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優しさが作る仲間意識~かえる舎~

  電車の車窓から見える富士山。この日、高校生たちのチャレンジをサポートし、さまざまな取り組みを行っている『特定非営利法人かえる舎』の取材のため、富士吉田市へ向かいました。富士山駅で迎えてくれたのは代表理事の斎藤和真さん。今回は「かえる舎」の活動から斎藤さんの想いまで幅広くお伺いしました。
 
【話し手】
斎藤和真(特定非営利法人かえる舎・代表理事)

【聞き手】
伊藤千夏(大学4年・油絵クリエイター)

1章「山梨愛溢れるガイド」
 かえる舎の拠点「センゲンボウ」に向かう道中、斎藤さんは富士吉田市のガイドをしてくれました。まずは、富士吉田市の織物。驚くべきことに中高生のネクタイやリボンの多くが富士吉田市で作られているそうです。

富士吉田の案内をする斎藤さん

 また、富士吉田市はなんといっても富士山信仰の町。御師(おし)と呼ばれる参拝などの世話をする神職の家も多くまだ残っています。センゲンボウも元々御師の家があった場所であり、センゲンボウの入口には33回富士登山(※33回富士登山をすると大願成就するとされた)を達成した富士講(富士山信仰をする登山団体)の記念碑や門が残っています。
 「センゲンボウは生徒たちのアイデアで出来たんです」と斎藤さん。
地域のたくさんの方々に協力してもらい、生徒たちのアイデアが詰まった活動拠点が出来上がりました。今もベンチを作成したり、ペンキで色を塗ったりと修復等をしながら、拠点は受け継がれています。

かえる舎の拠点、センゲンボウ

 センゲンボウの中に入ると、かえる舎のスタッフさんがエネルギッシュな笑顔で迎え入れてくれました。彼らは元々地元出身の高校生で、学生時代にかえる舎の副代表と出会い地域活動の魅力を知って、次世代へと居場所を残し続けるためにスタッフになったそうです。

2章「斎藤さんのルーツ」
 
斎藤さんは「土のまち」と呼ばれる園芸用土が名産の栃木県鹿沼市出身。高校時代は地元のカフェを手伝い、その頃から地域活動が好きだったと話してくれました。

―伊藤「大学時代はどんな学生生活を?」
斎藤「ラクロスに熱中していました。当時、ラクロスがまだあまり認知され  
ておらず、ラクロスの知識を豊富に持った存在がいない中で活動がスタートし、メンバー自らで情報を集めながら活動をしていましたね」

伊藤「斎藤さんの地域活動の地盤になっていそうですね」
斎藤「今思えばそうですね。ローカルでの活動は、リソースやメンバーが限られている中、クラフトマンシップでいかに活動出来るかが求められるので、自分たちでラクロスの情報を集めて主体的に活動していたことと共通点があります」
 
 その後、斎藤さんは大学院で地域活動へと本格的に興味を持ち始めます。ローカルでの活動に大切な要素や若い世代に時間を割いてくれる人の存在を知りました。
 
斎藤「大学院時代、藤沢や新潟などいろいろな地域で学びました。印象に残っていることでいうと、藤沢にある善行団地のトランポリンクラブの方々。自分のことよりも団地の人たちを優先する考えを持っていたんです。団地というローカルなエリアで笑顔を作ろうとする姿に惹かれ、自分にとってのロールモデルでもあります」
 
そして、大学院の先生の勧めで富士吉田市に行ってみることになります。

―伊藤「初めて富士吉田市に降り立ったとき、何を感じましたか?」
斎藤「夜でも富士山が見えるのか~と思いました(笑)」
伊藤「どこからでも富士山が見られる富士吉田市ならではの一面ですね!」
斎藤「その後、段々と知り合いが増え、富士吉田市がふるさとのような場所になりました。富士吉田市に育ててもらったので、今はかえる舎を通して恩返しをしています」

3章「かえる舎とかえる組の活動」
 
かえる舎の活動は、富士吉田市で地域活動に取り組む高校生たちの「かえる組」の支援と学校での地域学習の出張事業の主に2つです。かえる組の地域活動は、新しく入ったメンバー全員で取り組む入門編を経て、主体的に企画などを考えて実行するアドバンスドチームとサポートチームの2段階に活動タイプが分かれ、生徒各々の地域活動に対する価値観に合わせて活動出来る体制になっています。

生徒たちが提案した吉田のおにぎり

 全国まちづくり若者サミット2024の事例発表でもあった「吉田のおにぎり」はかえる組の行った活動の1つ。観光客も地元の方も手軽に食べられる新たなローカルフードを作るべく、吉田のうどんで使用される具材をおにぎりに使い、生徒たちが商品開発。その後、実際に市内で販売しています。
 他にも地域の素材を使ったワークショップの開催や富士吉田市内で行われる「ハタオリマチフェスティバル」等で富士吉田市の名産品の魅力を伝える活動等、富士吉田市の魅力アップや魅力発信に対して大きな行動力を持って活動されています。
 
―伊藤「かえる組を支えるかえる舎の皆さんの特徴はありますか?」
斎藤「高校生たちのことを優先して動く力だと思います。かえる組の活動は生徒の前向きさがなければ成り立ちません。そのためには、生徒同士を繋ぎ、地域と生徒を繋ぐハブが大切で、その役割をメンバーが担い、生徒たちが必要とするときにはすぐサポート出来るようにしています」

伊藤「生徒主導なんですね」
斎藤「はい。かえる組のメンバーの中には幹部と呼ばれているリーダー役を務めている生徒たちがいるんです。その子たちがかえる組を実質的に動かすので、大人の僕たちはあくまで相談役。僕らの言葉よりも同じ小中学校に通った仲間の言葉の方が心に届くと思うんですよ」

かえる舎スタッフのみなさん

―伊藤「かえる舎を一言で表すと?」
斎藤「優しいですね。そしてスタッフ一同、そうありたいです。1つのプロジェクトを90日間くらいで行うとなにもない時間も一緒に過ごすようになるんですよね。そういう時間があると、困ったときに手を取り合える仲間が生まれるんだと思うんです。それを形作るものはみんなの優しさだなと」

伊藤「やはり思いやりが重要なんですね」
斎藤「教育は優しくなるための手段だと思っていて、そのことを僕らが生徒たちに伝えていきたいなと」
 
かえる組には次の世代を育てる土壌が整っています。大人がついつい介入しがちな活動も、あくまでも高校生たちが中心となり、困ったときに手を差し伸べ合える組織体制。筆者もつい「高校生の頃に入りたかった!」と呟いてしまいました。

4章「継続のために」
 
かえる舎の活動は8年目に突入。活動を長く継続するために大切なことを伺っていきます。

斎藤「生徒たちの活動は保護者の方の協力あっての活動なんです。なので、保護者の方々が生徒の姿を見ることが出来る機会を積極的に作っています。それがかえる組の活動を載せたかえる新聞や発表会なんです」

かえる舎が発行するかえる新聞(画像は左からvol.38とvol.39)

 富士吉田市では、生徒の6割程度が車での登下校をしているそうです。保護者の方の支えがあっての生徒の活動。これは全国の学生団体や高校生団体にも当てはまる大切な意識だと思います。改めて、保護者という視点を意識する機会になりました。
 
―伊藤「学校と連携して活動されていますが、そこに至るまで大変だったのでは?」
 
斎藤「はじめは学校側に活動の意義を上手く伝えられず、反対されることもありました。それでも校長先生に会うことを続けたことや富士吉田市役所の協力があったことで、まずは1つの学校で活動をすることが出来たんです。そこから3~4年間活動をしていくと、一緒に活動していた先生たちが異動して、その先生たちがハブとなって別の学校でも活動が出来るようになっていったんです。先生が大変にならないように、常に学校に負担をかけないということを大切にしていました」

伊藤「信頼の積み重ねですね」
斎藤「富士吉田市の財産は富士山と市役所です(笑)。それくらい市役所が行動的で、市長が応援してくれていることが今の活動に繋がっています」

―伊藤「なかなかそういった自治体は少ないですよね」
斎藤「高校は県立だから、市の教育委員会の管轄ではないんです。なので最初は市役所も義務教育外である高校生のサポートが出来ていなくて、そこから町として拾おうと動き出したところが富士吉田市の凄さです」

―伊藤「富士急行のように、富士吉田市内に働く場所がたくさんあるのは市内の活性化にとって1つ重要な要素となっているように感じますね」
斎藤「そうですね。実際、かえる組の卒業生にも地域内で就職した人が何人かいます。住み続けられる土壌があります」

5章「卒業生たちのその後」
―伊藤「卒業生たちはその後どんな活動をされていますか?」
斎藤「梨バックという山梨に帰省した人を取材するメディアの運営等いろいろやっています」
伊藤「梨バック?」
斎藤「山梨に帰省することを梨バックと言うんです。地元との繋がりを継続してもらうことを目的に卒業生たちが始めました」
 
―伊藤「卒業生たち同士が集まることもあるんでしょうか?」
斎藤「ありますね!就職すると友達が増えにくいそうで、地元の体育館を借りてスポーツをしていたり、センゲンボウに遊びに来たりと卒業後も繋がりがあります」
 
この話を聞いて、かえる舎が継続して活動する中で「かえる」舎の「かえる」には、地域を変えるという意味だけではなく、帰ってきたい場所という意味も含み始めたのではないかと思いました。
 
斎藤さんのもとで地域活動の楽しさや富士吉田市の魅力を知った生徒たちは、次の世代へと新たな形で富士吉田市の魅力を発信する主役になりました。同じ目標に向けて打ち込んだかえる組での活動はかけがえのない仲間を作った時間でもあったのだと感じます。

6章「今後のかえる舎と斎藤さんのビジョン」
―伊藤「かえる舎は社会教育と学校教育の間のような存在ですよね」
斎藤「そうですね。学校教育は先生だけが無理すると続かないんです。なので社会教育と学校教育のどちらともの要素が補完し合うことが教育には必要だと思います」
 
―伊藤「かえる舎の活動は全国に広がってほしいと思いますか?」
斎藤「地域活性はその地域の人が行うからこそのものだと思うんです。僕は富士吉田市にいて、生徒がいつでも戻ってこられる場所を作っていたいなと」
伊藤「斎藤さん自身がサードプレイスなんですね」
 

かえる組の生徒たち

―伊藤「講演等を行うこともあるのでしょうか?」
斎藤「はい。僕らのノウハウはお渡しするので、講演に聞きに来た皆さんが地元で活動していってほしいなと思っています」

 最近、ふじよしだ大学という大学生の地域活性プロジェクトも立ち上がったとのこと。斎藤さんはそのメンターを務めています。ここでもあくまでも斎藤さんは相談役。富士吉田市はまだまだ進化していきます。
 
 筆者も来年から山梨暮らしが始まります。
富士吉田市、どんな町なのかな?と期待と不安が入り混じっていましたが、斎藤さんの話を聞いて、活動的な生徒たちが作る町で早く暮らしてみたいと期待でいっぱいです。
 地域活動をしていると、「地域活動は縁結び」だと感じることが多々あります。かえる舎の活動も市役所による学校とかえる舎の縁を結び、学校と地域をかえる舎が結び…と縁結びの連鎖が起こっています。

 その縁が強い仲間を作り、大きな一歩を踏み出す力や誰かの居場所を作っているのではないでしょうか。私も誰かと誰かの縁を結ぶことが出来る活動をしていきたいと刺激を受けました。
 
改めまして、かえる舎とかえる組の皆様、取材のご協力ありがとうございます。益々のご活躍を応援しております!

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