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オンライン授業で1年が過ぎて

※この記事はコロナ禍から1年が経過した2021年3月に書いて、下書き保存されていたものです。書いていたのを忘れていました。
2023年5月現在は職場の大学は完全に対面授業に戻っており、この当時の苦労はなんだったのかという心持ちです。タイムマシンがあったら、行って2年前の自分にこう言ってあげたいです。
「その後の2021年度の1年はマスク着用の対面授業がおっかなびっくり少しずつ始まってオンラインを併用したハイブリッド授業もやるけど、半分以上オンライン授業もやるので負荷が半端なく倍増する。
睡眠不足が常態化して老眼が進む。
基本的に1日座りっぱなしの仕事のしすぎの無理がたたって、左肩と右肩が順番に激痛で動かなくなって整形外科に年末年始を挟んだ2ヶ月間リハビリにかかる。
その挙げ句、明けて2022年になってあんなに気をつけていても家族全員がコロナに感染する。1〜2月にかけてコロナの爆発的感染が広まり始めたからだが(全国新規感染者数10万人強/日)、オミクロンという弱毒化したやつで大丈夫だ。職場で最初にかかって大事な業務ともろかぶりでタイミングが悪かったので最初は肩身が狭いが、その後に桁違いの感染者数の増加で周りもどんどん感染していく。最終的にはマスクをしていても国民の多くが感染して2022年末辺りに全国の1日の感染者数(全国新規感染者数24万人強/日)で日本がブッチギリの世界第1位になる。
ちなみに今年の3月10日でジョン・ホプキンス大学のデータ公開は終えているが、最後の直近28日間のデータで日本は感染者数でも死者数でも世界第2位だ。国民のワクチン接種率が7割近くをマークしていて、未だにマスクをほとんどの人々がおまじないのように着けているにも関わらず。
他の国ではすでにマスクを着けないの日常化していて、そんな海外からのインバウンドも再開している。
大学の方は2022年4月からマスク対面授業に全面シフトする。それが続いてやっぱり授業と学生の大学生活は対面が基本だ、となる。
オンライン授業のために作った膨大な授業録画資料は7〜8割方、意味がなくなる。
オンライン授業による教育のパラダイム・シフトは少なくとも日本では起こらなかったけど、会議とかはZoomのおかげでちょっと便利になった。
あれほどリモートリモートと言っていた企業や社会もやっぱりリアルの方が仕事いいわー派とリモートで十分継続派、ミックス派になって、通勤がそこそこ増えてきている。
先週、5/05にWHOがパンデミック終了宣言をしてコロナ禍は正式に終焉したことになった。
だからあんまりきばらなくていい」
というわけで、あの時の状態と今を比較するために公開することにします。

学期末の成績づけも終わり、休息を取ってやっとなにかを書ける状態になってきたかなーと思ったら、もう年度末で新年度の準備に忙殺されている最近です。

というわけで、この1年の行なった授業について総括らしきものしてみたいと思います。

なにごとも春夏秋冬が過ぎないとわからない

購入した車の長所短所も、買った機材の使い勝手も、友人の良し悪しも、恋人との相性も春夏秋冬が過ぎないとわからない、という個人的な持論(?)がありますが今年度の授業もそんな感じでした。

昨年2020年5月下旬からオンライン授業を始め、後期も一部を除いてほぼフルのオンライン授業を行いました。
後期は対面授業でというのも検討されていましたが、ご存知の通り8月以降の新型コロナの第2波があったために、一部の希望者は通学で受講可能、大学の設備も希望者は使用可能とするに留まりました。
授業は前期に引き続き、オンライン中心で進行しました。

それでもまったく大学に来れなかった前期よりは学生も、そして教員も行動の自由が多少出てきたという意味では「マシ」だったと思います。

8〜9月のその当時、世間はGo To EatだGo To Travelだとやられていて、大学は対面授業の努力をするべきだ!なんのための学費だ!という世間の声(主にマスコミ)や文科省の通達がありましたが、大学は感染防止の観点から基本に忠実に従って接触と密状態を避けるためにオンラインを実施していたわけです。

オンライン授業という正解

年末〜1月の第3波を経て、後から振り返るとこれはいろいろな意味で賢明な選択だったと個人的には思っています。
新型コロナに罹患した学生がいても登校はしていなかったため、何回かあったであろう学内クラスターの可能性を回避できました。
つまり、この遠隔授業の大目標だった「学生とその家族を大学由来の新型コロナ感染から守る」というのは達成できたわけです。
そして、前期の開始当初は教員も学生も混乱の極みだったオンライン授業も、短い2週間ほどの夏休みを挟んで後期になったら嘘のように落ち着いて淡々と進行していきました。

時間と経験が解決してくれる問題はある、ということを私たちは学んだように思います。

オンライン授業はまったく楽じゃない

しかし、オンライン授業は「楽ではない」。
慣れないうちはすべてが手探りで、むしろ手間と時間がかかる。
たどり着いたものが正解である保証はない。

このことを世間の多くの人々は残念ながら認識していなかったようです。
そして未だにその傾向はあると思います。

通勤がなくて自宅からできるから楽じゃないか。
教室で立って講義をしなくていいなんて楽じゃないか。
だから大学は授業料を減額するべきだ。

つまり、

オンライン授業をしている教員はまったく苦労をしていない
汗をかいていない
労働に値していない

そういう認識なのかもしれません。
ところが当の大学教員のほとんどは、もがきながら授業を運営していったわけです。
かくいう私も大いにもがき続けた1年でした。
本当にもがきました。

なぜもがくことになったのか。

それはオンライン授業に舵を切ったのならば、その条件で以前より高い教育効果を実現しようという志を自分で持ったからです。
どうせやるならガッツリ取り組んでこれまでの対面よりもやれることをやってやろうとしたからです。

もし、この志を持たなければ、もしかしたら世間で言われているように教員は非常に楽ちんポンポンな状態で過ごせたかもしれませんが、それだとオンライン授業に対する学生達の認識というか評価はシビアなものになっていくのがわかってきていました。

ライブ目線と引いた目線

例えば、これまでの対面授業の中で、数年に渡って使ってきた講義ノートや資料を読み上げたり板書する、またはパワポを見せるスタイルの授業をやってきたとしましょう。
オンライン授業では、カメラの前で同じように講義ノートをよみあげて板書/パワポを見せるということになるわけですが、これをやるだけでは遠隔授業の場合は成立が難しく、魅力が少ないことになってしまうのです。

単純に言うと、ライブ感と迫力がないので間が持たない。

講義室に身を置いて見聞きするのと違って、オンラインで見ているとより引いた目線で見ることになります。
見てる学生側にとって刺激が非常に乏しくなってしまうのです。

これは、ライブハウスに行ってその場でライブを聴くのと、
カメラを定点に置いてステージを撮影したのを視聴する違い、
と言えばわかってもらえるでしょうか。

音楽のライブを撮影した映像などは、目まぐるしく数台のカメラを切り替えながらテンポを出したり、エフェクトをかけたり、またステージ上にスモークが炊かれたり巨大LEDディスプレイに映像が映って変化するので、長時間でも見ていられます。そのために大勢のスタッフがいて、リアルタイムで上記の操作をしています。
さらにライブの録画素材をMV(Music Video)にする場合は時間をかけて編集をしているわけです。

一方、大学教員が行う授業は演者である教員だけです。複数のカメラを用意して切り替えていくなんて演出はしませんし、エフェクトもかけません。
固定したカメラや画面共有のパワポや板書を見るだけです。
それが長くて90分。
講義室では周りに友達がいますが、オンライン授業では学生も家で一人です。
これは見る方が辛くなるわけです。

お笑い芸人のコントや喋りはリアルタイムの放送でも面白く見れる、というのは芸人のさすがの職人技のおかげです。そしてコントをやっている時間は5分くらいと短いからです。
90分のコントをやっている芸人はいません。

前からこうしたいと思っていたこと

実は以前から、対面授業をやっている中で、パワポ資料を映した遠くの画面を一斉に学生達が見ることの教育効果はどれほどのものだろう?と個人的に疑問を持っていました。マイクを使っていても声の距離感はいかんともし難いものがあります。
眠くなった学生は聞き逃したところもたくさん出てくるはずです。
演習ならば操作や手順などを見辛かったり見逃してしまうかもしれません。

だから私は、
学生が手元のPCでこちらの操作画面や資料をリアルタイムに見えたらいいのに、
声もよく聞こえた方がいいのに、
さらに後から復習のために授業を録画してTVの録画を再生するみたいに何倍速の早見早聞きができればいいのに、

と思っていました。

しかし、一般の講義室や教室にはそのインフラがありませんでした。
今となっては信じられないのですが、教員のPCを中継するためのインフラとして、専用機材とシステムが必要だったのです。
リアルタイムの映像配信や画面共有した画面を配信することは普通のPCだけではできなかったのです。
遠隔会議システムはあるにはありましたが、特定の会議室同士を専用回線で繋げるために高額な設備投資が必要でした。
教室には学生達も持ってきたノートPCを接続するコンセントがありませんし、講義室内のWi-fiの通信インフラも十分ではありませんでした。

ニコニコ動画の生配信やYoutube Liveなどは出てきてはいましたから、その萌芽は出てきていたわけですが、双方向性があって一般的に使われるようになるまでにもう少しという段階で足踏みしている状態でした。

それがこのコロナ禍で一気にテクノロジー面が進化してしまいました。

ZoomやGoogle Meetがものすごい勢いで進化し、講義の中継ができるようになりました。
前述の「〜できたらいいのに」が全部叶ってしまいました。
画面の共有でパワポの資料が学生のノートPCで見れますし、声も講義室よりもクリアに聞こえます。
自宅から接続して視聴することで、教室のWi-fiの接続数上限の問題もなくなります。
アプリの操作も簡便になり、専用機材がなくてもPCやスマホとネット回線とイヤホンがあれば誰もができるようになりました。
結果、ユーザー層が一気に広がって遠隔会議や講義がコモディティ化していったのはご存知の通りです。

これはなんというか、50年分くらいの教育システムの変化がこの1年で発生した感覚です。

前からこうしたいと思っていたことが叶ってしまったわけです。
しかし、その願っていたことは講義室や教室でやりたかったことで、リモートのオンライン授業で叶ってしまったというのは大きな違いでした。
目の前の同じ空間にいる学生ではなく、目の前にいない遠くの学生に対してやることの違いは、先ほどのライブか固定カメラかの違いを生み出します。

対面でもつまらない授業

一部の大学教員のオンライン授業(オンデマンド授業)では、毎回ほんの少しの授業資料PDFをネット上にアップしてレポート課題を課すだけ、学生とコミュニケーションを取らずフィードバックをほとんどしない、オンライン授業として成立していないというケースもあったと聞いています。

その理由は単純に、(一部の)高齢の教員が技術的に今回の教育環境の変化に対応できなかったということが原因ということもあるかと思いますが、それだけかというと、ちょっと違うかなと思います。
誤解のないように申し添えると、高齢でも教えを乞いたいほど上質なオンライン授業をやられている先生方もいました。これは年齢だけの問題ではないのです。

もともとの授業に工夫がなかったというのがオンラインで如実にあぶり出されてしまった、ということではないでしょうか。

これまでの対面授業の中で、10年以上に渡って同じ講義ノートを読み上げたり板書をするだけの授業をやってきた、特に工夫をしてこなかった教員です。
オンライン授業に切り替わって同じようにカメラに向かって、オフラインと同じように講義ノートをよみあげて板書をしたら、おそらくオンラインの利点を生かしていない、とても眠気を誘う授業になると思います。

対面でもつまらない授業というのが、オンラインでさらにつまらなくなった、ということでしょう。

授業の手応えが感じられない

一方、授業に工夫をしていても教員はもがくことになりました。それは授業が伝わっているかどうかがわからないまま、進まざるを得なかったからです。
学生の顔が見えればそれがわかる、ということで、カメラオンを強制していた教員もいましたが、私の授業では基本的に学生のカメラオフを許可していました。

最初は学生の顔が見えない、反応がわからないので、話しているこちらの孤独感を増幅させました。

それならばカメラオンにすれば、というのはちょっと違っていて、カメラオンにしたところで幽霊のように無表情の学生の顔が30人くらい映るだけです。160人の講義の受講者全員がわかるわけではありません。

ずっと画面に向かって90分動かない苦行を学生に強いるのはどうかな、と思ったのもあったし、ずっとカメラオンで学生の顔が並んでいるのはかなりシュールです。

それならばカメラオフ、という判断をしました。

最初は教室で話すのと違って、ディスプレイとマイクに向かって延々話すのに慣れませんでしたが、すぐにこんなものかとコツをつかんで進められるようになりました。

なお、最初の202年5月は学生側のネット環境の違いに配慮して、データダイエットのために、Zoomで講義を行うのは推奨されていませんでした。Discordで文字情報中心にしたりしていました。
しかし、先行してZoomでやった他の先生の授業があり、通信は全然問題なかったというのを聞いてからは私もZoomを中心にやるようになりました。

それで少し以前の授業っぽく進められるようになったのですが、オンライン授業だから特に楽になったということはありません。

まったくありません。

オンラインでやる分、
学生の興味を引きつけておく工夫、
理解度を知る工夫、
出席や課題の細かいチェックとフィードバックコメントの工夫

など、工夫に費やす時間が増えたからです。

対面ならば表情や短い時間の確認で済むものが、オンラインだと別途に時間を費やすことになりました。

少なくとも私の場合はそうでした。

長い時間の通勤がないからいいじゃないかというのも当てはまりません。その通勤時間に匹敵する時間またはそれ以上の時間を上記の「工夫」に費やしているからです。
1日18時間くらい座りっぱなし状態という日も少なくありませんでした。

そんな「工夫」の効果があったのかなかったのかは、「工夫」をしていない状態のオンライン授業のデータがないので比較できていません。
なにせこのオンライン授業はほとんど検討もされず、現場の個別の教員に丸投げされて、手探りしながら進めた初めての経験なのですから。

教育のパラダイム・シフト?

この1年は、なんだかずっともがいたり工夫を続けていた状態で過ぎていったように思います。
これが教育のパラダイムシフトに繋がっていくのかどうかは、正直まったくわかりません。とりあえず1年をしのいだという感想しかありません。
次の1年がどんな1年になるのかまったくわかりません。
大学はギリギリまでどんな方針になるか伝えてきませんので、対面になるかオンラインが継続するか、どちらになるかわかりませんがどちらにも対応できるように準備をしておくしかないですね。

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