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【新刊試し読み】太田省一『ニッポン男性アイドル史』「はじめに」を公開します!

3月26日に太田省一『ニッポン男性アイドル史   一九六〇―二〇一〇年代』を発売します! これに合わせ、本書の「はじめに」の一部を公開します。

1960年代のグループサウンズとジャニーズのライバル関係に始まり、70年代の新御三家、学園ドラマの俳優、80年代のたのきんトリオ、チェッカーズなど、多岐にわたる男性アイドルの足跡を、「王子様」「不良」「普通の男の子」というキーワードをもとにたどります。

テレビ、映画、舞台、SNSや「YouTube」などアイドルの多メディア展開も射程に収め、未完成の存在であるがゆえの成長する魅力で私たちを引き付けてやまない男性アイドルの歴史を、日本社会やメディア文化との関係から描き出した本書。ぜひごらんください!

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序章 男性アイドルは、どのように変わってきたか

はじめに

 本書は、日本の男性アイドルの歴史をたどり直すことを目的にしている。
 
 なぜ、特に男性アイドルに注目するのか。

 ひとつは、これまで男性アイドルの歴史について書かれたものが、女性アイドルに比べて少ないように思えるからである。その理由については終章で考えるが、まずは本書を通じてそうした偏りが少しでもなくなれば、という思いがある。

 そしてもうひとつは、ジャニーズという存在についてあらためて考え直してみたいからである。

 これまでもジャニーズという存在は、なにかにつけて話題の的になってきた。しかし、二〇一九年のジャニーズ事務所創設者ジャニー喜多川の死去によって、創設以来の長きにわたる功績が振り返られるなど、これまであまりふれられなかったジャニーズの歴史的側面にも注目が集まることになった。

 考えてみれば、テレビなどで語られる「ジャニーさん」エピソードを通じて慣れ親しまれていたにしても、終始裏方として人生を全うしたひとりの人物の死にこれほど注目が集まったケースは、日本の芸能史上きわめてまれだろう。そしてそれは、「ジャニーズ」という独特のエンターテインメント文化が、それだけ世の中に浸透したことの証しでもある。

 また同じ二〇一九年には、一七年にジャニーズ事務所を退所したSMAPの元メンバー三人をテレビに出演させないよう圧力をかけていた疑いがあるとして、公正取引委員会がジャニーズ事務所を注意していたことが報じられ、波紋が広がった。そして他方では、一八年ごろから、それまで消極的だったネットへの進出が活発化し始めるなど、現役ジャニーズの活動スタイルにも大きな変化が見えるようになってきた。

 こうした一連のことから感じるのは、ジャニーズはいま、大きな転換期を迎えつつあるということである。ではなぜ、いまなのか。その答えを知るには、ジャニーズを男性アイドル全体の歴史のなかに置き直し、一度ジャニーズを客観的に理解することが有効な方法であるはずだ。

 実際、男性アイドルの歴史はそれほど単純なものではない。いまの状況だけを見ればあたかも「男性アイドル=ジャニーズ」のようだが、最初からそうだったわけではない。ジャニーズがそれほど目立たない時代もあったし、ジャニーズとほかの男性アイドルが拮抗した時代もあった。だがあるときから、「男性アイドル=ジャニーズ」という図式ができあがった。本書では、その経緯についても順を追って明らかにできればと思う。

 そこでまずここでは、次章以降を読む際の一助として、男性アイドル史の基本的な構図と流れを整理してみよう。

1 男性アイドルの二大タイプ、「王子様」と「不良」

 本書には一九六〇年代から現在までを彩った多くのアイドルが登場するが、その基本構図としてあると考えられるのが、「王子様」と「不良」という二つのタイプの対抗関係である。憧れをかき立てるやさしい「王子様」タイプとギラギラした野性味あふれる「不良」タイプ。この二つのタイプが競い合うことで、男性アイドルの世界は展開してきた。たとえば、一九六〇年代の初代ジャニーズとGS(グループサウンズ)、さらに七〇年代の郷ひろみと西城秀樹などは、それぞれ「王子様」と「不良」のタイプを担いながら時代をかたちづくった存在だった。

 ここでひとつ気づくのは、「王子様」タイプを担ったのがいずれもジャニーズアイドルだったこと、そして「不良」タイプを担ったのがそれ以外のアイドルだったことである。言い換えれば、ジャニーズアイドルの原点は「不良」ではなく「王子様」であり、それは一九七〇年代まで変わらなかった。たとえば、七〇年代後半にロックミュージシャンがアイドル化した「ロック御三家」(Char、原田真二、世良公則&ツイスト)の人気などは、「不良」タイプのアイドルがジャニーズ以外の領分だったことを物語るものだろう。
 大きく状況が変わるのは、一九八〇年代からである。七〇年代後半、勢いを失っていたジャニーズは、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)のブレークによって息を吹き返す。学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系、一九七九年放送開始)の生徒役から人気者になった三人には、それまでの男性アイドルにはない「普通の男の子」の魅力があった。しかしそのなかでも、田原俊彦はジャニーズの伝統を受け継ぐ「王子様」タイプ、近藤真彦はやんちゃなイメージの「不良」タイプと従来の構図は引き継がれていた。

 このとき以来、「王子様」の系譜では少年隊、「不良」の系譜では男闘呼組といったように、ジャニーズが双方のタイプを一手に引き受ける時代が始まった。その意味では、ジャニーズが男性アイドル全般をカバーし、「男性アイドル=ジャニーズ」になっていく流れの大本は、ここにある。一九八〇年代後半に社会現象的ブームを巻き起こした光GENJIにしても、基本は「王子様」タイプでありながら、そこにやんちゃなタイプのメンバーもいるなど「不良」要素が絶妙のさじ加減でミックスされていた。

2 「普通」を男性アイドルの常識にしたSMAP、そして嵐

 ところが、一九九〇年代に入って、SMAPの登場で男性アイドルも一大転機を迎えることになる。

 SMAPは、「王子様」とも「不良」とも異なる「普通」(それは、「たのきんトリオ」が担った「普通の男の子」というタイプをさらに大きく発展させたものだった)という第三の道を男性アイドルの世界に確立させた。

「王子様」の要素や「不良」の要素がなくなったわけではない。たとえば、稲垣吾郎が「王子様」的立ち位置なら、中居正広が「不良」的立ち位置というように、各メンバーの個性に応じて従来のタイプは継承されていた。

 ただ、それぞれの個性があるなかにも共通の基盤として「普通」、すなわち自分たちの本音や地の部分を隠さない素の魅力が、SMAPにはあった。「普通」という魅力は、先ほど述べたようにたのきんトリオにもあったものだった。だがSMAPは、それを「男の子」と呼ばれるような年齢に限定されないアイドルの魅力として認めさせたところが、決定的に新しかった。そしてSMAPのアイドル史に残る圧倒的成功は、必然的に「普通」を男性アイドルのスタンダードにした。

 そこには、平成の日本社会に特有の時代背景もあった。平成は、バブル崩壊に始まり、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災、さらに格差の拡大などによって漠然とした不安が社会全体に広まった時代、裏返して言えば当たり前に普段どおりの生活を送れることの価値が再認識された時代だった。だからこそ、そうした状況のもとでアイドルが「普通」を全うする姿は、より輝きを増した。実際、SMAPは、阪神・淡路大震災や東日本大震災の際など、社会との接点を積極的にもとうとした点でも新しいアイドルだった。

 この「普通」の魅力を引き継いだのが、一九九九年にデビューしたジャニーズ事務所の後輩、嵐である。SMAPが切り開いた男性アイドルの生きる道筋は、その後デビューしたほかの多くのジャニーズグループにとってのお手本になった。そのなかでも嵐は、より普通らしい「普通」の魅力を備えたグループとして、二〇〇〇年代以降のジャニーズグループの象徴的存在になった。

 嵐が人気になった背景には、そのデビューが「ジャニーズ」という独特のエンターテインメントが私たちにとってより身近なものになったタイミングだったこともあるだろう。一九九〇年代後半に巻き起こった「ジャニーズJr.黄金期」は、その転機になる出来事だった。CDデビュー前のジャニーズJr.がブーム的な人気を博したことは、個々のグループの枠を超えて総体としてのジャニーズが、日本社会のなかで大衆化したことの表れだった。嵐は「ジャニーズJr.黄金期」を担った世代からの最初のCDデビュー組として、そうしたジャニーズ大衆化時代の中心にいた。

 こうして、一九九〇年代を境に「ジャニーズ一強」とも呼べる状況が、男性アイドルの世界に徐々に形成されていった。その状況は、二〇二〇年代に入った現在も基本的に続いていると言えるだろう。

**********************************以上が『ニッポン男性アイドル史』「はじめに」の一部です。本書の詳細、目次などが気になった方はぜひ当社Webサイトからごらんください! 全国の書店で予約受付中です。

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