YOGAと努力
がんばれ
そう何度も言い聞かせてきた、そしてもう何度も頑張ってきた。
他人にも「がんばれ」自分にも「がんばれ」
がんばることが当たり前の時代を生きてきたし、頑張っていないことに後ろめたい気持ちさえ抱くこともあった。
頑張ってるのに、「がんばれ」と言われるほど、悩ましいものはない。
しかし、「もっとがんばれ」と言われると、なるほどまだ頑張りの余白があることにも気づいたりする。
そして、頑張った結果、その報いは、あったりなかったりする。
それでいいよ
いつしか日常の生活に「がんばれ」という言葉を聞かなくなった。
逆に
「そのままで」「自分らしく」「ありのままで」「無理しない」
そんな言葉が多く聞こえてくる。
時代に何が起こったのだろう。と疑いたくなるほど、「がんばれ」が言いにくい。
本当に頑張らなくていいのか?
本当にそれでいいのか?
バカボンのパパは「それでいいのだ」という。
繰り返し学ぶ
YOGAの学びに大切にされていること
それは、「離欲」と「修習」
そして、堅牢な心での継続。頑固なまでの学びの姿勢。
離欲ということばのとおり、「欲」から離れることこそが、苦しみの生活からの脱却であるとされるのだが、欲は悪いものかどうかは見極めなければならないと思う。
あらゆる欲がある。欲を希望に置き換えたらどうか。欲を望みに置き換えたらどうか。欲を願いに置き換えたらどうか。
無希望、無心願で生きることだけが人間らしい生き方だろうか。
人は常に、欲を持つ生き物。あるいは、生きているということは「欲」を持っている状態。そう思う。
そして、YOGAにおける欲からの離縁とは、「欲をもたない」ことではない。
見極めておく
欲には、もちろん自分をイライラとさせてしまうものや、自分を温かく朗らかにさせるものなど、様々な性質がある。
幼いころに「僕は将来プロレスラーになる」と願いをもった私は、ワクワクしながらハルクホーガンとミルマスカラスの躍動に釘付けになり、マラソンや腕立て伏せに明け暮れた。あそこに立って躍動し、皆が熱狂し、笑い、驚き、興奮している。その中心にいる自分を想うと、胸躍り、強くなった。
また、ガンダムが大好きだった私は、新しいプラモデルが発売されるとすぐに欲しくなった。デカールをはり、錆のデコレーションをし、リアルな立姿勢をつくりうっとり眺めた。しかし、お金の自由がない立場。そんな簡単にプラモデルを買うことは許されない。そのフラストレーションは、感情も乱れ、親や祖母への八つ当たりに変わった。
その時には知らなかったことば
「見極め」
欲にはいろいろな形がある。正しい欲、そうでない欲。
そこに働かせなければならない「智慧」は見極めるチカラ。
何をか? その欲が「利己」かどうか。
その欲がおおよそ自分のためだけのものである場合あるいは、自分の欲の成就に人の苦しみを伴うものは、「不要な欲」となる。
しかし、これは本当に難しい。
それはなぜか、人は幸せでいたいから。
幸せでいたいから、いろいろな幸せの定義をもっている。
その定義は、生まれてから今まで、ありとあらゆる出来事と経験から今形作られている。だから、理由がはっきりしない。はっきりしないものを意識することができない。
自分の事なのに、自分の幸せの定義がわからない。
とても複雑な生き物を今、生きているのが人間。
あぁ、大変。
何度も修習する
だから、ヨガは「離欲」という重要なファクターを解くと同時に、その大切な取り組み姿勢も合わせて伝えている。それが
「とにかく続けよう」
●自分のことを、わかったつもりにならない
●うまくいったからといって、できたと言わない
●わかったつもりになって、得意にならない
●難しいことが理解できたからといって、立ち止まらない
頑張れ
自分で決める
前に進む時には、一定のチカラが必要。作用と反作用が必要。
そこに、「たたずむ」のであれば、それはそれで、外に向いているチカラを集中する作用が必要。
心の修練には、一定の作用(努力)が必要であり、その努力は「がんばり」と呼ばれる。
その努力の過不足は「人により」程度が異なる。
努力に注ぐためには、エネルギー(燃料)が必要となるから。
エネルギーが足りないと、努力への集中も弱くなる。
逆もまた。
頑張れない時はある。
頑張れる時ももある。
もうこれまでたくさん経験してきた。
その頑張りの動機付け(欲)は何だろう。
そして、頑張れるための燃料とちゃんとつながっているだろうか?
努力や頑張りの燃料はどこからくるだろう。
それは何だろう。
ご飯だけではないはず。
しかし、力強くしなやかなカラダは、頑張りを支えるものになる。
そして、愛情や素直な心もまた、頑張りに必要なチカラとなる。
カラダを鍛え
心を整える
こうした取り組みと合わせてはじめて「がんばれる」
頑張ろう
自分への優しさはあっていい
でも、自分への優しさで、自分自身が弱っていくのは見過ごさないでほしい
他人への優しさで、その人が弱っていくのを応援しないでほしい
「それでいいよ」「そのままでいいよ」
本当かな?
頑張りへの結果には強くこだわらず、頑張ることへ力を注げるカラダと気力を養おう。
それが、YOGAの学びです。
やり切った、考え抜いたさきにくる
「これでいいのだ」
結果を手放した境地
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