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「日本では当たり前」を変えるために今、個々が自分を変えることから始よう。

昨日まで「当たり前だと思っていたことが急に変わったらどうなるか」。体験者は語る。マジしんどい。

私の住むマレーシアでは本日6月10日から「回復期行動制限」に入った。最初のロックダウンからすると色々なことが出来るようになった。このように政府から色々な指示があるとその度にその時の「当たり前」が変わる。なぜならその期においての「当たり前」が常に変化していくからだ。

この「当たり前がその都度変わる」は正直心理的に非常にしんどい。なぜならその度に自分の概念を変えなくてはいけないからだ。

例えば。マレーシアでは大規模な宗教クラスターが発生したので3月18日からロックダウン(活動制限)が始まった。当初は「生活の買い物は行ける」だった。そして家族で買い物がごった返すようになったら「買い物は大人一人のみ」になった。買い物ならええんじゃろってことでジョギングがてら買い物に行く外国人が後をたたないのでジョギングしたら逮捕されるようになった。そして自宅から10キロ以内の移動が事実上禁止になった。取り締まりに軍が動員された。人々は外出に慎重になり、宅配市場が活性化。SNSは広告で溢れた。そしていきなり一時解除。外食や買い物が可能になったけど、設備の入室に各種情報入力が必要になった。身分証明番号書きたくない!って思ってたらQRコードになった。仕事はリモートが増えたけどいきなり解雇も多大に増えた。

なんだこのジェットコースターって思ったら、お時間あったら84日間の記録がこちらのマガジンにあるのでよかったら読んでみてください。

そして今日から回復期行動制限。 州間の移動が可能になった。国内旅行をしましょう!と広告の嵐。しかし海外旅行はできない。つまり一時帰国はできない。こちらは長期滞在ビザで滞在させてもらってる「外国人」。家族連れでこの時期国内旅行して旅先で体調崩したら強制出国とかさせられるんじゃないか!と過敏になってしまっている。(今までそんなこと考えたこともなかったのに。)本当、怖い。

ここまでたった3ヶ月の出来事。そう、3ヶ月でその度に「当たり前」がどんどん変化していったのだ。

世の中の「当たり前」ってなんだろう。そしてなぜ「当たり前」が変わらずそこにあって「当たり前」なんだろう。これだけ変化の激しい数ヶ月を過ごしていると、この固定概念を変えることが技術よりも重要なことではないかと感じる。

日本語社会、日本での社会において「当たり前」だと思って変えなきゃいけないことは「当たり前は1つではなく、その都度変わる」ではないだろうか。これって日本語マインドだと、ものすごく疲れる。マジしんどい。日本人の「変化を受け入れにくい体質」が自分にも染み付いていることを実感する。日本人特有の「変化を恐れる」「失敗を過度に恐れる」思考も影響してるかもしれない。トライ&エラーを声高に言う割にはエラーを極端に恐れるのでトライできない。

「当たり前は1つではなく、その都度変わる」に慣れるための技術とはなんだろう。人知れずトライ&エラーに慣れる環境ということでオンライン講座とか、AIとのレッスンや診断とかだろうか。人ではなく技術とのトライ&エラー。

そしてまず最初に変えなくてはいけないことは「変化に疲れない気力と体力を会得する」ではないだろうか。この常に常識が変わる環境は本当に疲れる。特にさっきまでの当たり前とこれからの当たり前が交じる「移行期」が心理的にも、実際にも本当に混乱し、疲れる。

新型肺炎と共存する世界はもう始まってしまった。「当たり前が変わる」世界を受け入れていかないと新技術も受けいられない。

「当たり前は1つではなく、その都度変わる」に慣れる。まずはここから始めてみよう。