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"生と死"に対する時代変化

先日、母の出身地である鹿児島県に里帰り。
その時に寄りたかった場所である

知覧特攻平和会館

今回で2回目4年ぶりの来館。
前回は亡き祖母と行き
祖母はゆっくり真剣に見ていたのを覚えています。

会館内はカメラ撮影禁止なので
中の様子がお伝えできないですが。


知覧特攻平和会館は・・・

第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。


特に多く展示してあるのが

遺書や手紙

家族、恋人、大切な人に宛てた手紙。
その一枚一枚に書かれた字には
どんな感情で書いたのだろうと
見るものも考えさせられる。


特攻隊員の顔写真も壁一面に貼られていて
誰もかしこも、あどけない顔ばかり。
年齢を見ると10代後半〜20代中盤ばかり。

私よりも年下の子ばかりで
これからの人生だと言うのに
身を粉にして、あるいは命を落として
戦争をするという意味は理解出来ない。


特攻隊員は生きて帰ることは難しいくらい
体当たり戦法であると。


でも、生きて帰ることが出来ても辛い

先日にyoutubeで終戦記念日特番で
語っていた元隊員の人が言ってました。


戦死することが名誉だと。
国の為に身を捧げて戦った証。

「仲間も皆んな死んだのに
自分だけ生きてるのが辛かった。
死んだ仲間が羨ましかった。」

そう語っていました。


知覧特攻平和会館の遺書や手紙にも
国の為に身を捧げる言葉のようなものも
見て取れる文字がありました。

大きな文字で
大義
と書いてる隊員もちらほら。

大義とは…
人として守るべき道義。
国家・君主への忠義、親への孝行など。



死ぬことが名誉なんて
私には理解し難い考えだけど
その時代によって"価値観"や"考え"って違う。


今の時代の考えだと
"生きてる意味が分からない"
"生きるのが辛い"と
言ったことで死を選ぶ人がいる。


何かの為に、誰かを守る為に
死を選ぶ選択肢などしたことない
今の時代は"国の為なら"と死ぬことはない。


でもどの時代でも同じ事は一つ。
愛する人、大切な人への感謝や労いの言葉。


これは変わる事はなく受け継ぐだろうな。


戦争というものが、死に対する欲をなくし
終戦して経済が発展していく中で
今度は生に対して欲をなくしていく。


なんとも曲がりくねった世の中で
生きていかねばならない私たち。


でも忘れてはいけないことは
誰かが誰かを思う気持ち
これは決して無くならず繋いでいこう。


その優しい気持ちがあれば
世界はもっと明るく幸せに満ちると思うから…



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