反省と教訓が一切伝わらない「伝承館」
原発事故の検証を怠った弊害
双葉町で建設が進められていたアーカイブ拠点施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」が2020年9月20日、開館した。〝見た目〟 は立派で連日大勢の来館者が訪れているが、肝心の〝中身〟の評価は散々だ。背景には、複合災害を「自分事」ととらえてほしいと訴える県が「他人事」の展示に終始していることがある。
「震災と原発事故の記録と教訓を後世に伝える」ことを目的に開館した伝承館。地上3階建て、延べ床面積5300平方㍍の館内には、さまざまな資料、映像、写真、解説などが展示され、語り部による口演も行われている。
意義を感じにくい展示物(開館日の9月20日に撮影)
開館から2カ月余り、伝承館の評価は大きく二つに分かれている。震災・原発事故を知らない人にとっては当時の出来事を知るきっかけにな
っている。すなわち、観光施設としての役割は十分果たしている、と。
しかし、震災・原発事故を経験した人や、それこそ避難を余儀なくされた被災者にとっては不満の残るつくりになっている。言い換えると、あまりに酷い展示内容で、アーカイブ施設としての役割を到底果たしていないのだ。
どこに問題があるのか。
開館日の9月20日、館内で「なんなんだ、この施設は!」と声を荒げる一人の男性がいた。国や県などを相手取り、子どもたちに無用な被曝をさせた責任や、安心・安全な環境で教育を受けさせる権利の保障などを求める「子ども脱被ばく裁判」原告団長の今野寿美雄さんだった。
伝承館について、今野さんは憤りを交えながらこう話した。
「原発事故が起きた原因に全く触れていない。福島は復興に向けて頑張っている、という美談に持っていきたい思惑が強く感じられる。未だに故郷に帰れず、避難生活を続ける人が大勢いるのに、そういう事実を一切伝えていない」
同じく開館日には、かつて双葉町に設置されていた看板の標語「原子力明るい未来のエネルギー」を考案した大沼勇治さんも家族と見学に来ていた。大沼さんは「看板は原発事故の貴重な遺産」として伝承館での展示を求める署名活動を展開してきたが、県は大きさと重さ(縦2㍍、横16㍍、重さ2㌧)を理由にパネル写真(縦2・6㍍、横3・7㍍)での紹介にとどめ、実物展示はかなわなかった。
館内を一通り見た大沼さんは、こんな感想を述べた。
「一緒に来た子どもたちには、できれば本物の看板を見せてやりたかったので残念です。パネル写真はそれなりに大きかったが、本物にはやはり本物の重みがある。復興は難しいチャレンジだが、それに比べたら看板の実物展示なんて大したことないと思うんですが……。ともかく、伝承館の感想は中身が薄い。県は伝え難いことも隠さず、ありのままの事実を伝えるべき。その方が、多くの人の共感を得られると思う」
いみじくも、両者が揃って口にしたのは「事実を伝える」という言葉だった。国や県を相手に法廷で闘う今野さん、故郷を追われ現在は茨城県古河市で暮らす大沼さんからすると、伝承館は「原発事故の事実を伝えていない」と映るのだろう。
本誌は今年3月号に「『反省』の要素を欠く県のアーカイブ施設」という記事を掲載したが、このとき取材した福島大学共生システム理工学研究科の後藤忍准教授は10月中旬に伝承館を訪問し、開館(9時)から閉館(17時)まで滞在。展示物を写真に収めたり、説明を記録したり、職員や語り部に話を聞くなどしたという(もちろん、県には事前に取材申請したとのこと)。
あらためて後藤氏に話を聞いた。
「案の定と言うべきか、事実と教訓を伝えきれていない中身になっていましたね。県は伝承館を訪れる人に『複合災害を自分事としてとらえてほしい』とPRしているが、県自体が原発事故を『自分事』としてとらえていない、そう言われてもやむを得ない展示内容だと思う」
具体的にはこうだ。
「SPEEDIの情報が全く生かされなかった問題があるが、伝承館では『情報共有できなかった』『いまは使っていない』との説明にとどまり、なぜ情報共有できなかったかについての反省的考察がない。安定ヨウ素剤の説明もあるにはあるが、事故直後、独自の判断で住民に飲ませた(三春)町があったのに、ほとんどの人が飲まなかったことには触れていない。放射性プルームについても高濃度に汚染された地域の説明はあったが、8割は風で太平洋に流されたことや、原子力委員会の近藤駿介委員長が『最悪の場合、3000万人が避難を迫られる可能性がある』と推測した、いわゆる近藤シナリオは紹介されていない。3号機では燃料プールが危機的状況にあったこともスルーしている」(同)
ここに挙げたのはほんの一例に過ぎないが、数多くある事実にことごとく触れていないことに、後藤氏は強い違和感を覚えたという。
「さかのぼれば、なぜ浜通りに原発がつくられたのか、なぜ敷地を30㍍以上も削って設置したのか、敷地の地質や海抜はどうだったか、稼働後いわゆる安全神話はどのように広まっていったのか等々、事故前の原発や地元自治体・住民とのかかわりも説明がない」(同)
要するに、なぜ原発事故は起きたのかという考察が一切ない、と。
「そこに触れていないのは、県自体が原発事故の原因を検証していないからだと思います」(同)
今号で、新潟県が設置した技術委員会が原発事故の原因をまとめた報告書を花角英世知事に提出したことをリポートしたが(30頁~)、他県が詳細な検証をしているにもかかわらず、直接の被害を受けた福島県がそういった委員会を設置していないのだから、伝承館が考察の要素を欠くのはむしろ必然と言える。
先進事例を無視
館内を回ると、広い割に展示物が少ないことに気づく。展示物は約170点だが、開館までに県が収集した震災・原発事故関連資料は約24万点に上る。展示される確率は、たったの0・0007%だ。
それだけの数の中から実際に展示するものを決めるのだから、選定作業は難航したはずだ。しかし、来館者に「自分事」ととらえてもらうためには、大袈裟かもしれないが「魂を揺さぶるような資料」を展示することが欠かせない。
ならばどんな展示物があったかというと、止まった壁掛け時計、錆びついたポスト、教室に残されていたランドセル、白いタイベックススーツ、当時のことを報じた地元紙――そんな「どこにでもあるもの」をいくつも並べたところで、見た人が何を感じるというのか。
実際には展示されていないが、本来展示すべきものとして後藤氏が挙げたのが、①原発事故直後に自殺した酪農家が残した「原発さえなければ」という書き置き、②一斉避難で取り残された牛が空腹のあまりかじってボロボロになった柱、③オフサイトセンターにあった「撤退」と書かれたホワイトボード、④建屋が水素爆発した際、現場に投入された車両や器具など。
「もちろん(前出・大沼さんが求めている)看板も、写真パネルでお茶を濁すのではなく実物を展示すべきです。チェルノブイリ博物館では事故対応に使われた車両を除染して展示しています。伝承館ではタイベックススーツが展示されていたが、高線量地帯では厳重な装備をするのだから、それらを展示して来館者に試着体験させた方が訴えかけるものは大きいと思います」(同)
後藤氏が言うチェルノブイリ博物館は1992年、ウクライナに開設され、チェルノブイリ原発事故の初期対応や、その後の廃炉作業に関する展示が行われている。伝承館を開設した福島県からすると「参考にすべき施設」と言っていい。しかし、
「伝承館に関するさまざまな公開資料を見る限り、県がチェルノブイリ博物館を参考にした形跡は皆無です。伝承館の具体的な中身を議論した有識者会議が先進事例に挙げていたのは、長岡震災アーカイブセンター『きおくみらい』(新潟県長岡市)と阪神・淡路大震災記念『人と防災未来センター』(兵庫県神戸市)の2施設です」(同)
もっとも、この2施設が扱っている展示は巨大地震に起因する被害や復興であり、原発事故に関する展示ならチェルノブイリ博物館の方が先進事例に断然ふさわしいはずだ。
「100歩譲って2施設を参考にするのは構わない。しかし、どの部分を参考にして、それを実際の展示にどう反映したか全く見えないことが残念でならない」(同)
後藤氏によると「人と防災未来センター」では、館内の吹き抜け部分を使って東日本大震災で発生した巨大津波の高さを示す展示や、来館者が津波を疑似体験できるシステムがあるという。
伝承館も入ってすぐのエリアが吹き抜けになっており、同様の展示が可能だ。しかし津波被害を紹介するコーナーはあっても、その巨大さを実感する仕掛けはない。阪神・淡路大震災では津波は発生していないのに「人と防災未来センター」でそのような工夫を凝らしていることを、福島県は恥ずかしく思わないのか。
アーカイブ施設では、得られた知見を紹介しつつ、他所の知見も紹介し情報共有を図ることも大切な役目の一つだ。しかし、原発事故の検証を全く行っていない状況で、伝承館が知見を紹介するレベルにないのは明らか。さらに言うと、他所の知見すらまともに紹介されていない。
「伝承館ではチェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故、東海村JCO臨界事故を紹介しているが、被害の説明はありません。チェルノブイリ博物館が、福島第一原発事故の避難生活の様子や除染土壌が入ったフレコンバッグ、双葉町の看板(前述)などを写真で紹介していたのとは対照的です」(同)
福島第一・第二原発の全機廃炉を宣言し、脱原発を進めるというなら再エネ先進地であるドイツの取り組みを紹介するのも一つの方法だが、それもない。
こうなると、伝承館が伝えたいことは一体何なのか、という疑問が湧いてくる。
「原発事故は起きたけど、いまは復興に向けて頑張っている、その姿を見てほしい――ということなんだと思います」(同)
前出・今野寿美雄さんは「県は美談にしたがっている」と言ったが、まさしくそういうことなのだろう。
批判を語れない語り部
「そもそも、伝承館の最後のエリアでは福島イノベーション・コースト構想の取り組みを紹介しており、復興に向けて頑張っている姿を見てほしい意図がアリアリです」(同)
元福島大学教授で地方自治総合研究所主任研究員の今井照氏は、伝承館の資料選定委員に内定後、県から理由を示されないまま突然内定を取り消された経験を持つ(詳細は本誌2019年1月号「アーカイブ施設資料選定委員委嘱で謎の決定覆し」を参照)。
今井氏もこんな感想を話す。
「伝承館はイノベ構想の一環で計画され、基本構想策定のための有識者会議にはJTBの担当者が含まれていたように、そもそも観光・誘客施設として考えられていました。本来はアーカイブス活動が最初にあって、その結果として何をどう展示すべきか考え、最後に施設計画となるはずなのに、私が選定委員に選ばれた時点で既に施設の基本設計は完成していました。要するに、プロセスが逆転しており、施設ありきで進められたわけです」
考えてみると、伝承館を管理・運営しているのは公益財団法人「福島イノベーション・コースト構想推進機構」で、総事業費約53億円はすべて国費でまかなわれている。原発は国策であり、原発批判は国批判につながる。だから、原発に後ろ向きな展示は控え、前向きなイノベの成果を紹介するのは、国への忖度という意味で当然と言える。
批判については、県が館内で口演する語り部に対し「特定の団体」を批判しないよう求めていることも物議を醸している。
語り部は60~70代を中心に男女約30人が登録しており、来館者に自らの体験を語っているが、伝承館が作成したマニュアルには、特定の団体・個人または他施設への批判・誹謗中傷を口演内容に含めないことを求めている。県は「特定の団体」について「国や東電だけでなく、すべての組織が含まれる」と説明。その理由を「トラブルになった場合、一個人では責任を取れないから」としている。
伝承館を訪問した際、語り部の口演を聞いた後藤氏は、その後に設けられた質問コーナーでいくつか質問したが、語り部はまともに返答しなかったという。
「語り部が『陸前高田ではこんな巨大津波が来たそうだ』と話していたので『伝承館にも巨大津波が体感できる展示があればいいと思わないか』と尋ねたが無回答でした。避難の苦労も話していたので『行政には何をしてほしかったか』とも質問したが『行政にはよくしてもらった』としか言わなかった」(同)
実は、後藤氏の見学には伝承館の職員が〝監視役〟としてずっと張りついていたという。「最初は(伝承館の)高村昇館長(長崎大学教授)も一定の距離を保ちながらついてきて驚いた」(同)。そういう人たちの目がそばにある以上、後藤氏の不都合な質問に語り部がまともに答えられるはずがない。
高村昇館長
迫られる展示の見直し
熊本県の水俣市立水俣病資料館も語り部の口演を行っているが、同館では原因企業である「チッソ」の批判を禁止していない。
同資料館でも語り部の口演を聞いている後藤氏はこう話す。
「同資料館の担当者によると、語り部の話す内容はその都度変わるそうです。私が口演を聞いたときは福島から来たことを伝えたら、その語り部はかなり踏み込んだ話をしてくれました。口演終了後、同資料館の担当者も『私も初めて聞く内容で、正直驚いた』という感想を口にしていました」
話す内容に一切制限をかけていない証拠と言える。窮屈そうに話す伝承館の語り部とは雲泥の差だ。
被災者に話を聞くと「自分をこんな目に遭わせた東電が憎い」と怒りを露わにする人もいれば「東電という組織は憎いが、片付けや除染を手伝ってくれた社員個人には感謝している」という人もいる。「事故前は原発で働いて世話になったから」などと悪口をのみ込む人さえいた。一括りに被災者といっても、個々人が抱える思いは複雑だ。
語り部も同じだと思う。決して一つではない国や東電に対する感情を包み隠さず話してもらい、聞く人に何かを感じ取ってもらうことこそ、県が求める「自分事」に結び付くのではないか。
前出・今井氏は言う。
「伝承館への批判の根本をたどると、福島県として原発事故を総括的に検証していない点に行き着く。検証していないから反省や教訓が描けないのです。自然災害と違い、原発事故はゼロにできる。そこに原発がなければ事故は起こらないのです。だとすれば、なぜ福島県に原発があったのか、というところから検証しなければならない。そうすれば、展示内容も自ずと変わるはずです」
後藤氏も「年月が経てば原発事故を知らない世代が増えてくる。事実を伝えられる世代が健在なうちに展示内容を見直すべきです」と、ここを出発点に伝承館が真の役目を果たすことを期待している。
綺麗ごとは不要だ。愚直に、事実のみを淡々と伝承していってほしい。
よろしければサポートお願いします!!