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【岡田斗司夫ゼミ感想】ホワイト社会=女性視点の社会

2022年、新年明けましておめでとうございます。
ということで、新年一発目の岡田斗司夫ゼミ「#425 コロナ戦争とホワイト革命」を見て考えたことを「ホワイト社会」と「女性的感性」を紐付けてまとめてみました。
(岡田斗司夫アーカイブで全編見た感想です。)

ホワイト社会の特徴

岡田さんいわく、ホワイト社会とは2030年~に成立し、人口減とともに進行していく「清潔が正義」見た目至上主義社会のこと。

さて、「清潔感」はモテ要素の大前提と言われるほどで、汚い系男子が流行っていた昭和から平成に変わる頃にはすでに常識になっていたように思います。(雑誌でも当時からモテ要素ランキングで「清潔感」1位だった記憶が。)
ですから、「カワイイは正義」が男性的な視点だとすると、「正義はカワイイ(清潔)」が女性的な視点と言えます。
昭和の時代、少年漫画で脳筋主人公がバトルに明け暮れヒロインの役目がエロい聖女に偏っていた頃、少女漫画の夢見る主人公はツヤツヤスキンとフサフサヘアーの耽美なメンズと恋愛沙汰を繰り広げていました。
さて、そんな少女漫画の特徴として動画内であげられているのが、「主要な人物は男も女も綺麗で整った容姿をし、背景モブは目すら描かれず、醜く描かれるのは決まって悪者」ということ。

このことから、ホワイト社会=女性視点の社会という風に解釈できるわけです。

女性視点社会での「良い人戦略」

岡田さんいわく、ホワイト社会では「良い人戦略」をとれ。
良い人戦略とは「悪口を言うな(残すな)」「自虐は控えろ」といったネガティブな面を表に出すなということ。
これは言い換えると、女性との距離感がわからない人の取るべき最低限の行動とも言えます。
ある種の女性は陰口コミュニケーションで敵味方を判別し、自虐から「そんなことないよ~」という鳴き声でスキンシップをとります。(悪口・自虐の観点からあえて一部の人をステレオタイプで表現してます。)
しかし、それらは用法容量を間違えたりフォローを怠ると、知らぬ間に面倒人間認定され、いつの間にか避けられるようになってしまいます。なので、加減のわからない人は悪口も自虐も言わないが正解となります。
これは「女性に口答えするな戦略」とも言えます。(あのひろゆきも女性に対してはこの戦略プラス「宇宙語キャラ」を使っているようですね。)

女心を持つ男性がモテる時代、キャラの複数使い分け

では、嫌われない戦略は良しとして、好かれるならどんな戦略があるのでしょうか?
動画では言ってないですが、勝手に考えてみたいと思います。

最近はオラオラ系やヤンキー、頑固や高圧的な若者が減っています。
それはなぜならシンプルにモテないからです。
男だろうが女だろうが、行動原則の多くはモテにあります。
ホワイト社会は女性視点であるという観点でいくと、“受け入れる感性”と“共感力”がモテの最重要キーワードになっていきます。

狩猟時代(現代にもいる狩猟民族の生活から推測される特徴)において“男性は狩りの要であり、弱い個体を間引くのも主に男性によって行われる”ということから、男性は仲間認定において「認める」ということに重きを置き、感情ではなく合理性を重視する性質が強いと推測します。
女性の場合は“未熟な胎児を自らの体内で守り、産んでからも自立するまで群れで協力して育てる”という生物的・社会的な特徴から、女性はある程度未熟(生理的嫌悪感のない範囲)であっても「受け入れる」ことで仲間認定し、仲間の状態を常に気にするため「共感力」が高いと言えます。
ですから、認められないから受け入れないという頑固な態度や、頭ごなしに否定するような高圧的な態度は、女性の「受け入れる感性」と相反するため嫌われやすい(暴力なんてもってのほか)と言えるのではないでしょうか。
「女性の相談事は“答え”を求めているのではなく“共感”を求めている」ということはよく言われますが、それを上記の理屈に照らし合わせると、女性的感性においては問題や課題は必ずしもクリアする必要はなく、問題を残したり傷をかかえたままであっても、それらをそのまま“受け入れる”ことで解決に至ることができます。
逆に、何かに成功したり勝利したとしても、そのどこかに受け入れられない部分があると、それはわだかまりとなって成功の喜びを上回るマイナス要素となってしまう場合があります。(これらは「全ての女性が」というのではなく、「女性的感性の文脈に於いては」という意味です。)

以上のことから、男性優位社会では男らしさがモテのキーワードでしたが、ホワイト社会では“いわゆる”男らしさはむしろマイナス評価の対象になる場面が増えてきます。
そういった理由で岡田さんは『やらないこと』を戦略としてあげていますが、これは最低限の「嫌われない必須条件」であり、好かれる戦略としては『まずは悪い面も含めて全てを受け入れ、共感して信用を築いた上でコミュニケーションをとる』ということになるのではないでしょうか。
「認められないものを受け入れる」というのは男性的感性からするととてつもなく嫌な感じでしょうが、逆に言うと、信用を築いたうえで認める認めないの主張をする分には問題ないということです。
とは言え、ホワイト社会は異端即排除のなかなかに厳格なコミュニティ社会のようですから、一つの居場所に依存してるとリスクが半端ないものになると思われます。
ということは、自分の全てを一つのコミュニティに依存するのではなく、部分的に自分に合ったコミュニティを複数持ってコミュニティごとにペルソナ(人格・キャラクター)を使い分けるのがうまい立ち回りと言えるかもしれません。
また、ホワイト化によって基本的には共感力の高いコミュニティが増えるということですから、外見・内面・機能などあらゆるハンデや弱さを持つ人も、まずは自分から受け入れ共感する姿勢をとりつつ自分に合ったコミュニティを探せば、「認める試験」なしに仲間として受け入れられる場所が増えるという見方もできるかと思います。

女性の立場が男性に認められる時代から、更に女性が活躍するこれからの社会では、男女関係なく女性的感性に受け入れられる時代になるともいえるかもしれません。
これからはコミュ障の人には更にキツい時代になるかもしれませんが、そういう人は今と変わらずまずは無理せず引きこもれる環境を整え、それから必要な範囲で所属したいコミュニティを探すのも一つの手かもしれません。
その時は自分の全てを受け入れてもらおうとするのではなく、自分が受け入れられる範ちゅうの関係性や、自分を部分的に受け入れてくれそうなコミュニティを探してみるのが良さそうな気がします。

嫌なものはひっそりミュート

岡田さんいわく、ホワイト社会では嫌なものはひっそりミュートされ「見えない化」される。

ここまで説明した性質として、女性は群れの中でそれぞれが何をしているのかを互いに気にし、こまめなコミュニケーションがないと不安になりやすいです。
そして群れる人ほど怖いのが「仲間はずれ」。
基本的に群れの安定・安全を好み、関係性を良好に保ち、筋力もない女性は、必然的に争いごとを疎むということになります。
つまり、争いごとの種になるような人がいると最低限の労力で積極的に無視し、そうすることで相手に「あなたと関わりたくないです」と無言で伝え、自分から諦めてどこかに行くように仕向けるのです。(猿や他の動物もよくやります。ワンニャンたちが家族にいる人間がオモチャを振って無視される時のあれとか。)

では、どんな人が嫌われ、関係を修復するにはどうすれば良いでしょうか。

女性的感性が悪としがちなものは、コミュニティの雰囲気を悪くするなどの関係性が崩れる行為言動不潔否定的態度暴力・危険行為世間的に認められないこと(狩猟時代、認められない=排除対象だったため)、異性に媚を売る(恋敵)、自分・または自分が属するグループの仲間や立場をおとしめる(ハラスメント)行為不誠実(隠し事や裏切り)、リアリティのない反応(感情の伴わない合理性)などなど……。
女性は下ネタが嫌いというイメージもありますが、それは女性が軽視されていた時代にありがちだった一部の男性の無差別&無頓着セクハラ言動に対する嫌悪感と、男性が女性に求めていた清純大和撫子イメージの賜物でもあります。(そう考えると、昔はむしろ男性の方が異性に“綺麗”を求めていたわけで、時代を超えてその立場が形を変えて逆転しつつある感じがします。)
世界の歴史的に見ても男性優位の時代は女性側が性に積極的な男性を避け、禁欲時代では男性側が性に積極的な女性を避けるとか。
ホワイト社会はメディアによる禁欲時代となるので、工口ス的なものはまたアングラに回帰して鎖国時代の日本のように更なる謎の進化をする可能性もなきにしもあらずではないでしょうか。そう考えるとちょっと面白そうではあります。

ホワイト社会の到来について思うこと、その先の予想

個人的には、行き過ぎた規制(イメージ先行や実態のない規制)や個人的な正義(正義の敵は正義)といったものはナンセンスだと思いますが、表向き清潔で暴力が無くなるのは概ね良いことだと思います。
逆に合法な反動コンテンツ(岡田さんいわく、ルールのもと行われる暴力に類するもの。スポーツやラップなど。)は繁栄し、表に出せない部分はアノニマスな裏社会でやり取りされる。
とはいえ、少女漫画ばかり見ていると人間関係の緊張感やドロドロに辟易したり、どこを見てもキラキラした世界に嫌気が差す人もいるでしょう。歴史の中で写実画を極め抽象画に転じた先進的芸術家のように、一周回った人々が『男の子文化イエーイ』とか主張し出す時が割と早々に来るのではないか?と思う一方、一度禁止されたものは見直されるのにとてつもない時間がかかる(特に日本はその傾向が強い。今の教育や社会制度、モザイクのあれなど…)というように、膨大な負債をまた未来の子たちに託すことになるかもしれません。今の我々がウンザリしている昭和の負の遺産のように……。
とはいえ、時代の流れは加速してますし、ホワイト化の後は昭和の感性に戻るわけでもなく(あったとしても母の教育の元育った男の子文化とか)、人口が減って漂白された中にエリートの群れが形成され、そのコミュニティが社会の主要部分で独自性を主張し出す、ということが起きる気もします。
『多様性を目指す社会』というのは、基本受け入れる姿勢だけど異端(生理的・直情的嫌悪)に厳しい排他的な女性感性のホワイト社会を経て、その中でも共感を保ったまま自分のカラーを主張できる強い層が表れるポイントカラー時代へと移行し、良くも悪くもシャレた形で“整って”いくのかもしれません。
男性の服装が今の白黒一辺倒から明るく奇抜さを主張し始める層が目立ち出したらそういった変化の兆候かもしれません。
そこから更にコミュニティ単位で色が着き出し、ドットのように増殖し、それを俯瞰で見ると抽象的な印象画のように何かしらの調和、もしくは混沌を描き出す……。
……ということで、途中から完全な妄想になりましたが、この時代の流れと色から想像できる、いくつもある時代の道筋の一本の可能性としてこういった方向性を考えてみるのも面白いかなと思いました。

女性的感性=男女共通の狩猟時代におけるフラットな感性

ここまで何度も使っている「女性的感性」としているものの一部(もしくはほとんど)は、狩猟時代からあるであろう男女共通の普遍的感性と重なる部分でもあります。
狩猟民族(アチェ族)の仲間間の争いが殆どない思いやり意識の強い行動原理は、「感情を合理的文脈に織り込んで物事を考える」という、ここまで言ってきたいわゆる“女性的”視点に近いように思えます。
これらが実際的に男女共通の普遍的な考え方であるとすると、逆に「競争社会の中で成果主義的合理性を優先する性格」というのは、戦争や高度経済成長期の教育などで男性に刷り込まれた好転的な感性で、この差が「女性的」「男性的」と分けて捉えられるに至ったのではないか、という気もします。
とは言え、ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』によると、アチェ族は主に男性が仲間の弱い個体を始末し、それを女性が怖がっているという記述もあるため、役割的性差により遺伝子に組み込まれた感性の違いというのは否定しずらい部分もありそうです。
ですから、単純に男性の社会的役割によって刷り込まれた感性がジェンダー平等によって本来の本能に基づく感性に回帰しつつあるのかもしれません。

ということで、ここまで書き切っといてなんですが、感性を男女で分ける視点はわかりやすく説明しやすいですが、一概に決めつけないよう意識的に注意すべき点でもあると思います。

補足:

【ある種の女性の陰口コミュニケーションと自虐に対する反応の特徴】
個人的な人間観察による分析ではありますが、陰口で共感を求めるタイプほど仲間意識が強かったり自分の思想の正当性を信じたがる傾向があり、会話相手の自虐を疎むタイプほど異性に対する意識が常にあり安定思考で綺麗好きな傾向が強めな気がします。
要するに、前者が「自分を批判しない」後者が「他人から後ろ指さされない」関係を重視してるような感じがします。

参考:

山田五郎 オトナの教養講座
【モロー第2弾】魔性の次はロ◯コン!?急な方向転換にはある秘密が…!【一角獣】▲「禁欲時代は男性が性に積極的な女性を避け、服装が白黒になる」ということを動画終盤あたりで山田五郎さんが解説しています。

岡田斗司夫ゼミ
#227 「『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』レビュー」
(会員限定動画)
▲狩猟民族の特徴やアチェ族について解説があります。

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