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「子供と美術館斯斯然然問題」はなぜ日本で終わらないのか

以前、こんなnoteを書きました。

このnoteを書いてから、私が子供と一緒に美術館に行き始めてから感じてきた「日本で子供と一緒に美術館に行く際の諸問題」はずっと存在してるのだなと改めて感じています。

日本式の所作ってほんと、難しいんですよね。特に日本人に。ほんと、子供と美術館問題って終わらない。

子供とお出かけ問題って本当に大変。日本では、というか日本の都会では本当に大変。(地方は地方で大変だと思います)

私は「日本式の母親試験があったら追試どころか落第レベルのコミュ障母」でして(ちなみに今でもそうです)子供とどこかに出かける際、約束を取り付けてなんて絶対無理って思っていました。今でも結構そうです。本当に、子供とどこに行けばいいのかマジで悩んでいました。

当時、どこに行こうと思って「一定の時間に開催」「お金を払えばどの時間に行って帰ってもいい」「定期的に内容が変わる」美術館最高やん、人に気を使わなくていいやん!美術館に行こう!と思ってベビーカーで美術館に通い始めました。今から12年以上前の話です。正直「一人でベビーカーで美術館に入っただけ」で非常識じゃないですかとわざわざ言いに来る方もいらっしゃいました。そういう時代でした。

でもね。私は行くしかなかったんですよ。だって、友達いなかったし。だから他人に、息子に怒られないように必死に事前情報を集めました。そうしたら。。

なんか自分が楽しくなってきちゃったんですよ。そりゃそうですよね。わかった方が楽しいもんね。そして私が楽しくなってきたら息子も楽しくなってきて。。と良いサイクルが産まれました。そして少しずつ親子鑑賞会などにも参加するようになり、慣れてきたら全く子供向けじゃない展示や古典芸能も楽しんで参加できるようになっちゃったんですよね。

そして遠くではドイツ、最近はマレーシアを拠点にシンガポール、インドネシア、ベトナム、タイ、オーストラリア、香港、台湾、そして日本とお前ぶらぶら美術館よりグローバルやないか!状態で鑑賞を楽しんでいます。

これ、うちの息子さんが聡明だから(親バカと呼ぶがいいさっ)ってこともあると思うんですが、一番の要因は

「私が私自身で楽しくなってきた」

だと思うんですよ。私自身がっていうのが重要で、ここに他人は入ってきてはいけないんです。

親子集団で美術館に来て困ってしまう例っていうのは大体2例。「子供のコントロールが効かなくなる」「親が監視員の指摘に過度に反応してしまう」。ここだと思うんですよね。これを一番簡単に避ける方法は集団で行かないことです。

ちなみに一部の親子集団が不快な行動を取ってしまうのか。それは私は防御本能からきてると思います。美術や科学、なんかわかんないしー、だからなんかみんなで固まっておきましょうーペチャクチャ的な心理状態。

じゃあなんで防御の場所に行くねんって思うと思うのですが、それはやはりこのような記事を読んで「子供を美術館に博物館に(勉強のために)連れてかなきゃ」と感じるからだと思うんですよ。

この手の記事って定期的に出てくるんです。この記事は2014年。

そりゃこういうの観たら「よくわからんけど連れてった方がええのかな」って思いますよね。

ぶっちゃけ、親子集団で楽しみたいが主目的なら美術館よりもっと体を動かせる体験型博物館の方が親も子も絶対楽しいですよ。体験型博物館は子供対応もより考えられているので安心度も違います。それこそチームラボの未来型遊園地なんて開館は始まった時代から設備のアップデート(家具の角を補強とか、触るボールの強度強化など)とかかなり綿密に考えられています。しかもWi-Fiも充実してる。夏休み限定で子供向け展示などを行う公立私立の美術館よりその方が絶対安心して行けます。

話が逸れますが、「子供の体験を重視した博物館のレストランのハヤシライスはほぼ間違いなく美味しい」です。これは「汁物は対応しやすい」「カレーよりハヤシライスの方が甘みが強いので絡みが苦手なお子さんもオッケー」だからよりアプデされてきたと思われます。子供の体験が多い博物館ではぜひハヤシライスを!話が逸れました。戻します。

ただ、やっぱり集団で行動じゃないとできない人もいる。ボスママさんが行きましょうよって言ったから断れないとかありますよね。日本の保護者世界って場所によっては戯曲レベルで壮絶です。わかります。そういう人に「ぼっちで行動せい」って私のようなアンティ世代が激励するのは「状況わかってねえじゃん!」だと思うんです。

昔、アンケートを取ったことがあるんです。子供連れで美術館に行ったら何が怖いのか。そしたら一番多いのは「他の鑑賞者」!

もう、美術館側の企画とか、美術館の環境とか、連れて行く保護者がどうだとかそういう問題じゃないんですよ。日本の美術館で一番怖いのは「隣の鑑賞者」。だったら何があった時にささっと一時避難できる環境作りが一番手っ取り早くて、しかも効果があると思いませんか。

「(その日に限って)再入場可能追加チケット」があったらいいと思うんです。子供がぐずったり、どうしても出たい!まずいって時に入場口で追加購入できるようにする。価格は数百円。母子手帳出したら割引とかいいですね。これがなぜ最初から再入場付きじゃないかというと「無事に見れたらもったいないやん」という気持ちにも配慮できるから。そしてこれは別に子供に限ったことではない。入る前にはいなかった子供の集団がドドドって入ってきてびっくりとか、そういう時に個人の鑑賞者がささっと一時退出してコーヒーとか飲んで、ちょと休憩して再度入室とかもできる。こういう追加チケットがあったらみんなハッピーじゃないですか?

東南アジアの美術館はそこに住んでる人だと無料とか、再入場何度でもおっけーとかが多いです。美術館やナショナルギャラリーでは騒ぐお子さんもいます。そういう人は自分が出て行く人も多いし、または親御さんがささっと出て行くパターンもあります。理由は簡単です。だって何度でも再入場できるから。

あと、12年以上親子鑑賞を続けてきた身から感じるのは「日本の鑑賞者は「わからん」ことに恐怖感を抱きすぎ」だと思います。分からないって知られるのが怖いから、集団で行動する、分からないことを隠そうとする。そこから鑑賞者同士のぶつかり合いが生まれる。

それは「日本がほぼ日本語がわかる人で構成されてるのでこの空間はわかって当然、分からないやつはダメ人間」って鑑賞者側が思い込んでることからきてるのでは感じています。

複数言語を話す国や全く読めない言語の国とかの展覧会に行くと当然読めない情報があります。読めない情報だからしゃあないって思えると、自分の中で分からないことが恥ずかしくなくなります。。

もっと分からないことを「だってここわかんないし!」って気持ちよく放棄していいと思うんです、そしてわかる情報を吟味しながら楽しむようにしたらそこから楽しみが生まれます。それが創造性だと思うんです。

え、そんなんでいいの?って思うかもしれません。ええ、それでいいと思うんです。少なくとも私は。ちなみに私は美大も出てないし、デザインの勉強もしてません。ただ、面白いから鑑賞を楽しんできました。それだけです。専門家の方から「あなたには批評性がない」とか「素人の徘徊記録」って言われたこともあります。反論はしません。だって事実だから。でも、そんな徘徊記録で「楽しかった!」って体験談を他の親御さんが読んで

「え、子供連れて行けるんだ」

って思って次の週に美術館に出向いたら、次の旅行先でその美術館を選んだら素敵だと思いませんか?私は素敵だと思う。そこに批評性は全くないけど、その人の人生に新たな体験が芸術と共に刻まれるって最高に素敵だと思うんです。

日本での子供と美術館諸問題がいつまでも終わらないのは「鑑賞者が隣の鑑賞者を、そして分ってないのではという自分自身を気にしすぎて過敏になってしまうから」というのが私の出した仮説です。この仮説に基づいた解決策は「一時離脱できるシステムの確立」「分からなくても楽しんでいいという周知」だと考えます。

私自身は本当に美術館、博物館に救われて子育てしてきました。美術館に行ってなかったらガチで育児ノイローゼになってたと思います。子供の教育とかそういうことではなく「私とっての逃げ場」でした。

日本式の保護者世界って私が日本にいた10年前にも辛い時がありましたが、近年は更に逃げ場がなくなってきてるように見受けられます。それぞれの立場の人が皆余裕がなくなってる感じがします。

そんな時代だからこその1つの選択肢として、美術館を鑑賞者がお互いを尊重して自由な創造性を個々で温めることができたらなんかそこからすごいことが産まれてきそうな感じがしませんか?

私は産まれると思います。少しずつ、三歩下がって二歩進むかもしれませんがでも絶対生まれると思います。そのすごいことを想像だけじゃなくて、一緒に創造していきましょうよ。絶対楽しいですよ。