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デブリ「取り出し後」の行方―【尾松亮】廃炉の流儀 連載15

(2021年6月号より)

 福島第一原発では来年2022年中の「デブリ取り出し開始」を目指している。そしてこの「取り出し開始」に向けたプロセスを「迅速に進めるため」として、政府はタンク貯蔵中の処理水を海洋放出する方針を決定した。

 ここで一つの疑問が生じる。仮に取り出しに成功したとして、「デブリ」はどこで誰が引き受けるのか。

 福島第一原発での工程を定めた「中長期ロードマップ」の初版(2011年12月)では「取り出し後の燃料デブリの安全保管」について「当面の間、適切な貯蔵設備において安全貯蔵される」(19頁)とし、デブリ貯蔵施設をどこに作るかは曖昧にしていた。

 しかし、その後の「中長期ロードマップ」改訂でデブリの行方をめぐる記述が変わっていく。第4回改訂版(2017年9月)では「現在設計を行っている放射性物質分析・研究施設の活用を視野に入れながら」と「大熊分析・研究センター」(2018年開設、大熊町)を「取り出したデブリの扱い」に活用することを示唆している。さらに、第5回改訂版(2019年12月)では「取り出した燃料デブリは、容器に収納の上、福島第一原子力発電所内に整備する保管設備に移送し、乾式にて保管を行う」(21頁。棒線は筆者)とし、取り出し後のデブリ移送先が原発敷地内の保管施設であることが明示される。しかし、敷地内保管がどれくらい続き、その後の搬出先がどうなるかは何も語られていない。つまりは福島第一原発敷地内に「無期限の燃料デブリ貯蔵施設」を作ることが、今の計画なのだ。

 デブリの行方について、原子力規制委員会の更田豊志委員長は「まず、望むのは(デブリを)容器に入れて並べるところまで持っていくこと。それ以降の最終形は、結局、処分の話になるけど、これはちょっと時期尚早」と述べている(2021年3月12日放送、テレビ朝日「報道ステーション」における発言)。政府も東電も「搬出先」を示さないまま、原発敷地の「デブリ貯蔵施設化」が既定路線となっている。

 デブリ取り出しに成功したスリーマイル島原発(1979年2号機事故)の先例では、取り出したデブリは立地州(ペンシルベニア)から遠く離れたエネルギー省の研究施設(アイダホ)に移送された。デブリ取り出し作業開始以前から、エネルギー省施設での受け入れは決まっており、鉄道輸送用の特殊容器(キャスク)の開発や、輸送ルート上の自治体との交渉など「地域外搬出計画」が入念に準備された。

 スリーマイルでも当初、米国原子力規制員会NRCが「デブリ取り出し後、敷地内での一時的保管」を提案していた。しかし、住民や自治体から「スリーマイル島がデブリ処分場にされる」と批判が集まり、この「敷地内保管」方針は撤回された。事故から約2年半後の1981年7月にNRCとエネルギー省は「スリーマイル島原子力発電所サイトを放射性廃棄物長期保管施設にしないこと」を定めた覚書(MOU)を締結し、同省施設でのデブリ受け入れが決まった。

 福島第一原発では「搬出先の約束」もないままデブリ貯蔵施設建設を認めるのか、民意を問うべき問題である。

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。


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