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映像翻訳者が厳選! グッドバイブスな洋画 #1 『人生はビギナーズ』 (2010) 【本当のことはわからない】

◎名優に導かれて

このブログで紹介する記念すべき1作めを何にしようかとあれこれ迷っていた2021年の2月、ネットのニュースで、クリストファー・プラマーが91歳で天国に召されたことを知りました。その瞬間「ああ、最初はこの作品ってことだな」と背中を押された気がしたのです。

クリストファー・プラマーといえばやはり『サウンド・オブ・ミュージック』で演じたトラップ大佐が真っ先に思い浮かびます。ミュージカル映画の金字塔といわれたこの作品は、1965年の米国アカデミー賞で作品賞を含む5部門を受賞し、プラマーの名をいちやく有名にしました。その後もおよそ半世紀にわたり、数々の作品で味わい深い演技を披露し続けてきた彼は、まさに「名優」と呼ぶのにふさわしい役者といえるでしょう。

私が翻訳者としてデビューしたてのころに手がけた2003年の『トナカイのブリザード』という作品で彼は、心優しいサンタ・クロースを演じていました。そんな縁もあって、大好きな「老いてなおダンディな俳優」のひとりだったのです。

プラマーは『人生はビギナーズ』で、82歳にして米国アカデミー助演男優賞を受賞しています。演技賞としては最年長での受賞だったこともあって話題になりました。ほかにもゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞、さらにはインディペンデント・スピリット賞でも助演男優賞にかがやき、各方面で高い評価を受けています。

この作品で彼は、75歳にして自分はゲイだとカミングアウトする父親、ハルを演じています。じつはこのエピソードは、監督のマイク・ミルズの実体験から生まれたものです。

今は亡きミルズの父親は、妻に先立たれて病気とたたかっていた75歳のとき、自分がゲイであることを息子に告白しました。そんな父親の勇気と強さを彼はまっすぐに受け止めます。そして父親と過ごした日々は語るにあたいすると感じたのだそうです。人生をまっとうした父親が亡くなったあと、ミルズはわずか数か月で脚本を書き始め、さりげない優しさと愛にあふれるこの映画が生まれたのです。

◎「いまを生きる父」と「ライオンを待ち続ける息子」

人生の終盤にカミングアウトすることで自分らしさを見出したハルは、アンディという若い男性と出会い、恋仲になります。そして病気を抱えながらもいきいきと「いま」を生きています。

息子のオリヴァーは、突然の告白に驚いたものの、初めて目にする父親の姿をあたたかいまなざしで見守っていきます。ただ、その彼自身はどうかというと父親とは真逆の、人生にかなり消極的な日々を送っているのです。

それを象徴する親子のこんなやりとりがあります。

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ハル:たとえば、小さいころライオンがほしいって夢みてたとする。けど、どんなに待ってもライオンはあらわれない。そこにキリンがあらわれた。このときお前は独りでいることを選ぶ? それともキリンで手を打つ?
オリヴァー:僕はライオンを待つだろうね。
ハル:だからお前が心配なんだ。
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38歳のオリヴァーは物静かなナイスガイで、イラストレーターを生業としています。これまで何度か本気の恋もしてきましたが、誰とも結婚には至らず、いまだに独り身のままです。心を許せる相手といえば、父親から預かっているジャック・ラッセルのアーサーだけで、まるで親友に語りかけるように犬と会話しながら暮らしているのです。

オリヴァーがアーサーと心で語りあうシーンは微笑ましく、観る人をなごませてくれます。ただ、この犬との会話とはつまり、オリヴァーにとってはもうひとりの自分との対話といえます。ですから、彼の心の迷いが見え隠れするという意味でも、作品の大事なアクセントになっています。

質問されることを嫌がる両親に育てられ、子どものころは「いつも推測ばかりしていた」というオリヴァーは、大人になったいまも決して人の心に踏み込んでいこうとはしません。

さらに彼は昔から「受け身」の姿勢をつらぬいていて、まわりの依頼にこたえることになんの躊躇もないように見えます。依頼主がたとえ「犬」であっても手を抜きません。本当にどこまでも絵に描いたような「いい人」なのです。

ですが、グッドバイブスでもいわれているように「受け身」でいるのはそう悪いことではありません。

みずからどんどん進む道を決めていく代わりに、ひたすら受け身でまわりの依頼に全力でこたえていく。そうするうちに自然と自分にとってベストな方向へ導かれていくことが、人生ではよくあるからです。

そしてオリヴァーは、友人に誘われていった仮装パーティーでアナという女性に出会い恋に落ちます。まさに受け身が生んだ新しい出会いといえるでしょう。そして「いままで会った誰とも違う」と、彼女に特別なものを感じます。

一方、フランス人で女優のアナは、父親との確執がもとで常に心に不安を抱えています。そのためオリヴァーに優しくされればされるほど逃げ腰になり、より親密になることを恐がってしまいます。そんな彼女を前に、オリヴァーは心の距離を縮められずにいるのです。

◎「本当のことはわからない」と気づくと何かが変わる

オリヴァーは父親がゲイであるとは夢にも思っていませんでした。とはいえ、子どものころ彼の目に映っていた両親は、不仲でないにしてもどこか冷めていて、いわゆるしあわせな夫婦とは違うということは感じていました。だからこそ父親からゲイだとカミングアウトされたとき、オリヴァーはいろんなことが腑に落ちたのでしょう。

ハルの看病をすることになり親子の会話が増えたことで、オリヴァーはこれまで知らなかった両親の、夫婦としての絆の真実を知ることになります。それは彼の「推測」とはかなりかけ離れているものでした。そしてゲイだと告白されたとき「腑に落ちた」と思い込んでいたことさえも、じつは違っていたのだと気づかされるのです。

『グッドバイブス ご機嫌な仕事』で倉園さんは、グッドバイブスをたずさえて生きる、つまり、あらゆる不安を手放し「いまここ」で日々を平安に過ごすためには「本当のことはわからない」と認め、ありのままの現実を見にいくことが最初のステップだといっています。

さらに人は、目の前で起きたことに不安を感じると、その出来事に対して自分に都合のよい意味づけをしてしまう。この「意味づけ」は、自分の過去の経験の積み重ねから生まれた「正しさ」が元になっている、ともいっています。この作品でも、回想するたびオリヴァーの心に浮かぶさまざまなイメージは、まさに「時代の中で培われきた正しさ」を象徴しています。

そして目の前の出来事を過去のフィルターを通して見ることで「本当は何が起きているのか」を知ろうとせず、勝手に判断してしまうのです。オリヴァーの「推測グセ」がまさにそうです。彼は自分で「こうだ」と決めてしまった世界のなかに生きている、といってもいいでしょう。

じつは私たちも、普段から同じようなことをやってしまいがちです。「推測グセ」があるのはオリヴァーだけじゃないよなぁ、と身につまされてしまいます。

アナも同じです。彼女も「人と心を交わすことで未来に起こるかもしれないこと」を恐がって、自分だけの殻にとじこもっています。そんな2人の恋がなかなか前に進まないのもうなずけます。

ですが、両親との思い出と現実の間を行き来するうちに、オリヴァーは少しずつ目の前の「いま」に向き合えるようになっていきます。彼にこの変化をもたらしたものは何なのか? それがこの映画の大切なメッセージだと私は思います。

オリヴァーがまだ子どもだった1978年、ゲイの権利を主張する活動をしていた政治家、ハーヴェイ・ミルクが殺されるという事件がありました。その1週間後にハルが主催したクリスマス展のエピソードで『ビロードうさぎ』という絵本の一節が語られます。その中に、オリヴァーに変化をもたらしたもののヒントが隠されています。

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うさぎのぬいぐるみがたずねました。
「本物になるって、どういうこと?」
「それって苦しい?」
うまがいいました。
「ときにはね」
「急にそうなるの?」
「長い時間がかかるんだ。本物になるころには、からだの毛は抜けちゃってるし、目玉は取れて、手足だっていまにもちぎれそうになってる。でもそんなのへっちゃらなんだ。だって本物になれるんだから。それに、わかってくれる人は君を醜いなんて思わないよ」
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カミングアウトする何十年も前から、ハルは息子に「本当のこと」に向き合うとはどういうことか、見せてくれていたのです。

子どものころの両親のこだわりが、オリヴァーに「推測グセ」をつけさせてしまったのは確かです。ですが、彼ら自身がそのときどきの「いま」を生きる姿を通して息子に伝えたメッセージは、ずっとオリヴァーの心の底に眠っていたのです。それがアナとの出会いをきっかけに、ジワジワと「いま」のオリヴァーの中で目覚めていきます。

その結果、2人の関係もよくなっていくのか? それは誰にもわかりません。うまくいかない可能性だってあります。

けど、それでもいいんです。だって、みんな自分の人生を歩むのは初めての「ビギナー」なのですから。1度や2度、失敗しても、やり直すチャンスは無限にあるのです。

本当のことはわからない。だから、過去への執着や未来への不安にとらわれずに「いま」を生きよう、というグッドバイブスなポイントがこの映画の最大の魅力です。だからこそ、登場人物それぞれが大切な人に向ける優しいまなざしが、私たちに静かな感動を与えてくれるのだと思います。

この作品を見終わったとき、あなたもぜひ目の前にある「本当のこと」に向き合ってみて、何が変わるか試してみてください。

☆『人生はビギナーズ』 (2010)
原題:Beginners
監督、脚本:マイク・ミルズ(『サムサッカー』『20センチュリー・ウーマン』)
出演:
ユアン・マクレガー(オリヴァー・フィールズ)
クリストファー・プラマー(ハル・フィールズ)
メラニー・ロラン(アナ)
ゴラン・ヴィシュニック(アンディ)
コスモ(アーサー:ジャック・ラッセル)

【配信サイトリンク】
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【グッドバイブス関連】
書籍:『グッドバイブス ご機嫌な仕事
公式サイト:グッドバイブス公式ウェブ

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