Vtuber羽読誠考の現界録:前編
明進歩社はバーチャル京都に設立された小さな、小さな出版社である。どのくらい小さいかというと、会社員が社長と、編集者1人、そして契約小説家がわたくし一人という惨憺たるありさまである。どのようにして会社に利益が及んでいるのか見当もつかないが、バーチャルという情報生命体に金銭的な利益などというものはみそっかすなものなのだろう。
わたくしの名前は羽読誠考、バーチャル小説家である。頭にバーチャルとついているのはわたしが実態としてこの世に存在していないことを意味する。いわゆる情報生命体。羽読誠考という概念であってそこに肉体は存在しない。いったいいつから存在していて活動を始めたのかはわからないが、肝心なことはわたくしは他人に存在を観測されることで自身を確保していることである。明進歩社と契約したのは数年前の出来事であったはずだが、それを自分自身ではっきりと認識できたのは2ヶ月ほど前のことである。わたくしがこの手記の読者の諸君にまみえるようになったのがちょうどそのくらいだ。
しかしのところ、わたくしは諸君らの存在する世界、時間と空間に支配される三次元に出張する予定はなかった。ただ1つのモノとして、誰の目にも触れることなく、情報という名の海に埋没していくはずであった。事態が急変したのは2020年1月のことである。
「聞いてくれたまえよキミ」
わたくしの目の前で話しているこの男は七刀磋琢磨(しちとうさ たくま)という男。我らが明進歩社の社長である。堅苦しいスーツ姿と鋭い目つきに、オールバックの髪がとてもよく似合っている。まるで悪の秘密結社の頭領のようだ。
「聞いてますよ社長」
「キミは世間で今何が流行しているか、知っているかね?」
聞かれてわたくしは首を傾げた。いわれてみればわたくしはレトロタイプな情報体で、今の時流というものをとんと把握できていなかった。ツイッターやら、インスタやら、フェイスブックやら、そのあたりの新進気鋭の情報集合媒体にはまったくと言っていいほど手をつけていない。わたくしの収集している情報といえばゲームやら、小説やら、漫画やら、アニメやら、いわゆる二次元愛好家に好かれるような、キャッチーな情報しか取り入れていない。平たく言えばわたくしはオタクだ。
「そうですね……少子高齢化ですか?」
「それは流行とは言わない。傾向だ」
「じゃあ流行り病ですか?」
「そうなんだがそういうことじゃない。文化として流行ってることだ」
「難しいことをいいますねえ……Web小説、ですかね。異世界転生物の」
頭をかきながら答える。ゲームや漫画の1つの作品について語ることはできるが、それでは文化としてどういうゲームや漫画が流行しているかを説明するかは難しい。ゲームにも漫画にもカテゴリはもちろんあるが、どちらにもなになにのカテゴリがブームなんて話はなかなか聞くことはない。強いて言えばゲームはデジタルゲームが主流だし、漫画はもう漫画自体が流行っているというほかにない。かろうじてひねり出したのは小説の話である。
Web小説が人気である、という論には諸説あると思う。従来の紙を媒体とした、出版社から実物として発行される書籍が衰退したというつもりはない。ただ昨今の時勢では、紙に書かれた文章と電子の文章を大きく区別することにさほど意味がなくなってきているのではないだろうか。出版社から発行された小説は紙でも読めるし、データとしてパソコンやタブレットからでも読むことができる。両者に優劣はない。なぜなら同じ書き手から生み出された同じ文章なのだから。ともあれそのような状況はわたくしたち情報生命体にとって非常に喜ばしい状況である。情報として観測される機会が増えればわたくしたちは生きられる。そして情報はデータとして行き交うほうが沢山の人間たちの目に触れやすい。
「なるほどキミらしい見解だが……私はそうは思わない」
何が言いたいんだこのおっさんは、と思いつつもわたくしは社長の次の言葉を待つ。しばらくの静寂ののち、社長が口を開く。
「……現界化だよ」
「はい?」
「現界化だ。わかりやすく言えば、バーチャル、だ」
「あーなるほど。聞きなれない言葉で耳か社長の頭がおかしくなったのかと思いました」
「失礼な男だなキミは。まあいい。これを見たまえ」
相当に失礼な発言を「失礼な」で流してくれるのがこの社長のいいところである。彼が見せてきたのは、一つの画像である。双葉のようなピンクのリボンを頭に付けた、茶髪の活発そうな少女が写っている。
「どなたですか、これは?」
「キズナアイというAIだ。彼女が出現したことで人間界の状況は一変した。彼女はバーチャルYoutuberと名乗り、情報としての垣根を越えて、人々を虜にし始めた」
名前だけは少し聞いたことがある。しかし面白いことをやってるなと思うだけで、わたくしは特に興味も持たずに他の情報を追っかけまわしていた。
「彼女をはじめとして、電脳少女シロ、輝夜月、ミライアカリ……といったバーチャルの存在が世に多く進出し始めた。我々と出自は異なるが、私は彼女らの活動に興味を持ったのだ……彼女らは……」
そこからの社長はまさに堰のないダムのごとしで、止める暇もなくそのバーチャルYoutuberについて喋るさまは立て板に水。穏やかな口調で怒涛の如くまくしたてられる社長の「趣味語り」にわたくしは付き合う羽目になった。どこそこの誰がこんなイベントを行った、こんな企画があった。ルックスがかわいい。声がかわいい。誰それに何円分の支援をした。ペロペロ。などわたくしには到底理解しがたい話であった。
「……というわけで、キミもやってみないか? Vtuber」
「……検討しておきます」
社長はなんだか一度はまると戻ることのできない底なし沼の中に浸かっているような気がした。しかもどっぷりと。しかしこうも熱量を持って語られるとわたくしたち情報で生きるものは弱いところがある。退勤ののちにそのVtuberなるものを拝見してみようとわたくしは思ったのであった。
後半に続く
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