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想いを寄せる


「芦原さんについて「繊細な人だったんだろうな」という感想をいくつか見かけました。

多分、普通の人だったんじゃないかと想像します。

普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います。」(佐藤秀峰さんのnoteより抜粋)

ドラマ脚本家の方のInstagramに投稿された責めるような記事に端を発し、炎上を経て漫画家の先生が亡くなられた事件

どこかで漫画家さんを「傷つきやすい人」と勝手に分類して、今回起きたことを軽視してる(しようとしている)空気があること

それに対して「傷つけられたら誰だって普通に悲しいんじゃないの?」と改めて問いかけられたように感じました

美しい瀬戸内の海

漫画という物語が好きな人間として、また絵を描く人間としても、今とてもしんどいです

まだ著作権に関する課題がクリアになっていないまま持て囃されている、画像生成AI推進問題と共通する考え方があると思います

「人の作品を盗んで、おいしいところだけ自分のものにしたい」

「良い作品は欲しい。でもお金も時間もコミュニケーションも、あらゆるコストをかけたくない」

…作品は享受するくせに、作り手は人として尊重できないのか

作られた作品に、価値に、対価を払うのがそんなに嫌か

対話もせず、約束は破り、人として扱わずに作品だけ横取りして稼いで楽しいか……

人が1から作ったものを横取りして自分の手柄にする人間の幼稚さに対する怒りとともに、

数字でしか判断できない、
感性や気持ちを蔑ろにする人間をたくさん作ってきた、日本の教育がどこに辿り着いたのか

良くないところ(あるいは不足しているところ)が結実してしまったようにも感じました

自分が真っ黒い影のようになっていく感覚

尊敬しているあらゆる作り手の方が苦しむ姿を見るたびに泣きたくなります

平気で作り手を苦しめる人間の声の多さに消えたくなります

でも、だからこそ「自分で手を動かす楽しさ」を1人でも2人でも多く伝えたい

「どんな人も何かを生み出せる」

そこには替えの効かない価値があることを知って欲しい

だから私はどんなに規模が小さくて笑われようとこれからもワークショップを続けるし、作ることは、描くことは特別なことじゃないと言い続けます

自分の手は何かを作れる手だと知ってください

そこにはあなたならではの魅力があることを知ってください

それを知ったなら、
他の人が作ったものを、作ったその人を、粗雑に扱うことはきっと無くなると信じています

淡く光る天上からの梯子が綺麗でした

作り手も、それを楽しむ人も、悪くない

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