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【新刊試し読み】伊東達也『苦学と立身と図書館』「序章」を公開します!

10月26日に伊東達也『苦学と立身と図書館 パブリック・ライブラリーと近代日本』を発売します! これに合わせ、本書の序章の一部を公開します。

公共図書館の成立過程を追っていく過程で、図書館が音読の禁止を背景に「勉強・自習」の空間となり、近代日本の立身出世と密接に関係していった歴史を掘り起こした本書。

これまであまり取り上げられてこなかった「図書館と勉強」の知られざる一面を明らかにする貴重な研究成果です。ぜひごらんください!

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序章 “public library”と日本の図書館

2 問題の所在
 
 わが国最初のパブリック・ライブラリーといわれる東京書籍館を創設した文部大輔・田中不二麿は、一八七七年(明治十年)末の『文部省第四年報』中に「公立書籍館ノ設置ヲ要ス」と題した一文を草し、「公立学校ノ設置ト公立書籍館ノ設置トハ固ヨリ主伴ノ関係ヲ有シ互ニ相離ルヘキニ非ス」、「今ヤ公立学校ノ設置稍多キヲ加フルノ秋ニ際シ独リ公立書籍館ノ設置甚タ少ナキハ教育上ノ欠憾ト謂ハサルヲ得ス(12)」と図書館(公立書籍館)を学校を補完する教育機関と位置づけて、その全国的な設置を訴えた。しかしその後、図書館の整備は全国一律には進まず、ある時期まで図書館はほとんど東京一都市に集中して存在していた。

 一八九七年(明治三十年)の帝国図書館官制の制定と九九年(明治三十二年)の図書館令の公布に象徴されるように、図書館に対する政治的評価が定まったのは一九〇〇年前後(明治三十年代)以降であり、図書館数やその利用者数が増加した〇〇年頃から二〇年代半ば(明治三十年代半ばから大正期)にかけての時期が日本の公共図書館制度の確立期といえる。(13)全国の図書館閲覧者数は、〇一年(明治三十四年)以前にはその六〇パーセント以上を東京市(東京府)内の図書館が占めていて、ときにはそれが八〇パーセント近くに達している。また、図書館別の閲覧者数の内訳をみると、その大部分が、書籍館を端緒とする東京書籍館、東京府書籍館、東京図書館、帝国図書館という官立図書館の利用だった。すなわち、〇三年頃(明治三十年代半ば)までの図書館制度草創期では、公共図書館を利用するという行為は、ほぼ東京という一都市のなかで、官立図書館を中心とした現象だったことがわかる。

 では、この時期の図書館は、どのような人々によって使われていたのだろうか。従来の図書館史研究は、個々の図書館の成立史のほかは、一九〇〇年前後(明治三十年代)の制度確立期以後の図書館の文教政策全体のなかでの位置づけに着目したものが多く、日露戦争後から内務省が主導して展開した地方改良運動と、その一環として進められた社会教育思想の形成、さらにその影響によって、実質的には四五年(昭和二十年)の敗戦まで、その性格や内容が規定されてきた図書館の姿が明らかにされてきた。(14)しかし、その利用状況については、「萌芽期にあった公立書籍館は、わが国資本主義原資蓄積期というきびしい条件のなかで、その芽は萎み、枯れて行った。(略)自然その門を閉ざし本来の『学校図書館』となってゆくのも故なしとしない(15)」という評価や、「まだ未発達であった学校図書館、大学図書館の補助的機能を果たしていた(16)」、通俗図書館政策下で「『健全有益ナル図書』を保持し、それを読ませようとした努力は、結局大衆の支持を得られず、学生の図書館と化してしまった(17)」という見解にとどまっていて、利用の実態や時期による変化のありようには関心が払われていない。

 当然ながら、一八七二年(明治五年)の書籍館の開館以来、近代日本にも数多くの図書館利用者が存在したはずであり、それぞれの図書館は、利用者との関わりによって、その影響を受けながら形づくられてきたはずである。したがって、図書館の歴史は、施設や蔵書、施策の発達史ではなく、公共施設としての使われ方の歴史が中心でなければならない。ところが、個々の図書館の記録のなかに利用者についての統計があらわれるのは一九〇五年前後(明治三十年代後半)以後であり、官立図書館でも、「閲覧人ノ種類ハ館内ノ分ヲ従来其調査ヲ欠キタリシカ本年度ヨリ詳細ヲ調査セリ(18)」として、館内閲覧者の職業別統計が初めて公表されたのは〇七年度(明治四十年度)である。日本の図書館の特徴が形成された草創期の〇〇年前後(明治三十年代)よりも前の利用状況については、これまでほとんど明らかにされていない。

 しかし、例外として大日本教育会書籍館が一八九〇年前後(明治二十年代)におこなった職業別調査の記録が部分的に残されている。同館の八九年(明治二十二年)八月分の閲覧者統計によると、総閲覧者数千八十三人のうち約八〇パーセントの八百五十一人を「学生」が占めていた。(19)また、その後一九〇七年度(明治四十年度)の帝国図書館の閲覧者統計も、六四・六パーセントが「学生々徒」だった。同館の年報には「館内閲覧人ハ学生其多数ヲ占ムルハ前年ノ趨勢ト異ナラサレトモ」という解説が付されていることからも、一八九〇年前後(明治二十年代)の以前からこのような状況が恒常的に続いていたことがわかる。(20)学校の在籍者以外の過年度卒業生や各種試験の受験生などは「無職」または「その他」に区分(21)されていたことからすれば、実際には統計の数以上に図書館利用者中の学生の比率は高かったと考えられる。

 公共図書館の利用者の大部分を学生が占めるというこの傾向は、図書館利用者の職業別統計が公表されるようになって以後、明治期だけではなく戦前・戦後を通じて、図書館の規模の大小や地域を問わずみられるものである。そして、これは各図書館の設立目的や図書館に関する政策とは関わりがないところで形成された、日本の図書館の大きな特徴のひとつといえる。

 では、なぜこのような特徴が生じたのだろうか。それは、この時期の学生の需要を満たすような社会的機能、すなわち、勉強ができる空間としての機能が図書館に備わっていたからと考えられる。近代日本の図書館は、情報機関としての機能よりも、勉強ができる空間としての機能によって社会的に受け入れられた。

 図書館がどのような目的と理念に基づいて設立され、整備されたのかという図書館を設置する側の図書館理解と、それを使う者が図書館をどのようなものとみなし、日常生活のなかで図書館にどう関わったのかという、利用する側の図書館理解との間に相違がある以上、日本の図書館が学生による利用と不可分の関係をもちながら成立したものだとすれば、それは公共図書館制度に対する原初的な民意のあらわれと考えられ、図書館という存在を検討する際に、彼らの学びの場という観点が不可欠であることを示している。この視点を加えることによって、政策や設置者側からみたものとは異なる図書館形成の過程が理解できるのであり、近代日本ならではの図書館史の特徴を解明することにつながるはずである。

 日本の図書館は、なぜ学生が多く利用するものになったのか。この問いに対する答えを探求することで、近代公共図書館制度が日本社会のなかに位置づけられていく真の歴史と、近代日本の公共図書館観を明らかにすることができる。

 そこで、図書館の草創から制度確立に至るまでの成立期ともいえる明治期全般を対象として、その利用の実態や利用者の構成について検討する。特に学校・試験制度や、東京という都市の学生と称される若者と図書館の関わりに注目することで、都市空間のなかでの図書館の機能を明らかにし、利用する側からみた図書館成立史の描出を試みる。

※注

(12)「公立書籍館ノ設置ヲ要ス」、文部省編『文部省第四年報』(復刻版)、宣文堂、一九六六年、二一―二二ページ
(13)裏田武夫/小川剛「明治・大正期公共図書館研究序説」「東京大学教育学部紀要」第八号、東京大学教育学部、一九六五年
(14)石井敦『日本近代公共図書館史の研究』日本図書館協会、一九七二年
(15)同書一六三ページ
(16)永嶺重敏「明治期の公共図書館と利用者―図書館利用者公衆の形成過程」、日本図書館研究会編「図書館界」第四十九巻第五号、日本図書館研究会、一九九八年、二六四ページ
(17)前掲『日本近代公共図書館史の研究』六五ページ
(18)国立国会図書館支部上野図書館編『帝国図書館年報』国立国会図書館、一九七四年、二三一ページ
(19)「書籍館報告」「大日本教育会雑誌」第九十号、大日本教育会、一八八九年、七一一―七一三ページ
(20)前掲『帝国図書館年報』二三一ページ
(21)一九〇七年(明治四十年)の帝国図書館利用者の「学生」について次のような新聞記事がある。
 「此内学生とせるは明らかに学籍にあるものゝみにして高等学校又は判検事弁護士医師試験準備の為め閲覧するものは無職の内に含まるゝものなり」(「帝国図書館の近況」「東京朝日新聞」一九〇七年八月五日付)

**********************************以上が『苦学と立身と図書館』「序章」の一部です。本書の詳細、目次などが気になった方はぜひ当社Webサイトからごらんください! 全国の書店で予約受付中です。

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