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日本社会における「父性の不在」について考える前に、まずは自分を愛してみよう。

『クィア・アイ in Japan!』をやっと観た。

Netflixとか嫌いだった。動画は自分の思考についていけない時がある、私は活字が好きなんだって思っていた。しかし、とてもストレスフルな昨今、疲れ果ててたんで入っちゃいました。だって、 RM17だぜ。私が子供の頃は、部屋に自由に見れるテレビがあるかないかで人生が激変したってのに。

観たいのは「クィア・アイ」だけなんで私には問題ない。あ、ビルゲイツも観たい。まあいいや。ってことで観始めたんですが。。。

号泣しましたよ。毎回号泣ですよ。

やはり私は女性がヒーローの回に泣ける。特にYOKOさんの回は、何回見ても泣ける。家族を見送った経験がある人ならみんな感じる葛藤。いろいろなことを思い出した。

そしてYOKOさん世代が一番近い私はやはり「卑下してなんぼ」思考なので、彼女の「自分に価値があるなんて思えない」「自分を許せない」という気持ち、正直痛いほどわかる。私も毎日その感情と戦ってる。

ある時ついつい自虐を入れながら話す私に「「そんなことないよ」って言って欲しくて自分を卑下してない?」と言われて

「期待が半分あることは認めるけど。半分はマジでダメだと思ってる。自分でもどうしたらいいかわからない。だから感情を人に話したくない」

って言い返してその場を凍らせたことがあった。自己卑下体質が染み付いてる人が全員好きでやってる、励ましを強要してると思われたらやってられん。こっちはやめられないから困ってんだよ。

なので、泣いたわ泣いた。そしてガチでアントニかっこいいわ。アントニには毎回うっとりさせてもらってる。ちなみに私もエプロンはしないで料理するタイプです。

それにしても、自分に言われていないのに、彼らの言葉がこんなに届くのはなぜなんだろう。正直不思議でならない。それだけ彼らにも葛藤の歴史を感じられるからなのかな。彼らの言葉はとても正直に自分に届いた。「自分を好きになろう」って少しだけ思えるようになったもんな。すごいわ。

そして他の人も指摘していたが『クィア・アイ in Japan!』における「父性の不在」には驚かされた。すべてのエピソードに父性が全然出てこない。今までのエピソードでは死別や離婚だと触れてきたそうだけど、それすらない。

これは日本社会において「人間の成長における父性の不在」が出てきてしまった結果なのだろうか。ワンオペ育児、学校生活において保護者=母親、介護においていつも中心になるのは母親。少年少女の成長において側にいるのは母親。そこに父親の視線はない。だから、このシリーズに「父性」が出てこないのだろうか。

もし、『クィア・アイ in Japan!』の続編があったら「父親がヒーロー」の回をぜひ観てみたい。もしかして出来なかったのかな。それはとても日本社会の現実を見ているな。すごい分析力だなって思う。

英語を読んで分析してっていうことは日々やってるんだけど正直英語を聴くことがあまり好きでなかったんだけど。『クィア・アイ』はとても気に入ったのでどんどん観ていこうと思う。彼らの言葉なら素直に聞けるから。今日のやることリストで出来なかったことより、出来たことをみるようにする。父性についてはもう少し後で考えることにします。それくらい、アントニにうっとりしてます(結局そこかい!)今後の展開も楽しみです。