見出し画像

第5回『脳梗塞を生きる 改編「脳梗塞の手記」』菊池新平著

人は実に傲慢な生き物である。病気に対して「自分だけは大丈夫」と思いたいのだ。この本の著者もそうだった。その著者がある日突然脳梗塞になり、自省と共に貴重な闘病記を残した。脳卒中が他人事ではないことを肝に銘じて読んでほしい。文章はちょっと辛口である。

●兆候を見逃さないこと

 2015年3月16日夜8時半、帰宅して玄関のドアを開けた著者を見た妻は救急車を呼んだ。それほど著者の顔が異常だったのだ。
 搬送された病院で脳梗塞と診断された。
 不摂生とはわかりつつも会社帰りには同僚と酒を飲み、健康診断で糖尿病を指摘され入院するも、退院後は通院も疎かになった。通勤途中の立ち眩みや仕事中の突然の睡魔など、兆候はたくさんあったがすべて後の祭りだった。
 治療が終わり、転院した回復期病院でのリハビリの成果で8月25日に退院する。
 ところが翌年3月に再発してしまう。

●ベッドから見えた医療現場

 再発以降、医療従事者への不満が多く書かれている。
 救急搬送されたのが休日で、脳梗塞再発の疑いがあるのに診断されない。当番医が脳外科専門ではなかったのだ。
 次に登場したのが循環器内科の医師。ようやく翌日の夕方に脳神経外科の部長が診断して、脳梗塞が告げられた。これを著者は権威を身に纏った組織「権威の砦」と揶揄し、最初の2人の医師は今後も誤った判断を繰り返すだろうと心配する。
 また、看護師は「鬼と夜叉」と表現する。乱暴者の鬼と夜になったら豹変する夜叉。挨拶もなくカーテンを開け、乱暴に毛布をはぎ取るなど、そのガサツさに苦言を呈する。
 闘病記には医療者への不満が多く書かれる。それが感情のまま書かれていると読者は辟易するが、理由がきちんと書かれていると納得して共感する。この本は後者だ。

●障害者の叫び

 高次脳機能障害となり社会の障害者への無理解を嘆く。
 使用中の障害者用トイレから平然と出てくる健常者。歩道の安普請。障害者にとって一番厄介な障害物は“ひと”だった。
 また、杖を突く著者に向って幼い子が指差し「どうして?」と聞くと、親は「見ないで」とその子の目を隠す。これでは障害者への気配りが育たない。
 他にも様々な指摘があり参考になる。

 実はこの本の1年前に『脳梗塞の手記』という本を出版している。読み直して医療への不満や全身麻酔の辛さを繰り返し叫ぶ自分に情けなく嫌悪を感じて、書き直したのがこの本だ。
 コロナ禍のことにも触れられている。
 貴重な示唆に富む内容を残して、著者はすい臓がんで2020年8月に亡くなった。

■書籍情報
菊池新平(きくち・しんぺい)著『脳梗塞を生きる 改編「脳梗塞の手記」』 2020年12月10日 東京図書出版刊 定価1,540円⑩

<初出>
NPO法人Reジョブ大阪発行の情報誌「脳に何かがあったとき」2022年5月号

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?