好きなのに、嫌いだと思うところだった話

高校生の頃、美大を目指して絵画教室に通っていました。商店街のアーケードを抜けたところにある、小さな白いビルの二階。一階は雰囲気のいいコーヒーショップになっていて、その横にある狭い螺旋階段を登り、足繁く通いました。

先生は女性で、30代後半から40代くらいだったのではなかろうかと思います。

絵は上手になりたい、表現したいという気持ちはありました。でも、興味のない石膏像をさあデッサンしましょう、と唐突に言われても、何をどうしていいやら全く分からず途方に暮れていました。一応、描き方は先生がやって見せてくれるけど、鉛筆を縦にしたり横にしたりして何やら測っていることの意味が全然分からない。興味のない石膏像なんか描きたくない。もっと、色を使ったり、イラストレーターの方が描いているような、自由で夢のある絵を描いてみたかった。

だったら、美大なんかわざわざ目指さずとも、最初からそういう絵を描くと決めて、先生にもそう伝えて、イラストレーターになる訓練を積めばよかったじゃないかと今なら思うのですが、当時は右も左もわからないお子様だったため、美術を志すなら美大に行かねばならない、美大に行くならまずはデッサンなのだろう、となんとなく思い込んで自分を納得させていたのでした。

当時はインターネットなどもなく、情報は本か人から得る時代。今からしたら石器時代のようなものですね。

そうやって、苦痛でありつつも美術への夢を捨てきれず通っていた頃、母親が先生と進路などについて面談をしたそうです。その時、母は先生から「○ちゃん(私)は、あんまり絵が好きじゃないように見えますね。」と言われたそうです。

それを聞いた当時は「へえ…」と、言葉にならないような、ぼんやりとしたショックを受けたのですが、大人になった今、それを思い出すと凄くショックです(笑)先生、そこまでいわなくたっていいじゃん。

先生は、美術の道に進んだプロとして、そのように単刀直入に言ったのだと思います。実際、私はその絵画教室でやったような絵は嫌いだった。大嫌いだった。でもそれは、美術全部が嫌いだっていうことじゃない。デッサンが苦手ならもう絵を描く資格なんてないってことにはならない。もっと、絵は自由なもの。

世の中には、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?絵とか美術とか、興味あるけど描けないし。見てるだけ。という方。

本当に、絵を描くという行為自体が好きな方もいますよね。石膏像からインスタントコーヒーの瓶まで、出されたら抵抗なく描けちゃうという奇特な方。そういう人が、「本物」なのかも知れません。だけど私はニセモノだろうとインチキだろうと描きたい、描けるようになりたい、表現したいと思ったのだし、外野に何か言われたからやめるっていうのは違うよな、と未だにしつこく野望を燃やしているところです。

ちなみに、最近になって私はやりたいことは全部やりたいな、と思うようになりました。今やっていることは、ここで文章を描くことに加えて絵とハンドメイド。

一昔前だったら、どれも中途半端なケシカラン奴かも知れません。そんなんじゃ、何一つモノにならんぞよ、と。でも、あっちなのか、こっちなのか、と迷うこと自体が時間のロスであることに気づいたのです。絵なら絵で、起きてる時間全部描いてる集中力はないのですから、だったら休憩時間、ソファに横になる代わりにハンドメイド、です。ほんのちょっとでも、これは収入にもなりますのでね。そして、考えを吐き出したくなったらここで書く。

そうやって、歩みは遅くともいずれ何が一番にやりたいのか、ハッキリすればいいんじゃないのかなっていうスタンスでいます(^^)

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