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【小説】マリオネットとスティレット【第十一話】

 その音に、酒場にいた誰もが動きを止めた。当然だ。それはドーンと長く残る、普通の火縄銃(アルケブス)の聞き慣れた音ではなかったが、間違いなく火薬の破裂音だった。
 音の主はハーマンだった。掲げた右手に、何か金属の、銃にしては少々小ぶりなものを握っている。ハーマンは、立ち上がって言った。
「賭けには乗らない」
「なっ……!?」
 ゴブリン男のニーベルンは、テーブルの上で石板(タブレット)を握ったまま、驚愕の事態のあまり、固まってしまう。
 ハーマンはゆっくり、右手に握った銃……この技術レベルの世界には存在しない、リボルバー拳銃をニーベルンの禿頭に向けた。
「さあ、その盗品を返してもらおうか。本来それは、我々……魔法科学ギルドのものだ」
 最初からこういう計画だったのか。テルは合点が行った。いくら貴族の子弟とはいえ、なんの防護策も無しに飛び込んで無事で済む場所ではない。イラリオンという学内同世代で最強の剣士はいるにはいるが、だからと言って蛮勇が過ぎる。だが、ハーマンという男のことをよく思い出さなければならない。この前、ローデシアの屋敷に泊まらせていただいた時、元込め銃を自慢げに見せてきたこの男は、いったい何をしたか?
「さあ」
 ハーマンが厳かに言った。
「そのアーティファクトを返してもらおう。魔法科学ギルドの密偵である我々に」
 流石にその嘘はやりすぎでは? と、テルは冷や汗かきながら事態を見守る。ゴブリン男のニーベルンは、先ほどまでのニヤニヤ笑いはどこかへ行ってしまったが、眉をひそめてハーマンを見ている。アーティファクトの石板(タブレット)も握ったままだ。
「ハア……。ニイチャンよお……」
 今までとは打って変わって、ドスの効いた口調で話し始める。
「イキリ立つのも勝手だが、まあ座れや。その銃は好きなタイミングで撃てるようだが、もう撃っちまって、もう一丁はねえんだろ? だったら……」
 パン! ともう一度音がした。その場の全ての人間が驚愕する。テーブルに、ささくれ立った凹みができている。ハーマンがもう一発撃ったのだった。フリントロックだって実用化されていない時代に、西部劇で見そうな回転式のリボルバー拳銃……まだこの世界・時代の人は、銃を撃つのに多大な労力と準備が必要だと思っている。火薬を複数の原料から現地調合し、湿度に気を配りながらその日その日の環境に最適な状態で処理し、そうやってやっとシュボっと燃焼するだけ。燃焼速度も遅く、多大な煙が出るこれは、発射の際の火種の維持にも苦労するもので……懐から取り出した何かが拳銃として機能し、目の前の人間に銃弾をぶち混んで死に至らしめる、などという発想は誰も持たなかった。ましてや、それが連発できるなど……。発想の埒外だった。ゴブリン男のニーベルンは流石に恐怖の表情になる。
「を、そんな……連発……?」
 再び銃がテーブルのゴブリン男に向くと、控えていた大男が動く。しかしそれを、イラリオンが抜いたサーベルが牽制する。全員こう着状態。誰も動けない。ゾーダンはすっかり怯えてしまって、いつもは軽んじているテルにくっつくくらいに近づき、二人して張り詰めた緊張が漂うテーブルから数歩離れて立っている。
 ゴブリン男のニーベルンは、驚愕の表情だったその顔を、少しだけニュートラルな無表情に戻し、ハーマンを睨みつけた。
「小僧、調子に乗るな。魔法科学ギルドからなんだか知らねえ銃のアーティファクトなんか持ってきやがって」
 小さな体のどこからそんな声が出るのか、という、ドスの聞いた声でニーベルンは威嚇する。しかし、ハーマンは不適な笑みで対応する。
「ふふ、これは魔法の超常のアーティファクトなんかじゃないさ。純粋な科学……。相談されている弾の数がわかるか? ゴブリンと大男を倒すくらいわけないぞ! 最新の兵器だ! まあ。元はリミナルダンジョンの発掘品で……。いや、そんなことはいい。さあ、『舞台役者(ドラマティス・ペルソナエ)』を寄越せ! さもないとこのゴブリン野郎の顔面に……」
 この世界ではフリントロックピストルすらまだ出回ってはいないのだ。そりゃあ、初見ではリボルバー拳銃なんか、対処が遅れるに決まってる。しかし……ハーマンはその事実にあまりに寄りかかりすぎ、「何かヤバそうならよくわかんなくてもすぐ対処」という場慣れした人間の行動基準と、それを実行する素早さというのを考慮できなかったようだ。初見殺しは……相手を死に至らしめてこそ効果があると、実戦経験のない彼は理解できていなかった。
「ぐあっ!?」
 鋭い悲鳴が聞こえた。ハーマンのものだった。見ると、右手の人差し指が曲がってはいけない方向に曲がっている。そして何より重大なことに……その手にはもうリボルバーは握られていなかった。
「このガキィ」
 その声は、くらい天井からだった。一同は思わず天井に目を取られる。その隙を見逃さず、髭面の大男がサーベルを持ったイラリオンを押し倒した!
「あっ!」
 剣技での一対一なら、確かにイラリオンを上回れるものは、この町では彼の父親一人だけだろう。だが、お行儀のいい貴族のこと、「決闘」には熟達していても、「喧嘩」に場慣れしていなかった。ヨーイドンと共に始まる正々堂々とした勝負には対応できても、周囲のボルテージの微妙な拮抗が崩れる瞬間起こる急展開には、全く訓練がなされていなかった。
 天井の黒い影が、ガチャガチャやって、壁の方に向けて、パン! と発砲する。貴族の少年たちに絶望が走る。
「なるほど、こうやって撃つんでやんすねえ。もう三発撃ったけど、まだ撃てるんすかねえ?」
 最悪、最悪だ……。指の骨折に苦しむハーマンも、うつ伏せに押さえ込まれて動けないイラリオンも、失神寸前のゾーダンも……そしてどうにか事態を打開しようと汗ダラダラで思考を巡らせるテルも、かなり危険な状況に追い込まれたことだけはわかった。
 天井の影が、壁に向けて跳ね、石壁に残った弾痕を確認し、十分な殺傷能力があることを確認する。そしてまた天井に跳ね、壁に跳ね、目にも泊まらぬ速さで蝋燭だけの酒場の中を縦横無尽に移動した後、テーブルにガタンと落ちてきた。右手には奪った拳銃、左手にはアーティファクト『舞台役者(ドラマティス・ペルソナエ)』を持っている。
「このクソガキどもぉ……舐めてくれたでやんすねえ」
 貴族の少年たちは、明らかに絶望的な状況に、息を呑むしかない。ゾーダンが緊張のあまり虚血性の発作を起こし、倒れこむ。テルは慌ててそれを受け止める。聞こえよがしに「エドワード!」と叫んだ。少しだけ「しめた」と思った。情けなく気を失った友を、これまた情けなく介抱する貴族のガキ……。一旦、周りから「無視していいもの」扱いされることは確実だった。ハーマンはその意図を汲み取ったらしい。右手の痛みに耐えつつ、テルの不明なプランに全額ベットし、時間を稼ごうとする。
「っく、す、すまなかったね、ニーベルン氏……『膀胱の』ニーベルンだったかな……? 確かに、貧民街の祭りで使う、家畜の膀胱を使った鞠遊びの鞠玉に、そっくりな動きだったよ……。いてて……。ゆ、床も天井も壁も跳ね回って、捉えられたもんじゃない。まさか、拳銃を奪われるなんてね……」
「ゴタクはいいんだよ! 腐れ貴族がああ! よくもゴブリンなんて言ってくれたなあ!」
 ニーベルンの怒りは相当なものだった。その剣幕に、まだ年端もいかない四人はすっかり臆してしまって、イラリオンは剣を握った手を押さえられ、その柄を握ることも話すこともできないまま、泣き始める始末だった。もちろん、指が床に押し付けられて、悲鳴をあげているからではない。確実な危険に、心底恐怖するから……。ニーベルンは銃を握った手で、禿頭を激しくかきむしった。普通の人間でもなかなかしないようなスピードでリボルバー拳銃を振り回すことになるから、ハーマンは暴発しないかヒヤヒヤした。
「ああああ! ったく、これだから貴族は信用ならねえ。上部だけ礼儀正しくても、腹の中じゃ何考えてやがるか……」
「まあ! まあ! まあ!」
 思いもよらぬ方向から、場にそぐわない明るい声がした。ハーマンが振り返る。テルが、丸めた上着を枕にしたゾーダンを回り込んで、こちらに寄ってきていた。彼の天性の、人に警戒心を抱かせない柔らかなオーラで。
(テル、貴様、いつものアレでまさか、ここをおさめようってのは……)
 ハーマンはテルと長い付き合いである。彼の「持ちネタ」については……すでに何度も見ていた。テルがこれからする賭けの、賭け金になってしまったことが、彼を動揺させた。怪我した指の痛みすらどうでも良くなるくらいに。
「まあまあまあ」
 テルは最大限低姿勢で、テーブルの上に仁王立ちになってもまだテルよりも目線が下のニーベルンに歩み寄る。腰を低くしているものだから、それでやっと目の高さが一致した。
「お前……」
 ニーベルンは、鬱陶しいような、呆れるような、それでいて絶対に消えない怒りが、今もその顔に燃え上っている。白いゴブリンにしか見えなかった顔が、今では赤いゴブリンだ。
「今まで目立たなかったくせに、妙に生き生きとするでやんすねえ」
 テルは笑みを崩さない。
「いやいや、今回のことはほんっとーに、申し訳ありませんでした……。実は私、彼らのお目付け役を仰せつかっております下級貴族でしてねえ」
 ハーマンが一瞬苦い顔をするが、すぐに痛みだけの表情に戻る。なにが。魔法科学ギルドで一番発言力がある人間の息子のくせに、なにが……。こんな状況でもなければ大笑いしたのだろうが、とにかく、テルの一言一句をなんとかここから逃れることに利用しなければならない。ハーマンは体を低くして右手の指の根本を押さえ、冷静さを持つことに集中した。テルの小芝居は続いた。
「いやー、本当に申し訳ありません。でも、でもですね、もういいんじゃないですかねーはい。我々も反省してますし、ここは、賭け金として持参したお金をお納めするということで、どうか……」
 ハーマンが骨折の痛みの冷や汗とは別の汗を垂らす。あの金は……。四人で出し合った見せ金。全員均等に出した金額は、決して少なくない。しかもかなり上質な金貨で……貧民街の盗賊に渡れば、街の経済にも影響を与える可能性がある。
(よくよく考えるとリスクばかりだったな……)
 ハーマンは学内でのやり取りのノリで実行してしまった今回の火遊びを、今更ながら後悔する。しかし、背に腹はかえられぬ。それで手を打つしかなかった。後のことは後で考えるしかない。とりあえずテルにやり取りを任せ、ハーマン自身は他に気を配る。イラリオンは完全に押さえられて動けない。ゾーダンのクソザコは……気を失ったまま。他には……。店主は勘弁してくれという顔と、貴族がいいようにされているショー見物を楽しむ顔が半々といったところ。そして向こうのテーブルは……相変わらずでかい獣人と奇妙な触手族が食事を続けている。全くなん度も銃声がしているのに豪胆というレベルではない。ただし、先ほどと一つ違うのは、奥に座っている色素の薄い金髪の女が、こちらをじっと見ていること。
(赤い……瞳……?)
 その気づきも、テルとゴブリン男のやりとりにかき消される。
「いや! そこをなんとかお願いします! お金だけでなんとかなりませんか!?」
「うーん」
 ニーベルンとテルの交渉は、ちょっと暗礁に乗り上げているようだった。ニーベルンは、金と、そしてリボルバー拳銃を要求した。仕組みもよくわからないまま、指に引っ掛けて器用にくるくる回している。ハーマンは暴発の危険性を思い、ヒッ、と声を上げるところだった。だがもはやどうしようもない。テルが続ける。
「その銃はあまりにも先進的すぎて、危険すぎてお金になりませんよ!? そんなの持って行ったって意味ないですって!」
「それはわかるでやんすけどねえ……」
 ハーマンは万事休すか、と思った。テルの危惧……もしこのリボルバー銃が最も良くない相手……傭兵ギルドとかに、「魔法科学ギルドを経由せずに」渡って仕舞えば、ギルドは大損だ。ハーマンの家は……極めてまずい政治的立場に置かれるだろう。ハーマンは、親の工房からこの銃を勝手に持ち出した時のことを思い返す。なんて、なんて馬鹿なことをしたんだ……。しかし彼のその絶望と後悔も、またさらに上書きされるようなことが起きた。
「これは、これと交換ではダメですか!?」
 テルは意を決して、懐から何か取り出した。
(っく!? 出やがった……!)
 テルが追い詰められた時によく使う、貴婦人向けの扇だった。ブフっ、と、他のテーブルで吹き出す声が聞こえた気がするが、ハーマンにはどうでもいい。テルが言うには、
「ど、どうです、この逸品! 売れば屋敷が一軒建ちますよ!? さ、さあ、そんな身の安全すら危険に晒しかねない発明品よりこっちが……」
「テルーライン!」
 テルはビクッとした。ニーベルンは片眉を上げた。そしてハーマンをみる。声を上げたのは、彼だった。冷や汗浮かべながら捲し立てる。
「テルーライン! お前! それは死んだ母の形見だと言っただろう!? それを手放して救われたとあっては、貴族として耐えられん! もういい!」
 テルはあまりにも予想外ないじめっ子気質の友達の反応に困惑するしかない。本名を呼ばれてしまうのも想定外だった。
「いや、あの、でも、僕は大丈夫だから」
 ハーマンには通じない。
「俺がダメだと言っている!」
(うっわめんどくさっ)
 テルは状況を絶望視した。友の以外な一面には驚いたが……。だめだ。もうどうにもできない……。
「もういいでやんす!」
 そんな青春寸劇を見てキレたのがニーベルンだった。裏社会の人間が、元々堪え性もあるはずがなかった。本気で面倒そうな顔で、貴族のガキどもを見る。
「あっしもねえ、貴族を必要以上に傷つけて、重大なトラブルをこの町に呼び込んじまったら、商売あがったりでさあ。今日のところは、あんたらが用意した賭け金でいいでやんす。銃も弾を抜いて返しますわ」
(弾もやべーんだよっ!!)
 ハーマンは内心そう叫ぶが流石に口に出せない。先込め銃しか流通していない社会で、薬莢や雷管……その技術的アイディアだけでも知られてしまうのが、どれだけ予測不能な影響を与えるか。ニーベルンは銃をいじるが、あまり機械はわからないのか、苦戦する。大きなため息を吐いて、諦めてこう言った。
「まあ、当初の予定通り、おめえらガキどもの未来は『把握』させてもらいましたがねえ」
「えっ」
 テルは困惑して、痛みとストレスで荒い息を吐いているハーマンと目を合わせる。一体どういう……。ゴブリン男の方を見ると、ニヤッとした笑みが返ってくる。そして銃をテーブルの端の方に置くと、アーティファクトの石板(タブレット)の、輝いている方を向けてきた。
「クックック! 何もかも遅いでやんす……! このアーティファクトにはですねえ、その人の過去の映像も未来の映像も映っちまうんですよ!」
「なんだって……?」
 テルはその画面を覗き込んだ。そこには先ほど映っていたイラリオンも、ハーマンも、テルも、おまけにゾーダンも映っていた。分割された四つの画面の中で、全員がより大きなシルエットに殴られて折檻されたり、家を追い出される戯画的な表現が映し出されたりしている。少年貴族たちへの威嚇効果は、抜群だった。
「クックック! 我々が盗んで初めて気付いた機能です! こんな機能に気づかないなんて、魔法科学ギルドもアホですなあ! さあ! あんたらの姿は保存させていただきました! あんたらの未来はもう我々の知るところです! どこで何をしようと、いくらでも襲ったり、秘密を暴いたりできるんですなあ! ケケケケ! さあ! 我々の口を封じるのにいくら出せます? あんたらのお金持ちの親からいくら引っ張れますう?? ケケケケケケケケ! 分割払いに対応しますぜ〜!」
「うおおおおおおおお!!」
 ハーマンが走った。問題ない左手でテーブル端のリボルバー銃を掴むと、ニーベルンに向ける。
「あっ……」
 テルは思わず口を出そうとするが、狼狽えてしまう。ハーマンに、イラリオンを押さえている男を撃てばいいだろうと言おうとしたのだ。しかし、できなかった。そして、発砲音がした。
「くそっ! くそっ!」
 やはり左手だからだろうか。それとも牛の膀胱で出来た跳ね回るボールのように、壁も天井も関係なく飛びうつって移動するニーベルンが素早いのか、何発か撃つが、一発も当たらない。もう弾切れか? テルはそう危惧する。もう響くのは銃声ではなく、ニーベルンの憎たらしい勝利宣言だった。
「ケヒヒヒ! 追いつけるもんなら追いついてみなあ!? 誰も捕まえられねえ! あっしは盗賊ギルドの『膀胱の』ニーベルンだあ! ……あれ?」
 散々調子に乗ったことを言って、テーブルに戻ったニーベルンだったが、その手に、石板(タブレット)型アーティファクト、『舞台役者(ドラマティス・ペルソナエ)』はどこにもなかった。先程まで赤みを帯びていた顔が、さっと青ざめる。おかしい。自分が盗んだ品を手放すなんて、ましてや落とすなんて絶対あり得ない。どこに、どこに……
「いーかげんにしろや、ガキども」
 ドスの効いた、若い女の声だった。

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