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反応しない練習

まだお坊さんをしていた頃、布教研修所という半年に渡って行われる教育機関の、教職員をしたことがある。

布教研修所を一言で表すと、「現代に即した布教とは何かを研究し、研修する機関」。

具体的に何をしているかというと、布教をするためには先ず「仏の教え」を知らなければならない。仏教の学びを深めて、それらを現代の人たちに分かりやすく伝える為の研鑽を重ねる。

そして学んだことを実際に伝える為の「法話実習」。ゼロから寺院を建立した方や、他宗派の方々から、布教の方法を学んだりする研修も行う。

この半年間の研修は、決められたカリキュラムなどはなく、研修の立案や企画、スケジュール構成、外部講師や研修先とのやり取りも、全て教職員が担うというスタイルのもの。

すごいプレッシャー💦💦💦

当時、諸事情により出家したお寺を離れなければならなくなり、恥ずかしながら精神的には安定しているとは言えない状況だった。少し鬱っぽい状態だったかもしれない。だから、少し感情的になってしまうこともあり、反省の日々💦。

お坊さんと言えど、生身の人間。感情には波がある。その感情の波を緩やかに、穏やかにするために色んな教えがある。今でも知らないことはいっぱいあるけど、当時の私はもっと、経験も勉強も未熟だったと思う。

そのあとセラピストになってから数年後、
(セラピストになった時のお話はこちら)

あるお坊さんと出会う。その方は特定の宗派には属さず、タイやインドで修行をされた方。

その方が言っていた
「反応しない練習が必要である」と。

私たちは周囲で何かが起きたとき、誰かに何かを言われたとき、その出来事に反応して、すぐさま感情に荒波が立ってしまう。これは自分の人生を、周りの誰かにコントロールされている状態。「自分の人生を生きていない」とも言えるらしい。だって、自分の手のひら以外で起こることは、自分ではコントロール出来ないのだから。

「私は自分の人生を生きていなかったんだ。。。」
そう思い、衝撃を受けた。

と同時に
「自分の人生を生きよう。自分を大切にし、自分の望みを叶えてあげよう。」
そんなことも同時に思った。

反応しない練習はとっても簡単。
感情に荒波が立ちそうになったとき、「身体の感覚に意識を向ける」だけ。一番簡単なのは、呼吸に意識を向けること。吸う息、吐く息だけに意識を向ける。これは立っていても歩いていても、すぐその場で出来る。

「何も考えずに、身体の感覚だけに意識を向ける。」だからお坊さんは、座禅をしたりするんですね(^^)v。

それから反応しない練習を繰り返し、今では何が起きてもあまり動じなくなったし、心の余裕も生まれてきたと思う。色んな物事に反応するのではなく、物事を冷静に受け止められるようになってきた、、、と思う(^-^)。

ちなみに心の余裕は、アーユルヴェーダ的に言うと、空のエネルギーが安定している状態のことです。

今日も素敵な1日を(^-^)/

seimyo

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