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あなたの「生きづらさ」が育まれた場所は?
皆さん、こんにちは。
生きづらさ専門カウンセラーkotoです。
前回の記事では、生きづらさを感じる心の奥には「あるがままの自分では、生きている価値がない」という強く悲しい自己認識があるというお話をしました。
なにか価値を生みだしていないと、自分が生きていていいと思えない。
その根本には「自分が生きていてはいけない」のだという、とても悲しい信念が横たわっています。
だから人と比べることが虚しいことだと頭で分かっていても、もともとが生きていてはいけない人間なのだから、生かさせていただくためには、価値のある人間であらねばならない。
そのためには、人よりも何かができていなければない。
それを普段から意識して行動している人など、ほとんどいないとは思いますが、実は心の根っこの部分ではそう信じてやまないのです。
感じているのは「命の危険」ともいえる恐怖の感覚
自分の命は他のだれかがにぎっていて、その人の判断しだいでは、自分は生きていかれないかもしれない。
言語化してしまうと、私たちが心の底から信じ込んでいるのは、実は奴隷制度と同じような考え方なのです。
でもそんなことを意識してしまったら、自分の人生が何者かに支配されているという事実を受け止めなければならなくなる。
だからみんな怖くて言葉にできないのです。
だれもがそういった残俗な真実を知りたくないから、自分の中にある痛みから目を背けて、他の何かに熱中するし(勉強、仕事、子育てとかね)
自分は大丈夫だというふりをするし、もともと傷なんてなかったかのようにふるまって、自分自身を取り繕いながら生きているのです。
そしてみんながみんな、その傷にふれたくないから「生きづらい」とか「私は傷ついている」なんて言うと
「そんなこと思わなくてよくない?」
「世界にはもっと苦しんでいる人もいるんだから」
「もっと、まわりに感謝の気持ちをもちましょう」
なんて言葉が返ってくる。
それもある意味では間違っているわけではありません。
だからこそそれらの言葉をはねのけるのが難しくなる。
そういった言葉に出あうたび、私たちは自分が抱ている悲しみを、心の奥底に押し込めなければならなくなるのです。
そうやって心を表す言葉を封じられ、私たちは抱えた傷をいつまでたっても癒すことができないでいます。
どんなに真実から目を背けようとも、私たちは明らかに傷を抱えています。
だからこそ、毎日朝がやってくるのが苦しいし、子供が自分の気持ちを主張するとワガママだと感じられて怒りたくなる。
本当はやりたくないと思っている仕事も、辞めることができずに何年も何年も働き続けている。
その苦しさが、自分の中に傷があるという何よりもの証拠なのです。
「生きていてはいけない人」なんているはずがないのに、自分自身は「生きていてはいけない」と思って、必死に「生きていていい理由」を探す。
この苦しみのループから抜け出すためには、なぜ私たちがこのような悲しみを抱いてしまったのか、そのルーツを知ることがどうしても必要です。
「生きづらさ」を抱えてしまったターニングポイント
私たちはこの世に生まれた瞬間から、誰かの世話を受けなければ、死んでしまう生き物です。
お腹が減った、オムツが濡れて気持ちが悪い、などの不快な感情を泣いて訴え、それを一番身近な養育者(多くの場合母親)にすばやく解消してもらうことで、この世の安全性を知ります。
それと同時に自分の欲求を熱心に満たしてくれる他者がいることで、世界は自分を中心に回っているという確信を得ていくことになります。
「世の中は、自分が泣けばその不満を満たしてくれる。自分は満たされるのに値する存在である。」
という思いは、徐々に「自分は世の中にとって、重要な存在である。」という認識を育てていきます。
これこそが「自分は生きている価値がある」という、なんともうらやましい自分自身に対する信頼感の根っこになっていくのです。
この感覚はまさに生まれた瞬間から、約1歳半ごろまでに人生の土台となって形作られていきます。
私の家庭は「普通」だったのに
「でも、赤ちゃんの私を傷つけるような虐待やネグレクトなど、私の家庭では起こっていなかった。」
「うちは普通の家庭だったのに。」
そう感じている人は少なくありません。
もちろん虐待やネグレクト、いちじるしい貧困状態などは、あきらかにその家庭で育った子供が
「この世界は危険である。私の不満はだれも解消してくれない。私は生きていてはいけないのだ」
と感じてしまう大きな原因です。
しかしそういった「大きなできごと」だけが、子供の心を損なうわけではないのです。
もしもそうなら、今「生きづらさ」を感じている人は全員虐待やネグレクトなどを経験していなければ説明がつきません。
でも、いたって「普通の家庭」で育っているはずの人たちが、「生きづらさ」を感じて傷ついている現状があります。
だからこそ私は「どうして私が」と思ってしまうような「普通の人」の「生きづらさ」に目を向けたいと考えているのです。
おわりに
私が生まれ育った環境も、虐待やネグレクトなどの「大きなできごと」があったわけではありませんでした。
むしろ両親はそろっていてしかも2人とも教師、祖父母も近くにいるといった、「恵まれた家庭」でした。
しかしそこで育った私は30歳なかばになっても自分が生きていてもいいと思えない「生きづらさ」を感じる人間です。
ずっと「私は恵まれていたはずなのに、なぜ」という純粋な疑問と、「恵まれていたのに、生きづらさを抱えてしまった」という罪悪感にさいなまれていました。
次回は、「なぜ普通の家庭で、生きづらさがうまれてしまったのか」ということについてお伝えしていきたいと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あなたにとって、安全な一日が訪れることを、心から願っています。
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