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Webライターで月5万円稼ぐまでにやったこと。(結論、稼いでない)

思い出してみた。
月5万円を稼ぐまでにやったこと。

僕は要領の良い人間ではない。
だから、時間がかかったことを覚えている。
一体、どれくらいだったか。

2020年5月。
僕が会社を辞めて、Webライターになった時のこと。
Webライティングの存在も辞めてから知った。

始めたのも、Webライティングの仕事を知ることから。
まずは動画を見た。
その時に人気だったマナブさんの動画を見た。

・Webライティングで月3万円稼ぐためのロードマップ
・ブログで月5万円稼ぐためにロードマップ

確か、そんなテーマだったと記憶している。
僕は動画の通りに取り組んだ。

WordPressでブログ開設をして。
といってもこれが一苦労だった。
なにせ、その時の僕はパソコン音痴。
サーバが何かもドメインが何かもわからなかった。
確か開設するまでに1週間はかかったと思う。

なんとかブログを開設したはいいものの。
結局、ブログを日記代わりにしか
使いこなすことができなかった。

1ヶ月でブログには飽きた。力尽きた。
自分には無理だと悟った最初の挫折。

さて、一緒に取り組んでいたのがWebライティング。
こちらはまずランサーズの登録から始めた。
動画の通りにプロフィールを作り、
動画の通りに提案を作った。

初めて受注したのは、テストライティング0.3円。
大体2000文字くらいだったか。
ウンウンと頭を捻って、1週間くらいかけて提出した。

結局、貰えたのは600円前後。
たったの600円前後だったが、大きな達成感だった。

始めて自分の力だ稼いだお金だ。
これからどんどん稼いでいくのだとやる気に満ちていた。
だが現実は違っていた。

テストライティングには見事受かった。
だが、本受注になったとしても文字単価は0.5円だった。

でも当時は、
きっと、初心者なんてそんなもんなのだろう。
そう思っていた。
1週間で大体5000〜10000万文字の文章。
不動産だったりFXだったりポスティングだったり。

それ以外にも色々な案件に応募した。
時には文字単価1円の案件もあったが、
どれだけ頑張っても月3万円が限界だった。

そんな時に出会ったのが、YouTube台本の案件だった。
これもランサーズでの募集。
文字単価も0.8円とそれほど高いものではなかった。
でも、自分の好きなジャンルだったこともあり、
今まで以上に真剣に取り組んだ。

始めて取り組んだ、YouTube台本の作成は、
ほとんど苦にならなかった。
新しいことを知れること、
面白い文章を追求できる自由度の高さ。
それが楽しかった。

動画がバズったのは台本を提出してから
3週間がたった後のこと。
動画にかじりついて、再生回数をチェックした。
数千から数万。数万から数十万。そして100万。
今までとは違う高揚感を感じた。

これがやりたい。そう思った。

僕は、他の仕事を断り、
YouTube台本に注力することにした。
でも勘違いしないでほしい。

この時だって、僕の月収は3万円程度。
むしろ、それよりも低かった。
理由は簡単だ。
半ばWebライターを諦めていたのだ。

もう、疲れたな。
そろそろ就職するか…
そう考えたのが2020年の11月。

でもWebの仕事はしたいと思っていた。
だから、オンラインのプログラミングスクールに通った。
正社員時代に貯めた貯金を切り崩す日々。
正直、受講料20万円は僕の生活をひっ迫した。

だが、諦めるわけにはいかない。
その思いで、毎日徹夜してプログラミングの勉強をした。
2ヶ月間の短期コースだ。

2021年1月に講義は終了し、
その後スグに就職活動を始めた。
1ヶ月後にはとんとん拍子で就職先が決まった。
客先常駐のSEだ。

僕はYouTube台本でお世話になっていた
クライアントに打ち明けた。
就職先が決まった。Webライターの活動は縮小しようと思う。
これからはあまり稼働できない。

素直にそういうと。
クライアントから電話がかかってきた。
初めての電話だったから内心ものすごく緊張した。

告げられたのは。
YouTube台本ディレクターになってくれないか。
ということだった。
つまり。就職先を蹴って台本を書いてくれ。
と依頼されたわけだ。

突然舞い込んだ。仕事の依頼に僕は
猶予をほしい。そう答えるしかなかった。

1週間真剣に考えた。
生活のこと。そして将来のこと。

真剣に考え、決断した。
YouTubeの台本ライターになることを。
クライアントにはこう告げた。

就職はいつでもできるが。
台本を作る機会はこれが最後かも知れない。

就職先は蹴った。
(その時、バイト先に好きな子がいて、
その子ともう少しだけ一緒に仕事がしたい
という不純な気持ちがあったことは
心の奥にしまい込んでおく)

僕はディレクターとして、仲間のライターを探した。
この時の収入は悲惨なものだった。
大体2ヶ月くらい、ほとんどただ働き。
これ、騙されているんじゃね?と毎日思いながら
半泣きになりながら徹夜で仕事をした。

だけど、少しずつだけと収入は増えていった。
始めて月5万円を超えたのは、
2021年の5月くらいだろうか。

2020年の5月からWebライターをスタートさせて、
ちょうど1年が経っていた。
おそらく、要領悪いなと思った人が多いだろう。
でも、要領の悪い僕が達成できたことが重要なのだ。

それからも少しずつ収入を増やしていき。
2024年の1月もまだWebライターを続けられている。

でも、よくよく考えると
稼いだのはディレクターとしてだから、
Webライターとして月5万円を
稼いだわけじゃないとも言える。

なら、嘘じゃないか。
そう思う方もいるかも知れない。

ご心配なく。
後々、ブックライティングで数十万円の
報酬が出たりはしているからセーフだ。
(これもWebではないのでノーカンとも言える)

さて、ここ5万円を稼ぐまでにやったことを
ざっくりと、そしてメモ代わりに記してみた。
他にも、色々なことがあったし、
今に至るまで多くの挫折があった。
だけど、それはまたの機会に記すとしよう。

最後に、教訓を。
諦めなければなんとかなる。

おわり。

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