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【小説】マリオネットとスティレット【第十六話】


 探せば、誰かの記憶には、似たような光景があるかもしれない。そんな部屋だった。不明な素材で作られた壁。ホコリとゴミの積もった床。天井や窓から差し込む光は、どこか夢の世界のような印象。家具や内装の文化様式は実に多種多様で、まるで雑多に集めたあらゆる人の記憶をツギハギしたようだ。
 リミナルダンジョン。こここそがその内部だった。どこかで見たようなことがある、どこか不気味で、どこか寂しい室内の風景が永遠に繋がっている。ドアを開けても開けても、部屋の様子は少しは違うが、全体としてのイメージは変わらない。廊下は無限に続くように感じるし、ところどころ、天井から逆向きに椅子が生えていたりして、何か世界に不具合が起きているようだった。それが、リミナルダンジョン。世界のバグが貯まる場所。
 階段を、カラコロと転がってくるものがある。サイコロだった。カツーン、カツーン、と音を立てて、なんの変哲もないサイコロが階段を落ちていく。だが、階段のある段で、それは不自然に停止した。ホコリの積もった段に跳ね返って、再び階段を下っていくはずのそれが、床に粘着してしまったかのように、突然跳ねるのをやめたのだ。そしてなんとも不思議なことに、サイコロは角砂糖が紅茶に溶けるようにすーっと消えてしまった。
「サイコロは下段まで達さずに消えたよ、キナン」
「そうか」
 階段のもっと上の方で、会話するものたちがいた。
「危険ということか?」
 闇の中へ降りていく階段の最上段に座って、彼は言った。猫の獣人の耳が生えている少年だった。装備は冒険者のそれで、マントの留め具はキラキラとプラチナ色に輝いている。最上位の冒険者の証だった。しかし不可解にも、その顔はベテランのそれとは遠い若さ、いや幼さを貼り付けていた。14歳の猫型半獣人。顔は人間だが、頭髪の中から猫の耳だけ生えている、少年。あとは鼻などにも獣人の特徴があるが、人間との混血であることは見ればすぐにわかる。半分が猫の顔の少年は、落ち着き払った態度で言う。
「困ったな。下の階層に降りる階段はもうここしかないのに……」
「心配はいらない、キナン」
 返答するその声は、抑揚のない無機質なものだった。女性の声だが、人間味がなかった。ロボットのような……。
「キナン。私がもっとサイコロを投入して、内部の確率を変える。そうすればもっと安全な階層が出現する可能性が上がる」
 キナンと呼ばれた少年リーダーは心配そうに女性を見上げる。
「大丈夫かい? へクス。あまり一度にダイスを使うと……」
「心配いらない」
 へクスが赤銅色の歯車が埋め込まれた手を、階段のほうにかざした。手から無数のサイコロがこぼれ出て、カラカラカラっと階段を落ちていく。数百個はありそうだ。リーダーであるキナンは、座ったままそれが落ちていくのを見ている。ちょっと引いたような表情でへクスに訊ねる。
「な、なあ、今ので並行世界の情景が垣間見れたんだろ? お前のアーティファクトの能力はそうだからな。何が見えた?」
 へクスは手をゆっくりおろし、どこも見ていないような目線で答えた。
「絶望」
「そうか」
 へクスの顔にも体にも、服から見える部分にはたくさんの歯車が埋め込まれている。その一つにプラチナの輝きを放つエンブレムがはまっている。彼らは白金剣級冒険者。リミナルダンジョンの最奥まで探査することが許された、唯一の冒険者パーティにして、冒険者ギルドの最重要人物たち。
「さて……」
 リーダーのキナンが言った。
「我々、そして冒険者ギルドにとっていい方に転がればいいが……最近新しいレア級アーティファクトを手に入れられてない。そろそろ何か成果を掘り出さないと、今期の魔法科学ギルドのノルマがこなせない。役立たずでもいいから、何か掘り出していかないと……」
 へクスはそれを聞いて頷いた。長いダンジョン冒険行のせいか、皮脂で固まった銀髪は揺れもしない。
「大丈夫。これだけ確率操作すれば、何かには辿り着く。何かには……」
 キナンはため息をついた。
「リターンはそりゃあるだろうよ。しかしここはリミナルダンジョンの深層だぞ? 当然リスクも伴ってくる。それが対処可能なものだといいんだけどねえ」
「おーいみんな! 周囲の安全は完全に確保しましたよー!」
 二人の後ろから、狼の耳を生やした筋肉質な女性が近づいてくる。大柄で、たくさんのスパイクが生えた金属の武器を持っている。金棒と呼ばれるもの。常人では扱えない重さの武器だ。狼の半獣人の彼女は、優しげな笑みを浮かべている。その腕の筋肉は、男性でも敵わないくらいで、実際その筋力は、女性にして男性陣をぶち抜いて、冒険者ギルド堂々の一位である。彼女との腕相撲は、冒険者ギルドの長直々の指令で禁止されていた。
「ああ、へクスさん。またサイコロを大量に使ったんですね。よくないんじゃないんですか? この前みたいに急にオーバーフローを起こして倒れられると、こっちも困るんですよ」
 優しい口調だったが、なんとなく棘を感じる。へクスは全く気にしてないようだったが、キナンは少しため息を吐いて立ち上がり、振り向く。
「サラ。最近口調がなんとなくきつい。やめてくれ。俺にだけ優しいのでは、パーティはやっていけない」
「ははは!」
 長身の筋肉ムキムキの彼女は、元気に笑ったが、自分の上司である少年顔の彼の言葉が、理解できているのかいないのか。気にもせずに言葉を続ける。
「しかし、キナンさん。あなたが成人する前に、へクスさんに想いを伝えられるといいですね」
 キナンは少しだけ沈黙して、
「……俺はもう41歳だ」
 と言った。へクスは今の言葉を聞いていないふりをした。サラは、また大声で笑った。キナンは腰に手を当てて、ため息をつく。冒険者ギルドの最高のパーティと言っても、実態はこのようなものだった。魔法的な、あるいはアーティファクト的な、そんな不可思議な影響を受けたせいで、肉体的にも精神的にも正気か正常か、曖昧な状態。それがこの三人の実態だった。ただし、その実力は、他の冒険者より頭一つ以上抜き出ていて……。
「何か、来る」
 へクスが反応した。階段の下、遥か下方の闇の中から、何かがやってくる感覚を得たのだ。うっすら風すら階段の下から吹いてくる。キナンは振り向いた。シリアスな光を放つ緑の瞳には、紫色の魔力の輝きがあった。
「モンスター……中型だが……あまり穏やかではないな」
 へクスがサイコロを一つ生成し、階下に落とす、それは一段目で跳ねることなく溶け去った。最大級の危険を示す反応だと、キナンにもサラにもわかった。サラが大きな肩の筋肉をぶるぶる震わせた。
「うん、これはあたしサラマナザーラが相手しますよ」
 そう言って金棒を構えた。三人はしばし身構えていたが、後ろから来る気配には気づいていた。黒い影が、一番背の低いキナンに襲いかかる。へクスが腕を向けると、その手からサイコロが射出された。
「『乱数異世界追放(シャッフルオフ)』」
 彼女がそう呟くと、サイコロが命中した対象が苦しむ間も無く消え去ってしまった。大型の蝙蝠型のモンスターだった。極めてスピードが速く、暗闇でも正確に突っ込んでくる人間大のモンスター。群れるともはや金槌級冒険者にも対処不可能。厄介な相手だが、彼らには虫ケラ同然だ。蝙蝠の性質としての超音波を、聞き分けられるパーティメンバーは、この場に二人もいる。それにいち早く気づいて、相手を異世界へ一時的に飛ばしてしまう魔法で対処したのだ。
 なんでもないような仕草で、へクスは邪悪な気配が止まらない階下の方に手を向けた。
「『乱数異世界召喚(シャッフルオン)』」
 サイコロが射出される。サイコロは階段に当たると消失し、先ほど消えた蝙蝠型モンスターが、燃え盛る炎を纏いながら出現した。炎上する蝙蝠型モンスターは、本能からより下の方、闇の中へと降りていく。キーキーという耳障りな音がどんどん下っていき、炎の明かりも下の方へ遠ざかっていく。それを見てサラが呟く
「今度はどんな異世界に飛ばされたんでしょうね。あのコウモリ」
「さあ。どうでもいいでしょ」
 へクスは無視したが、キナンがそう言った。燃え盛る中型モンスターが突進していって、恐れをなし、上がってくる気配は引き返すかに思われたが……迫ってくる速度が増した。
「あー、こりゃまずいね」
 リスクが大きいと判断したキナンが階段の下へと手を伸ばす。
「アーティファクト、『重力法則(ローズオブグラビティ)』発動」
 キナンの手から何か力場の歪みのような紫のモヤが出て、それは急激に下方へと降りていった。そしてキナンはこう唱えた。
「収縮内破(コラプス)」
 ズズン! と大きな音が響いてきた。相変わらず階段のはるか下で様子は見えないが、邪悪な気配が消えたのだけはわかった。サラがうめいた。
「うーん、自分で対処できたんですけどねえ」
 キナンは首を横に振った。
「感覚から察するに、過去最悪レベルのモンスターだったね。金槌級なら、一瞬で全滅するほどの」
 へクスがもう一度、階下にサイコロを落とした。かーん、かーん……その音は、今度は途切れなかった。
「よし、降りよう。アーティファクトがあるはずだ」
 キナンが先頭に立って、階段を降りていった。魔光灯技術を応用したライトをつけた。サラがピッタリ彼の背中を守るように引っ付き、その後をへクスがフラフラ降りていく。サラが笑って言った。
「今回の冒険は楽勝ですねえ、旦那様? 私の出る幕もないってことですかね。リミナルダンジョンの生成される構造も日常的で、変化がなくて易しいし、へクス先生の乱数操作があれば安心だし」
 キナンが後ろを振りむくことなく、階段を降りるスピードも緩めずに言葉を返す。
「勘違いするな、サラ。どの構造物も、日常の家具や風景にどれほど似ていても、全く別のものだということを。材質も俺のアーティファクトですら破壊不能なものが多い。リミナルダンジョンの深層では、予測不可能なことが起こる。この階段だって、定期的に立ち止まって、へクスのサイコロで乱数調整した方がいい」
 サラはうんうんと頷いた。
「了解です、監督官どの! いやあ、それにしてもヘクスお嬢様はお美しい……」
 キナンはハア、とため息をついた。サラマナザーラ。サラ。彼の育ての親にして、再生するアーティファクトを埋め込まれた超人的怪力の女。しかしその精神はもう限界で、最愛のはずのキナンのことですら、もうきちんと認識できているか怪しい。だが彼はなるべくそのことを考えないようにしつつ、階段を下り続ける。
「さあ、降りたらさっさと仕事を済ませよう。ほんと、この深層は、いるだけでリスクだ。怖い気をすごく感じるんだ」
 サラがキナンの肩に手を置く。キナンの肌に、再生アーティスファクトがもたらす異常な新陳代謝による、膨大な血流の余波……手のひらの脈動が伝わってくる。これによる血圧の異常なのか、もっと未解明の苦しみのせいなのか、愛するサラは狂ってしまった。少し悲しみを覚える。十数年前までは、まだ全然まともだったのに……。その時、最後尾のへクスが言った。
「見られている」
 キナンも頷く。
「ああ。複数だ。複数の……勢力。一つはただの覗きだ。なんらかの手段で自身の監視手段を不可知化しているが、関係子の流れまでは誤魔化せない。そしてもう一つは、リミナルダンジョンの最初からずっとそこにいるものだ」
 キナンは階段を下りつつ、上を見上げる。なんの変哲もない、暗い天井があるだけだった。
「なあ、魔王ヨトゴォル。いるんだろう? そこに」

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