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お楽しみは取り上げるじゃなくて多様に与えればいいんじゃない?

東南アジアで生活してるとスマートフォンの普及率に驚かされる。とにかく老若男女猫も杓子もスマートフォンを見てる感じがする。食事中も辞められない人が多い。

私も息子を育てているが中学生の息子も暇さえあればスマホを見ている。うちのルールはこんな感じだ。

1;歩きスマホはしない
2;外で一度に2つのガジェットを同時に出さない
3;食事が来たらガジェットはしまう
4;歩行時、または誰かと話している時はイヤホンを両耳塞がない

理由も明確に言える。事故防止、怪我防止、盗難防止のため。本人も車の多い道路や食事中に事故やアクシデントを目撃したり自分のヒヤリ体験から自分からスマホを見ることをやめれるようになった。

でもこれは、彼がもう中学生だからでもある。ベビーカーなどでずっとスマホを見てきた子供だったらなかなか辞められない可能性も高いだろうなと思う。食事が来たらガジェットをしまったら泣き叫ぶ幼児とか時々見るしね。

彼らはスマホがとても楽しいんだと思う。確かに楽しい。私はiPod,iPhone3GSから使っているがあんなのが赤子の時にあったらそりゃずっと触るよ。だって楽しいもの。

私は自分の子育てにおいて紙の本を意識して与えまくってきた。私自身も本をたくさん読む、彼はその姿をずっと見てきた。私たちは家族で本の感想を伝えあった。「面白かったから時間があったら読むといいよ」と言って部屋に勝手に置いておいた。最初は息子は嫌がったけど私は笑顔で言った。

「いつ読んでもいいのよ。だって紙の本だから消えたりしないから」

私自身も幼少時、家に埋もれるほどの本があった。兄や父の本棚から勝手に本を持っていってこっそり読んだりした。面白かったなあ。たまにへそくり見つけたりして。

本を選ぶときはタイトルがとても重要だった。なので今でも本の背表紙はとても熟読してしまう。本屋で「タイトル買い」をしたこともある。

あんな細い一部分で「キミにきめた!」的な決断を下すのだ。なんてスリリングな体験だろうか。

自分の意思で選んだ本と一緒に旅に出る。本を読むというのは旅のようなものだ。気分はサトシだ。(それにしてもピカチュウって5キロあるのよね。肩にずっと乗せてるってすごいよね)こんな楽しいこと、なかなかないよね。

今の子供達で「電子書籍にすればいいじゃない」という親の方針で「本に囲まれていない生活をしてる状態」はちょっとかわいそうだなと個人的には感じる。あの「君に決めた!」が家で自由に味わえないなんてちょっとかわいそうだなと思う。

そう、本は別にすぐ読まなくてもいい。だって本だから。ただ、なんとなくタイトルが気になる、手触りが気になる本が身近にあって、その本を手にとって捲るドキドキ感がいいのだ。そして読み始める決断を自分で下せる。読むスピードも、量も、自分で決めれる。閉じれば終わり。セーブも充電も必要ない。新しい世界を自分で開拓できるのだ。これこそ心の旅ではないか。

家に紙の本(漫画も可)がすくないと「新しい世界の始まりを味わう「心の旅」」をガジェットに求めるのもしょうがないのではと思う。家に本が少ない家庭で、ガジェットを禁止してる家の子供たちは家で何をしてるのだろうか。

新しい世界に出る楽しみは多様な方がいい。紙の本は、楽しいよ。