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『15年振りに再会した難聴の彼女が、世界一美しく見えた』話。

短大の同級生から連絡があったのは、世間が外出を控えるようになった頃だった。
彼女は重度の難聴で、音は補聴器をつけてもほぼ聴こえない。
世間がオンラインに移行したとしても、彼女と私が想いを共有し、良いコミュニケーションをとるには、"会うこと"が必要だった。
今日は結論から話そう。
何かを「譲る」ことは、どうやら世界にpeaceを循環させる!!
そしてもう一つ、私にできた新しい夢。
難聴の人も一緒に「音」を楽しめる音楽フェスを開催したい!!

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コロナウイルスが猛威を払い始めた頃、コロナとは無関係で診察を希望していた彼女は、かかりつけの病院を訪れた。
どんな事情であれ、医者や看護師がマスクを外す事は決して出来ない状況だった。
つまり、相手の口の動きと表情から会話を読み取る彼女にとって、コミュニケーションツールを失っている状況である。

「電話で相談を受け付けていますよ。」
「病院に来なくても、オンラインで診察ができますよ。」

多くの人が便利だと思う事が、彼女にとっては不便でしか無かった。

なんて優しくない世界なんだろう・・・

「オンライン診察で筆談で対応出来ますよ。」

それが出来るなら、なぜ最初からそう言えなかったのだろう。
答えは簡単。
想像力が足らなかったからだ。

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例えば、何気ない挨拶でも彼女の場合は
①元気?と話しかけたら、きっと相手は元気!と返すだろう。と、頭の中で一度反応を想像する。
②そして実際に元気?と尋ねる。
③相手の口が元気!と動いた事を確認する。
④言葉と同時に表情が笑顔なら、この人は元気なんだと理解できる。

彼女は幼い頃から、朝起きてから眠るまでずっと、このコミュニケーションを何度も何度も繰り返している。
いや・・・
確か彼女は「訓練した」と言っていた。
訓練を続け、音を超えたコミュニケーションを、自らの力で獲得したのだ。
人と共存するために。

私は相手の想いを想像し、考え、感じ、言葉をかけているだろうか。
私は、圧倒的に努力不足だ。
聞こえるのに・・・

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障害ってなんだ?

聞こえているのに、聞こえないふりをする。
聞いたのに、聞かなかったことにする。
聞いたことで、傷付いたり傷付けたりする。

でもこの世の中、音が聞こえる人の事を
「健常者」と呼ぶ。

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困っている人のために、地域のために、社会のために…助け合おう!と、よく言うけれど、
「助け合う」ということは
自分の損得勘定抜きに、無条件で時間や労力、身銭を切って応えるということ。

つまり、いろんなことを"譲る"ということ。

ここで助けておけば何かしら利益が得られる。
後に自分が損をしないために力になっておく。
の様な貸し借りを「助け合い」と呼ぶ人が多い。

きっと彼女は"聞こえる"ことを諦めたのでは無い。
聞こえない事を受け入れ、「音」は聞こえる人に譲ったんだ。

きっと譲った人にしか分からない世界を
彼女は今日も、生きている。
なんて美しいんだろう!

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彼女と再会して、私に挑戦したい夢ができた。
私が大好きな音楽を、音圧や骨伝導などの技術を使って彼女も一緒に『本物の音楽』を楽しめるフェスを開きたい!

大きすぎる夢だけど
私も何かを譲ったら、叶うかもしれない。

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2020年5月、世界にPeaceを循環させる方法が少しだけ分かりワクワクしている私が書いた日記


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