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【小説】マリオネットとスティレット【第十三話】

※残酷描写アリ

 暗殺ギルドが最初に掴んだ情報にあった位置から、その場所は大きくずれていた。彼らは、中層区以上にいるという誤情報をあえて流し、その実、河すら挟んで遠く離れた貧民街にいた。
「エリオン」
 展示隙間だらけの廃墟同然の屋根から、月光が降ってくる。しかしそれだけでは全く足りず、彼のウェーブした緑の髪を幾分輝かせるだけ。そして瞼が開き、緑色の瞳が光る。真の暗闇に、太い、落ち着いた声がひびいたように聞こえた。しかし近くには誰もおらず、魔法を帯びて緑に光る剣を抱えて眠っていた、一人の魔法剣士がいるだけだ。彼の髪も瞳も、そして装備が放つ魔法の色も緑だった。こういう色の発色がよく、その色も統一されているのは、効率的な魔法の発散のおかげであり、高い魔法的才能を示している。声は、目を閉じて休んでいた緑の瞳の彼の、心の中に響いたのだ。
「エリオン、起きろ。まずいぞ」
 エリオンと呼ばれた冒険者は、自分以外の誰にも聞こえない魔法感応(セッション)の音声通信に返答する。仮眠から目覚めたばかりの鈍い体に、短く鋭い呼吸で喝をいれ、その息のままに言った。
「ボールダーさん。何が?」
 太い声は冷静に、しかし緊急事態であることを伝える。
「ここに近づくものがいる。熱源反応だ。明らかに無人であるはずのこのブロックに近づいている。数は大が一匹、中が一匹、もう一つは……飛び回っていて何人いるかわからない」
 歴戦のドワーフ戦士ボールダー。信用できる彼が監視に使っているアーティファクトの能力だった。ネツゲンと言われても、魔法と剣しかわからないエリオンにはさっぱりだったが、ボールダーがあれを使って警告してきた時、ハズレはなかった。
 エリオンは一呼吸分、ありうる可能性について思いを巡らせると、緑のほのかな光を放っていた魔法の剣『追光者(ライトシーカー)』が光を増した。さらに、体を覆う魔法の鎧もまた、緑の光を増す。
 立ち上がり、天井に火事で開いた隙間から顔を出し、外を確認。遥か遠くに聳える大時計塔の文字盤の針は、深夜三時半を示している。襲撃にはうってつけ。眠りが深くなる時間である。
 エリオンは自前のセーフハウスの一階に降りる。貧民街の、火事で焼け、レンガが崩れつつある古い建物。それは元々宿屋で、外周の貧民用の立ち寝スペースやら何やらと別に、中央部により強固なまともな宿泊用の部屋を備えていた。外部泊スレつつあったが、そこだけが残り、そこからのカモフラージュは抜群だった。外観から見る廃墟っぷりが、内部三階、一階一階に一つずつ、三部屋分のベッド付きスペースは、三人パーティである彼らにはあつらえたかのようだった。周りは家事の後、ブロック分寂れてしまったようで、他にも何人かホームレスや逃亡奴隷が暮らしているようだったが、彼らは気にしなかった。
 一階に降り、その部屋のドアをゆっくり開ける。中の彼女の瞑想を邪魔しないためだ。急に気を散らすと全てが台無しだ。持ち込まれた携帯魔光灯の限られた光の中、そこに座っていたのは、耳長に桃色の髪の小さな女性だった。粗末なベッドに腰掛け、魔法の杖を立て、それにひたいをつけて何かの呪文を唱えている。十分に気づいてもらえたと判断すると、エリオンは声をかけた。
「ルゥリィ。こっちに近づいてくる連中がいる。動きから、おそらく暗殺者だ。地上と屋根の上、挟み撃ちにする気だ」
「冒険者ギルドは……」
 ルゥリィと呼ばれた魔法使いの女性が詠唱を止め、疑問を口にする。
「冒険者ギルドは、もう私たちを見捨てたのかなあ?」
 エリオンはなんとも答えがたい気持ちになった。自分たちがしているのは、裏切りと反乱だ。街の理不尽を生み出す構造、それに冒険者ギルドが噛んでいると、告発しようというのだ。そんな我々を冒険者ギルドが許すはずはなく、見捨てるというより、積極的に殺しにかかってると判断すべきだろう。だからこそ部外者の暗殺者が来たのだ。
(ルゥリィは覚悟が足りないか……)
 そう少し落胆を感じた時、ふわっと頬に触れるものがあった。彼女の小さな手だった。身長差があるから、ルゥリィは手を伸ばさないとエリオンには触れられない。
「だいじょうぶだよ。私たちだけでも、やり遂げようね」
 エリオンはその手を握った。
(そうだ。そうなんだ)
 エリオンは考える。
(ルゥリィは魔法のこと以外は本当に鈍感で……ほとんど何も考えてないくらいなんだ。それでもやっぱり今回の計画が危険なのはわかるんだ。それでもオレについてきてくれている。オレのために危険を冒してまでずっと一緒にいてくれる。ああ、ルゥリィ。すまない。すまない。オレは、やりすぎてしまったんだろうか)
 一瞬だけ湧いた弱気の虫。それを、愛するルゥリィの紫の瞳をのぞいて誤魔化す。紫の瞳。魔法適性において最上と言われる色の瞳だった。リミナルダンジョン内では、何度も命を救ってくれた、かけがえのない仲間にして、最上の恋人。ルゥリィの表情が変わる。
「確かに何かの気配を感じる。魔法的なものが一つ……わからない、ボールダーさんが危ないかも」
 エリオンはそれを聞き、耳のやや下の乳様突起に指を当て、魔法感応(セッション)モードに入り、ボールダーの声を聞く。
「そっちは……」
「熱源反応がいくつか。背後に回ろうとしている。廃墟内部への侵入を試みるつもりかもしれない、気をつけろ!」
 エリオンはルゥリィに目配せする。こういう時の対応は完璧だ。彼女はうなづき、杖で床をカッと音を立てて着いた。
「レア級アーティファクト! 『反魔法領域(ハンティングラウンド)』展開! 例外措置! 登録者イチ、ルゥリィ! 登録者ニ、エリオン・ヤッサ」
 ルゥリィの杖の先、青い宝玉を中心に、肌にピリピリする青いオーラが広がっていく。全ての既知の魔法を無効化するフィールドが、建物の中から壁を越え、廃墟全部を包み込んだ。
(これで上級暗殺者の反知覚クロークは使えないはず! 外にいれば姿を表すぞ!)
 そう思ったエリオンはドアを開け、魔法で緑にぼうっと色を帯びる透明なシールドを貼りながら外部を確認する。部屋の中の魔力灯の様子では、廃墟となった壁の様子も見て取ることはできないが、エリオンは魔法的なソナーで感知しようとする。異常はない。クロークの不可視効果を剥がされた暗殺者もいない。この宿泊室三段の棟を取り巻く元々の壁は木造で、ほとんどがかつての家事で焼失している。やけ残り炭になった、黒ずんで脆くなった柱と壁とが、煉瓦製の3回だて宿泊棟を取り巻いている格好。ここまで懐に入られると、包囲の危険もある。しかし『反魔法領域(ハンティングラウンド)』には隠された効果として、内部の魔法使用者の知覚をブーストする「狩場」としての効果もあった。実際このアーティファクトのおかげで、リミなるダンジョンでは何度も命を救われている。
「エリオン」
 もう一度頭の中に声が聞こえた。エリオンは耳に下に指を当て、小声で答える。魔法感応(セッション)モードは、究極には概念を伝達させる技術だから、突き詰めれば音声で喋ったことを伝える、ということは不要なはずだ。しかしまだ修練の浅い彼らは、パーティのメンバーの間だけで音声通信するのが精一杯。小声だろうと口に出して伝えないと、概念だけで情報は伝えられなかった。
「エリオン、少し昔話をしていいか?」
 ボールダーがもう一度言う。エリオンは訝しむ。寡黙な歴戦の戦士が何を言っているんだ。そこまで不安に? しかし彼とて三人しかいないこのパーティのリーダーである。不安があるなら払拭させるのが務め。話を続けさせる。
「ボールダーさん、どうか不安にならず……」
「傭兵ギルドから出た後、ドワーフのコミュニティに帰るべきじゃったのかのう……」
 エリオンは流石に驚いた。この人がこんな弱音を吐くなんて。耳に当てた指の力がこもった。
「どうしたんです!? ボールダーさん、あなたらしくもない……私の計画が……不安にさせてしまいましたか」
 力のない笑い声が返ってきた。
「ふふん。お主は優しいのう。こういう時は、弱音を吐くんじゃない! と、叱責するものじゃ。リーダーたるものな。それが常識というもの……。しかしお前さんは違う。優しい。誰よりも優しいんじゃ。だからこそ、冒険者ギルドの不正を許せなかった」
 いったいこんな時に……。エリオンは不思議な気持ちのままだったが、話を続ける。
「すみません。本当は、あなたを巻き込んでしまったことが、最大の後悔なんです」
「いい、いい」
 ボールダーは終始穏やかだった。
「気にするな。わしなどどうせ生き残っても未来なんかない。少しは小金も溜め込んでおったし、やりたいこともあったが……。じゃが、もう、いいんじゃ。お主らと出会えた。もしもの時は、わしが命を捨ててでも君たち二人を逃す。そのつもりで行動しろ」
「何を……?」
 エリオンはハッとする。この人はすでに死を予期している。
「目の前の敵はなんですか? ボールダーさん!」
 向こうはしばらく答えなかった後、言った。
「わしと大きさに差がありすぎる獣人が、周りを嗅ぎ回っている。本気の重鉄斧さえあればこんなやつ……。しかし今の装備では分が悪すぎる。数分は持たんかもしれん。このバケモノが前衛のわしを拘束している間に上級暗殺者が何人も突入するプランで来るはずじゃ。わしはここで持ち堪えて死ぬから、すぐに逃げろ」
「ボールダーさん!」
 エリオンはつい叫んだ。その瞬間、フォン、と言う風切り音がかすかに耳に聞こえた。増幅された知覚のおかげだ。エリオンは『追光者(ライトシーカー)』の刀身でそれを弾く。本当はチャンバラや防御に使いたくない、物理的には脆い剣だが仕方ない。エリオンは歯軋りする。
(クソッ! クソッ! 上級暗殺者だけなら対応できたはずなのに!)
 冒険者ギルドが暗殺ギルドと組んで、暗殺者を送り込んでくるとするなら、いわゆる上級暗殺者、民衆への情報開示で明らかになっている、不可視化クロークの魔法を使って人を静かに殺しに行く部隊が使われるだろうと思っていた。だからこそ、冒険者ギルドも知らないルートからレカ級アーティファクトを手に入れたのだ。魔法科学ギルドは知っているだろうが、このことを冒険者ギルドや暗殺ギルドに共有するはずもない。エリオンは、この場所に潜伏する前のことを思い出す。ボールダーが言っていた。
(おまえさんたちがどんな企みを考えようが勝手じゃ。いいものも、悪いものもな。じゃが、わしはお前さんたち二人が眩しかった。こう生きてみたかったという生き方を、体現していたんじゃ。……本当のところ、わしは冒険者ギルドの……行ってしまえばスパイじゃな。将来有望なお前たちじゃが、もしギルドに歯向かうようなことをすればすぐに知らせる任務じゃった。しかし、そんなこともう、忘れちまったわい)
 ではどこから漏れたのか? 漏れていること前提で行動していたが、少しここ一週間は警戒しすぎの感はあった。何日か潜伏して、誤情報をばら撒いた場所に何かあればクロ。それは冒険者ギルドしか知り得ないので、彼らには勘付かれ、攻撃されたと判断。さらに慎重な告発プランに移るつもりだった。
(未知のアーティファクトや、魔法による感知か?)
 エリオンもボールダーも知らなかったが、ボールダーにも監視の冒険者がついていて、様子を報告していたのだった。彼が言うべきことを隠している時とは明らかで、冒険者ギルド首謀部は事態を重く見た。そして暗殺ギルドに出向き、依頼をしたということだ。その重い事態とは……「リミなるダンジョンへのコモンアーティファクトの埋設と、その発見を何も知らない銀盾級以下冒険者にさせることによる、マッチポンプ」。それで生じた無駄な任務に、無駄な人員が使われ、新米冒険者は「冒険」に満足し、運悪ければ死ぬ。そのスリルある成り上がり物語を聞いた地方の若者がやってきて、万人に平等に配られたチャンスつまり優秀な魔力的才能を見出され、冒険者になる。そしてその中でもとりわけ才能があるエリオンやルゥリィのような冒険者が、銀盾級を超え、金槌級になって、どこかの異世界にあるというイースターエッグを隠すお祭りさながらに「お宝」を隠す。ろくな価値もない、掘り出して使い物にならず、魔法科学ギルドすら引き取らずに冒険者ギルドの宝物庫に眠る各種のコモン級アーティファクトを。エリオンの良心は、二つの顔を思い浮かべる。自分と、そして後輩冒険者の顔。あまり才能がなかったが、自分を慕ってくれる三つ下の後輩。ゴミみたいな、科学的にこなした方がずっと効率がいい、もはや合理的観点からは完全に無意味なコモン級のガラクタ……。初めて自分の手でリミナルダンジョンで回収したそれを両手で掲げて、自分の人生の意味はここにあったんだとばかりに叫ぶ彼の顔。そしてそれを見る、確かにそれをダンジョン内に隠してきた自分の顔。想像すると、あまりにいたたまれない。だってその後輩は、無理して銀盾級冒険者になった後、もっと深層に挑んで死んだのだから。生前言っていた。
(まだ誰も見たことがないアーティファクトを掘り出して、街の発展に貢献したい)
 違うのだ! 違うのだ! かつてエリオンは歯軋りした。リミナルダンジョンの、少なくとも銀盾級以下の冒険者にちょうどいいような、浅層のレイヤーにはもう、自然状態ではコモンのアーティファクトすら埋まってない。冒険者ギルドが潜り続けてもう何年目だと言うのだ。撮り尽くしてしまったのだ。あとは、金槌級冒険者が死ぬ思いをして挑戦する、もっと深くて危険な場所で、アンコモン級かレア級を手に入れられるかどうか。それ以上の深さとなると、もうただ一つあの四人の勇者級のパーティしか……。
 エリオンは、最初の動機を数秒の間にフラッシュして瞬く光のように思い出す。冒険者なのにインチキで後輩を騙す屈辱と、そんなこと何も知らずに死んでいく後輩への罪悪感。すべてを一瞬で追体験する。もう、そんな感傷を感じる場合ではない。
 ふと、鼻腔になんらかのにおいが感じられる。感覚がブーストされていて、すぐに気づけた。
(ガス!?)
 それは本来、無味無臭のはずの気体だった。しかしアーティファクト『反魔法領域(ハンティングラウンド)』の効果で、本来気づけないものにすら気づける今のエリオンには、余裕を持って警戒することができた。
(くっそ! ガスまで!)
 エリオンは仕方なく、部屋のドアを開けて内部に立て篭もることにする。なるべく素早い動きでもう一度部屋に入る。内部からの出入り口は、実はこのドア一つだけではない。地下に抜け道があることにこの前偶然気付いたのだ。貧民街の、あまり見つかりたくない人向けの宿だったのか、なんなのか知らないが、床下から少し離れた区画の目立たない場所まで、元々は下水なのか、地下にあると言う大空洞への通風管なのかわからないが、ともかくそれが通じてあって、こういうのが得意なドワーフのボールダーが行って確認している。エリオンは長身だから心許ないが、ルゥリィを先に逃して自分が強行突破する脱出プランは、十分に現実的だった。しかしエリオンは、部屋の中で信じられないものを見る。
 ルゥリィは、確かにベッドに座っていた。異世界の懐中電灯のような、限られた魔光灯の中でもそれは確認できた。魔法の杖を両手で握り、それをまるで本来の意味での杖のように使って、ひたいを杖の先のアーティファクトの宝玉につけて……しかし、詠唱をしていない。
「どうした!? ルゥリィ!?」
 エリオンが近づいてまずアーティファクトの宝玉、青い色をした『反魔法領域(ハンティングラウンド)』に触れる。エリオンの魔法剣士としての力なら、これだけ詠唱して、ルゥリィが持っていた桁違いの魔力を注ぎ込んでくれたなら、もう十分。自分の補助的な魔力で十分起動し続けられる。しかしそんなことどうでも良かった。
「え……? ルゥリィ?」
 彼女はもうすでに息も絶え絶えだ。一体何が……光も足りない中で、彼女の体をまさぐると、背中に……一本の短剣(スティレット)が刺さっていた。
「なんだこりゃ……! ルゥリィ! ルゥリィ!」
 エリオンが取り乱して愛する人の名を呼ぶ中、さほど広くはない部屋の、暗がりから声がした。
「やっぱ恋仲か。金槌級冒険者にしちゃあ、ちょっとテンパリすぎだぜ」
 エリオンは冷静さを欠いた声を出す。
「誰だ貴様!!!」
 出血しすぎたのか、もう意識も途絶えようとしているルゥリィを介抱する暇もなく、エリオンは自分の声で逆に冷静になった。だめだ、今は考えろ、考えろ……。
「誰かって……暗殺者っすわ」
 そこに立っていたのは、女性だった。ホワイトゴールドの髪が目立つ、黒いコスチュームの。しかし見た目にはまだ若さがひどく強く残っている。もしかすると、成人直後か、直前くらいではないかとエリオンは訝しんだ。腕の中にかきいだいた最愛の人を気遣いつつ、背中のスティレットを抜いていいものか迷う。
「どこから……入ってきた……?」
 かろうじてそれだけ言うのが精一杯だった。女暗殺者はくくっと笑った。
「いるんだよなぁ、こういうとこの裏口見つけるのが得意なのがぁ。おい! 出てこい!」
 女がそう言うと、エリオンとルゥリィの前の床がパタンと開いて、にゅるんと出てくる姿が。赤らんだ、粘液に覆われた、それなりの体格の触手族だった。絶滅したのではなかったのか……。
「ウッ!? このガス……ッ!!」
 エリオンは危険な気配を察知すると、自身とルゥリィに常在型状態異常回復魔法をかけた。補助魔法使いである魔法剣士の本領発揮だ。女暗殺者は笑った。
「ッハ、便利なもんだぜ。魔法が使える冒険者は……この街じゃあ、魔法使いはほんの少しでも才能があると、冒険者ギルドへいっちまうよなあ」
「ずいぶんおしゃべりな暗殺者だな」
 レカは手を広げておどけて見せる。余裕の表れか、とそれを侮るエリオンだったが、次の瞬間驚愕することになる。
「ハッ!?」
 急いでルゥリィが出血多量の今の状態でも離さないでいる杖の先っぽを見る。
「無い……?」
 そして女暗殺者がこれみよがしに手に持っている青い宝玉を見る。エリオンの顔がみるみるうちに青くなり、呼吸も荒くなり始める。
「なっ、どうやって……」
 女暗殺者はあっけらかんと、
「とった」
 とだけ言った。
「あー、そのアーティファクト……あーしの血による身体強化の効果もほとんど無効化しやがった。おかげで大変だったぜ。魔法剣士が引き継いだおかげで、かなり無効化の性能が落ちたみてえだが。すげえ魔力量だな。その魔導士の女がフルで発動し続けてたら……どうしようもなかった。だけど半端な魔法使いのあんたが引き継いでくれて良かったぜ。一瞬だけなら効果範囲でもフルスピードが出せた。例外で自分たちは使い放題じゃあ、分が悪かったかんなあ」
 エリオンは歯軋りした。ベラベラ喋ってたのは気を逸らすためか……。近づいてくれば、彼の魔法の剣が反応したはずなのだが……。エリオンはゆっくり深呼吸し、ルゥリィの頭をギュッと抱え込む。彼女の体温はかなり低下していた。
(逃げられそうにないな)
 ドアがバッターン! と、大きな音で開いた。女暗殺者がチッと舌打ちした。
「おっまたー!」
 エリオンはまたしても驚愕することになる。
「あ……あ……」
 大型獣人だった。おそらく、ボールダーが戦っていたのはこいつだろう。そして、敗北したのだ。なぜならその手には……。
「ぐっふう!?」
 大型獣人がうめいた。触手族がクスクス笑う。女暗殺者が獣人の太鼓のような腹を殴ったからだった。
「標的の首持ってふざける暗殺者がどこにいるんだよボケぇ!!」
 女暗殺者はこの三人のリーダーらしく、獣人を何か知らないが叱りつけていた。ボールダー、ボールダー。すまない。すまない。巻き込んで。すまない。エリオンの心でいっぱいの後悔が黒雲のように膨れ上がり泣きたい気持ちになった。腕の中でどんどん冷たくなっていくルゥリィ。まだ死人の冷たさではないが、もう意識もないだろう。早急に、治癒魔法が必要とされた。だがそれはあまりに高価で、ギルドが管理し、貴族だけが使えるような代物で……。反乱者が手に入れられる望みは一切なかった。
(エリオ……ン)
(えっ)
 つい、辺りを見渡してしまう。狭い室内には、携行型魔光灯の光に浮かび上がる、三人の敵対者だけ。見ると、女暗殺者はアーティファクト『反魔法領域(ハンティングラウンド)』の青い宝玉をポーチにしまっているところだった。回収する指令を受けているのだろう。
 間違いない。自分の名前を呼んだのは魔法感応(セッション)。間違いなくその音声だ。エリオンはすぐそばにあるルゥリィの顔を覗き込む。目は硬く閉じられ眉間に皺が寄っている。懐かしさすら感じる紫の瞳を見ることはできない。だが少なくとも目に力が入っていることが、まだ希望が持てることを示していた。
(エリオン、エリオン……聞こえる?)
(ルゥリィ!? 意識はまだあるのか?)
 エリオンは大きな魔力量を持つルゥリィと接触しているせいか、あるいは日々の修行の成果が今発揮されたのか、急に魔法感応(セッション)の魔法的音声通信で、口を閉じたまま他人と会話する能力を覚醒させることに成功した。おそらく理由は前者なのだろうが、それはどうでも良かった。とにかく今は、目の前の三人の強大な敵に、気取られずに会話しなければならなかった。
「さて……」
 アーティファクトをしまい終わった女暗殺者が詰め寄ってくる。
「聞きたいことがあるんだよな……」
 大型獣人の男も、触手族の女も、ニヤつきながら迫ってくる。万事休す。その時にエリオンの脳内に響いた声は……。
(今、もうほとんど体の感覚がなくて、私もう動けないの。おそらく脊髄も背中のスティレットで切断されてるわ。……ねえ、キスして、エリオン)
 それを聞いたエリオンは顔を歪めて泣きそうになる。
(ロゥリィ、今まで、今まで本当にありがとう。そしてごめん。せめて死ぬ時は一緒で……)
(そうじゃないの。現実的な策よ? さあ、キスして。それから話すから)
 エリオンはすぐさま抱き抱えていた瀕死のルゥリィにキスをした。なるべく強く、唇を合わせる。女暗殺者の足が止まる。他のデカブツの亜人種二人は、おやおやとか、きゃーとか言っている。構うものか。エリオンは思った。
(エリオン、聞いて)
 キスの間にも、ルゥリィの意志が流れ込んできた。
(このままキスするふりをして、あなたの補助魔法の技術を使って、魔力を流し込んで。そうすれば、なんとか自爆くらいできる)
(自爆って……)
 エリオンは涙を流す。美しい光景だった。死にかけた仲間に、キスをするリーダー。なんの意味もないということ以外は、文句のつけようも……少なくとも邪魔していいようには見えない。女暗殺者は両手をさっと二体の亜人種の前に出して、様子を見守っている。
(最後の慈悲か、あるいは魔法的な罠の警戒か……)
 大型獣人は暇そうにしてるし、触手族の女はこちらをときめいた様子でじーっと見つめている。女暗殺者だけが、冷静にキスするエリオンと死にかけのルゥリィを見ていた。おそらく、暗殺ギルドでも非公式の部隊なのだろう。外にどれだけ敵がいるかはわからなかったが、反魔法領域(ハンティングラウンド)が術者の手を離れてしまった今、クロークで透明化すればいくらでも潜伏できる。ここから逃げることは不可能に思えた。
(自爆って言ってもね)
 ルゥリィの声がした。もうだいぶ消えかかっていたので、エリオンは補助的な魔法である魔力の受け渡しを開始する。肉体的接触さえあれば、あまりに大量に一気に受け渡さない限り、バレずにできる。エリオンの腕に感じるルゥリィの体温は依然、低下傾向に思えたが、魔力的な温度のような感覚は、どんどん増していく。
(ただの自爆じゃないの。新しい技で……ほら、私、『火薬樽(パウダーケグ)』が通り名でしょ? 覚えてるよね。二人で初めて冒険者ギルドの試験を受けた時……)
(ああ、覚えてるとも。お前、あまりに魔力の才能がありすぎて、建物ふっとばしちゃったよな)
(あちゃー、やっぱ覚えてたかー)
 エリオンが与える魔力にあたたかいオーラが混じりじ始める。魔力は精神状態に大きく左右されるのだ。
(懐かしいねえ、エリオン。それでね、私。ずっと疑問だったんだ。なんであんな爆発があったのに、死者も怪我人もゼロだったのかって)
(俺も気にはなっていたが……)
 エリオンはチラッと三人の暗殺者を見る。空気を読んでくれているのだろうか。大型獣人はもう明らかにイライラを感じ始めてるし、触手族も、もう興味がなさそうに自分の触手を巻いたり伸ばしたりしている。女暗殺者の赤い瞳だけが、エリオンを見つめていた。
(やりたいことはわかった)
 もう時間もないだろう。エリオンは意を決した。
(魔力量はもう足りるかい?)
(なんとか。ねえ)
(うん?)
 エリオンは、ルゥリィが今までの真剣なトーンから、少し甘えるような声色になったのを感じた。全ては魔法感応(セッション)の中のやり取りにすぎないが、肉声よりも感情を感じやすい。ルゥリィは……最後の愛の告白をしようとしているのだ。
(私、あなたに会えて……)
「オイ! なんか長くねーか? なんかやってね? 時間稼ぎか?」
 そこで無慈悲にも、大型獣人が切れた。それでもエリオンは唇を離さない。流石に女暗殺者も、若さゆえの甘さなのか、暗殺対象の最後の愛のやり取りを、邪魔しようとはしない。エリオンには、最後のルゥリィの声が聞こえた。
(これで、私、多分死んじゃうんだ。ここにいるあなただけ助かるから、そうしたら逃げて。大丈夫。私たちは間違ってない。間違ってないから。最後の……一生のお願い。一緒に)
 魔法感応(セッション)が途切れた。何か風のようなものが吹いて、唇の感触も無くなった。
「え……?」
 エリオンが見たのは、首のない、ルゥリィの遺体だった。
「うわ、うわ、うわ、うわあああああああああああああああ!!!!」
「ウッセーよボケ」
 大型獣人がエリオンを引っ叩いた。
「ぎゃっ!?」
 しかしその一撃は平手打ちなどというものではなく、モンスターの繰り出す、ナイフが何本もついた丸太に例えられる威力だった。たまらずベッドから吹き飛ぶエリオン。だめだ、だめだ。気を失ってはだめだ。体制を立て直す。幸い、魔法の剣は握ったままだった。魔法的な身体強化もまだ効いているらしい。自分の顔面に何か垂れ下がる感覚があるが、今は皮一枚も気にしてられなかった。少なくともわかることは、ルゥリィの自爆は不発に終わって……。
「あ……」
 エリオンは、眼窩の骨がぶっ壊れ、飛び出した左目がブラブラ垂れ下がっているのに気づくことができなかった。なぜなら、もっと衝撃的な光景が、もう片方のまだ見える目に飛び込んできたから。
「ロゥリィ」
 あまりにも普通に、その名を呼んでしまった。
「あの……生首ちゃんが……ロゥリィ……ね。……やっぱ……あの子が……魔法の要で……この男の子は……ただの……器用貧乏……さんみたい」
 エリオンは目を離すことができなかった。女暗殺者が愛する幼馴染みの首をしっかと掴んでいるのを。最初、彼女の長くて綺麗な桃色の髪が掴まれているのかと思った。違った。逆さまになった首からは髪が垂れ下がっている。頚椎を、直接掴んで、潰して引っこ抜いて、そのまま手に持っているのだ。
「はーあっ、はーあっ、はーあ……あはははハハぅううううう」
 パニックになった呼吸なのか、なんなのか、わからないものを吐くエリオン。地獄。地獄の光景だった。
「そんなに後悔するなら反乱なんてすんじゃねーよバカか?」
 獣人が心の底から呆れたような声で言った。エリオンの目から自然と涙が溢れてくる。それを拭こうとして初めて、左目が大変なことになっているのに気づいた。側から見ると、白い土台にくっついた緑色の変わった宝石が、視神経でぶらんぶらんぶら提がっているようなものだ。エリオンは嘔吐する。限界だった。女暗殺者を見た。意外にも、冷静かと思ったその表情は、幾分か驚愕の色が含まれていて、自分が持ったルゥリィの生首を、なぜか信じられないようなものを見る目で見ている。大型獣人が笑いながら言った。
「ゲヒャヒャア! 姐御ぉ! あんたがこういう真似をするとは思わなかったぜ。さっき俺がしたのと同じ事じゃねえかあ! おそらく、魔族の血が教えたな? この魔導士の女を放っておいたら何か撃ってくるって。おそらく正解だぜ! この情けねえ緑髪の男の慌てぶりを見るとよお!」
 女暗殺者は獣人を無視すると、ベッドの前に投げ出されたルゥリィの遺体の首のところに彼女の生首を置いた。そして何か敬虔さが滲み出る仕草で、身振りでサインを切った。エリオンにはわからなかったが、暗殺ギルドの鎮魂の仕草だった。そして立ち上がり、エリオンに近づいてくる。
(く、来るな)
 エリオンは後退りしようとしたが、骨折か、さもなければ筋を痛めたか、なかなか動けない。あまりのことに声すらでなかった。喉からひゅーひゅー音が漏れただけだった。女暗殺者は、エリオンをうつ伏せにすると、こう言った。
「シャルトリューズ。例の毒液を出せ。逃げられねえようにするやつ」
 エリオンが様子を確認しようと首を捻ると、そこを押さえつけられる。折れた眼窩骨が激痛を訴える。ギリギリ触手女が視界に入った。
「えー、どーしよ……っかなー……? レカちゃん……がぁ……さっきの……この子達……みたいにぃ……ちゅーして……くれたら……考えても……」
 どういうわけかわからないが、長ったらしい喋りかただ。エリオンはこんな危機的な状況なのに、そんなことばかり気になった。首の上で女暗殺者の声がする。
「ガズボ、シャルを絞れ」
「あいよ、姉御」
 触手女が視界の外にいってしまう。
「えっ、あっ、ちょ、やめ……んぎいいいいいい!!!」
 触手女の甲高い声と共に、自分の背中に何か液体がドボドボ垂れてくる感覚がある。それは鎧を通り、肌着を通り……やがて皮膚に達した。
(………? ………っっっ!!??)
 背骨が急に、灼熱にまで火で炙られた鉄のように、燃えあがった。エリオンは不思議だった。まさか自分の喉から、あんな、声とも呼べないような、轟音が出ることがあったとは。すぐに気管と声帯が傷ついて、いやほとんど破れて、自分の血で溺れそうになる。口を開けすぎて唇の端が裂けて血が出る。彼の苦痛の絶叫は、もはや声ではない何かだった。背中の痛みの感覚はもう、脳の作用だろうか。全く遠くなってしまって、耳の感覚ばかりが研ぎ澄まされた。いつか聞いたことがある。冒険者が瀕死の重傷を負って、昏睡状態になった時、耳の感覚だけは死の直前まで残るという。エリオンはそれを体験していた。最も、この痛みは死の約束ではなく、単に恐ろしいほどの激痛で臨死体験をしているというだけなのだが。そういうメカニズムのせいで、暗殺者たちの会話は、嫌にクリアに聞き取れた。
「ふふ……やっちった……」
「ゲホ! ゲホ! シャル! てめえ! まーたなんか成分変わってねえか!?」
「ククク、だがよお姐御。相変わらずすげえ効き目だぜ。痛みで背筋が父んで背骨が折れそうだ。ったく、大人しく冒険者ギルドに従ってろってんだ。ったく、告発なんてどうするつもりだったんだか。この街にこの街の基本構造について問題にしているギルドなんてねーぜ。バカかっての。変な気を起こさなきゃあ、安泰の人生だったろうに」
 ふう、と聞こえた。誰のため息か、もうわからない。無事だった右目も、毒のせいか白濁してしまったようだ。女暗殺者の声がした。やれやれというか、ひどく疲れたような声色で。
「胸から下の神経、全部死んだな。これで逃げられねえ。悪く思うなよ。縄抜けだのなんだの、拘束解除の魔法は冒険者の基本だろ? ここまでしないと安心できねえ。例え足を切り落としたって、あんたらは浮遊して逃げちまう。こうやって、死ぬほどの激痛で思考を強制停止させて、呪文詠唱不可能にしないとダメなのさ。ほんと、同情するけどよ」
 女暗殺者による拘束はすっかりとっくに解かれていたが、エリオンは動けない。一切動けない。動こうとすると、骨も、脳も、血管も、全てがやめろやめろと引きちぎれんばかりの勢いで激痛の悲鳴を上げた。何やら、左の耳に触れるものがある。吐息だった。女暗殺者が口を近づけているのだ。確実にコミュニケーションを取るためだろう。エリオンは、思考だけは冷静だったが、呪文を唱えるための集中も、口を動かす為の筋肉の操作も、心を落ち着かせて術に集中する所作も、まるでできないでいた。女暗殺者の囁きが聞こえる。
「この現場はこの後、冒険者ギルドの鉄錠級特命冒険者パーティが引き継ぐことになってる。きっと拷問されるだろう。あーしらの雑なやり方よりよっぽど苦しいと思うぜ。あっちにゃあ……あんたを痛めつける理由がゴマンとある……」
(ちくしょう、ちくしょう……)
 エリオンはそう悪態をついたつもりだったが、生態すらろくに動かず、口から血が混じった唾液が飛んだだけだった。
「……一思いに、さっきの娘さんと一緒に、殺してやれりゃあ、よかったのにな」
 そんな馬鹿げた声も、耳に当たる吐息と一緒に聞こえた気がした。だがもうそんなことは気にならない。彼は最後の力を振り絞る。声帯、いやもはや声帯とも呼べなくなった、喉にある裂けたヒダが、かろうじて意味の通る音を絞り出した。
「あ……く……ま……め……っ」
 ふーっという声がして、女暗殺者の息遣いが聞こえなくなった。体を起こしたのだろう。エリオンはなおも力を振り絞る。
 足はもう痛み以外には全く感覚がないが、腕だけはなんとか動かせた。なぜそうしたか、彼にもわからない。震えが抑えられなかったが、自分が動かせる限界の速度で腕をたたむと、首にかけたネックレスを掴み、痛む中、出せる全力で引きちぎった。そして、彼の意識はそこで途切れた。次に目覚めるときはおそらく、冒険者ギルド最大の秘密、匿名冒険者パーティによりどこかの地下に作られた、拷問室だろう。
 最後に彼が握っていたネックレスには、指輪が二つ、ぶら下げられていた。それはもちろん、最愛の人のために……。しかし、その者の、死んだ指にすら、はめられることはなかった。ないはずだった。しかし暗殺者たちが去った後、異端の冒険者たちが現場へ来て見た光景は、エリオンが痛みで気を失う直前の願いの通りになっていた。首のところで切断されたルゥリィの遺体は、頭と胴体の間に布がかけられており、眠っているようにすら見えた。そして隣で息も絶え絶えなのはエリオンで、意識もなく、毒で見るも無惨なっていたが、ルゥリィの手を強く握り続けていた。爛れた皮膚と濁った目、そしてたった十数分のストレスで、まだらに緑の長髪が抜け落ちていた彼だったが、恋人の亡骸の手を握る力だけは、本当に強固で……特命冒険者パーティがやっとのことで剥がすと、そこには二つの指輪が握られていた。刻まれた文字にはこうあった。
「友情が愛情に変わったとき、それは最も強い結びつきになる」
 その指輪が見たければ、街外れの古物商に行くといいだろう。

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