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「あなたのままここにいればいいから」をそのまま歌える人になりたい


私は人をまずそのまま受け入れられる人になりたい。だってそのまま受け入れてもらったらすごく感動するから。ソースは7年前の私。


ちょっとショックなことが続いています。12月31日までマレーシア政府の政策により、私たち居住してる外国人は事実上一時帰国ができなくなりました。

そして日本の外交交渉を行う茂木外務大臣の言動に私はものすごくショックを受けました。


私は家族の事情で東南アジアに在住して7年目に突入しました。さすがに死なない程度に生活はできるようになりましたが、元々コミュ障なので内側は常に挙動不審です。会話も上手ではありません。なので多くの人に「こいつ意味わかってんのかな」的に思われることはとても多いと思われます。


なるべく意思疎通に支障がないように、こちらが出来る努力は万全を尽くしています。しかしそれでもうまく伝わらないことがあります。その度に凹みまくっていたのですが私を励まし続け、そして大事なことを教えてくれた素晴らしい恩師がいました。


このツイート、多くの方に読んで頂いたのでこんなnoteも書きました。


自分が正しい、できると定義したことを人がやっていないと判断し、その人を揶揄するような態度を取らない。それは人としてそうありたいと思うと同時に、親として子供にそうあってほしいと一番願っていることです。その前にお前発音なんとかしろ、はい、まさにその通りです。ジャンピング土下座です。(このシャツ欲しい)



(ジャンピング土下座は横に置いといて←置いておくのかよ!)私の願いを息子がちゃんと理解してくれていたことを証明してくれたことがありました。


シンガポール転居当時、慣れない初海外暮らしで私はいつも疲れ果て、泣いてばかりいました。シンガポールは日本のようなものだと今なら半分くらい同意できますが、当初は初めての海外生活、主人は出張ばかり、決めなきゃいけないことは山積、でもコミュ障故人に聞けないので何をどうしたらいいのか1つ1つ自分で確認しなければならない。途方に暮れてました。自然に涙が出てしまうような状態でした。こんなに私泣くんだって自分でも驚くほどに泣いていました。


そんな状態の中、転居の段ボールがやっと片付いた頃でしょうか。当時8歳の息子が「お母さんにプレゼント!」と何か書いて持ってきました。

なあに。。。っと思ったらこれでした。


泣いてばかりいる私に「こうやったら笑えるよ」と優しく指南してくれた1枚の紙。これをもらった時号泣してしまったのを今でも思い出します。「あれええこれみて笑ってえええ」と動揺する息子に「笑うよ、笑うよおおお」と涙を流しながら笑ったことを昨日のように思い出します。やべえまた涙出てきた。


人は常に後悔と懺悔と共に生きています。「ああすればよかった」「こうした方がよかった」そういう後悔を全く思わずに日々生活できてる人はいないのではないかと思います。

一方で「頑張れ!君ならできる」「諦めるな!」激励ももちろん大切でしょう。しかし、強い立場にいて、他の人の環境、背景を見れない人からの強い激励は、受け手によってはとても辛い「圧」になることもあります。


このニコニコシートは弱っている私にただ寄り添ってくれました。否定も過度な慰めも圧もなく、ただ寄り添う。この「ただ寄り添う行為」がどれだけ人に安心と勇気を与えてくれるのか、自分でも驚くほどに感激しました。弱き人の心情にまずただ寄り添う。それをこんなスマートな形で実行できるなんてと我が子ながら感動しました。今でも大事に取ってあります。


なぜ強き立場に慣れた人は「世界はそこしか存在しない」と思ってしまうのでしょう。そしてそれぞれの世界に上下を、正解不正解の判定をつけることを無意識に行ってしまうのでしょう。


高圧的な態度が主流である傾向が強まっている昨今、「会うことそのものが暴力にならないか」というnoteには深く考えさせられました。

私たちは新型肺炎との世界を模索しながらコミュニケーションについて再考すべき段階に来ています。


いろいろな立場の人がいろいろな事情で今を生きています。自分以外の人の存在そのものを尊重する。そして自分ができる方法で相手にまず寄り添う。そこからコミュニケーションを始めることをこれからは更に心がけたいと思います。


小田和正さんの「I LOVE YOU」を自然に歌える人で、ありたい。

誰もあなたの代わりにはなれはしないから
あなたのままそこにいればいいから
ああ早く 9月になれば


2020年もあっという間に9月になってしまいました。いやまいったな。