3月3日 女子ではなくて、女の子
『毎日読みたい365日の広告コピー』 という本から
本日の広告コピーを紹介し、言葉の魅力をご紹介しながら
お話してみます。
お題「女子ではなくて、女の子」
女子ではなくて、女の子
女子と呼ばれる時代に生きる、わたしたち女の子は。
弱くはないけど、揺れている。女の子という繊細。
強くはないけど、うつむかない。
女の子という前向き。
女の子はずっと生きつづける。女の人になっても。
この世界の大切な一部をつくってるから。
【earth music&ecology/ ストライブインタ−ナショナル】カタログ・ポスター・新聞
2011年 児島令子
3月3日は「ひな祭り」
昔は、紙の人形を川や海に流してけがれをはらう行事だったそうです。
現在のように雛人形を飾り始めたのは江戸時代初期と考えられています。
「女の子/男の子」ってなんだろう。
女の子っていうと、可愛らしい、幼稚さ、可憐さ、守ってあげたいなというイメージを個人的には抱きます。
女子っていうと、男女を意識し始めた中高生の呼び方のイメージ
あくまでも私のイメージだから
世間一般での定義はどうでしょう?
ジェンダー論を語るほど
根本を分かっていないけど、みんなが幸せでいれたり、その人がその人らしく生きるには、男か女かにこだわる必要はないと思う。
それでもって時々、ふと揺らいだ時、
平塚らいてうさんの
元始、女性は実に 太陽であった
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような青白い顔の月である
という文言が頭に浮かびます。
平塚らいてうさんは、大正から昭和にかけて活躍した女性解放運動家。そしてこの言葉は、文芸誌『青鞜』創刊の辞として書きました。
大昔、女性は太陽のような存在であった。自ら生き自ら輝やいていた。しかし今の女性は自分の力で生きていない
として女性の解放を説き、女性の政治的・社会的自由確立のために尽力しました。
女子であろうと女の子であろうと
こうやって不公平な世の中を切り開いてくれた人がいたからこそ、
今の女性の活躍の場があります。
(十分でないかもしれないけど)
そうなると、やっぱり未来にバトンを繋ぐつもりで、今、前向きに行動なきゃ!
ということになります。
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