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ガンダムと私(アムロとシャア編)

"νガンダムは伊達じゃない"
数々のは名言を残して幕を下ろした2人の関係

私の中では未だ未完


というわけで今回、このnote、今までと違った感じでお話しします。


あくまで私の浅い知識の中でのアムロとシャアについてです。
「それ違うから」っていうツッコミもあるかと思いますが…ご容赦くださいね。
知ってる方もいらっしゃると思いますが。
ガンダム愛は強いです。
特に"宇宙世紀"というシリーズとシャア・アズナブルに恋してます。


私自身、闇キャラのせいか
どこか病んでたり、影があったり、ひねくれたキャラクターが好きなようです。

その点アムロとシャア(敬称略)は生い立ち、恵まれない環境、ひねくれた性格も私のどストライクゾーンです。


優等生な人より応援しちゃいますね。

シャアは自分の親を殺害された復讐のためザビ家を討ちます。
彼はザビ家亡き後、なんのために戦ったんでしょう。
人はある理想や目的を持って生きていくものだと思うのですが。
一年戦争後
彼はマスクを外しクワトロ・バジーナという名に変え、地球連邦軍の軍籍を入手し、反地球連邦軍組織「エゥーゴ」に加入しました。この時彼はテレビ演説で身分を明かしてティターンズの非道性を糾弾し、平和と自分の正義を訴えていますが…
彼らしくない…
ザビ家の復讐が終わった後、シャアは迷っていたようにも感じる。
どこへ彼は向かっているのか…
結婚もせずに………
人としての幸せは他にあったはず…
戦うことで自分の存在意義を見出していたのかもしれません。


一方アムロ・レイ
主人公でありながらメカオタク
どちらかと言えば主人公らしくない
屈折した性格
父親はガンダム開発に携わった技術士官
アムロは好戦的というより、大人の事情に戦争に巻き込まれていきます。
ずっと戦うことに迷い、幼い心に人を殺すという行為に疑問を抱いていたんでしょう。
ストーリーが進むうちにアムロはパイロット能力の成長とニュータイプの資質が覚醒していく中で
戦う意味を自分でも理解してはいなかったようです。
一年戦争の後半、同じニュータイプのララァスンに「守るべきものがないのに何故戦うのか?」と問われます。
彼は家族の愛情にも乏しく、もともと軍人ではない…戦う理由など存在したのでしょうか?

「僕は、あの人に勝ちたい」
アムロはニュータイプとして覚醒する前に敵のランバ・ラルにそう呟く。
アムロは守るべきものの為ではなく自分のために戦っている気がします。
一年戦争後、彼は一線から退きカラバのクルーとして後方支援にまわります。
この時、シャアと同志として活動していたように描かれています。
そんなシャアとアムロが戦いの場でまた交わる日が来るのです。

第二次ネオ・ジオン抗争
映画「逆襲のシャア」で描かれたシャアの反乱
シャアは暴走します。
小惑星アクシズを地球に落とそうと…
私はシャアの理想を本音だとは思ってません。

ここからはあくまで私の想像ですが…
シャアはアムロに自分の暴走を止めて欲しかったのでは?
アースノイドへの粛正として、惑星落としは大義名分で…
アムロと決着をつけたかった…

「それでこそ私のライバルだ」
「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか? 」

「アムロ、私はあこぎな事をやっている、近くにいるのならこの私を感じてみろ」

サザビー(シャア)とνガンダム(アムロ)の一騎打ちその中でシャアが発した一言です。これは、サザビーに導入された「サイコフレーム」にまつわる情報を、シャアが連邦側に流し、戦士としてアムロと決着をつけようとするシャアの姿勢が窺えます。



私自身、毎日、何に向かって何と戦っているのか…
アムロのように戦う意味もみつからずに生きている
シャアのように誰かに決着をつけて欲しいと願う。
ただ失敗しないように臆病になりながら仕事をして…
これで良いのか…
自問自答の毎日だ

彼らは幸せなのかもしれませんね。
互いに認め合う仲なのだから

私も自分を認めて
障碍とか受け入れていけれは少しは違う生活を送っていられるのでしょう

障碍をたかが石ころひとつって…
言ってみたいものです。

ま、いろんな挫折を繰り返しながらもこうして生きてこれたのだから。
私も伊達じゃないのかもしれませんね。

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