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【小説】マリオネットとスティレット【第十九話】

 街の正門から続く大通りは栄光の道。城門の外から、リミナルダンジョンの入り口である、大時計塔の根本まで繋がっている。市街を越え、河を越え、中間層から富裕層へ階層を上がり、異次元の入り口であるポータルへと至る。
 今日はあいにくの降雪。雪がパレード参加者の兜に、肩当てに、マントに、正装に落ちては溶け、落ちては溶け。市民の歓喜の表情も、色とりどりの冒険者パーティの旗も、見送る先輩冒険者も、全てが今日の主役を祝福する。
 新生冒険者パーティの出立式。それは冒険者ギルドの祭りであり、この街で一番明るい催し事だった。闘技場の欲望と俗悪の催し事が影のイベントなら、こちらは誰もが喜びを表明できる光のイベント。全ての街の住人が大通りに出れば、笑顔になる日。普段あまり見ない顔が目立つ。いつもは裏路地に引き篭もる亜人種たちも、今日だけは大通りを歩けた。娼館生まれの半獣人や、ハーフエルフも目立つ。この日ばかりは、全ての人間に希望が配給されるのだ。どんなに差別されている者だろうと、どんなに貧しい者だろうと。暗殺ギルドの救貧院も繰り出して、無料で食料を配っている。リリア・ヴォルヴィトゥールもまた、大鍋をかき混ぜつつ、子供達や貧しい者のために素焼きの陶器のお椀にどろりとした小麦の粥を配る。
「さあ、どうぞ。暖かいですよ」
 雪が降っている。並ぶ貧民たちには、小汚いを通り越して、悪臭の塊みたいな毛布をかぶっているものが多い。工業製品は豊かだが、本来ならいの一番に足りるはずの防寒着がない。紡績技術も未熟なため、なかなか生活必需品は需要を満たすことができない。だからこそ街の特産品かつ工業のエネルギーたるダンジョンの宝、アーティファクトを掘り出す冒険者は街のヒーローなのだが。並んでる中に、貴族の子供の防寒着らしい、小さくて作りのいいものを着ている影があった。小さな影だった。禿頭を布で巻いて、頭部凍傷を防いでいる、ゴブリンのような男……。リリアは彼の背があまりに小さかったので、配膳台から大きく身を乗り出して粥を渡した。ゴブリン男は、この美しい少女がわざわざ自分のために頭を低くしたことに下卑た快感を得た。骨張った枯れ木のような指がかじかんで、素焼きの器の熱さが堪える。
「うひひ、久方ぶりのまともなメシだぜ」
「おい! ニーベルン!」
 盗賊のニーベルンはギョッとして身を縮こまらせる。
「あー! レカさん! 来てたのー!?」
 レカがいた。ティトゥレーの初陣を見送るために。今日は動きやすさを考慮しない、傭兵ギルドの持つ工房製の魔界産大型魔獣の皮革のコートだった。首元のごっついファーが立て髪のように目立つ。彼女なりの正装だった。
「あー、レ、レカの姉御ぉ……こ、この前ぶりでやんすね」
 レカは恭しく礼をするニーベルンを尻目にリリアに挨拶して、差し入れの氷付の肉を渡す。貧民街の一等寒いところに突っ込んでおいた、これまた魔獣の肉だった。晴れの日には、傭兵たちが生け取りにした小型魔獣の肉が出回る。これを買って獣人かエルフかドワーフか、奴隷に調理させて食すのがこの街の最高の贅沢だった。リリアは重い肉を冒険者ギルドの男たちの手も借りて受け取った。
「こんなにぃ!? ありがとう! レカさん! 最近救貧院に来ないから心配してたんだよ〜」
「いや……」
 あの事件以来、レカはリリアを避けがちだった。どんな顔して救貧院の仕事を手伝えというのだろう。リリアは湯気と自身の働きぶりで出た汗で湿った自慢の黒髪をかきあげる。可憐で慈悲深く働き者の、誰もが愛する少女のそんな仕草に、冒険者ギルドの男たちの頑張りもひとしおだった。レカはなんとなーく後ろで粥を啜っているニーベルンの視線を感じつつ、暗殺ギルドと冒険者ギルド共同の炊き出しの様子を見守る。近くの建物の上には、もちろんリリア護衛の上級暗殺者の気配も感じる。
(雪の降る中、ご苦労なこった。後でホットワインでも持って行ってやるか……)
 アーティファクト農業のおかげで、農産物は輸出するほどだったが、レカには不思議でならない。どうしてそれが平等に行き渡らないのか……。一瞬物思いに沈んでいると、リリアが心配そうな視線を送ってくる。
「どうし田の? レカさん。あ……やっぱり、ケンや司祭様のこと、気にしてるんだよね?」
 ドクン、と、一瞬心臓がはねるのを感じるレカ。まさか……。リリアは額の汗を拭った後、笑顔で言った。
「大丈夫だよ! あのあとテルーラインさんが、色々援助してくれてね。中央で聖職者をしていた人を見つけてくれて、その人が色々やってくれてるの! だから安心なんだよ!」
「そうか、テルがね……」
 初耳だった。しかしそれについて思う前に、しゃしゃり出てくるものがあった。
「ほーう。貴族のご子息様が暗殺ギルドの救貧院にねえ……」
 レカはしまったと思った。このコソ泥、どこで耳をそば立てているかわかったものではない。しかしリリアは屈託がない。小麦のお粥、美味しかったー? どんな捻くれ者も感動するくらいの満面の笑みでいうと、ニーベルンは子供のように「美味しかったでーす!」と言った。レカはニーベルンの白いヒゲモジャの顎を掴んだ。
「すまん、リリア。こいつ知り合いだからちょっと話してくるわ」
 ムームーと講義の声を上げる小男にやる慈悲もなく、レカは炊き出しのテントから離れた位置までニーベルンを連れて行った。彼も必死に残りの粥をこぼさないようにしていて、流石にリリアが装ったものであるし、レカもそれを台無しにしてしまうような乱暴さは控えた。雪が積もった路地まで連れて行き、雪の上に開放すると、ニーベルンはこぼれかけて手の甲につい田粥を大事そうにぺろぺろやっている。
「ふうふう、あぶねえあぶねえ。あんなかわい子ちゃんによそってもらったもん、こぼしたらバチが当たるぜ」
 小さなゴブリン男の隣に大型獣人よりも強烈なレカの踏み付けが繰り出される。ニーベルンはヒッ、と言ってのけぞった。粥は溢さなかった。
「おい……膀胱野郎……ッ! オメーあの暗殺ギルドのお嬢様に手ェ出しやがったら……アーティファクトの処刑具で永遠に苦しむことになるだろうよ」
 ニーベルンはすっかり怯えたようで、
「そ、そんな脅かさねえでくだせえ。普通に言っただけじゃねえですか。粥、ありがてえなあありがてえなあ」
 もうからになった素焼きの器をベロベロ舐めているニーベルンを見て、レカはため息をついた。白い息がフーッと広がった。
「ところで」
 ニーベルンは器をしゃぶりながら言った。
「最近はギルド同士も結構仲良くやってるんですねえ。冒険者ギルドと暗殺ギルドか……ひょっとして、殺しの依頼なんかやり取りしてたりして」
 そこまで言うと、ニーベルンは自分が今し方舐めている最中の陶器に穴が空いていることに気づく。なんだこれは? もしかして不良品? いやしかし粥は漏れていなかったし……。
「んあ?」
 ニーベルンの舌に違和感がある。何かたくさんひっついている。歳をとって少なくなった歯にもチャラチャラ当たるものがある。指で取り出してみると、今もっている器と同じ色の土が焼き固まった破片だった。
(は?)
 いつの間にか噛み砕いてしまったのか? いやいやばかな舐めていただけだし……。
「ん……? はあッ!?」
 ニーベルンはようやく真相に気づく。目の前の若くして神域の手練れの暗殺者が、見えない一撃でニーベルンの手の中の器を才覚に居抜き、破片を舌の上にまきちらさせたのだ。ニーベルンは恐る恐るレカを見上げる。赤い瞳と、獲物を前にしたうっすら開いた微笑み。もっていた素焼きの器を落としてしまう。雪の薄いところに当たって、それは粉々になってしまった。
「おい、盗賊ギルドの生き残りだかなんだか知らねえが……ニーベルンさんよお」
 レカがしゃがんだ。それでも目線が一致しないくらいニーベルンは小さい。彼にとっては、より近い位置で見下ろされるだけだ。レカの口が白い息を吐きつつ動いた。
「わかってるよな? この街でギルド同士の同盟や敵対についてあらぬ噂を流すとどうなるか……」
 うっすら光すら放つ赤い瞳のあまりの迫力に、血で血を洗うパラクロノスの裏社会を生きてきたニーベルンも、寒気を覚える。ついつい、笑うしかない。
「ヒ、ヒヘヘ……わかりやした、わかりやした……」
 レカは一瞬でさっきを収めた。
「なら、よし!」
 瞬時に年頃の少女らしい笑みに戻って、コートに包まれた腕を組み、細めな体でしなを作って愛嬌を示すレカ。ホワイトゴールドの髪が垂れた。先ほどの黒髪の娘と勝るとも劣らない美貌だが、ニーベルンとしてはむしろ恐ろしさを感じる。びびっていたことをなるべくさっさと水に流したい性分なので、彼も無理に安心したようにテンションを上げる。
「ケ、ケケ、お許ししただけるんなら光栄でやんす、レカの姐さん……ところで聞きやしたか!? 今回ダンジョンに初めて潜っていくパーティでやんすが、経験不足の人間をまとめただけらしいんすよね! 一部では少しだけ深く行かせるらしくて自殺行為だとか!」
 レカから笑みが消えた。
「なんだ、それ。詳しく聞かせろ……!」
 ニーベルンはゲヒゲヒと卑しい笑みで笑って応えない。
「あっしは裏社会の情報通で通ってるんで。情報は交換するもんでやんすよ? そっちからはなんかないでやんすか?」
 そう言われると困るのがレカだ。思わず首を傾げてしまう。朝日を浴びた雪の色の金髪が垂れる。
「あー? オメーに話してもよくてオメーが興味ありそうな情報だとぉ?」
 ニーベルンはブンブン首を縦に振った。レカはしゃがんだまま考え込む。次の瞬間、懐がシュッと動き、何かを盗もうとしたニーベルンの手を掴んだ。
「あっ!」
 レカは白いため息をハーッと吐いた。
「てぇした根性だよオメーは」
「は、放せぇ、放せぇええ……」
 絶対に気づかれたことのない、隙を突いたスリを簡単に破られたニーベルンは、もう完全に降参状態である。レカは枯れ木のような彼の手に力を込める。
「わ、わーった、わーった、話しやす! 話しやす!!」
「いや、いい」
 レカはニーベルンをポイっと雪の上に放って、白けたように言った。
「時間の無駄だったわ。じゃあな。二度とツラみせるんじゃねーぞ」
「き、金槌級冒険者パーティが一個全滅して、パーティの序列の再編があったんす!! それで金縦級にも一個穴埋めが必要ってんで、少々緩い審査で魔力の足切りラインの連中だけで一個パーティをでっち上げたんす!」
 ニーベルンの言葉に、レカは立ち去るのをやめた。
「膀胱野郎、そりゃほんとか?」
 相変わらず見下ろす赤い瞳に、ニーベルンは頭で釘でも打つんじゃないかってくらい激しく頷いた。巻いていた布が解けて、禿げ上がったスキンヘッドがあらわになった。
「そ、そうでやんす。あっしが若ぇ頃は、そりゃあ冒険者ってのは夢のある職業でやんした。しかしアーティファクトがだんだん取れなくなっていくうちに、やれ冒険者パーティの新規結成の禁止だ、やれ登録制だ、やれダンジョン進入許可制だだの、ギルド本部が規制しまくりましてね。今では冒険者はみーんなただのガキの使いですわ」
 レカは考え込む姿勢を見せる。今度はニーベルンから二歩の距離で。その話は聞いたことがある。もちろん現状の冒険者ギルドが、最上位パーティ以外ほぼ成果を出せていないのは、ちょっと書類を調べればわかることだ。学院の資料室で調べ物をしたことがあるテルが言っていた。街にとってあまりに不都合な真実だから、そのうち資料閲覧もできなくなるだろう。そこはいい。問題は……。
「今日ダンジョン内に進入するパーティ、死んでもいいと思われてるのか?」
 ニーベルンは首を振った。
「あっしも長年冒険者ギルドを見てて、内部に昔の元盗賊ギルドの人間も何人もいて事情を知ってますがねえ。ちょっと内情はやべえみたいですぜ。完全に手段と目的が入れ替わっちまってる。冒険者はアーティファクトを手に入れる、それを冒険者ギルドが得る、街に有用なものは魔法科学ギルドが有効活用する、それが本来でしょう? しかし今や冒険者は、魔法科学ギルドのためにあらゆるあーティファクトを差し出しちまってる。母冒険者への還元もろくにねえ。見てください」
 ニーベルンは通りの方を指差した。盛大なパレードの準備が進み、街の外からも貴族の見物客が来るということだ。この街の冒険者の様子を描いた冒険小説は、この町で実用化された印刷技術で世界中にばら撒かれている。実態とは違うロマンを抱いて見物に来るのも当然のことだ。ニーベルンが続ける。
「レカの姐さん、この街はもう限界かもしれやせんぜ? あんたたち暗殺ギルドがどれだけ歪みをおさえたところで、もう殺しで解決できる時代でもねえ。何か、近々悪いことが起きねえといいが」
 レカはフフっと笑った。
「なんだオメー。一端の街への帰属意識ってものを持ってるもんなんだなあ、元盗賊ギルドの人間がぁ……」
 ニーベルンは懇願するような顔で答えた。
「当たり前でやんすよ。こんな面白え場所、魔界は知りませんが、人間界にはどこにもねーです。あっしは若ぇ頃からこの町で散々いろんな夢を見させてもらいやした。ゴブリンに娼婦を孕ませる余興で生まれたあっしがですよ!? あっしは、この街が好きだ。くだらねえ理由で滅びてほしくねえ。中央の連中が攻めてきたら、傭兵ギルドに入って人間砲弾として王の首をとりてえくれえだ」
 レカは驚いた。今のは確かにこの男の魂の叫びだった。誠実? いやそれはわからない……まるっきりの嘘ということもありうるから。だがレカは、今しがたニーベルンが見せてくれた、雪すら溶かす勢いの熱に、返礼をしなけらばならないと思った。レカは最大限通りの喧騒と路地の様子を聴覚で聞き分けて、絶対に耳をそば立てているものがいないという確信をもって言った。
「……金槌級の三人、殺したのあーしなんだわ」
「…………はああああ!!!???」
 その時のニーベルンの顔は、あまりにも滑稽で、レカは後で何度思い出しても笑うことになる。
「ッへへ!」
 レカはイタズラっぽい笑みを見せた。本当なら凄みながらいうべきところを、少女らしい人懐っこい笑みでいった。
「もし今の話、カンケーねーところからあーしの耳に入ってみろ。暗殺者としてオメーを狙う。つまり、三百六十五日二十四時間、いつだろうと死の危険を感じて生きることになる。それ以降、安心して糞ができると思うな」
 ビッ、と空気が破裂するような音がして、ニーベルンの額に何かがくっつく感じがした。彼が禿げた頭を何度摩ってもわからなかったが、後で人に言われて、そこに暗殺ギルドの暗殺対象を示す紋様が浮かび上がっていることに気づくことになる。
「へ、へへぇえええ」
 それに気づく前にも、彼はもう完全に屈服してしまっていて、レカに逆らう気なんかさらさら無くなってしまっていた。
「レ、レカの姐さん……」
「ああん?」
 レカはもう立ち去る気だったから、ニーベルンがまた何かの話を始めようとするのを鬱陶しがった。
「あんたは、あっしを一度もゴブリンと呼ばなかった。あんたくらい口が悪けりゃ、一度はそう呼ぶものなのに」
「んだよお前……」
 レカは、種族差別を嫌悪している。なぜなら……。
「レカの姐さん。あんたはなかなかの人物だ。このニーベルン。陰ながらあんたさまを応援しようと思いやす。どうか、あっしのことは忘れていいんで、折に触れて、何か不可解な利益があった場合は、あっしのことをもしかしたらと、思い出していただけると幸いだ」
「大袈裟だにゃあ」
 レカは笑顔でため息をついた。ニーベルンは散らばった陶器の破片をかき集め、何に使うのか知らんが持ち去っていった。
「じゃあ姐さん! 今後の人生、顔を合わせるかどうか知りませんが、応援してやすからね! あの貴族の坊ちゃんと仲良くねえ!」
「はあ?」
 レカはあの夜のことを思い出す。一応テルと自身の関係は隠していたつもりだったが……。
「ッヘ、油断できねーな」
 レカはまた、「どんな人間でも侮れない」というタティオンの教えを思い出すのだった。

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