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【新刊試し読み】岩渕功一 編著『多様性との対話』「第1章」を公開します!

3月26日に岩渕功一 編著『多様性との対話   ダイバーシティ推進が見えなくするもの』を発売します! これに合わせ、本書の「第1章」の一部を公開します。

多様性/ダイバーシティの推進は女性、LGBT、障害者などの社会的なマイノリティの存在に目を向ける一方で、有用で受け入れやすい差異を選別化することで、いまだ続く差別・不平等を見えなくするとともに、新たな包摂と排除を生み出してもいます。

LGBT、ジェンダー、移民、多文化共生、視覚障害者、貧困、生きづらさ、当事者研究、インターセクショナリティ、教育実践――様々な分野の多様性との対話を通して、それらが抱える問題点を批判的に検証し、差別構造の解消に向けた連帯と実践の可能性を探ります。ぜひごらんください!

※執筆者(以下、執筆順)
岩渕功一/新ヶ江章友/塩原良和/髙谷 幸/河合優子/林 香里/貴戸理恵/清水晶子/出口真紀子/小ヶ谷千穂/村田麻里子/松中権(インタビュー)

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第1章 多様性との対話 岩渕功一

1 BLMとD&Iの取り違え

 コロナ禍は世界各地で格差が拡大していることをあらためて明らかにした。自分自身も含めてコロナ感染の脅威から逃れてステイホームできる人たちがいるのに対して、コロナによって職を奪われた人たち、コロナに感染する確率が高い生活を余儀なくされている人たち、脅威と向き合いながらも働かざるをえない人たちがいる。そのさなかで起きた警察官による黒人系アメリカ人の暴行死は、アメリカのBLM(Black Lives Matter)抗議運動のさらなる高まりとその世界への波及を引き起こした。日本を含めたBLM抗議運動の国境を超えた広がりは人種差別に抗うアクティビストにとどまらず、これまで以上に多くの背景をもつ人たち、コミュニティ、企業を巻き込んで展開され、アメリカだけではなく世界各地での人種差別の実態があらためて注目された。この高まりにはそれぞれの社会的文脈での複合的な要因があるだろうが、コロナ禍によって格差や差別の存在があらためて可視化され、必ずしも当事者ではない多くの人たちがその深刻さをこれまで以上に自分に関わることとして真剣に受け止めて抗議するようになったといえるだろう。

 このうねりがどれくらい持続するのか、さらに発展して社会を変える原動力になるかはわからない。実際に時間がたつにつれて、日本を含めた多くの地域では、その動きは収束したようにみえる。さらには、人種差別解消に向けて取り組もうとした企業の動きも徐々に「より心地いい話題へとトーンダウン」していることが指摘されている。ロンドンの広告会社の黒人女性のグローバル人事ディレクターは、BLMはダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&Iと略記)の観点から語られるようになり、制度的な人種差別や不平等解消への取り組みが、企業のダイバーシティの配慮と活用へとすり替えられてしまっていると警鐘を鳴らす。企業にとって「人種差別の問題はビジネスにおける最後のタブー」であり続けていて、D&Iが「BLMの(あるいは人種に関するあらゆるムーブメントの)隠れ蓑」になることで、真正面から取り組むべき人種差別の問題がぼやかされ、その撤廃という課題はまたしても先送りにされてしまうというのだ(1)。

 D&Iが人種差別解消に向けた取り組みと切り離されているという指摘は、現在の多様性の問題を考えるうえで示唆的である。多様性の時代だといわれている。いうまでもなく、ジェンダー、LGBT/SOGI(性的志向と性自認)、障害、エスニシティ/人種、宗教、社会経済的な背景、年齢などに関する多様性は常に存在しつづけてきたし、どのような社会も多様性に満ちている。個人の価値観が多様になり、国境を超える人の流動が活発になることで社会の多様性がより複雑化するなか、多様性/ダイバーシティを尊重して受け入れることは社会や企業・組織を豊かにすると肯定的に考えられるようになっている。しかし、多様性を形作る様々な差異は、植民地主義の歴史と近代の「国民」構築での包摂と排除・周縁化の力学のなかで、不平等・格差・差別と結び付けられてきたことはあらためて強調されるべきだろう。それに抗うべく、公民権運動、機会の平等の保障、人種差別撤廃、抑圧されてきた差異の可視化と権利擁護、アイデンティティをめぐる承認と再配分を要求する運動が高まってきた。現状は様々な差異を平等に包含する社会の実現にはいまだ程遠く、あらゆる差別、不平等、周縁化、生きづらさの問題に正面から向き合い、多様性の平等な包含に向けた取り組みを続けることが不可欠である。様々な企業、国際組織、政府・自治体、教育機関、NGO/NPOが多様性/ダイバーシティを尊重して受け入れて生かすことが組織・社会にとって重要だとしてその奨励・推進をうたうなか、はたして構造化された不平等や差別の解消に向けた取り組みはどのようになされているのだろうか。実際には特定の差異を有した人を社会や企業・組織の特定の目的のために活用することが目指されることで、多様性/ダイバーシティの奨励・推進はその取り組みと切り離されてしまってはいないだろうか。

※注
(1)アミナ・フォラリン、田崎亮子翻訳・編集「混同されがちな、BLMとダイバーシティ&インクルージョン」「campaign Japan 日本」二〇二〇年七月二日(https://www.campaignjapan.com/article/%E6%B7%B7%E5%90%8C%E3%81 %95 %E3%82 %8C%E3%81 %8C%E3%81 %A1%E3%81 %AA-blm%E3%81 %A8%E3%83 %80%E3%82 %A4%E3%83 %90%E3%83 %BC%E3%82 %B7%E3%83 %86 %E3%82 %A3%EF%BC%86 %E3%82 %A4%E3%83 %B3%E3%82 %AF%E3%83 %AB%E3%83 %BC%E3%82 %B8%E3%83 %A7%E3%83 %B3/462 068 )[二〇二一年二月二十六日アクセス]

**********************************以上が『多様性との対話』「第1章」の一部です。本書の詳細、目次などが気になった方はぜひ当社Webサイトからごらんください! 全国の書店で予約受付中です。

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