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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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『ほう』

「ほう」と感心してみましょう。 何ごとも「ほう」から始めてみましょう。「ほう」には含みが持たせてあります。一例をあげましょう。「ほう」と言いながら、その間に脳をフル回転させて見ましょう。二の句が出てこない時の時間稼ぎの「ほう」です。そのわずかな時間で失言も防げるでしょう。 また、よりよい対人関係づくりの為の一歩だと思って、毎日トーンを変えて「ほう」の練習を心掛けてみましょう。リラックスして反響する風呂場がいいのではないでしょうか。そこから、メロディーが出てきたら儲けものです。

『起き抜けの夢の残り火』

「ざっくばらんに、らばんばばんば、ばんばらばんばら、ざっくばらんに、ざっくざっく」 突然のプレゼントだった。起き抜けの夢の残り火はこんな言葉を私にくれた。ほんの一瞬スモーキーな香りが枕元でした。「垂らしたか」、昨晩ラジオを聴きながら呑んでいた私と夢の共作のような言葉の連なりは、ラテンの香りと日本昔話のちゃんぽんであり、カクテルだった。 わけのわからない、素敵な言葉の連なりをありがとう。夢の翻訳者でもない私には夢の中身を想像するほか手がないが。わずかな創造を一垂らし。マドラー

『バス旅シリーズ』

今夜、テレビ東京系で、『本家、バス旅シリーズ』の女版の『W』の第二弾が放送される。ややこしい言い方だ。どう、手短に適切に説明すればいいか迷う。とにかく、あの、シリーズの番組の本家、三代目だ。 本家は『土曜スペシャル』その他は『水曜パラダイス』の枠で放送されている。水曜のほうは、対決したり、電車に乗ったり、ミッションがあったりと、色々だ。その大本、本家の放送が今夜だ。 初代はゆるくスタートしたように思う。『いい旅夢気分』の亜流のような形だった。太川陽介氏と蛭子能収氏コンビにマ

『冬の赤城千本桜』

例年になく日だまりの多い冬がそこにある。 桜の時期ともなれば長い渋滞を編み目のようにつくりだしていた赤城千本桜。冬なればこそ、人知れずひっっそりとした公園と成している。 枯れ葉は道脇に避けられて、ちいさな盛り上がった山がいくつかあった。もう、此処は関東平野とは言いづらい坂のある桜並木の公園だ。縁だ。 赤城山の縁であり、関東平野の縁。そのラインは関東平野をぐるりとはいかないまでも、囲う。 つまり、縁とは始まりと終わりの事でもある。赤城おろしの大本はシベリア辺りかもしれないが、

『〇絵の事情』

なんだかわからないのだけれど、急に『◯絵』にはまりだしてしまった。毎日◯ばかり描いている。『◯』を描いたり消したり。いつまでやるのだろうか。 『レ』をしらない、ガッコーの先生くらい描いている。ガッコーのテストで〇を貰えなかった反動か。◯の上から◯を重ねて、◯をずらして、◯の絵を描いて、◯い地球の◯い日を見ながら、日の本の群馬県で馬鹿◯だしで暮らしている。 たまたま私は○顔でもあり、〇い腹を突き出して、股に◯を2個挟んでもいる。◯い目と◯い鼻の穴もあり、尻の穴は大抵*だけれど

『まぼろしの赤い橋』

私の赤い橋の画像が消えてしまった。 今、表示されているのは、そのショックから立ち直ったあと(10時間後)に描いたものです。結果的に描き直したほうがよく出来ました。よかった、よかった。 この赤い橋は、新潟の北部にある『麒麟橋』という橋です(たぶん)。行った記憶はありません。ただ、そう断言できないのは、父の実家がこのあたりにあるので、印象に残っていないだけで実は行ってる可能性も捨てきれません。『狐の嫁入りを』を調べている過程で印象に残ったので描いてみました。 さて、私の『まぼろ

『局部ではない』

ときどき説明します。 ちょこんと、出ているところは局部ではありません。 大きな○は大腸です。ちょこんは、虫垂です。私はその辺りの『盲腸癌』でした。 私の盲腸と虫垂はバッサリ切って、もうありません。 みなさん『大腸癌』には気をつけてくださいね。 どちらかといえば、『せ』から伸びているほうが局部です。 みなさん、どうか誤解しないでくださいね。『せ』には局部だけではない。私のぜんしんぜんたいが、詰め込まれた器官だとお考えください。 せっかっく盲腸癌になってnoteまで始めたのだ

一万字のエッセイ『ミスター•ミス•ニッポン』     

大腸内視鏡検査受診月間最優作品賞(嘘) 便潜血+を放置しないでほしい特別月間作品(本当かも) #創作大賞 #エッセイ部門 どうやら私は、無事に49歳と1日を過ごしている。 1974年9月29日生まれの私は、どうやら明日、49歳と1日になるようです。指折り数えても、49。足折り数えてみれば、25くらい数えたところで姿勢がつらく、こむら返るところを見ると、ややもすると私は25歳なのでは、と、思わないこともありませんが、それこそが歳の成せる技であることを私は知っています。 ほ

『バッキバキ』

眠れないから何か書こう。 そんな動機で何が書けるのだろうか。眠れない暇つぶしで、私の底力が見えるというものだ。 この時間(2時前)に目覚めると、だいたいは詩になることが多い。それは、ゆめと詩がともだち同士だから、必然的にそうなる。うとうとした私と詩の相性もいいのだろう。 さて、私はこの時間にも関わらず、うとうとしていない。ゆめとうつつの狭間からは程遠い、バッキバキに目覚めている私がいる。この時間にバナナを1本とヨーグルトも食べた。そんなときはこうした文章がいいのだろう。

『ゆめと悪夢と常識と非常識』

ゆめをみる。それも、悪夢をみる。 今朝はスカイツリーと並びたつような巨大な自転車をこいでいるゆめを見た。何しろ背が高すぎる。目の前でスカイツリーの観光客に手を振りながら、私は余裕で『634号』をこいでいた。バッテリー付きの『634号』はらくらくすいすい進んで行く。ゆめという世界は常識と非常識がないまぜになって構築された世界だ。それを疑うことなく暮らしている非常識なゆめのなかの私がいる。 「そこは非常識を良しとしてくれないか」、そんな展開がおとずれることがある。ゆめのなかの私

『あまちゃんの乾燥』

Amazonのブラックフライデーのセールの煽りを受けているのだろう。 注文した商品の動きが鈍い。私は、私の善意で、今日届くはずの荷物を、明日の午前中に変更した。荷物追跡サービスを見ると、配達店には昨日の夕方には既に荷物があるようだった。昨日からAmazonの注文履歴には『配達中です』とあるのだ。だから間違いない。忙しすぎるのだろう。 そんなわけで、今週の私の穴はずっとヒリヒリしている。待ちくたびれると、穴がヒリヒリする奇病ではない。単なる温水洗浄便座の故障で、シャワーノズル

『赤城おろし漢字解体説』

かぜのとおり道(あるいは川)で育った私だから、かぜの文章がおのずと増える。かぜの文章ばかりになってもつまらないだろうと、ぼうっと思考するのだが、おなじみの赤城おろしが北の窓から私の部屋を今夜も覗こうとしている。 もう、あきらめている。からだのぜんめんでかぜをうけとめて暮らしてきたのだから。赤城おろしのかぜですりきれた肌と埃っぽい毛穴はこの土地に住む宿命で、赤城おろしが吹くたびに私の文章から漢字の風の服が吹きとばされて、ひらがなの『かぜ』になってしまう。 これは、私だけでは