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【断酒日記】人生最大のチャレンジ

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20年以上、1日も欠かすことなく飲んでいた私だが、一念発起断酒にチャレンジ。酒を通じて見えてきた世間、そして自分。
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記事一覧

男酒日記 100日目「毎日を『記念日』にしないために」

男酒日記 100日目「毎日を『記念日』にしないために」

断酒100日ーー以前の私なら迷わず祝杯をあげていただろう。いや、みずから祝宴を催していたはずだ。
むろん、いまやそれは禁じ手だ。というか、もはやどうでもいい。だから、ふだん通りやり過ごすことにする。
酒を飲まないと、このように一日一日を淡々と送れるようになる。
飲んでいたころは、飲むための理由を血まなこになって探していた。
雨が降った。スタッフが悩んでいる。今日は小寒。かまぼこをもらった。思い出の

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男酒日記 99日目「女の習い事 男の修行」

男酒日記 99日目「女の習い事 男の修行」

敬愛する作家が「何事も100日やると質的に変化する」といっていた。この言葉の意味をいま実感している。
断酒100日ーーこの間得たことは、酒癖の克服どころではない。
仕事の仕方、家庭の営み方、今後の生き方から自己の確立まで、この100日は私にとってまさに革命であった。取り組んで本当によかったと思う。
古来、執着を断つことは修行の王道である。僧侶は女色、酒や肉食などを遠ざけ、挙げ句、五穀を絶って生きな

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男酒日記 98日目「頂上で、再結成しよう」

男酒日記 98日目「頂上で、再結成しよう」

渡部昇一先生、ホリエモン、小柴教授、神田昌典さん、佐藤優さん、加藤鷹さんーー15年で約500人の方にインタビューしてきた。彼らとの「格闘」は人生の宝だ。
収録が終えたら、観覧者も交えてスタジオの近くでパーティ。それが終えると、今度は渋谷から神楽坂に移っての二次会、三次会、四次回。我が世の春とは、あのことをいうのだろう。
ところが、リーマンショックで一変。予算が削られてからは、リクルート浪人を動員し

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男酒日記 97日目「もうチャラ男といわせない」

男酒日記 97日目「もうチャラ男といわせない」

遊び人がモテると勘違いして、無理して遊んでいた。高校時代のことだ。
バブルという時代背景もある。汗水たらして努力するより、要領よくやるのがかっこいいというトンマな価値観が時代を支配していた。世にチャラ男自慢がはびこってきたのは、この時期からであろう。
あれから30年――
飲んだ食った、遊んだ集まった。フェイスブックを見れば、「チャラ男文化」がすみずみまで行き渡ったことがよくわかる。
私も長らく踊ら

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男酒日記 96日目「東京砂漠ーー寄る辺は飲み屋か消防団か」

男酒日記 96日目「東京砂漠ーー寄る辺は飲み屋か消防団か」

坊やが通う幼稚園はすごい。何がすごいかといえば、我が家以外いずれも移住組なのである。
札幌、川崎、大阪、渋谷、岡山など、子供の教育のために越してきた。まさに現代の「孟母三遷」である。
一昨日、パパ友による忘年会が開かれた。こんなに楽しい宴はなかなかない。すっかりはしゃいでしまった。
その夜、余韻にひたりながら、私の「ふるさと」はここなのだと確信した。
パパ友たちは年齢、価値観、ライフスタイル、学歴

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男酒日記 95日目「酒気帯び原稿と荒恵比寿顔」

はやしださんとは、とある番組の懇親会で知りあった。2年ほど前のことだ。
ひと回り上の酉年、誕生日も同じ10月2日。心理学を専攻し、叙情の指向性もよく似ている。今夏、はやしださんは孫娘を、私は娘を授かった。
さらにはやしださんは、私が保有する京都のマンションの初代副理事長で、あろうことか部屋は私の真上であった。
数奇な縁の極めつけは同じ時期に断酒日記をつけ始めたことだ。いや、彼のが1週間ほど早い。私

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男酒日記 94日目「飲み鉄やめたら、こうなった」

男酒日記 94日目「飲み鉄やめたら、こうなった」

断酒してから初めてのひとり旅。いくつか用事を済ませたら、午後2時に大阪鶴橋にいた。
以前なら、それから新世界あたりで飲んで、定宿のサウナに泊まって、翌朝、青春18きっぷで関西本線から中央西線を乗り継いで東進したことだろう。
当然朝から車中で飲む。それどころか、途中上諏訪か甲府あたりで降りて、行きつけの飲み屋に行っていたはずだ。
ところがその4時間後、夕刻6時には仕事場に帰着していた。
東海道新幹線

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男酒日記 93日目「天声人語に御用心」

男酒日記 93日目「天声人語に御用心」

朝日新聞「天声人語」には予告なく掲載される。もう10年も前になるが、私の発言が紹介された。
そこからたいへんなことになった。マスコミの取材やら講演やらで引っ張りだこ。
NHK「おはよう日本」で特集が組まれ、その煽りを受けて、翌年「第17回社会起業家賞」を受賞した。
大新聞にはひと通り載り、いろんな大学や団体から出講依頼が相次いだ。
元来サービス精神が旺盛なので、こころよく応対していたが、ストレスに

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男酒日記 92日目「広告?ー京都観光より京都暮らし」

男酒日記 92日目「広告?ー京都観光より京都暮らし」

原発事故を受けて京都に疎開したのが4年前。永住しようと思い始めた矢先、いい物件が出たのでマンションを購入した。
リフォームもバッチリ、引っ越しも終えた。さあこれからというとき、坊やがよちよち歩きを始めた。
そうなると、とたんに窮屈に感じられてきた。放射能汚染も収束(?)したようでもあるので、居住わずか数ヶ月で東京に引き上げることにした。
その後はときどき別荘として使っている。友達にも貸したりしてき

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男酒日記 91日目「『心中の賊』を破れば」

2時に起きるべく、7時ころ寝床に就くようにしてから1週間ほど経とうとしている。
結果は惨憺たるものである。あれだけ眠気が襲って来ていた時間帯なのに、寝ようと思うと眠れない。
たとえ寝ついたとしても1時間ほどで目覚めてしまい、その後、寝床でもんどり打って、結局起き出してしまう。
寝ようとすれば眠れぬ。起きようとすれば眠くなる。こういう時つくづく思う。心とはなんと偏屈なものか。
ひょっとしたら身中には

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男酒日記 90日目「これで、ご先祖様に顔向けできる」

最近ふしぎな感覚にとらわれる。それは「断酒していない」ような感じになるのである。
かといって、飲んでいる感覚があるわけでもないし、じっさい飲んでもいない。
これは解脱症状(←造語)かもしれない。本格的に酒を意識しなくなったということだろう。
断酒以来、日々の目的は「飲まない」ことであった。飲まずに1日を終えられれば「勝利」であった。
仕事もろくにせず、毎日酒対策ばかりに精を出してきた。
だが90日

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男酒日記 89日目「ある僧侶の100日修行」

プロデュースしていたラジオ番組で、神楽坂のお坊さんにご出演いただいていたことがある。
互井観章さんという、当時40代半ば、いまの私と同じような歳のころの僧侶であった。
観章さんは「東京ボーズコレクション」を手掛けるなど、横紙破りのお坊さんとして知名度を上げていた。
いかにもこれからテレビでコメンテーターでもつとめそうな雰囲気であった。
そんなころ、いきなり100日間の荒行に出てしまった。
ごくわず

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男酒日記 88日目「夫婦の会話を減らそう」

男酒日記 88日目「夫婦の会話を減らそう」

「夫婦の会話を増やそう」というメッセージがはびこっているが、私はこれに異を唱えたい。
むしろ夫婦の会話は減らすべきだ。なぜなら、減らすことによって阿吽の呼吸が体得できるからである。
言葉などに頼るのではなく、空気を察しあえてこその夫婦ではないか(――というものの、我が家でそれがなしえているというわけではない)。
男と女なんてものは、一見おたがい人間の形をしているが、別種の生物と考えたほうがよいかと

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男酒日記 87日目「ナマポとタクシー」

飲んだあと、混雑した通勤電車に揺られるのは興醒めだ。だからよく中央ライナーに乗ったものだ。
窓辺に缶ビールやつまみを並べて、高尾まで小一時間の二次会。その後、自宅で三次会。そして翌朝、二日酔いで起き上がれない…
断酒してからは、混雑する通勤電車で本を読みながら帰宅し、それからジョギングするようになった。1日が3倍になったような気分だ。
さて、生活保護の審査官をやっている友人の話で印象深かったのが「

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