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【小説】マリオネットとスティレット【第十四話】

 『悪食』。『悪食』か。いい名前じゃないか。
 テルは疲れた体を馬車に揺らせるままにする。がたごとがたごと。ゆらりゆらり。なんだかふわふわするじゃないか。夢の中にいたのか? ちがう。袖だの外套だの、そこここに血だの汚れだのの跡が泥跳ねのようにポツポツついている。
「夢じゃ、なかったか」
 御者席に聞こえるわけもない、小言でそう呟く。テルは馬車を使うことはほとんどない。街の門から河を渡って、中層区を通り貴族たちの上層区に向かう、この大通りでは、特に。何せ、屋敷の所有の馬車でなく、バカ高い料金で動くタクシー用途のこれは、乗るものが限られる。窓は覗かれるわ、降りる時には視線を感じるわ、散々である。
(あら、アルエイシスの坊ちゃんですわ)
(こんな時間まで一人ぃ?)
(ロドヴィコのやつめ。息子に構わないのもいい加減にしたらいい)
 無意識に耳に手をやろうとして、テルは自嘲した。全く貴族社会など……。ハーマンたちを思い出す。今頃娼館で楽しくしているのだろうか。またトラブルなどしていなければいいが……。
 ハーマンたちは、獣人が従者でオークが引っ張る亜人力車などという、この街名物のけったいなものを借り受けたと言っていた。若者四人くらいなら軽々裏通りを爆走できるんだとか。テルは若者として少し興味もあるが、きっと目の前で獣人が薬剤で凶暴性・知能低下処理を施されたオークを、馬より酷く鞭打ちながらかっ飛ばさせるんだろう。乗って1分で、後悔を感じることになるに決まってる。
 幸い、時間があまりに遅いせいか、それとも疲れて気づかなかったのか、誰にも見られて嫌味を言われるはめにならなかった。建物の窓からはいくらでも見られただろうが、構うものか。テルはふらふらと馬車を降り、アルエイシス家の門の前で、守衛の歩哨に会釈する。中年の彼は少し鼻息を吹くと、同僚と共に門を開けてくれる。ガラガラというこの音が屋敷の内部に聞こえるほど前庭が狭いのは、普段は気に入っていたが、今のテルはむしろ呪った。朝帰りよりはマシ、とも言え、放蕩息子扱いでロドヴィコから揶揄われるのはいやである。
(全く実の親なのに、息子に対する態度は単なるマウントなんだよなあ……)
 そう毒吐きつつ、あまりにひどい汚れがないか、今一度上着を脱いで確認する。流石にこの季節の深夜はなかなかの寒さだ。一ヶ月後には街は雪で覆われ、貧民街は今年も冬を乗り切るのに苦労する、というか命懸けの者が多いだろう。去年、初めて救貧院で炊き出しをした時、道端で団子になって、禁止されているはずの焚き火だけを頼りに暖をとる労働者の姿を見た。そんなときは、獣人は重宝された。体温と毛皮は有用だからだ。彼らには、雪や風や冷たい空気を凌ぐための家すらないのだ。テルは自分の屋敷を見上げる。他の貴族と比べれば見劣りするとは言え、立派なもんじゃないか。生まれてこの方、寒さに悩まされたことはない。中央の暖炉が魔力炉に変わって以降は特に。食べ物にも困らなければ、遊び金にも困らなかった。だが、足りないものもある。テルは去年、路上で救貧院の配った毛布をかぶって、おしくらまんじゅうみたいにしていた人々から目を離せなかった。確かに彼らの境遇は悲惨だった。しかしテルは、ほんの少しの羨ましさを隠すことはできなかった。テルは、母親にも、父親にも抱きしめられた記憶がない。母親は物心つく前に亡くしてしまった。手がかりは、今日レカに取り返してもらった扇だけ。汚れてないといいが……。そうだ。レカの顔が浮かぶ。
(うーん……小突かれ殴られた回数なら、多分相当な数あると思うけど……)
 そして今日の、普段のレカが見せない一面を思い出す。
 屋敷のドアの前に辿り着く、貴族の屋敷として最低限の装飾しかないそのドア、いつもならこんな時間でもダークエルフの執事のステパンや、獣人メイドのカレンなど、それなりに心配してくれる人が、脇の詰所にいて、さっきの正門のきしみを聴いて、タイミングよく出てきてくれるはずだが。
 今日は違った。ドアが開いたとき、テルはちょっと、ちょっとだけ、跳ね上がった。
「あらあ、テルさん。お帰りなさい」
「あ、ただいま……です。はい」
 意外な人物だった。背が高く、ロールアップされたオレンジの長い髪が目立ち、メガネとホクロがチャームポイントの、美しい顔。170センチのテルより背が高く、最近の流行りとかいう分厚いソールのハイヒールが、その差を押し広げている。だから、16歳のテルであっても、なんだか小さい子が母親に迎えられたような、そんな感慨を感じた。彼女は少し背を落として、テルに目線を合わせてくれる。ハンカチで、テルが自分で気づけなかった顔の汚れを拭いてくれる。右頬。そして左頬。テルは無言でそれを受ける。レカがやったら、絶対に「やーめーろーよー」と言って振り払うはずの。
「あらあら、こんなに汚れて。たくさん遊んできたのね。寒かったでしょう。入りましょう。若旦那様」
 超のつく、超超超のつく、高級娼婦。ハーフエルフのミルアンディリエラ。エルフ由来の名は、あまりにも長いから、みんなミル、ミル、としか呼ばない。屋敷のパーティでお出ましする時も、ミルとしか呼ばれない。執事やメイドたちが敬称付きで呼ぶ時だけ、ミルアンディリエラ、ミルアンディリエラという、不思議な響きを聞くことができた。なんだか呪文みたいで少し笑えるな、といつも思っていた。テルは返答する。
「はい、ミルエンディリエラ、さん」
 ミルと呼ばれるはずだったところをそう呼ばれて、彼女は心底おかしそうに、
「やあねえ、私たちの仲なのに」
 と言った。彼女一人に手伝いで新しい服を持ってきてもらった。他にはメイド一人いない。彼女の指示だろう。テルの父ロドヴィコは、あまりにも家庭を顧みない。こうやって屋敷の中を代わりに支配する人物は必要だ。まあ、それが高級娼婦というのがロドヴィコのエキセントリックなところなのだが。五、六年前、初めてミルがこの屋敷のパーティに顔を見せた時、彼女が誰だか、よーくわかっている幾人かの男性貴族は、股間を蹴り上げられたような驚きを示したが、すぐに彼女の性格を思い出した。パーティで一緒におしゃべりできたら楽しいだろうな、というその気遣いと人懐っこさで出来上がった性格を。彼女を貴族の後ろ盾と共に社交界へ引っ張り出してくれたなら、専属の愛人として独り占めしても、まあ許してやろう。それが、社交界に共通するロドヴィコへの評価であり、ミルエンディリエラへの思いだった。
 着替えたテルは、ミルと一緒に、魔光灯を落とした屋敷の中、なんとも古風に蝋燭の燭台を持って二人で歩く。その距離は、寒さで凍える貧民たちが暖まる時の距離だった。手を回そうと思えば、いつでもそうできるほどの。テルにしては言葉少なで、ミルも多くを語らない人だから、足音だってふかふかの絨毯に吸われるこの屋敷では、全く無音で歩みが進む。ゆっくりとした歩みで……。
 テルの部屋に着く。テルは何も振り返らずに部屋のドアのノブに手をかけるが、ミルがそっと彼の肘の辺りに手を置いた。
「ねえ、テルさん。なんだかお疲れのようね。大丈夫? 無理してない?」
 テルは、ミルの方を向くことなしに弱々しく、大丈夫。とだけ言った。大丈夫じゃない時の大丈夫である。ミルはメガネの奥で、心配そうに少し瞼を下げた。テルは顔を上げ、優しい表情に戻った後、一つだけ言おうと、口を動かす。
 テルだって、寂しいのだ。人の温もりは、いつも求めていた。

*****

 レカの頭の芯を襲っていた頭痛は、夜風を突っ切って走るうちに、だんだんとおさまっていく。あまり良くない後味の殺しを素た時はいつも頭痛がした。レカの正面には茶色い毛が生えた壁がある。300キロのガズボが先頭を走っているのだ。あまり重い獣人が走ると、馬車と同等の法律が適用されるが、無法者の愚連隊には関係なかった。街は四時。六時の始業の鐘の前に、すでに起きている者もいるかもしれないが、少数だろう。十二時間労働の疲れは、できるだけ長い睡眠で誤魔化すしかない。少なくとも五時過ぎまでは、まだ街は眠っている。見ているものは少ないし、通りを妙な奴が走っていると慣れば尚更だ。関わりたくない。
 触手女のシャルトリューズが何かぶつぶつ言っていた。
「まったくまったく、かよわい触手の女の子にあんなことするだなんて、絶対おかしいわあ! 体全体を絞るとかありえなくなぁい!?」
 彼女が一番後ろを走っている。当然だ。こんな状態で触手女の吐く息を真後ろで浴びたら、とんでもないことになる。
「シャル! 走りながら喋るな!」
 獣人と触手女の間に挟まれたレカが叫んだ。
「あと普通の速度で喋るな! どっちもやるとか果てしなく漏れてんだよ媚薬吐息があ!! この区画、異臭騒ぎで済めばいいがなあ!」
 シャルトリューズも反論する。
「走らなきゃならなくなったのはレカちゃんのせいでしょ!? 『死体の尊厳』とか表の暗殺者の倫理観さあ! 裏に持ち込まないでよねえ!! あの冒険者たちの装備も青いタマタマ以外盗むの禁止だしぃ!! あー!我慢できないいい!!あの三馬鹿ったら、価値のあるお宝いーぱい持ってたのにいい!」
 シャルトリューズがこれだけ素の速度で捲し立てるのは久しぶりで、本人も加減がわかっていないようだった。レカはケホケホとむせる。
「ウッソだろ!? この速度で前走ってるのに! ……飛沫か!? おい! シャル! もう喋るの禁止!」
 ガズボが前を走りつつも大声でケヒャヒャっと笑う。
「なあ姐御ぉ! さっきぶち殺したドワーフのおっさん、たんまり持ってたんだぜえ!? 今からでも戻ってヨォ! いただいちまわねえ? 金なんか別にあってもなくてもいいけど奪うのは好きだあ!」
 本心でもなんでもない、レカを煽るためだけの減らず口。シャルトリューズも喋るの禁止を守らないようだ。
「指輪だっていい素材だったのに異!!! ウチが溶かして食べちゃいたいくらいいいい」
 不法に街に住み着いた、労働者と言えるのか、あるいは浮浪者か。そんな人間ばかりの区画に差し掛かった。その途端、レカが踵を返した。体を捻る際、右手をガズボの首に引っ掛け、左手でシャルトリューズの触手を掴んだ。三人は、もつれあって倒れ込んだ。速度は常人が出せないほどのかなりのものだったから、交通事故でも起きたようにごろごろと転がる。
「いったーい」
 シャルトリューズが不満を漏らし、それとともに濃い媚薬ガスがもわっと広がるが、レカが腕に巻いていた布をほどき、シャルトリューズの後ろにするりと回り込んで猿轡をする。シャルトリューズはまだもがもが行っていたが、これで人体に有害な毒液やガスの出る量は大幅に低下する。
 ガズボは体の土を払うと、辺りを見回した。この街では珍しい石畳で舗装されていない土が剥き出しで高低差の激しい道。その両脇やら、あるいは堰き止めるように立ち塞がるような、そんな複雑に、違法に建築された、港湾の荷の木箱を分解して作ったような、ボロ小屋が乱立している。
「ここがいろーんな危険なクスリが手に入るという不法移民街かあ。シャルトリューズ! さっきみてえにお前を絞って体液をここで売ったら、大金持ちになれるぜ!」
 シャルトリューズは何か言っているが、猿轡のせいで得意のガスや粘液も出てこない。ガズボはケラケラ笑っているが、問題なのはレカだった。
「オイ、何ヘラヘラしてんだよ」
 ガズボがゆっくりレカの方を向く。確かに、暗殺者としていっぱしの気迫だ。この歴戦の獣人は、レカのことを舐め腐った態度こそ取っているが、その実、実力を高く評価している。しかしそれは、暗殺ギルドの愚連隊リーダーレカに対しての評価であって、まだまだ手助けが必要な18歳の女の娘レカに対する大人としての目線ではなかった。レカの、年齢不相応なベテラン暗殺者としての力強い視線が、ガズボとシャルトリューズに注がれる。
「いいかオメエら……。さっき標的の持ち物、よりによって渡してもいねえ結婚指輪まで盗もうとしたのはもう許そう。だがなあ。おめえらいい歳したあーしの倍近くの年齢のベテランなんだからもう少しなあ……」
 シャルトリューズがないか言いたげにムームーいうが、その布は魔界の森に生息する魔獣の特殊な外皮そのものであり、あらゆる酸や毒液を通さない。触手の力だけならガズボにも匹敵する彼女でも、特殊な締め方できつく結え付けられた猿轡を千切ることはおろか、外すこともできない。本来、暗殺ギルドで止血や耐毒装備のために使われるそれだが、レカはこういう時のために切れ端を常に体のどこかに巻き付けていた。
 一方ガズボの口はフリーである。こう捲し立てた。
「あーあ! 今の生活はサイコーだぜ! 好きに殺しができて、好きにエサが食える! これぞ、真の男の生き方だぜ! 肉食種族の王者として振る舞うこと! 自らが生まれ持った腕力と欲求に従い、男は殺し、女は犯す! これが男の本当の喜びだ! ソレを認められないやつは、度胸もない雑魚だぁ! っかーっ! 今日もこの素晴らしい人生を謳歌できたはずなのに……グフ!?」
 ガズボの体が苦痛で折れた。やや肥えた腹に、鉄拳がめり込んだのだ。レカの魔族の血で強化された拳なら、傭兵ギルドの銃兵一斉射撃にも耐えるガズボの腹筋も、容易く貫ける。『悪食』で食ったものを吐き出して悶えるガズボの巨体を見下ろし、レカが冷たく言い放つ。
「おい、その可愛らしい動物耳かっぽじってよく聞けよアホンダラ。あーしらはな、たしかに人倫の常道を外れた暗殺ギルドの中でも、さらに外れた外法の愚連隊よ。だがな、それでも踏み外しちゃいけねーもんがあるのさ。あーしらは仕事で人殺してんだよ。カッとなって殺すとか、ムシャクシャして殺すとか、ムカついて殺すとか、生活のために仕方なく殺すとか、遊ぶ金欲しさに殺すとか…………ましてや、快楽のために殺すとか、そういうんじゃねえ。断じてそうじゃねえぜ。仕事ってのは崇高なもんなんだ。人はみんな仕事を通してこそ、真っ当になれるんだ!プロ意識を持てよクズども!」
 ガズボが赤い反吐をぺっと吐き出す。自分の血か、先ほど食べた生肉かわからない。這いつくばったまま、一抱えもある首を回してレカを金色の瞳で睨みつけ、ニターっと不気味に笑う。
「ックックック、レカちゃんよぉ、本気で言ってんのかよ」
 この世で最も恐ろしいのは肉食獣人が獲物を見つけた時の笑み。そう世の人に言われる、恐ろしい笑顔を、レカはなんとも思わずに受け流す。
「ああ、本気だ。これこそがボスから受け継いだ一番の誇りだからな。これだけは守るしかねえ。あーしらはどんなに汚れ仕事をしても、結局この街のためだと信じるしかねーのさ」
 ガズボが立ち上がる。完全に戦闘モードになっていて、猿轡のシャルトリューズも、普段の不真面目さは引っ込み、ハラハラしながら見守る。レカは目の前のイキリ立つモンスターを前に、全く怯むことなく説教を続ける。
「お前らなあ、あーしらは、ぶっ叩かれようが、人殺しを強制されようが、それでも真っ当に生きなきゃいけねえんだよ。いや、違うな。真っ当に生きようとしなくちゃならねえんだ。もし腐って、運命に負けちまったら、どんどん底なしの堕落が待ってる……。あーしらは正しいか正しくないかじゃない、『正しくあろうとしなきゃいけない』んだよ。『正しくなきゃいけない』貴族たちとは違……」
 レカに近寄ったガズボが、思いっきり巨体をのけぞらせると、今度は思いっきり頭を前に向けて振り下ろした。250センチの上空から、女性にしては背が高めとはいえ、はるかに小さいレカの脳天に、獣人の頭突きがお見舞いされる。流石に魔族の血による魔法的身体強化があるレカも、大型獣人渾身の一撃を脳天に喰らえば、一瞬とはいえ意識を失うだろうが……額で迎え撃った。二つの頭蓋骨がぶつかるガッチンという音が響き、二人は全力で頭同士で押し合う。意地と意地のぶつかり合いだった。レカは額と鼻から、出血していた。ガズボが心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
「さすがのクソ度胸だぜ姐御」
 レカは綺麗な顔を闘志で歪ませつつ答える。
「じゃあそろそろ舐めた態度を引っ込めてもらおうかマヌケ」
 ガズボはブシュっと笑った。腐った肉の臭いが混じった口臭がレカの顔にまともに当たった。
「だが言ってることはくだらねえ、くだらねえよ」
 レカはさらに意固地になって、
「あーしらが罪を被ってるからボスが綺麗でいられるんだ」
 と言った。その瞬間、パッとガズボが頭を離す。レカはふっと息を吐いて鼻血を飛ばす。大した量は出ていなかったが、久々の出血だった。
「っへ。血が出るなんざあ、ボスに受けた地獄の訓練以来だぜ」
 全くの無傷のガズボは、クックックと笑った。
「お、お、お? ついに本音が出たなあ、小娘ぇ? オメエこそプロ意識を持てよ、レカ。オメエのボス依存は異常だぜ? 訓練の時に何度も何度も愛してもらったのか? ああ? ボスにはそういう噂あるからな。昔はそーとー女泣かしてたらしいぜ」
 レカは敵意を超えた冷たい視線をガズボに向けた。
「ボスへの侮辱だけは……ライン超えだぜ? 暗殺ギルドのメンバーとしてよお」
 シャルトリューズが流石に見かねて間にはいる。むーむー何を言ってるのかわからなかったが、レカもガズボもあまりの媚薬吐息の濃度に顔の前を手で仰ぎながら離れた。触手女が役に立つのはこういう時である。
「ゲホゲホ、ボスの過去なんか知ったこっちゃねえよ……。案外、隠し子の十人や二十人、居たりして……なあレカの姐御!?」
 レカは咳き込みつつ、ガズボにビシッと指を向ける。
「ボスの過去を詮索するなら殺す。噂を流すだけでも殺す。いいな? 処分だ。カス野郎」
 ガズボは今更流れてきた濃い鼻血をベロンと舐めた。アドレナリンで止まっていたらしい。
「へへ、姐御。あんたのこういうところが好きだぜ。こういう場合、俺やシャルトリューズの種族侮蔑の単語をいくらでもいうはずのところを、人間種にも適用できる悪口しか言わねえ」
 レカはシャルトリューズの猿轡を外してやった。シャルトリューズはレカを心配して抱きついてくるが、汗や体臭にも催淫効果や腐食効果があるので、レカとしては勘弁してほしかった。なるべく触れ合わないように戯れ付くシャルトリューズをいなしながら、レカはこれでしまいとばかりに穏やかに言う。
「ったくガズボ。オメーを手懐けられるやつは、この街にはそう多くねえだろーにゃあ」
「だろーな」
 シャルトリューズはなおもレカに迫りつつ、求愛を告白する。
「それ……レカ……ちゃん……額……血ぃでてるぅ……」
 シャルトリューズがレカの額だけ、触手で触れて、血管を収縮させることで止血効果を発揮する薬液を塗ってくれる。レカは生来の人懐っこい笑みでシャルトリューズに微笑んだ。
「へへ、あんがと。オメーは優しいな、シャル」
 打算ではなく、あまりにまっすぐな十歳下の女の子の笑みに、亜人の娼婦はメロメロになる。
「レカちゃ……愛してるぅ……ねえ……触手族を……縛ってみるなんて……今まで……あったと思う? ……レキシジョー……もいちど……やって?」
 絡みついてくる触手をかわすと、今度はガズボに撫でられるレカ。すっかりボサボサになってしまったホワイトゴールドの髪が、縛っているのが解けんばかりの勢いでくしゃくしゃされる。
「あーん痛くなかったかい姐御ぉ? ごめんよお、頭突きなんかしてえ。今日はめっちゃ色々あったよなあ? 休め休めえ。ボスから休暇もらってんだろ? 俺達のかわいい姐御……たとえあの貴族の坊やとかボスとかに見捨てられて一人になっても、俺達が愛してあげるかんねえ!」
「フフフ……ウチらが……生きてたら……だけど……」
 レカは独特の愛情を示してくる異常なる愛すべき亜人種二人に絡まれながら、今日の任務の終了と解散を宣言した。

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