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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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2023年11月の記事一覧

『極私的ベスト邦楽いい曲100』   変動制。追記あり。恥ずかしい。

私が、いま、いちばん恥ずかしくてくだらないことをしようと思います。 それが、『極私的ベスト邦楽いい曲100』です。順不同です。ほんとに100曲あるかどうかもわかりません。思い付かなっから、日々追加していきます。コメント欄で「この曲がなぜないんだぁ」という、クレームもあるでしょう。極私的なものなので仕方ありません。なにかいい曲があればAmazonのサブスクで聴きます(たぶん)。『極私的ベストいい曲100』は極私的にいつでも変動します。矢野顕子。くるり。細野晴臣は、いい曲だらけな

『残照霧散』

また、逃げられた。 女にではない。お金でもない(それはもともとない)。言葉だ。その、『きっかけ』だ。ゆめの中で私の目の前にあった。私はそれを、両の手で柔らかく包んで、片目を近づけて季節外れの蛍のように明滅する、ひかるきっかけの文を手ににいれた。 朝、くしゃみひとつして起きた。「さむい、さむい、さむい」と三度呟いた瞬間に、きっかけが霧散した。あのゆめで頂戴した、きっかけの言葉が「さむい×3」になっていた。また、逃げられた。 『ゆめのおくりもの』、十年ぶりに文章を書いてる私にと

『立ちゴゲの退き口』

私はいま、カワサキW650を車検に出している。 私はW650が恋しい。早く跨がって走りに行きたい。だから、オートバイ関係のエッセイが続いている。みなさんはご存知だろうか。オートバイのテクニックのひとつに、『立ちゴケ』というものがある。その名のとおり、オートバイに跨がったまま、「おっとっとと」と、バッタリ倒れるテクニックだ。この秋の紅葉ツーリングにも、私はコンビニから国道に出るさいに、このテクニックを使い、衆目の的になった。 このテクニックに慣れた私は、倒れるオートバイから「

『グローブの手入れと人類の暗黒史』

冬恒例のグローブの手入れをした。9双ある。皮革製のグローブだけでこれだけある。雨天用の化学繊維を使用したグローブを入れるともっとある。冬用のインナーグローブもある。なんでこんなにあるのだろと考えて見た。写真右下のグローブが私の初バイク用のグローブになる。四国は香川県でつくられた逸品だ。20年以上愛用している。皮革製品は手入れをしっかり行えば、いじょ~なぐらい長持ちするから、減ることがないのです。 極私的な皮革製品の手入れ方法を書いてみたいと思います。あくまで『極私的な』です

『朔太郎のオン•ザ•ロック』

押し入れからひょいと本をツマミだしてみた。 昼から水割りのウイスキー(安物)を呑んでいる。本をリュックに詰めて『スペースX』に乗るなら、こんなラインナップになるのか。 御覧のとおりの急場しのぎでこしらえた本棚だ。作者名が唯一隠れてしまっているのは『DT』、みうらじゅん氏と伊集院光氏の共著です。 私のペンネームを『せいのほう』としたのは『みうらじゅん』という、ひらがなのネームの力の抜けぐあい(ゆるふわ感)を好んでいるからだ。ちょっとした悪ふざけなら、ひらがなのペンネームのほうが

『十年ぶり三度目の詩と暮らす』

詩と暮らすのは十年ぶり三度目なんです 恋をしていないときに詩と暮らしたことがないので なぜ、また、いまさら 49歳になってとつぜん詩と暮らし始めたのかわかりません 詩が恋をいらないと判断したのでしょうか 詩がとうとう自立したのでしょうか 十年寝ていた癖に私に詩を書けと急かせるのです 恋をしてもいないのに詩なんて書けるもんか そう、つっぱねては 詩に突きかえされているこの二月でした 「詩よ。なんのまねだ。私は小説を書こうとしていたんだぞ。ついでに、エッセイまで書いてる始末だ。

『口凸口凹ハ』

うまく説明できればいいのだけれど、人間は口凸口凹ハの5種類に分類されている。人間は口凸口凹ハの5段階に進んでゆくのだと思う。読み方は決めかねている。今のところ自由だ。口凸口凹ハ。「くちでこくちぼこは」でも、いいし。「しかくとつくちおうは」でもいい。 人間は口としてうまれる。 凸、やがてこんなかんじの生意気な角をだす。 分別の着いた大人になれば口。 世間という、荒波、砂塵に角を削りとられたのだ。 歳をとれば萎むばかりの凹。 もう、わらうしかないハ。 口 凸 口 凹 ハ 、そん

『うっそ、でーす』

とうとう、割り箸でポテトチップスを食べる者になってしまったな。数年前からだけど。この『グレート•エコエコ時代』に、割り箸でポテトチップスを食べる罪悪感が、私にもすこしはあった。 でも、『割り箸ボテチ食い』のお陰で、コロナ禍を何事もなくやり過ごしてこれた可能性もあるし。そう、弁護してもいいのだが、日常使いの箸のほうで食べていれば文句はつかないのだろう。 でも、箸を洗う水道代があるし。それは水の無駄だしな。間伐材と水資源のどちらを獲るのだ。そういう『グレート•エコエコ時代』の問題

『赤城おろし漢字解体説』

かぜのとおり道(あるいは川)で育った私だから、かぜの文章がおのずと増える。かぜの文章ばかりになってもつまらないだろうと、ぼうっと思考するのだが、おなじみの赤城おろしが北の窓から私の部屋を今夜も覗こうとしている。 もう、あきらめている。からだのぜんめんでかぜをうけとめて暮らしてきたのだから。赤城おろしのかぜですりきれた肌と埃っぽい毛穴はこの土地に住む宿命で、赤城おろしが吹くたびに私の文章から漢字の風の服が吹きとばされて、ひらがなの『かぜ』になってしまう。 これは、私だけでは

『一人称羞恥心の自己紹介』

私は、私のことを『私』と書けるようになった。ただそれだけだ。 それから、すべてがしっくりくるようになった。凸凹の雌雄が決したように。どちらかがどちらかのマウントをとって、結合して、口になり安定した。もう、私の一人称は『私』でゆるがないだろう。 青年時代から文章を書くたびに頓挫してきた。それは『一人称羞恥心』が私を襲ってきたからだ。ボク、ぼく、ボク、ボーク、ぼくちゃん、僕君。俺、おれ、オレ、オーレ、俺君、俺様。わたし、ワタシ、わたくし、ワタクシ、ワターシ、我輩。とうとうとう、

『東京ライフ』を聴きながら

私が東京で暮らしていたころに、よく聴いていた曲だ。 いや、今もだ。KAN氏の訃報とは関係なく、今でも私のサブスクのお気に入りのプレイリストに入っている。その『東京ライフ』を、今、エンドレスで聴いている。 この曲はどこで聴こうと『私ライフ』の一部になった。名曲だと思う。本当は訃報の前にこのエッセイを書きたかった。名曲を世間に広げるよりも、一人占めして聴いているタイプの悪い例が私だ。いまさら、良い曲だから聴いてほしいなんて白々しいなと思いながらも、『東京ライフ』を聴いたことない若

『21世紀もスキッツォイド•マン』

湯上がりに、タイトルだけ決めた。 私の場合、そんなふうに文章を書き始めることが多い。 スマホなら、詩になりやすく、パソコンを開けば、エッセイになり易い。そんなわけで私の眼前には、14インチ(たぶん)の液晶画面が開いている。 『スキッツォイド•マン』の翻訳については色々あるようだ。精神異常者。精神障害者。精神分裂症。統合失調症。とうとうとう、と、すき放題に翻訳されているようだ。いわんや、意訳ともなれば、なんなりと自由にお訳し申しあげてください、くらいの幅があり、センシティブな

『ブームノリハメ加減調整のツマミ』

『ブームノリハメ加減調整のツマミ』の話をしよう。 キャンプツーリングをする私にとって、キャンプブームはありがたい。そのブームの恩恵に預り、利用し、どこへ行ってもキャンプ場がある。そういう環境を念頭においたキャンプツーリングの計画がたてられるのだ。ほんとうに助かる。 私はソロキャンプツーリングを好むので、自由にどこへでもテキトーに走りたい。例えば、前の車のウインカーが右なら私は左へウインカーを出して、知らない町の知らない道を気ままに走ったりもしたい。そんな具合に走れる環境をキ

『夜、ねむる前の詩の狂い狩り』

noteをはじめてから、まだ、2ヶ月足らずの私にとっての楽しみのひとつがある。夜、ねむる前に新着の『詩』をあさるように、酔うように、狂ったように、狩るように、かんじることだ。そして、その狂った魂に、「すき」することがここ数日の日課となっている。 そもそも、詩を書こうとする魂が私はすきなのだ。 「私の書いた詩をあなたは本当に理解しているのか」と、問われれば、私の口からは怪しい答えしか出てこない。でも、その、狂ったような魂がすきなのだからしょうがない。私も詩を書くからわかるのだ