕生日だ。そんなもの(習わし)があるのかどうかすらわからないけれど。2023年の9月29日の前日から「ぐわあー」と勢いに任せてnoteに文章を叩きつづけていた。そんな夏が終わる。振り返ったら「殺られる」くらいの勢いで書いていた。 そのせいで、随分読みにくい文章もあったことでしょう。ですので、もうすぐ来る、この月誕生日を利用して「直し直し」「削り削り」「足し足し」しているところなのだ。 あるいは今書いて

『もの思う種』

私はツーリング中に拾いものをする。それは種だ。じっさいにある植物の種のことではない。景色の種。排気音の種。ま夏の種。ま冬の種。町の営みの種。すれちがうオートバイの種。キャリーケースの美女の種。草むしりする老婆の種。途方もない数の種を拾う。そして、私は途方に暮れる。 それらはぜんぶ、私の『もの思う種』だ。見つけて拾うたびに頭の中でパチパチ爆ぜる。脳の『もの思う』一点を狙って爆ぜる。やがてそれは私のことばになることもあればならないこともある。種だ。どこに捨ててもいいだろう。どこ

赤っか

私は今朝6時30分にオートバイを走らせて18時に帰宅した。 昨日スキップした『紅葉狩り』ツーリングにようやく出かけたのだ。私の心の故郷ベストテン第7位。晩秋の南会津からの田子倉ダムだ。 正直に言えば、朝8時を過ぎるまでは何度も寒くてスキップ&ターンしようとした。ほんとに何度もだ。ぺらぺらのミリタリーコートに、使い捨てカイロ10枚貼り、ダウン2枚。それにくわえてインナーには発熱シャツ2枚でも、私のスキップ&ターンが発動しかけていた。極寒装備で来るべきだったのだ。 8時をすこし

スキップとステップ

私は今朝スキップした。昨夜なんてステップまで踏んでいた。 心躍るようにスキップしたわけではない。朝5時起きのアラームをスキップしたのだ。寒さと眠気に負けてそのまま意識は遠のいた。 毎年訪れる数日の葛藤がここにあった。「明日は紅葉狩りにでもでかけよう」と、ルンルン気分で心高ぶらせながらステップを踏む私が昨夜いた。 明日は5時にに起床する。そして、手早く身支度を整えてカワサキW650で北に向けて出発しなければならない。そう思う私が毎年いる。 夜、ステップ踏んで、朝、スキップする

『宮沢賢治は、ハリウッドザコケンジなのか』

うれしい事に人間は多面的に出来ている。 どこに光りを当てるかで自ずとその者の実体は変様する。また、光りの当たる面を見るか、その先に伸びる長い陰を見るか、それでも、だいぶ印象は変わってくる。 私の住む土地には冬になると強風が吹く。それを『赤城おろし』と言う。名前がつくほどの風が吹く土地で育った者は、『赤城おろし』を体感しているから、風ごときにたいそうな名前がつく事を、大袈裟ではないと知っているのだ。 宮沢賢治、作。『風の又三郎』のあの一説、「どっどど どどうど どどうど ど

『朝起きるとどこかがかならず痛い』

いつからだろうか。 朝起きると、どこかがかならず痛いのは。今日は、右手首がずっと痛い。なにもしてないのに、痛い。睡眠前には、あんなに元気だった右手首は、夢のなかで冒険でもしていたのだろうか。 右手首が痛くなる夢の冒険とはなんだ。崖に右手首をかけて、必死に身体を支えていたのか。 では、そのとき私の左手はなにをしていたのだ。私の左手首はいつもどうり。痛みひとつない普段の左手首だ。 崖を両手で掴んでいたのなら、右手首同様に左手首にもダメージが残ったはずた。 私はこう考えた。 右

『金木犀と豚』

私は、関東平野の北の縁をカワサキW650でゆらゆら走っている。日本中がそうだろうが、この土地にも金木犀の香りがいっぱいに満ちている。 秋うまれの私にとって金木犀はとくべつな樹木だ。私がうまれて最初に嗅いだ匂いは、あるいは、金木犀だったかも知れない。だからというわけでもないのだが、暗示にかけられたように、この香りに郷愁をさそわれる。 私はこの文章を、赤城山の麓にある古墳群、『大室公園』の木陰で缶珈琲を飲みながら書いている。持ち込んだヘリノックス(アウトドアの椅子)に座り。力い

バイクにのるということ

黒字と赤字の話をしようとおもう。 バイクに乗って走ることは(私にとっては)圧倒的に黒字の行為だ。 地球にとっては赤字かも知れない。排気ガス。地球温暖化。無駄な鉄塊の採掘。あるいは排気音(騒音)も赤字だ。その音は動物や人間にストレスを与える。 ある晴れた秋。私は南会津辺りの大紅葉のなかを走っている。カワサキW650のマフラーからは「どろどろどろ」と、控えめな排気音が鳴っている。私の気分は黒字だ。 南東北の紅葉は昨夜の雨に濡れていっそう鮮やかに見えた。路面は少し濡れていた。とあ

革ジャンでねむるということ

ま冬のことだった。部屋の窓をぜんかいに開け放してみた。 「赤城おろし」は今日も手加減を知らないようだ。とうぜん「さむい」、のだが、それが私の狙いだった。部屋を砂ぼこりでいっぱいにしたいわけでもない。このご時世だ。風邪をひきたいわけでもない。 私はいま、心から「ま冬を」必要としていた。発作が起きていたのだ。 それを、「革ジャンで過ごしたい病」としよう。日がな一日をただ無為に革ジャンで過ごしたいという奇病だ。 「なぜ家で、なぜ部屋で、なぜ実家で」、その問いの答えを私はもっていない