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男性の女心を魅了する少女漫画文脈のアニメ、時代と成功の条件

このところ、女性作者の漫画やアニメがそこかしこで存在感を増しています。
女性作家の作品が現代人を惹きつける理由は何か。そもそも現代人の特徴は?成功した作品のどの辺に魅力があるの?
そのあたりのことを具体例をあげつつ個人的に分析・考察してみたいと思います。

現代の特徴

今年に入ったあたりから、オタキングこと岡田斗司夫さんが『ホワイト社会』という概念を提唱して大きな反響を呼んでいるようです。
ホワイト社会とは、簡単に言うと「嫌なものは存在を無視される潔癖な社会」というもの。
最近ですと、映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』がこれとほぼ同じようなテーマで大成功しています。

女性活躍と共に男性に男らしい役割を押し付けていた社会的圧力が減退し、メディアがハラスメントやモラルに反するものを片っ端から規制。と同時に、非暴力(誹謗中傷込み)による人間関係や共感に興味や関心を抱く人々が若者を中心に激増しています。
そんな時代でも男女共に受け入れられる最強のコンテンツとは?
それこそが、現代男性の新鮮な感受性を刺激しつつ、女性にも受け入れられる、“少年漫画の皮を被った少女漫画文脈の作品”というわけです。

注目すべきは「少女漫画の文脈」

ここからは実際に大成功を収めた「男性の女心を掴んだアニメ」について具体的に考えてみたいと思います。
まずはその文脈の特徴を上げてみます。

【少女漫画文脈の特徴】
・女性視聴者が納得できる女の行動原理や感情の軌道が描けている
・人間関係の感情による相関関係がしっかりしている
・感情を推測できるような演出や表情がポイントポイントで描写されている
・モラルを大きく外れることがほとんどないため、時代の変化による規制や嫌悪感の対象になりにくい普遍性がある
・結果が悲劇であっても、傷ついた心やできごとを主人公が受け入れることができた作品は好まれやすい(ポジティブな悲劇)
・ストーリー上の問題や課題が事実上クリアされなくても、それを心情的に受け入れることができた時点で事件は解決とみなすことが可能
・主要人物に対する世間的評価が気にされ、それらは顔のないモブの反応などによって描写される
・主要な人物・もの・世界観・環境などは綺麗・美しい・かわいい表現で描かれ、そうでないものは見えない化される
・不潔であったり醜いキャラクターは敵であることがほとんどだが、醜悪であっても目が綺麗(目は心の投影)な場合は味方となる

ヒットのための追加条件、その共通点と理由

単に少女漫画的なだけではそう簡単に男性にまでヒットしません。
そこで、「少女漫画の文脈」に沿いつつも男性視聴者を引き込む追加条件が必須となってきます。

【少女漫画的文脈でも男性にウケる作品の条件】
①男でも見るのが自然な環境ができている
②作品内に主人公の恋愛対象がいない(もしくはいないも同然)
③湿度の低いリアリティがある

少女漫画文脈で成功した作品の共通点は「最初から男性がターゲットになっている」「既に男性が普通に見る環境が整っている」「構成は少女漫画的でも表面的な絵柄は男でも見慣れている」等に当てはまること。
具体例をあげると、京アニだったりとすでに男性が見ることが普通である制作元や、キャラデザや宣伝が最初から男性に向けられているもの、少女漫画原作だとしても見た目は少年漫画っぽいなど。
また、作品の環境に主人公の恋愛対象となる異性のキャラクターがいない(もしくはいないも同然)であることも重要で、いたとしても、二度と会えなかったり、成就しなかったり、物語後半まで殆ど意識されなかったりという条件が必要です。
さらに、恋愛を物語の主軸にしていない作品は人間模様がドロドロする割合が少なく、男性でも鑑賞しやすい内容になっていることが多いです。
湿度の低いリアリティというのは、「過度な少女漫画的表現やセリフを使わない」「うんざりするようないい加減なベタ展開がない」「恋に恋するような夢見がちなウザさがない」「過剰な心配をしない」など。
女性が少年漫画の主人公に群がる巨乳変態女たちを見てドン引きするように、男性が少女漫画を見て吐きそうなほど恋愛脳一色のドリーミーお花畑キャラクターや展開があると、作品の普遍性は一気に下がります。また、恋に恋したり心配性な母親のような“現実の本人をまるで見ていない”ようなキャラクターには男じゃなくてもウンザリしてしまいます。
構成や物語の主軸が感情にある少女漫画的文脈であっても、男性が避けるような要素が主張してくる作品は絶大な支持を受けることはほとんどないように思います。

【少女漫画的文脈が男性にウケる理由】
・少女漫画に慣れていないので感情主軸のストーリーに新鮮味を感じる
・男らしさや男の役割を押しつけてきた時代や疲れからの解放
・共感力の高い人、特に現代の若い世代は、感情や人間関係がしっかり描写された物語にリアリティを感じ深く理解し楽しむことができる
・感情的な問題を抱えている場合、感情の物語ともいえる少女漫画文脈に癒される
・単純に女の子をずっと見ていたい
・現実社会の汚濁からキレイかわいい世界への逃避
・世界情勢やリテラシーの変化
・モラルが守られている安心感
…etc

少年漫画にもちゃんと人間関係や感情描写はありますが、主人公が女というだけでも行動原理や環境の影響、周囲の見え方はガラッと変わります。
女性はずっと前の世代から常に周囲と自分の関係や感情の変化を意識せざるを得なかったので、少女漫画にはその感性が大いに表出しています。
また、世界的に「女性の性表現による搾取」に対する規制は年々厳しくなっていて、日本産のアニメにもその圧力の比重は増してきています。
こうした時代の流れと、最初から男性向けの少女漫画文脈のコンテンツにバリエーションの少ない今の状況は、ナチュラルに少女漫画文脈を使える女性作家がほとんど無双状態になる環境なのです。
とはいえ、それも今後はマーケティング的に意識され徐々に変わっていくのだと思います。

さて、ここから先は「成功した少女漫画文脈の作品」から具体例をあげて考えてみたいと思います。

『まどか☆マギカ』で見る女の友情

『まどか☆マギカ』は女の特徴的な友情をうまく作品に昇華したアニメです。
同じような特徴のアニメ作品に『革命少女ウテナ』があります。終盤の毒入りクッキーのくだりは特に象徴的です。
女の特徴的な友情表現とは、“受け入れること”です。
少年漫画の男の友情は、例えば敵(ライバルなど)同士である場合、相手と戦ったりすることでお互いを知り、自分が相手を“認める”ことで友情が成立します。
ですから、男の場合は敵同士であっても認め合っていれば友情成立ということになります。
しかし、相手が何か酷いことをするなどして「俺はそんなの認めねぇ!」となれば友情は崩壊します。
一方、女の友情は敵であっても相手を認めてなくても、自分が相手を“受け入れる”と決めた時点で友情が成立します。
こちらの場合、相手がどんなに酷いことをしていても、自分が「相手のやってることは認められないけど、それでも受け入れる」となれば友情は継続可能となります。
狩猟時代の男性の役割は「群れの仲間に相応しいか相手を見極める」であるのに対し、女性は「子を産み群全体で育てる」という違いが関係しているのかもしれません。
もちろん、現代における現実の男女がみんなそうと決まっている訳ではありません。
これらの比較は、あくまで少年漫画と少女漫画でよく見られる特徴から推察したものです。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に見る感情との向き合い方

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』では、タイトルと同名の主人公が「自分の感情がわからない」という傷ついた状態から物語がスタートします。
彼女は周囲の人間の心に触れることで次第に感情を取り戻していきます。
しかし、感情を取り戻すということは自分がいかに傷ついているかを知ることでもあり、それと向き合うことでもあります。
そして、ヴァイオレットはその傷をむしろ大切な宝物として受け入れるよう変化していくのです。
この作品の「傷ついたままの状態を“乗り越える”のではなく“受け入れる”」ことで深みを増すストーリー性、細かい表情・仕草、情景や小物による隠喩などによって登場人物の感情を推察できる表現方法は、感情によって物語が展開していく少女漫画的な構造と言えます。
余談ですか、私はこのアニメを複数の知人と一緒に鑑賞し、男性陣はおんおん泣いて作品に新鮮味を感じ高評価な一方で、女性陣は割と冷静で「まぁ泣けるのはわかるけど、そんなに?」というテンションの違いが面白いなぁと思いました。
これは情緒中心の少女漫画を見慣れてる女性にとっては、そうでない男性陣ほどストーリー構造に新鮮味を感じなかった、ということだと思います。

『けものフレンズ』のサバサバしたリアル女コミュニティ

ネタとして始まり、最高に熱いエンドを迎え大評判となった『けものフレンズ』。
淡白な作りながらも、キャラクターたちの優しさの根底には「受け入れる」という友情が描かれています。
けもフレといえばの「へーきへーき!フレンズによって得意なこと違うから!」というセリフからも、寛大で大雑把な感性が伝わってきます。
 限られたCG表現の中で案外ちゃんと見てられたのは、キャラクターと関係性をストーリーの主軸にし、相手を気遣いながらもそれが湿っぽくない、ある意味現実のサバサバした女子のやりとりが見ていて鬱陶しくないからだと思います。
男キャラがいないということで、男に群がる非現実的な女の子がいないというのも重要な点です。

『カードキャプターさくら』の世界観と魅力

CLAMP大好きな女の子だけでなく、偶然テレビで見た男子の人生を大きく狂わせた傑作アニメ、『カードキャプターさくら』。
かわいい頑張る元気な主人公もさることながら、全体の色合いや毎回変わる可愛らしい衣装・小物デザイン、主人公を取り囲む人間関係や世界観が女の子に大人気な一方で、それらは数多くの男性にもクリティカルに突き刺さりました。
CCさくらはもともと少女漫画ですから、少年漫画のような戦闘がある一方で、物語全体が女の子の目線で進んでいきます。
かわいいキャラクター、かわいい色、かわいいデザイン、かっこいい男子。リアリティある汚い見た目の人間は出てきません。
『プリキュア』などもそうですが、女の子向けのアニメはかわいいだけでなく、カッコよかったり、共感できたり、とにかく女性目線でも好きになれる魅力的な世界観であることは間違いありません。
しかし、他の少女漫画原作のアニメよりも男性に刺さったのは何故でしょうか?
それはまず、当時流行していたThe・少女漫画(目キラキラな絵柄や少女漫画特有のギャグ表現)をしていなかったことが大きいと思います。
同じCLAMP作品でも『レイアース』などはアニメでも目がキラキラでしたが、CCさくらはアニメになったことでより一層少女漫画的なキラキラはなくなり、このおかげで男性にも受け入れやすい絵柄になっています。
あと、放送してたのがNHKだったのも地味に最強でした。

少女漫画的文脈を取り入れたらどう変わるのか

少年漫画などの男性目線の女の子は、エロくて、都合よくて、主人公以外との周囲との関係が希薄、などといった女性としてはリアリティのない描写が多かったりします。
新進気鋭のアニメ映画監督がメガヒット作品を飛ばす一方で、同じ監督の他作品がパッとしない結果になることがある理由も、実は少女漫画的文脈が欠けているからじゃないかと思ったりします。
女性が納得できない女キャラクター、薄っぺらな人間関係や都合のいい感情描写では、物語の深みに欠け、ターゲットと見込んでいる女性の支持を得られないばかりか、熱狂的なファンもつきにくい。
最初のメガヒットはエモくて映えるビジュアルと普遍的なテーマでヒットしても、監督の感性を強めるとそこまで上手くいかない。
エモいビジュに釣られても、内容に監督の閉鎖的な趣向や排他的な感性が滲み出て、同じ感性の人にはウケてもそれ以外には「なんかイマイチ」と思われてしまっているのではないかと、失礼ながら個人的にはそう思えます。
毎年新作を出すディズニーのアナ雪がメガヒットしたのも、(歌以外の面では)女性同士のリアルな関係性(無条件で傷ごと受け入れるという感性)を描けたからだと思います。
それ以降『ラーヤと龍の王国』でも同じ構図に挑戦していますが、こちらは少年漫画の文脈に徹底したことで男性的な「認める感性」に寄った物語になってしまっています。これが父親の役どころが母親で、女性の集客で箔をつけつつ男性客にも面白く見えるよう宣伝を工夫したら、物語自体の結末も集客率も違ったのではないかと思います。

以上となります。
こじつけっぽいところも多分にあったかと思いますが、そういった部分は「そうじゃない」とか、「それならこう考えられる」とか、そういった気づきの一助になれば幸いです。

また、この記事は『【岡田斗司夫ゼミ感想】ホワイト社会=女性視点の社会』を書いていたとき思いついた内容ですので、もしご興味がありましたら、そちらも覗いてみていただけると嬉しいです。

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