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【小説】マリオネットとスティレット【第十七話】

 大きな仕事を終えて、レカの休暇が始まった。久しぶりの長い休み……前は、テルにも会わず、冬眠するクマのように貧民街のセーフハウスで一人こもりきりの生活をしたこともあった。しかし今回の休暇は、目一杯体を動かすことにしたのだった。明るく振る舞うことに決めた翌日、雪が、街の景色を美しくした。
「おっりゃああああ!! 喰らえ姐御ぉ!! 限界まで固めた雪弾だぜぇ!? 石壁だって砕けるわぁ!!」
「はっ! んなもん当たるかよ!」
「ど、どうしてこうなったんだ……」
 テルは呆然とその光景を見ていた。三十分前は確かに自室にいたはずだった。しかし今は河の向こうにある闘技場に無断侵入し、競技台の上にちょうどよく積もった雪の上で、レカと亜人たちが雪合戦するのを眺めている。いや、正確にはレカとガズボが雪合戦するのを、だが。
「ふぎぎ……触手族を……雪の中……連れ回す……んじゃ……ないわよぉ……」
 シャルトリューズは高級娼婦が着ていそうな、ファーが豊かにたくさんついたコートの中で縮こまって震えてる。ご自慢の職種は一本も外に出そうとせず。珍しい薄黄色に染められた高級そうな毛皮のコートは、お客からの贈り物だろうか。何にせよ、レカとガズボに拉致された仲間ではある。テルは不安な声で、遊びに夢中なレカに声をかける。
「ねえ! 本当にここって入って大丈夫なのー?」
 レカとガズボは笑いながら答える。
「テル坊! 心配すんなよー! この前、鉄錠級冒険者がガサ入れた一件で、今はここは閉鎖中だぜ!」
 テルは思った。そういう問題ではないと。
「で、でも、警備の人とか……」
 レカはなんでもなさそうに声を張り上げた。
「おねむだぜー! 風邪ひかないように詰所にぶち込んでぐっすり寝かせてらあ!」
 テルはシャルトリューズの方を見る。寒そうだったが、照れくさそうにしている。
「ふふ……今日は……調子いいから……無害な……睡眠ガス……吐けたの……褒めてぇ……レカちゃ……」
 しかしレカもガズボも無視して雪遊びを続けている。可哀想な人だ……。テルはそう思った。そしてため息を白い息の塊にして吐き出すと、大時計塔以外の何ものも届かないくらい高くなった青い空を見上げた。レカに押し付けられた分厚い毛皮のコートと、やたら高くなった帽子、それから魔界遠征用かってくらいごつい手袋は、暖かくて重宝するが……まさかこれは獣人から作られたものではあるまい? テルはそう考えると少し寒気がした。貴族の中には奴隷を「有効活用」するという考え方のものもいるが、若い世代の貴族であればハーマンですら気味悪がっただろう。貴族も、世代を下るにつれ、野蛮さや残虐さはなりを潜めていっている。テルは頭を振った。あまり考えないようにしよう。それにしても……
「貴族を雪合戦のために拉致って……あー、今頃屋敷で騒ぎになってないといいけど……まだ時間的にセーフかなあ」
 冬は学院も休みの季節だ。テルは久しぶりに父と食事を摂ることになり、昼間から自室でゆっくりしていたのに、いきなり現れたレカに担がれて窓から一緒に飛び出す羽目になり、今ここにいる。
「父さんはまだしもミルもあんまり騒がなそうだし……ブワァっ!?」
 雪暖が襲ってくることには少しばかり用意があったが、いきなり雪の大波が覆い被さってくることは予想外だった。半ば埋もれたテルにレカがキャハキャハ言いながら声をかける。
「見て見て〜テル! 雪津波!」
「こ、これじゃ、何も見えな……けほっ」
 いつも以上にはしゃぐレカの声を聞きつつテルが雪の中から脱出すると、いつもとさほど変わらないウールの服装のレカの周りだけ、綺麗に扇状に数メートル分の雪がなくなっている。
(これが全部僕の方にかぶさってきたのか……)
 レカが本気で蹴りを繰り出せば、そのくらいのことにはなりそうだった。テルと同じような素材の毛皮を雑にツギハギした巨大な敷物のようなマントを被ったガズボが、
「うおおおお!! 姉御にゃ負けてらんねーぜ!! 獣人流の雪津波!!」
 またドバーッと大量の雪が舞い上がる。なぜかテルの方に。
「うわーっ!」
 彼はまた声をあげるが、レカもガズボも一緒になって笑うだけだった。雪から脱出すると、テルは本気で抗議の声上げたが、二人は聞かずに雪で遊んでいる。テルはまたため息をついたが、雪が口に入ったせいで息が冷え、吐息が白くならなかった。
「全くもう、僕より年上なんだし、あんまりはしゃがないでよね」
 テルがプリプリ怒って毛皮についた雪を払っていると、レカが言った。
「えー! もっと年上のおっさんいるけど?」
 ガズボは来る前に酒をしこたま飲んでいたらしく、酔った勢いでポーズを決める。
「ふぅふーーーー!!」
 道化師のやるよりもおどけた様子で手を揃えて斜めに伸ばしてテンション高い声をあげる。テルとしては叱る気にもなれない。貴族の夕刻のパーティには流石にこういうのはいないが、深夜のそれには似たような状態の者がいそうだった。レカがそんな様子を見て呆れて、
「つーかヨォ。ガズボ、オメーいい歳なんだから同世代と遊べよ同世代と」
 とため息混じりに言う。テルも同意見だったが、酒の臭いをぷんぷんさせている大型獣人の前で頷いて見せる度胸はなかった。ガズボは大袈裟な身振りでレカをつがった爪で指差す。
「あー! そういうこと言っちゃうんだあ! へえ! へえ! へえ! ……いまだ喰らえ!」
 ガズボとしては渾身の騙し討ちだったのだろうが、カチカチに握り固めた雪弾は、レカにひょいと交わされ、はるか向こうの壁にこちらまで聞こえる音でぶつかって砕け散った。流石にテルも引き攣った笑いしか出ない。レカはニヤニヤしながら、
「喰らうかよ。おっらぁ! お返しだぁ!」
 ブーツを履いた足で掬い取った一塊の雪を瞬時に握り込むと、アンダースローでガズボの顔面に命中させる。衝撃で彼の300キロの体がよろめいた。
「ブッフぅ!?」
 レカはそれを見て大笑い。
「しゃっしゃっしゃ! やったぜい!」
 当然ガズボは大人気なく激昂して、
「このアマ! 姉御ぉ!」
 と言って、今度は雪に目もくれずに追いかけっこを始めた。ひらりひらりと飛んだり跳ねたりのレカには一生追いつけそうもなかった。
「はぁ……まあ、レカ姉が楽しそうでなによりさ」
 ついていけないと思ったテルは、まだ震えているシャルトリューズの方に歩み寄る。まだこの人とは碌に話せてないな、と思って。震えていた彼女はジロリと大きな瞳をテルに向ける。
「な……なによぉ……こ……凍える……触手族は……珍しい……でしょうけど……ねえ……?」
 テルは帽子を差し出す。
「あの、これ……」
 シャルトリューズはキョトンとした表情をした後、触手をスルッとコートから伸ばし、パシッと帽子を奪い取るようにした。そしてなんだか憎たらしいものを見る目つきでテルを見て何かぶつぶつ言っている。テルも流石にレカ達と裏の仕事をする人たちは癖があるだろうなと思っていたが、なかなかクールな反応だと思い、少し呆れた。
 レカとガズボは雪合戦と追いかけっこと殺し合いがせめぎ合ったようなことをまだ続けている。時々彼らが跳ね上げた雪がこっちに飛んでくる。テルとシャルトリューズは競技台から降りて、観客席の最前列のさらに下、本来客が座れないのところで、暗殺者の娘とガズボがヒラリヒラリ避けたり突っ込んで行ったり転んで雪だらけになるのを見ていた。
「シャルトリューズさんは流石にこういう時、はしゃがないんですね」
 シャルトリューズは、えー?っと言って、コートに仕舞い込んだ触手を体の中でうねらせた。暖をとる目的なのはわかるが、スタイルのいい体と黄色いコートのウール生地の間でニュルニュルいってるのは、しかし艶かしい。テルはそちらをなるべく見ないようにレカ達だけ眺めていた。
「ウチは……28歳……だよ……? いちおう……元……高級娼婦……だし……プライドだって……あんだから……そもそも……馬鹿じゃないの? ……アイツラが……おこちゃまなの」
「そりゃそうですね、あいつらまだやってますよ。ったくレカ姉も……」
 元気になって良かった。そう言おうとしたが、あの夜の限界まで疲れた顔のレカを思い出すと、心配が勝った。今どれだけリラックスしてはしゃいで見せていても、また殺しの任務に戻れば、きっと……。
「あー!……好きな人のこと……考えてる目を……してるなー?……」
「え!?」
 媚薬の吐息の漏れを防ぐための手が、シャルトリューズのニヤニヤ笑いを隠す。だが彼女の大きな目が細められてるのは隠せてなくて、自分たちのリーダーの想い人が、ちゃんと愛する人のことを心配してるのを喜んでいた。
「ぼ、僕は……」
 ククク、と笑うシャルトリューズ。テルはなんだかドキッとしてしまうが、すぐにあたりの冷たい空気をモワッと汚染する媚薬の吐息にむせてしまう。
「あ……ごめんごめん……ウチとは……長く……話せないよね……ごめんね……」
 触手ではない人間の血由来の手で咳き込むテルの背中を刺すってやった。
「ケホケホ……シャルトリューズさんは、ゲホ! どうしてこの、暗殺ギルドの愚連隊に?」
 まだ咳き込み続けるテルを気遣いながら、シャルトリューズはどう答えたものかと思った。この可愛い何も知らない無垢な貴族の少年に、どこまで自分の残酷なライフストーリーを聞かせて良いものやら。黄色いコートから赤ピンクの職種がチロチロ出てくる。彼女にしては珍しく考えている。テルのことを気に入ったから、テキトーな返答をしたくなかったのだ。
「……ねえ……ところで……触手族は……乾燥と……寒さには……弱いの」
 その性質ゆえに喋るのが億劫そうだと思ったテルは、図書館で得た知識を思い出す。
「ああ、魔界の洞窟とか、密林で暮らしてるんですよね。彼らは。シャルトリューズさんもそこから?」
 迂闊な質問だった。シャルトリューズは、初めて自分が明確な怒りや悲しみや絶望の反応ではなく、相手を傷つけまいと取り繕った笑みを浮かべるのを感じた。
「ウチは……本当の故郷なんか……知らんのよ………この街の娼館街が……故郷」
「あっ……」
 テルはここに至って、迂闊な質問をした自分を恥じた。そうだ。暗殺ギルドに属している人間に、聞いて楽しい自分語りなんか、あるわけない。しかもその非公式部隊ともなれば尚更だろう。謝るべきか迷っていると、シャルトリューズが笑みを向けてくれた。寂しそうな笑みだった。
「生まれ……ながらの……娼婦なの……レカちゃんもそう……」
 テルは驚いた顔をするが、シャルトリューズが触手をフリフリ振って見せた。
「そじゃ……なくて……生まれながらの……暗殺者……」
「ああ……」
 テルは合点がいった。生まれながらの娼婦。生まれながらの労働者。生まれながらの貴族。生まれながらの商人。生まれながらの……冒険者や傭兵はいないか。暗殺者だって、本当は男が自分の意思で暗殺ギルドの門を叩いてなるものだ。生まれながらの娼婦や、生まれながらの女暗殺者……。
「かーいそう……だよねえ」
「レカが……可哀想?」
 シャルトリューズがポツリと言った言葉に、テルは驚いた。テルになかった発想だった。小さい頃は、屋敷の庭で駆け回って遊んだものだ。父親同士の秘密の会合のたびに、なぜかいつもレカがいた。全くもってこのじゃじゃ馬娘はおてんばで、小突かれ、泣かされ、テルとしては精神的にも肉体的にも敵う気は全くしない。だが……そうしたレカが、実は誰よりも寂しがり屋なんじゃなかったか。テルは、ついにガズボとの追いかけ合い雪のぶっかけ合いが、ただの組み手に移行したレカの様子を見る。な長い髪を振り乱して元気に動くレカが眩しい。そして思い出す。この前の自室で、未明の灯りの中見た、今にも死んでしまいそうな、他人の血に塗れたレカを。
 なんだか知らないが唐突に、ガズボがテルとシャルトリューズの方へ走ってきた。
「シャルトリューズー! なぁにガキを誘惑してんだヨォ!? 火照った体冷ましてやるぜー!」
「ぎゃあっ!?」
 ガズボが雪を抱えてシャルトリューズの頭からかける。思わず避けテルだったが、一瞬、ガズボの猛獣のような黄色い瞳と目が合った。まさかとは思ったが、まさかとは思うが……。
(え!? 嫉妬!?)
 野獣が自分の獲物を横取りするライバルへの、真剣な敵意を読み取ってしまった。もちろん流石に本気ではないだろうが……テルがそういうニュアンスを読み取ってしまったのは事実だった。
(え!? ガズボさんが本当に好きなのって、シャルトリューズさんなの?? え? え?)
 テルにはまだよくわからない爛れた大人の関係が、そこにはあったのだが、あえて語るまい。だが今ので人生でそんなに経験していない穏やかな会話を邪魔されて、怒ったのはシャルトリューズだった。
「ふざけんなよこのデカブツ!」
 カッカして媚薬吐息を抑えるのも忘れている。テルは急いで距離をとった。
「ほーれほーれ」
 レカももうなんだか調子に乗ってるのか、雪玉をシャルトリューズに投げている。優しい投げ方ではあったが、やり過ぎだった。
「ちょ、レカまでやりすぎだよ、シャルトリューズさんは寒いの苦手だって……」
 ーーもしかしてレカまで嫉妬してないよな?
 そんなバカなことを考えていると、テルは離れて正解だったと知る。レカもまずいと気づいたらしい。なんだか、シャルトリューズがコートを脱ぎ始めた。触手族としてどれくらいが羞恥心うんぬんのラインかは知らないが、人間でいうところの下着しか身につけていなかった。
「あ、やべ切れたぞこれ」
 レカのそのセリフが皮切りだったのか、コートを畳んで雪の上に置いたシャルトリューズがこう叫ぶ。。
「あんたら……ウチがまだ見せてない毒液見せたろかぁぁあ??」
 レカは心底嬉しそうに、
「お、おぅわぁ!? ぜってー強ぇえ! 逃げるぞガズボ!?」
 と言って大柄なガズボを飛び越えて行ってしまう。
「ま、待て待て待て姐御ぉ!? あいつのマジブチ切れはクソやば……」
 その時、笛の音が吹かれた。
 ピッピッピー!
 その場のみんなが音の方を向いた。そこには二人の人間がいた。やや長身の黒髪の男と、赤髪の小柄な女である。女の方は、少女と言って良かった。赤髪女は大きく息を吸うと、首から提げた木製のホイッスルをさらに一度笛を吹いた。
「ティトゥレー、笛は一回でいい」
 黒髪の男の方が嗜めた。
「あ、す、すんません! ジェラール隊長……」
 ガズボがめんどくさそうに、
「ああ? 鉄錠級冒険者の警らか。邪魔くせえ、ぶっ殺すわ」
 と言って腕を回して近寄っていくのを、レカが止める。鉄拳で。ガズボの針のような体毛に覆われた分厚い毛皮越しでも、頭蓋を叩くといい音がする。
「いってー! 本気で殴るんじゃねーよ姉御ぉ!」
 レカは相手が誰だか知っていた。
「不法侵入ですよあなたたち! そこになおりなさーい!」
 赤髪の、レカと同年代に見える少女は、そこでレカの存在に気づいた。
「あ……ああっ!? 教官じゃないっすかー!」
 黒毛の男性の方が止めようと手を伸ばすが、少女の方が早かった。
「あっこら! 任務中だぞ……ったくぅ……」
 おそらく上司であろう働き盛りの冒険者の方を振り返ることもなく、赤い髪の毛を振り回して雪の上を走っていき、レカの手を握った。
「わー!? やっぱ教官じゃないっすかあ! なんでこんなとこいるんすかあ!?」
「ティトゥレー。お前こそ傭兵ギルドのテリトリーまでご苦労なこった」
 赤毛の少女冒険者、ティトゥレーは心底嬉しそうな様子でレカの手をブンブン振っている。
「いやあ! いつもお世話になってるっす! この前、よった傭兵崩れを取り押さえる時に、レカ教官から習った投げ技使ったっすよ! いやー! 大の男をぶん投げるっ! って気持ちいーっすねえ! それからそれから……」
 流石に黒髪の冒険者がレカとティトゥレーの間に入って制止あうる。「おい、はしゃぎすぎだぞ。慎みを持て。任務中なのだから」
 ティトゥレーはパッとレカの手を離し、頭の後ろへ持っていった。
「あー! すんません! ジェラール隊長……」
 レカは苦笑する。ティトゥレー。レカが担当する冒険者ギルドへの格闘訓練提供クラスの優等生だ。こんな軽薄な態度だが、才能がある。一度、レカでも投げ飛ばされたことがある。身体の使い方が上手いのだ。レカは男性冒険者と目が合う。やや離れたところでヒソヒソしている大型獣人と触手族が気になるようだ。ガズボは動いて暑くなったのか、着ていた毛皮コートを脱いで半裸になって、シャルトリューズの黄色いコートの上から被せてあげている。半裸の体から湯気が立っている。ティトゥレーが少しビビっている。
「あー、レカ。あちらの方々は……」
 レカは笑顔で亜人種コンビの方へ走っていった。
「ああ、こっちはガズボ。この闘技場の戦士さ。あーし、ファンでね。個人的な交友関係もある。ここでこうして組み手して個人格闘技術の腕鳴らしさ」
 ガズボはニヤニヤしながら分厚い毛皮を纏った腕を胸板の上に乗せるように組んでる。ティトゥレーが少し下がってテンションでシャルトリューズを指差した。
「あっちの……えっと……触手族の女性は……?」
 レカは屈託のない笑顔で、
「ああ、戦士には恋人が必要なのさ。そう何人も用意できないから、みんなの恋人だな」
 と言った。シャルトリューズが口を押さえてクスクス笑った。
「あ、そ、そうっすか」
 そこでテルがすっと冒険者二人に寄っていって、手を伸ばした。安物の毛皮の手袋も何も、いつのまにか脱いである。貴族らしい、仕立てが良くところどころ金鎖の装飾がある上着がきらりと輝く。
「はじめまして。テルーライン・アルエイシスです」
 ティトゥレーの方が握手してもあたふたするだけだったが、体調の方は反応する。
「アルエイシス? 発明王アルエイシス卿の?」
 テルは苦笑して、
「一人息子ですよ。レカさんとは交友がありまして、闘技場を見たいと言って出てきたのです」
 冒険者の治安維持部隊、鉄錠級冒険者。その現場全体を統括する立場の男、ジェラール・ナラー。テルは頭の中を検索する。貴族の子弟として、街の重要人物は頭に入っていた。確か、元々リミナルダンジョンに潜っていたが、今は引退して子育てしつつ、治安維持任務をしているとか……。
 ジェラールはテルに挨拶と自己紹介を済ますと、闘技場の詰所の方を振り返ってから、レカに訊ねた。
「詰所に睡眠中の傭兵が何人かいた。みんな同じような格好で寝ていて、居眠りには見えなかったが……。あんな派手に職務放棄して、何も言われないのかねえ」
 レカは笑って言った。
「知らね。最近寒いもんなあ。みんなで部屋の中で魔光ストーブに当たってりゃあ、眠くもなるんじゃねえか?」
 ジェラールも笑みを崩さなかった。
「はは、こんな中間層の端っこに、よく最新の魔光ストーブがあるなんて発想できたなあ。あんなもの、貴族の館くらいにしかないもののはずなんだが」
「傭兵ギルドって金持ってるからなあ」
 ジェラールもレカも笑っている。テルも口角を上げて必死に笑みを作るが、これは……。明らかにヤバそうだった。しかしそれにしても……。
(よくもまあペラペラと嘘が吐けるものだ)
 テルだって腹芸は得意だが、ある程度の覚悟を持って計算でやっている。テルはレカに、どこか『嘘をつくことが日常だから』嘘が上手くならざるを得ない感じを得た。考えて言ってない、癖になっているような感じがした。そうせざるを得なかった愛する幼馴染みの人生を思った。そして、適当に誤魔化すような嘘も気になる。ティトゥレーという世間知らずは騙せそうでも、老獪なベテラン冒険者であるジェラールの方は、ハナから無理と見ているようだった。
「あ! レカ教官! ところであたしぃ!」
 あまりに空気を読まない、今日の青空のように抜けた声がレカとジェラールに浴びせかけられる。ティトゥレーが割って入って、再びレカの手を握ってブンブン振り回す。
「いやー! わたくしおかげさまで! 鉄錠級から銀盾級に一気に昇級になりましてえ!」
「えっ!?」
 レカは驚いて無邪気な上擦った驚き声をあげた。
「えー!? 鉄錠級って一度落ちたら生涯這い上がれねえんじゃねえの!?」
 ガズボがプハッと笑い、レカはしまった、と思った。ティトゥレーは相変わらず情熱的な握手に夢中だったが、ジェラールがゴホンと咳払いした。レカは頭の後ろのに束ねた雪よりはクリームに近い色の金髪をわしゃわしゃやって、
「あっすまんわジェラール……」
 とおどけて言った。テルはヒヤヒヤがさらに増した。どうもレカとジェラールは兼ねてからの知り合いのようだったが、関係性がわからない。レカはどうも舐めてかかっているようだが、相手はベテラン冒険者の鉄錠級。普通の暗殺ギルドの人間なら、最上級の警戒をするはずだった。ギルド間の関係など、いい瞬間があるはずがないのだから。
 しかし、今の咳払い……。本当のことを言うな、という警告なのか、自分の運命をあまり正確に言語化するな、という牽制なのか。だがレカもティトゥレーも、気にも留めなかったようだ。
「ところですげーんすよ! ジェラール隊長は! 昔、金槌級冒険者だったんすよ!? 常人がいける最上位の冒険者! かっこいいっす!」
 レカは目線を上げて思い出すように、
「あー、聞いたわそれ」
 と興味なさげに言った。ティトゥレーがさらに興奮して、
「あーん! レカ教官〜! もっとすげーって思わないとダメっすよお!」
 と言った。レカとしては、ティトゥレーに対してよしよしという態度であたりつつも、ジェラールへの警戒は欠かさない。レカは魔族の血に感応する魔力を、感覚で掴むことができる。他人が体から発する魔力の漏れ……自然と放出されるサインのようなものも、魔法使いほどではないにせよ、感覚的に情報として取得することができた。異常聴覚にせよ、暗殺者として重宝している力だ。
(いつも思うが……本当に元金槌級冒険者の魔力量か?これ……)
 魔力は特別な事情がない限り生涯保有量は一定で、疲労による一時的な減少はあっても、「減少したから今はいつもより減っている」ということも、こういう感覚ではわかるはずなのだ。ジェラールから感じる魔力的才能は、冒険者をパスできるギリギリのラインに感じた。
(この前の金槌級パーティの、誰と比べても雀の涙程度しか……) 
 レカはジェラールの腰のハーフソードを見た。他の鉄錠級のように、魔法的な拘束能力を施されたコモンアーティファクトの警棒ではない。冒険者のコートの懐に大事そうにしまわれ、絶対にかじかまないようにしている右腕も。剣の腕を買われてそこまで上り詰めた、と解釈することにする。
(どうだかなあ……)
「おほん!」
 ジェラールが咳払いした。
「ところでレカ格闘訓練教官。この前の金槌級冒険者パーティの殺害事件は知っているかね?」
「あ?」
 レカはとぼけた声を上げる。ガズボとシャルトリューズはお互い完全に別のやり取りをしてる。浮気彼氏を責め立てる浮気彼女のような痴話喧嘩っぽく、テルには聞こえた。だがそんなものは全く気にならない。テルは笑顔の裏で、滝のような冷や汗をかいていた。
(バレてる……? いや、疑われてる……?)
 レカからはあの夜、殺しのことをかいつまんで聞いている。金槌級冒険者の暗殺……。そう。明らかにレカの仕業だと決めてかかっているじゃないか?
「はあ? そんなのあったのか? 知らねーなあ」
 ジェラールは笑みを崩さず質問を続ける。
「まだ公にはなってない。何か知らないかと思ってね」
 レカは笑った。
「暗殺ギルドの小間遣いに過ぎねえあーしが何か知るわけねえじゃねえか。勘弁してくれよ。なあ! テル坊!」
「えっ」
 テルは突然同意を求められて、一瞬固まってしまう。それからその呼び方……。
(な、何が言いたいんだ……)
 テルは考えを巡らせる。そうか。すでに色々なことがバレていて、冒険者ギルドには把握されてるんだ。そう思った。
(僕とレカの幼馴染関係も、レカがどうも裏の殺しに従事してるっぽいことも、暗殺ギルドのボスとアルエイシスの当主の接近も……)
 そのことを自覚し、ある程度覚悟せよ、との発破なのかもしれない、レカの今の呼び方は。レカの拙い嘘も、誤魔化し騙そうとして切り抜けるというよりは、敵意がないことを示して牽制する目的だったのだ。テルがジェラールに言った。
「あはは、ジェラールさん、でよろしかったですか? 我々はここで遊んでただけです。何か言われても分かりませんよ。傭兵たちを寝かせて勝手に楽しんでたのは悪かったですが、傭兵ギルドの管轄施設に冒険者が入って治安維持活動をするのも、あまりよろしくないのでは? ここが一時閉鎖になっているのも、元はと言えばこの闘技場イベントへの強引な捜査が原因ですし……」
「ふむ」
 ジェラールは顎の少々の髭を撫でて考える様子を見せた。
「アルエイシスのご子息さん。まあそうなんだ、おっしゃる通りなんだがな。ただ……」
 ジェラールはレカの頭を片手でガッチリ掴んだ。
「ああっ!? やーめーろーよー! ジェラールの兄貴ぃ〜」
 ジェラールは言った。
「このクソガキがこんな政治的にヤバい場所で雪合戦してるなんて流石に叱らなきゃいかんからなあ」
 まるで同じ組織の先輩後輩のふざけ合いで、あまりの予想外にテルは驚愕の表情を浮かべる。ティトゥレーも、さらにガズボもシャルトリューズもきょとんとしてしまった。レカはするりとヘッドロックから抜け出す。
「ちょ、ちょーっとすまん、みんな。このうだつの上がらねえ中年冒険者と話してくるわ」
 と言ってジェラールと一緒に闘技場の隅の方へ行った。

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