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【小説】マリオネットとスティレット【第四話】

 救貧院は、暗殺ギルドが運営する施設である。今はもう使われていない宗教施設を使い、孤児院と、食料や生活必需品の保管庫が併設されていた。週に数回、貧民街で施しが行われ、貧しい人々は、彼らを抑圧する者をいつも誅殺してくれる暗殺ギルドへの信頼を、さらに篤くするという訳だ。
「レカさまー! テルーラインさーん!」
 救貧院の正面の石段の上で、黒髪の娘が手を振っていた。古びた教会を背景に、まるで光を放っているようだ。花。この街に咲いた唯一、誰にも汚されない、真っ白な花。レカは彼女を見るたび、そのイメージを脳裡に抱く。
「おう! リリア! 頑張ってるみてーだな!」
 レカが男の子と繋いでいるのと反対の手を大きく掲げて呼びかける。それに弾けんばかりの笑顔で応じる少女。彼女は、作務で汚れたエプロンを揺らしながら、軽く掲げた華奢な手を揺らして、少女らしい優雅さで駆け寄ってくる。美しい16歳の娘、リリア。タティオンの末の娘。ヴォルヴィトゥール家の至宝である。レカからすると、腹違いの妹に当たる。もっとも、そのことを知るのは、タティオンと、長兄スタヴロと、レカ自身しかいないはずなのだが。レカは、明るいリリアに会うと、いつも思うことがある。自分とは何もかも違う、と。
 リリアが中程まで近づいた時、件の男の子がレカとテルの手を振り解いて、ダッシュした。リリアに向けて。リリアの方も、笑顔を少し曇らせて、驚きもあらわにこう叫んだ。
「あれ? もしかしてケン……!? あなた今までどこにいたの!? 心配したんだから!」
 そのセリフを言い終える前に、リリアはエプロンで男の子を受け止めていた。そばまで来たレカとテルは、顔を見合わせる。レカが尋ねた。
「なあ、リリア。その子のこと、知ってるのか?」
 リリアは一度眩しいほどに白く健康的に光る両手を口に当てて、信じられない、とつぶやいた。
「この子、耳が聞こえなくって、私たちが保護してたんだけど……。数日前に孤児院からいなくなったの。探したんだけど、見つからなくて……」
 レカとテルは、何も言えなかった。さっき見たことなんか、とても。かろうじてレカが、
「……フーン、そうなんだ。たまたま街で見かけてだなぁ……ま、まあ保護できてよかった」
 と言った。リリアは仕切りに、本当に良かった、本当に良かった、と言って、エプロンをしわくちゃになるくらいにぎゅっと握りしめて離さない、男の子の茶色い髪を撫でていた。
 唇をギュッと噛んで、何も言うまいとするレカ。その視線が泳ぎ、テルのそれと何度か交差するが、同じ気持ちらしく、どうしようもない。孤児院の子供が攫われ、スリのパシリとして、暴力を受けながら働かされておた。そしてそのことを、自分で伝える能力を持たないこの子は、優しくしてくれる支援者に伝えることもできない。そんな残酷すぎるストーリーを聴かせるには、リリアの安堵の表情は、あまりに儚く貴重だった。
「本当に……もう会えないかと思った……ケン……」
 リリアがしゃがみ込んで、ケンを抱きしめる。美しい涙を一筋、二筋、こぼしている。リリアの涙は、あまりに痛ましい。それを見る幼馴染み二人は、バツが悪いというか、どうしていいかわからないというか、この場の雰囲気や自分たちの感情を、処理できないでいた。レカの手が、テルの袖口をぎゅっと掴もうと、その近くをひらひらうろうろした。テルはそれに気づいて、一瞬、その手を握ろうとしたが、できなかった。まだ二人の仲は、お互いの心の痛みを、お互いに甘え合うことで癒せるほどには育っていない。早すぎる大人の責任を課された、早熟な少年と少女には、まだまだ時間が必要だった。
 建物を目の前にして、立ち話もなんだ、ということで、救貧院の中に入る一向。正面の石門をくぐると、前庭が広がっている。無論、貴族に屋敷と違い、井戸に洗い場や作業場をこさえた、ある程度自給自足できるように、インフラ設備が整えられた空間。初めて訪れるテルは、興味津々だった。
 耳に聞こえない茶髪の子、ケンは、久々の帰還でテンションが上がったのか、なぜかテルを連れ回して、牛舎へ行ったり、井戸へ行ったり,忙しなく動いている。ケンは、テルの外套の裾を掴んで離さない。触れたことがない良質な生地が面白いのだろう。値段の差を言えば、リリアのエプロンのように扱っていいはずはないが、テルは持ち前におおらかさで全く気にしていない。むしろ、テルも好奇心を満たすいいチャンスだから、働いている人たちに挨拶をされながら、これはなんだあれはどうだとしきりに話し込んでいる。レカとリリアはそれを横目で見ている。
「なあ、リリアよぉ」
 レカは、親愛の音色がたっぷり詰まった声で、腹違いの妹に話しかける。
「そ最近どうなん? ずっとここで寝泊まりか?」
 リリアは井戸の側で散らかった桶だのなんだのを揃える手を止めずに答える。
「そうだよ! やること多くて、本当に大変! ギルドの本部がある街と違うからさあ。なんでも自分で用意するしかないの」
「だろーな」
 レカは目の前の大輪の花のごとき娘が、働きものの徳まで見せているのを愛しむように眺め、顔を緩ませる。レカの、細いが筋肉質の、力強さが束ねられて、若い女の皮膚に隠したみたいにできた体と違う。本当にただ単に華奢だ。どうして人外クラスの戦闘力を誇る自分やタティオン、それからスキンヘッドの筋肉ダルマのスタヴロと同じ血が流れていて、こうも違うのか。リリアは一生懸命、手伝いの申し出すら拒否して、力仕事をこなしていく。涼しいか、やや肌寒い気候ではあったが、庶民の服の袖を捲り上げ、白かったはずのエプロンを灰と汚れまみれにしているリリアの顔は汗ばんで、美しくウェーブした黒髪が、巻いた白布の間から垂れて白い頬に張り付いている。男であれば、その集中した働き者っぷりと、上気した健康的な若さに、イチコロだったかもしれない。
(ンー、なんだかなあ)
 レカは、リリアに比べればボサボサの、自分の金髪を撫でた。長く伸ばして後ろで縛っているその様子は、ワイルドさをミックスした素朴で可憐な美しさだったが、レカとしてはリリアのような、精巧なお人形さんの見た目に憧れていた。
 井戸の片付け作業は、終わったようだった。正午の日差しと青空が、大時計塔の影を避けて差し込んで、清々しい感覚をみんなにもたらす。テルはもうすっかりケンとの遊び方を覚えたみたいで、言葉を交わす必要もない、テルが今勝手に考えたらしき、手遊びに夢中になっている。救貧院の、引退した暗殺者の爺さんや、奉仕活動だかなんだかでやってきた、出身は言わないが、おそらくいいところの貴族の若者なんかが、休憩をとって談笑している。遠くからでも見て取れるニヤニヤ顔から察するに、男性労働者だけで興じる猥談らしかったが。
 レカはその光景と、結局力仕事を少し手伝った爽快感で、独特の穏やかな幸福を感じていた。リリアと、テルと、暗殺ギルドの仲間たち。安心できる空間。レカとリリアは、前庭の、石畳なんて敷こうとも思わない、剥き出しの土の上の、少しだけ芝生のように草が生い茂っているところに座って、ぼーっとしていた。
(なーんか、気が抜けちまうなあ)
 そう思ったレカは、表の仕事でも裏の仕事でも、あるいはタティオンやテルの前でも、絶対に見せないような、穏やかで優しい表情で、リリアを見ることもなく、こう言った。
「なあ、リリア。マジで言っていいんだぞ? 何か、困ったことはないか? あーしなら、いつでも力になるぜ」
 その言葉に、リリアははにかむような笑みを浮かべた。いつもの優しい、人柄そのものを表すような。
「ふふふ、いつもそう。二言目には、何か手伝えることはないかって。そういう性格なんだよね、レカさまは。テルーラインさんもよく、レカさまのこと、お姉さんみたいだって言ってるの。ふふふ! なんだか、私にとっても、レカさんってお姉さんみたいね」
 その言葉は、不意打ちだった。レカは、心にズンとくるものを感じた。
 ーー自分は隠し子だ。
 タブーだ。非公式だ。存在自体が争いの火種だ。
 ヴォルヴィトゥール家の一員であることを名乗れない。
 自分のあまりに微妙な政治的立ち位置……それを慮ったタティオンから刺された釘。それが心臓に刺さっているような気がして、胸が痛んだ。
「そうか」
 精一杯心の動揺を押さえて、それだけ言った。リリアはレカの心の中の葛藤には一切気付かずに、鈴のように笑った。
「ふふ! レカさまが本当のお姉さんだったら……そうだったらいいなて! 思っただけ!」
 16歳の活発で善良な女の子の、無邪気なエネルギー。2歳しか違わないはずのレカは、もっとずっと年齢が上の大人が、そういうエネルギーの前に気をやられて参ってしまうような感覚に陥った。リリアは立ち上がって、土を払った。レカも体幹部のバネを使って、ほとんど寝転がっていた姿勢から、一瞬で飛び上がって着地した。リリアが純真無垢な様子で、すごーい! と拍手した。
「それじゃあレカさま! もう正午だから、ベルゼ司祭のお話が始まるの。あ、そうそう!」
 リリアはレカの手を握って、それまでとはうって変わって真剣な眼差しを向ける。タティオンの、ヴォルヴィトゥール家由来の赤い瞳ではない、もっと人間の色が強い瞳が、潤んでいた。レカはその視線を魔族の血の瞳で受け止めた。
「私たちのギルドでいつも働いてくれてありがとう。お家の屋敷のメイドのみんなも、レカさまは家族みたいだって、言ってくれてるよ!」
 ずきん。急にレカの頭の中に、鋭い頭痛が起こる。
(ああ、こんな時にまで……)
 まだまだ我慢できるレベルだったが……。リリアはまだレカの手を離してくれなかった。
「ねえ、レカさま。私たち、ヴォルヴィトゥールの人たちってね? 怖い存在かもだけど……。レカさまみたいな人が、貧民街や冒険者ギルドや娼館のいろんなことで働いてくれて、地域社会で信用を獲得してくれるおかげで、安心して活動できるから……だから……」
 やめろ、やめてくれ。レカは心中懇願の気持ちでいっぱいだった。どうあいて事情を知らないリリアの言葉で、こんなに心乱されるのか、彼女にはさっぱりだった。リリアの華奢な美しい白い手が、レカの、同じ世代の女の子とは思えない、訓練で分厚くなった手を一際強く握りしめる」
「だから、レカさま。私も頑張らなきゃね!」
 レカはうなずく。内心、もっとダメージを受けることを、悪気なく落ち度なく、ただレカの魔族の赤い瞳を赤く染める血の由来を知らないだけで、言われてしまうかと思っていたが、杞憂だっただろうか……。レカは努めて明るく振る舞った。
「おう! 一緒に暗殺ギルドを街一番のいいギルドにしていこーぜ!」
 リリアはその言葉に、すこし物悲しげな表情を浮かべて見せた。レカは一瞬、言葉選びをミスったかと……。
 リリアに手が離され、広間のある一番大きな建物へと駆けていく。
「レカさま、私たちみたいな人殺しになっちゃダメだからね!」
 リリア。
 リリア。
 ……リリア。
 美しく無邪気で、どうしようもなく何も知らない子よ。
 レカの心の中には、大きな黒い渦があった。レカはいつもそこに、「嫌な記憶」を投げ込んで、ぐるぐるぐるぐる、心の底の方まで、沈んでいくのを期待した。
(リリア。オメーは、オメーだけは人殺しじゃねえよ)
 その言葉は、とてもじゃないが、天真爛漫に走り去っていく腹違いの妹の背中に、大きな声でかけられるセリフじゃなかった。飲み込むしかなかった。……あまりにもいろんな感情が込み上げてきて、何か喋ったら、涙声になってしまいそうで。そしてレカは、タティオンに懺悔するしかできない秘密を、また抱えることになる。

*****

 救貧院の広間は、かつて中央の伝統宗教の、祈りの場として使われていたものだ。荘厳な石造りの、高い天井と細い柱。広間の正面にはガラスすらない明かり取りの切り欠きが作られ、その形は宗教的シンボルを表していた。大時計塔と街の建物の隙間を縫った朝の光が切り欠きを通ると、そにシンボルの形が広間の石の床に映し出される仕組みだったが……長年の街の発展で、この教会は完全に一日中、日陰の中にあった。日照権という概念など、影も形もないのだ。いや、影ばかり多い街ではあり、大時計塔の影で日が差さない方は、貧民の居住区にされている。
 ヒビでガタが来ていて、レカがどうやって気をつけて静かに押して開けようとしても、ギーギーなってしまう扉。それをレカは持ち前の暗殺者としての細かな技術を使って、扉の特性を把握し、少しだけ全体を持ち上げながら、全く音もなく開けた。100キロはある重い広間の扉だったが、レカには可能だった。あまりに簡素な広間には、簡素で粗雑な長椅子がいくつか置かれ、テルと、孤児たちと、物好きな地元の信者たちが、じっと座って司祭の説法を聞いていた。暗殺ギルドの関係者は、誰一人として聞きに現れていなかった。それはそうだ。
「皆さん、祈りましょう」
 老人の声が、石造りの広間に反響した。
「大時計塔のもたらす恵みに感謝するために。古代の竜とエルフのもたらす宝、アーティファクトの生み出す富に、そして何より、混沌に秩序を与える規範たる魔王存在に」
 暗殺ギルドの人間が姿を消すはずである。どんなギルドであっても、こんな説法を息のかかった施設でやっていると知られたら、ギルドは政治的に難しい立場に置かれるかもしれない。他のあらゆるギルドが魔王存在を敵視するか、あるいは世迷言とするか、積極的に政治的に利用しようとする。そんな中で、積極的に魔王存在を讃える言動は、貧民の中では人気を得られても、他のギルドと関係が深い人間は、絶対にその場からそそくさと逃げる。まかり間違って、「お前は魔王存在を肯定しているのか」とでも思われたら、面倒なことこの上ない。それはそれとして、この街で正気で暮らしている者なら誰でも、「あなたは魔王存在をどう思いますか?」なんて質問には、困惑して硬直してしまうだろう。それはタブーであり、難問であり、どう答えてもリスクしかない狂気の問いかけだった。そりゃあ、意味もなく彼らの説法を聞いたりしない。
 ベルゼ司祭。拝魔王教の司祭である。どのギルドも公式な存在だとは認めていない、魔界から連れてこられたエルフや獣人やドワーフが大元の由来とされる拝魔王教。今やその教義は、伝統宗教と魔王信仰の合わさった、中央からすれば悪魔崇拝の異端そのもの。しかしそれは貧民街ではもはや無視できない勢力となっていて、いつのまにか、魔王存在なるものへの下層の人々の意識も変わりつつあった。暗殺ギルドは、関わることにリスクを感じつつも、支配下の街区を治めるために、拝魔王教の力を借りるしかない状態だった。
 途切れない司祭の説法を。レカは静かに広間を進み、前の方の長椅子に座る子供たちや地域のお年寄りを避け、後ろの方に座る。皆厳粛で神妙な雰囲気に協力し、伝統宗教の聖典をそのまま流用したり、勝手に付け加えたりした、この街独自の様相に仕上がった、司祭の言葉を熱心に聞いている。レカは前の方に座っている、濃い金色の頭と、作務をこなすための頭巾を外した綺麗な黒髪に頭を見つけた。モゴモゴと歯のない口で聖典の文句を繰り返すお年寄りの肩越しに、レカはその二つの全然色の違う頭が、寄ったり離れたりするのをじっと見ていた。説法なんか頭に入ってこなかった。
 黒い髪の後頭部がすっと上に伸びた。リリアが立ち上がったのだ。高齢のベルゼ司祭が足元に気をつけながら台から降りるのを手伝っている。貴族であるテルのそれと比べると、汚れと傷みで全く違うもののようになってしまったウールのローブをよったらよったら揺らして、リリアの手に震えながら捕まりながらベルゼ司祭が席に戻る。そこで終わりかと思ったら、レカは少し驚いた。リリアが台の上に上がったのだ。
(え、マジかよ……)
 そして小脇に抱えた聖典を書見台の上に広げた。その格好はもう村娘が村の教会の手伝いをしているなんて印象ではまったくなく、控えめな色合いとは言え、暗殺ギルドの権力者の娘として相応しい上品な雰囲気を纏っていた。先ほど見た可憐な少女の印象は一切なく、両家のご令嬢という雰囲気が、シニヨンの髪型にまとめ直した髪から、首をすっぽり覆う高い襟やら、広がったスカートやら膨らんだ肩口やらで、強調されていた。
 しかし服装もお色直しもレカにとってはどうでも良かった。
(まずいなあ……)
 それが感想だった。リリアの若く美しい声が広間に反響した。
「『どうやったら愛されるか』ではなく、『どうやったら愛することができるか』を考えましょう。なぜなら愛は返礼としてしか存在しないから。
自分には小さいものでも、相手にとっては大きいものを与えなさい。思い出すのです。人生で一番最初に覚えた感謝は、何気ない愛に対してで……」
 流石に魔王がどうのとは言っていない。中央でも使われる聖典を読み上げるだけだ。しかし、しかし……。
(やべーことしてるって意識はねーのかよ……! オイ!)
 レカは心の中で心配のあまり叫んでしまった。暗殺ギルドのボスの実子が、自身のギルドの管理する施設内とは言え、邪教の誹りを免れぬ教えを黙認し、その後にそれを捕捉するように中央の聖典を読み上げるなど……。レカはここまで精緻にリリアのしていることの危険性を認識したわけではないが、とにかく何だかやばそうだという認識はあった。後ろから、前の席のテルを見つめる。微動だにしていない。本来は貴族であるテルの方が、中央の教義への親和性が高く、もっと動揺してもいいはずだが……。そしてレカは聖典を読み上げるリリアを見つめる。その顔は美しく、厳かで、ギルドの重鎮の息女としての気品に満ちていた。
(ああ、リリア。どうしてお前はそうなんだ)
 リリア。リリア・ヴォルヴィトゥール。愛しい妹。自分が名乗れない名を名乗る娘。レカは退屈な聖典の朗誦の中で、そう言えば一度も眠気を我慢できたことがないことを思い出した。あくびをする。
(ふぁ……あーあ……あれ? でも、あーし……?)
 小さい頃、どこで聖典を聞いたんだ? レカは訝しんで、広間の天井を見上げる。ものを思い出そうとするときの癖だ。初めて注意深く広間の屋根を見た。石積みはとうに崩れ、それを有り合わせの木材と布で覆って屋根がわりにしている有り様だ。レカはそんな天井に、あるものを発見する。
(あ、みっけ)
 暗殺者には、決定的な力はないが、任務に役立つ色々な魔法のアイテムがギルドから授けられることがある。読み終えると燃えて跡形もなく消えてしまうメモ、足音を消すよくわからない素材のボディスーツ、一定時間姿を消す特殊外套。魔法か、科学か、あるいはその融合か。街で受け継がれてきた伝統と、魔法科学ギルドが実用化した技術の数々。それの恩恵を、暗殺ギルドも受けていた。どのアイテムも、不安定で、時には誤作動すらする、命を預けられはしない代物だが、低リスクの任務では積極的に用いられた。レカは、最上級暗殺者のみが知ることを許されているアイテムまで、タティオンが教授した知識によって、その全てを頭に叩き込んでいる。その鑑識眼は、暗殺ギルド最上級暗殺者だった、腹違いの兄であるスタヴロよりも優れていた。その目が、天井の梁に違和感を見とめた。
(隠れてんなあ……)
 この街では貴重な木材資源を節約し、布によって雨漏りが防がれた部分。その一部が、不自然に歪んでいた。よくよく見ると、ゆらゆらと、陽炎のようにそこだけ光の屈折がおかしくなり、明らかに何か魔法的な迷彩で人が隠れているのがわかった。レカの視線に気付いたのか、そのゆらめきから黒い手が一本現れて、ジェスチャーをする。ハンドサインだった。暗殺ギルドの、さらに最上級の暗殺者でしか通じない、もっとも秘匿性が高いサインで、レカに敵ではないと語ってきていた。
(へいへい。わーってますよーっだ)
 魔法で身を隠しながら、雑な補修で不安定になった教会の高い天井に張り付き、監視をする。並みの体力と技量ではない。明らかに、暗殺ギルド最上級の暗殺者だった。レカは広間の隅々に目を向けてみた。いくつか、同じような影の揺らぎがある。ふう、と小さくため息をつく。
(ちっと、過保護すぎねえか? おとーさん……)
 もちろん、保護の対象は、レカではない……。

*****

 レカは音もなく眠るのが得意だ。死んでいると勘違いされることも多い。テルはレカのそんな癖に慣れているが、リリアやあのケンという男の子はそうではない。リリアの朗誦を聞きながら居眠りしてしまった彼女に、近づく者がいた。凄腕暗殺者のレカである。絶対に安全だと思える場所でなければ、どんな時も、深い眠りにはならない。あたりで少しでも怪しい動きがあれば、目を瞑ったままでも気づく。レカは今、小さな存在が、自分にそーっと近づいているのがわかった。少しずつ迫っている割には、靴が擦れる雑音が目立ち、本人が音に関してコントロールできないことを意味していた。
(……ケンか。そろそろ起きねえと。腹も減ったし……)
 ピィいいいいいいいいいい!!
 笛の音だった。
「ぬぉおお!?」
 レカは思わずガバッと体を起こした。流石のレカでもこんな目覚めは想定していない。見ると、茶髪のケンが必死に小型の笛に息を吹き込んでいる。一つの音だけピィイっと響き渡る広間で、子供たちの笑い声も一緒に聞こえた。
「あはは! レカさまおもしろーい!」
 リリア……。そういうイタズラをする子だったのか。レカは目頭を揉んで眠気を拭いつつ、ケンの茶髪をポンポンと撫でた。笛の音が止んだ。
「おい、いい笛持ってんじゃねえか」
 レカはケンに笑いかけたが、ケンはタタターっと、他の子供達の方へ駆けて行った。やはり子供は子供同士の方がいいのか、と思ってレカが見ていると、子供たちが固まっているところへパッと飛び込んで、ゴツンゴツンと体当たりをして、並んでいるのをメチャクチャにしてしまった。
「あ」
 レカが小さく声を上げる。
 ケンは、んー、んー、と押し殺したような声を上げ、周りの子たちに近寄っていくが、女の子は怖がって離れ、男の子はけたたましく笑って逃げた。ケンのこの教会での立ち位置が、なんとなくわかる。
「こらー! いきなりそんなことしちゃダメでしょ!?」
 リリアが慌てて走り寄って、ケンの肩に手を置いて、暴れるのを止めようとするが、ケンは抵抗する。
(うーん)
 レカは豊かな白っぽい金髪でフサフサした頭をポリポリかいた。リリアも、優しいのはわかるし、ちゃんと行動できる娘なのはわかるが、どうも子供の扱いはうまくない。とりわけ、少し性格が難しい子の扱いは下手なようだった。ましてや、耳の聞こえない子など……。
 それがレカの感想だ。レカが見ていると、ケンはリリアの手を振り払って、また他の子を追いかけるのを再開してしまった。大騒ぎになる広間。
「ケン! もう! いい加減にしなさーい!」
 耳が聞こえないとわかっているのに、その対応もないだろう。レカはリリアを、可愛い妹枠から、出来の悪い妹枠に入れ直した。実際、周りの人を癒すオーラと見た目以外、中身はポンコツかも知れない。軽々しく邪教にしまってしまうところとか、本当に放っておけない性質だ。
(おとーさんが過保護になるわけだわ)
 結局、広間の中は追いかけっこの大運動会の始まりだ。孤児院の子供がみんな出てきて、レカの後ろに隠れたり、レカの座る下に潜り込んだりしている。リリアは笑いながらそれに参加している。見れば、テルは隅の方でじっとしていた。引っ込み思案なのか、照れ屋なのか。
「これこれ! さあ、みんな。ここは礼拝のための広間ですよ。静かにしましょう」
「はーい! 司祭様!」
 老境も半ばといったおじいちゃん先生の、優しい一言が、場をすっかり納めてしまう。優しく穏やかだが、年齢に似合わず通る声だった。子供達は誰の指示もなく、散らかった広間の片付けをみんなでやりはじめた。
 レカは長椅子から立ち上がり、うーんと伸びをする。見ると、まだ一人、大人しくしていない子がいた、耳の聞こえないケンだった。
「……しゃーねーな」
 レカはそう呟くと、ケンを宥めに行ったが、その前にケンを抱きしめて、大人しくしてしまう人がいた。リリアもケンに寄ってきた。
「ベルゼ司祭様……」
「修練が足りませんよ、リリア」
 ケンの両肩を抑えて落ち着かせているベルゼ司祭は、跪いてケンの耳元で何か囁いているようだった。聞こえるはずもないのに、それをケンはまるで聞こえているように静かにしている。やがて司祭が身を起こすと、ケンは大人しく長椅子に腰掛けて静かにするようになった。リリアが心底感動した表情で叫んだ。
「さすがです、司祭様!」
 ベルゼ司祭は、はっはっはと穏やかに笑う。身につけるのは汚れなのか染料なのか真っ黒な、粗末なウールのローブだけ。剃り上げたのか、禿げ上がったのか、素朴な爽やかさすら感じる毛髪のない頭部。痩せた顔の深い皺が作り出すのは、人の良さそうな笑みだけ。絵に描いたような、完成された、衆生を救うのを至上の使命とする民間信仰の司祭だった。
「リリアや」
 口が動き、歯がほとんどないことがわかった。
「信仰に基づいた穏やかささえあれば、誰にでも心を開いてもらえる機会を手にすることができるのですよ」
 司祭は、老齢男性特有の、極めて穏やかな笑みを浮かべてみせた。
(この人が……)
 レカはこれが、自分が殺すことになる老人か、と、心の中のスイッチを切り替えた。

*****

 レカもテルもリリアも、皆で夕食の下拵えをした。テルはナイフで指を結構深く切るような不始末をやったが、レカの暗殺者用軟膏でことなきを得た。
 その後、時間が空いたので、子供達が遊ぶ救貧院の中庭で、テルとレカとリリア、三人はボロ布を土の上に敷いて、話をした。土の地面はこの街では貴重だ。大抵は、子供が走り回ると怒られる中心街の石畳か、崩れていて敷石の砕けたのが埋まって、危なくてとても子供が走り回るには適さない貧民街の汚れた地面しかない。だから、子供達はみんな、この救貧院をまあまあ気に入ってはいたのだ。制限の多い生活だが、子供は健康でさえ喜びを見つけるのが上手い。レカはテルやリリアと話しつつ、子供達の遊び声に癒しを感じていた。
「ダメだなあ、私」
 炊事の疲れからかもしれないが、リリアは少し元気がない。
「ねえ、レカさま。こういう仕事なら、私、ちゃんとできると思ってた。子供達のお世話」
 さっき広間の騒ぎを収束させられなかったことが、少々応えているらしかった。
「リリアは優しいね、って、みんなに言われてきたから。仕事、他のことは、全てダメだったからさあ」
 テルはおかしそうにリリアに笑いかけて、優しくこういった。
「そりゃあ、僕らまだまだ子供だもん。ああいう人間力を背景にしたことは難しいさ」
「そうかなあ」
 レカはハハっと声を上げる。
「オイオイ、さっきの揉め事をあんな血を流さない方法で納めといてそれかよ。自分だけは人間力があるって?」
 テルは一瞬照れの表情を見せたが、
「え!? ここに来るまでに何かあったの!?」
 と、リリアが食いついてきたので、あっ、という顔をした。レカもまずいなと思う。二人は適当に誤魔化した説明をした。ケンが自分を拉致したスリに殴られながらはたらかせられていたことなど、もう誰も知る由もない。本人も言えない。テルにもレカにも、あんな悲惨を語りたいという動機もなかった。これは墓まで持ってく話になった。それでも話してほしそうに見えるリリアに、レカはあぐらをかいた足を組み直し、優しく語りかける。
「オメーはよくやってるよ」
「そうかなあ……」
 体育座りの膝に、顔を軽く乗せるリリア。広間で見せたドレスはもう着替えていて、調理などの雑務にふさわしい、元のエプロンと汚れが目立つスカートに戻っている。そのスカートが、リリアの両手でぎゅっと掴まれ、膝の形がはっきり見えるほど突っ張っている。静かな時間だった。レカもテルも、穏やかな時間をゆっくり楽しんでいる。目の前では、子供たちがキャアキャアと遊び回っていて、天使の庭、という雰囲気だった。
「ねえ、レカさま」
 リリアが、抱えた膝にくっつけた口でボソリと言う。
「私、あなたみたいになりたいなあ」
 レカもテルも、驚いたように見るともなく子供達へ向けていた目線をリリアに向けた。
「どういうこと? リリアさん……」
 テルがまず訊ねた。レカは黙って、努めて穏やかな表情を維持した。リリアが目線を落として、いじけた子供のように話す。
「だって、あなたは街のみんなに慕われてるじゃない? ちゃんと街の治安を守って、冒険者ギルドからも信頼を得て……。私は、いつも空回りばかり。本当はわかってる。暗殺ギルドの怖さをなんとか和らげようとしてるけど、それはポーズだけ。私の場合はね。お父さんに自由にさせてはもらってるけど、全然それに応えられてない。お父さんの役になんか立ててない」
「そんなことねーよ」
 レカの声だった。少し、いつものおちゃらけた調子が消え、真剣な、怒ったような色彩が含まれた声。テルが面食らったようにじっとレカの様子を伺う。レカはあぐらを解いて立ち上がると、膝を抱えて俯いてるリリアの方を向いて、大袈裟な身振りを交えて、彼女の弱気な言葉を否定する。
「オメーはヴォルヴィトゥール家の、そして暗殺ギルドの宝だよ。あーくそ、なかなかクサイ言葉しか思いつかねえが……。ボスだってそう思ってるさ。オメーは笑って生きていて、オメーらしくしていてくれるだけでいいんだよ」
 リリアはさらに膝に顔を埋めてしまう。
「そうかなあ」
 スカートの生地を破れそうなくらいぎゅっと掴んで、ますます体育座りの中にちぢこまってしまったようだった。
 レカはテルを見る。テルとしては、なにも言えない。所詮テルは暗殺ギルドの部外者で、流石に迂闊なことは言えなかった。レカは期待外れだとでも言うように、すぐに顔をリリアに戻し、黒くて豊かな髪の生えたリリアの頭を見下ろした。
 急に、怒りが湧いてきた。愛しい腹違いの妹であるリリアに対し、そんな気持ちになるだなんて、という理性はあったが、レカは時々こういう感情になる自分をコントロールできずにいた。レカは、腰に手を当て、ボロの敷布の外に出て、土をブーツでいじくったり、一歩二歩、行ったり来たりする。怒りを肺から追い出そうとするように、細く長く息を吹いた。静かに、リリアにため息のように聞こえないように。
(なんて言やあいいんだろ……いや、なにも言うべきじゃないのか?)
 テルは幼馴染みが思い悩んでいるのを、ただ見ていることしかできなかった。馬鹿みたいに座り込んで、綺麗なストレートショートの濃い金髪を風に揺らしているだけだった。リリアの塞ぎ込んだ様子を見ても、レカのイライラを隠しつつ悩んでいる様子も、どうしてやることもできない。
「あ、あのさあ」
 出し抜けに話題を変えようとする。だがそれは、あまりにノープランで、「あのさあ」の後の言葉が続かない。そしてそれは、部外者のテルに気を遣わせてしまったという思いをレカとリリアに抱かせ、あまり良くない別れ方を誘発してしまう。リリア立ち上がって言った。
「さ、お夕飯の準備をしなくちゃ」
 レカが子供達が走る中庭の様子を見ながら、ぶっきらぼうに、
「何か手伝うことあるか?」
 と訊ねた。
「ううん」
 リリアは短くそう言った。声色には、やんわりした、拒絶の意思が見て取れた。
「そっか」
 レカとテルは、夕飯の準備が整うまで、子供達と遊んだ。

*****

 テルは食事なら十分足りてるからと、夕食の相伴に預かることを最初固辞したのだが、レカに「素直に受け取っとけ」と小突かれると、大人しくテーブルに着いた。
 しばらく無言で少々水っぽいスープを口にしていたが、やがてテルが耐えきれなくなって、質問した。
「嫌なことがあったの?」
 レカはそれを受けて、長いこと黙っていた。テルにはレカがその質問を無視したわけではないことが、長年の付き合いからわかった。やがてレカは、口を開く。
「なんでもね……いや……」
 テルは匙を運ぶ手を止める。なんでもない、だけで終わるのが今までのレカだった。お調子者で、本心を隠して、おちゃらける。しかし、最近はそうでないレカを目にすることが多かった。レカは、匙を持ったまま頭をボリボリかいた。後ろでまとめられた、豊かな白い金髪が、わちゃわちゃと揺れた。
「あー、そうだなあ、なん、つっか」
 ちらちらと、レカの目はテルを映す。テルの様子を伺って……真剣かどうか見極めているのだ。テルもそれはわかっているから。じっと貴族流の食事マナーを維持し、背筋を正して聞く態度を見せる。儀式のような時間が終わり、レカは大事なことを話す気になったようだった。だがテルの目を見て話すことはできないようで、視線をテーブルに落としながら、匙を素早く動かして、味の少ないスープを飲むことに集中する。そして、その合間に、こう言った。
「その……わりと、きっつい、かも……っへへ。なんか色々考えちゃって、感情があっちこっちいっちゃってさ」
 テルは驚愕した。テルによるレカ像は、出来の悪い、身勝手で天真爛漫な、愛しい擬似的な姉。いつも小馬鹿にしてくる不真面目な、少女らしい移り気を抑えようともしない自由な娘。今回も、もしかしたら「なーんてな」とか言って、無責任なお笑いに持ち込むかと思われた。そしたらなにか少し言い返して、いつも精神的にマウントをとってくるそに鼻を明かしてやろうと思ったが……当てが外れてしまった。
(レカが弱音を吐くなんて)
 見れば、あれだけ匙を動かしていて、スープはほとんど減っていない。テルは、レカのガツガツ喰いを注意した時のことを思い出す。絶対に、何かあるように見えた。
「レカ」
 テルは意を決していつもより数段シリアスで心配げな声をかけた。
「僕でよければ、相談に乗るよ。レカだってきっと辛いこといっぱいあるだろう?だから……」
 レカはテーブルの足を蹴る。がつんと、重いはずのテーブルが思ったより動いて、テルの腹が椅子との間に挟まり、少年はうぐぅと息を吐き出した。 
「クソガキが余計なこと気にするな」
 先ほどまで撫でて撫でてとでもいうように腹を見せていたのに、実際撫でると噛みついてくる、アロエイシス家の猫を思い出すテル。彼にとって、二歳上の幼馴染みは、今日も大いなる謎だった。レカはなんだか少し晴れ晴れしたような顔つきで、今度は凄まじい速度でスープを口に運び始める。そして話題も他に移ったようだった。
「ところでテル坊よぉ。リリアとまぁじで仲がいいのな」
 テルは思わぬ方向から不意打ちを喰らって、へ、へぇ? と変な声を上げた。レカは畳み掛ける。
「今日はよお、見てたぜ。作業中も、説法の時も、ちょくちょく二人きりで仲よさそーにしてただろ?」
 テルはなんでこんなことを言われてるのかわからないまま、
「ああ、彼女はとても誠実で、まるで聖女だと言われるのもわかるよ」
 と言った。まったく話が見えないので、少し困惑していると、
「ふふ、好きなのか?」
 レカのニヤニヤを伴った問いかけに、スープが気管に入ってむせてしまった。
「ゲホゲホ! ゲホッ!」
「おうおう大丈夫かよ」
 レカの手がテーブル越しに伸びてきて、大袈裟にテルの背中を叩く。テルの方もよくむせるのをレカに叩いてもらったから、勝手知ったるもので、少し腰を上げてレカの手が届きやすいようにした。無意識に刷り込まれた可愛い仕草である。
「ゲホ……そんなんじゃないよ。あの人は、こう、なんて言うか……特別なんだ。わかるだろ?」
 レカは黙って聞いている。テルの話が続く。
「あの人がもし貴族で、いや王族で、王妃として、笑顔の光でこの街を照らし出してくれたら、きっと素敵だろうなあ……なんて思ってるんだ」
「ふーん」
 いい終わったテルは、あ、絶対これ、レカ姉の望んだ答えじゃないや……と、ゲンコツが飛んでくるのを覚悟した。しかしレカも、そういう感情をいちいちいつもゲンコツで解消するほど、もう幼くもない。黙って匙を動かし、もう残り少ないスープが木皿の底で集まるのをただ見つめている。テルは、よせばいいのに、ムキになった。
「なんだよレカ姉……僕がリリアと仲良くしちゃいけないのかい?」
 レカは匙を口に運ぶでもなく、木皿の中で動かしながら、
「うーん? レカお姉さんはべっつにぃ……ただ、魔法科学ギルドの主要評議員の御曹司が、暗殺ギルドの慈善事業部門に入り浸ってヨォ。そこで一番目立ってる、中央の異端審問官が見たら目ん玉飛び出そうなやつとつるんでる、暗殺ギルドのボスの末の娘と仲良くしてるだなんて、新聞屋が嗅ぎつけたらどーなっちまうのかって思っただけさ」
 テルは黙った。まあ、大方レカの胸の内は想像がつく。テルだって,決してなにもわからない朴念仁ではない。レカの感情にだって、自分の感情にだって気づいてる。大切な人。姉。幼馴染み。恋人……未満? それは不明。まだ答えを出せず。なので、今の長々とした、明らかにジェラシー由来の、挑発めいたセリフを真に受けたりはしない。ただ一つだけ、思い出したことがあった。
「レカ、そのことだけど……」
「んあ?」
 レカはいつまでも掬いきれない底のスープの残りを、木皿を持ち上げて傾けることで飲んでいた。テルなら絶対やらない真似だが、テルはもう気にしなかった。大事な話だったから……。
「……なんか、リリアさんの周りから、文屋が消えていくんだ……レカ、何か知らない?」
 レカは一気に、真剣な目つきになった。
「ふーん。知らね」
 もちろん、思い当たるフシがないはずなんかない。レカは数時間前の説法の時、広間の天井にひっついていた「同僚」のゆらめく透明の姿を思い返していた。

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