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心持ち〜台風10号に備える〜

トップ画像を作ろうと思ってアプリを開く。数日前に作ったデータが途中で保存されている。

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何を書こうと思っていたんだ、私は。画像を見ながら連想ゲームのように考える。数日かけてやっとこさ、思い出せたのだけれど。書こうと思っていた『お風呂』についてはまた後日したためたいと思う。

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台風10号が発生している。

『100年に1度の雨』との報道も出ていて、勢力の強さと安全を確保しなければということを感じている。

先程は警戒レベル4のアラームが鳴ったり、町内放送が流れたり。そして、少しずつ雨風も強くなってきて、じわじわと台風が迫ってきている。

ここ最近、台風が直撃することが少なくなっていたため、気が緩んでいることも確か。そして、南国特有の台風には慣れているからという過信があるのも確か。

みんな 命を守って。

〝あんなに言うから対策したのに、避難したのに大したことなかったね〟

それぐらいがいい。

一人暮らしのおばあちゃんに電話。

『ばあちゃんは大丈夫やっで。自分の身は自分で守るしかないからね〜。みんなこそ気をつけなさいよ〜。』

みんなが無事が1番いい。

身を守るということを思う時、私がいつも思い出すのは1993年に起きた『8・6水害』だ。

鹿児島人なら記憶に刻まれている人も多いだろう。当時、私は小学3年生で、その日は学校が終わった後にスイミングスクールに行っていた。スクールが終わった頃には、雨風も強く、雷も鳴り響いていた。私はスクールの送迎バスに乗り込んで家路につく。普段は送迎バスが到着するバス停に仕事終わりの父親が迎えにくるというのがお決まりで、その日も私はバス停に父親が迎えに来ているものだと思い込んでいた。

でも、父親はいなかった。

しばらく待ってみたが、父親は来なかった。

待っている間にも雨脚は猛烈に強くなるし、雷はゴロゴロ鳴り響くし、小学3年生の心は怖い!死ぬかもしれない!という感情で埋め尽くされていた。そして、私はもう怖すぎて待っていられないと、走って家に帰ることを決意する。そして、傘を差していると、傘の先端に雷が落ちてくるかもしれないという思い込みもあり、傘を閉じて、ビチョ濡れになりながら、全力疾走。時間にして数十分のことだったが、生きた心地がしなかった。

父親は何故約束の場所にいなかったのか。私が帰宅して、しばらく経った頃に父親も帰ってきた。話を聞くと、雨が酷かったからいつもの待ち合わせ場所でなく、スクールに直接迎えに行ったと。スクールバスも雨が酷かったため、いつもの出発時間よりも早めに出ていたため、うまーい具合にすれ違いが起きてしまっていた。今みたいに、携帯電話も普及していない時代。このアイテムがあれば、

父『雨凄いから、スクールに直接迎えに行くから待っててね』

とか

父『迎えに行ったけど、すれ違いになっちゃったから今から追いかけるね』

とか、少なからず安心につながるメッセージを送ることができたのかもしれないけれど。

なかったから、それは仕方のないこと。故に、アンガー的な感情も生まれない。むしろ、心配してくれて直接迎えに行こうとしてくれた親心に感謝である。

そして、父親も帰り道に電柱が目の前に倒れてきて死ぬかと思ったという話を聞いた時に自然て恐ろしい。そう感じたのを記憶している。

幸い、私の家は高台にあり、水害の被害は少なかった方だけれど。TVのニュースで流れる映像は、私が知っている街の姿ではなく、濁った水が街を飲み込み、橋が決壊し、土砂崩れが起き、大きな被害を受けた街の姿が映し出されていた。

断水になり、ポリタンクを持ち、給水車の列にも並んだ。

この年の夏休みの数週間は非・日常だったように思う。

自然の力には逆らえない。あがいても仕方がないけれど、この日の教訓を忘れずに。対策はしっかりと。

みんなが無事、元気に朝を迎えられますように。





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