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怪異調査コンサルタント/小説 


#創作大賞2023 #ミステリー小説部門

あらすじ

警視庁には、『人の手によるものではないと思われる不審事件』を担当する、表向きには存在しない部署が存在する。その名を、怪異班。
新たに怪異班に異動してきた若手刑事・三好は、怪異班と提携する民間業者と調査に当たれと上司に命令され、怪異調査コンサルタントを名乗る男・神代久遠に出会う。黒髪に黒目、黒い服という黒ずくめの美しい男――神代は、養女であるという「あやめ」という少女とともに暮らしているらしい。
捜査することになったのは、被害者が全員体の一部を持ち去られているという三件の連続殺人。
三好は神代について、その迷宮入り目前の連続殺人の調査に乗り出すが――。


本編

 1


微かに、ピアノの音がする。

古い五階建てのビルの階段を最上階まで上り切ったところで、三好慧人は目の前の扉、その中から聞こえてきている音に気がついた。もう季節は夏になろうとしている。五階まで上がるのに階段を使えば、それだけで汗だくになる。

聴こえてきているのはジャズアレンジされたクラシック曲だ。音楽に疎い自分でも聞いたことがあるメロディであったので、原曲は誰しもが知っているような有名なものなのだろう。三好はぐいと額に滲んだ汗を拭った。

今この場で弾いているんだったら、邪魔して申し訳ないな、とは思う。扉を開ければ音を遮ってしまうことになるからだ。

が、曲が終わるまでじっとしている訳にもいかない。

「失礼します……」

申し訳程度に挨拶を口にしつつ目の前にあった扉をそっと開けると、案の定ピアノはぴたりと止んだ。

「ああ、いらっしゃい」

まさに個人経営の事務所のオフィス、といった内装の狭い部屋の中、中心に置かれているソファに座っていた男が、人好きのする笑顔で声をかけてくる。黒いTシャツに黒のスラックス、見る人が見れば怪しいと思うであろう黒ずくめの格好だったが、整った顔立ちに浮かぶ穏やかな笑顔がその不審さを上手く打ち消している。年の頃は二十代半ばから後半といったところだろうか。三好よりも一、二歳ほど上に見える。

そしてオフィスの奥には古びたアップライトピアノがあり、椅子には中学生くらいの少女が座っていた。彼女がピアノを弾いていたのだろうか。やはり邪魔をしてしまったようで、なんだか申し訳ない。

男とあまり似てはいないが、彼女もまた整った顔立ちで、まだ残暑も厳しい季節だというのに黒い長袖のセーラー服を着ていた。先取りファッションってやつかなあと三好は馬鹿みたいなことを考える。

「あの、いきなりお邪魔してすみません。俺、いや僕は」

「大丈夫、火島警部から聞いてますよ。怪異班の方ですよね?」

さ、座ってください。

そう言って男が自分の前のソファを指さしたので、三好は素直にソファに腰掛けた。


「――さて、ようこそ。僕が怪異調査コンサルタントの神代久遠といいます」


   2


 三好が神代の事務所を訪れる二時間ほど前のこと。

 彼は直属の上司からの呼び出しを受けていた。

「不審な連続殺人事件、ですか」
「ああ。うちは秘密組織的な部署であると同時に窓際部署で、万年人手不足なんでな。移動してきてばかりで悪いが、早速仕事をしてもらう」

苦く笑う上司・火島毅警部を前に、三好は促されるまま資料を受け取る。

 緊張とともに沸いてくるのは高揚――そして不安だ。

 何せ三好が警視庁に入庁して初めての異動先として指定されたのは、表には存在しないことになっている特別な部署だからだった。

「と、いうことは……」渡されたばかりの資料に目を落とす。「この事件は、一課の方でどうしても不可解な部分が解消されないような、不審事件ということなんですね」

 ああ、と火島は頷いた。――その通りだ。

 三好はごく、と唾を飲み下す。


 ――怪異係。

 三好が配属された部署、その通称である。


 業務内容は、原因不明の異状死について捜査する、というものだ。捜査一課がどうしても解き明かせない事件において、迷宮入りやら誤認逮捕やらという事態を避けるための最後の砦。

事件は必ず解決しなければならない、しかし多忙な一課の刑事は一つの事件にかかずらっていられない。そういった時に難解な厄介ごとを投げられる部署である。

怪異係という珍妙な名がついたのは、今までこの係の者が対応し、解決した殺人事件がまるで人間の仕業だとは思えない異常な事件ばかりであり――人ならざる者の仕業である事件を強引に科学的・論理的に説明したような内容も多かったからだという。

「今回一課から泣きつかれた事件は、最近巷で盛り上がっている連続殺人についてだ」

「……みたいですね」

火島の言う通り、資料は、最近俄に巷を騒がせ始めた連続婦女殺人事件についてのものだった。ついこの間三人目の犠牲者が発見されたばかりの、まさに現在進行形で捜査が進んでいる事件だ。

被害者は全員二十代の若い女性だが、特徴的なのは、全員が刺殺であるという点、被害者の全員が身体の一部を持ち去られているという点だった。一人目は両耳、二人目は左手の指全て。最近新たに発見された三人目は右手の指全てが欠損していたという。持ち去られていた場所はそれぞれ違うものの、犯行の手口が酷似していたこと、短期間で殺害されていたことなどから連続殺人だと見做されたのだとか――。

「あの、警部」

「どうした」

「これ、どうしてこっちに回されてきたんです?」

煮詰まっている、というのはわかった。捜査が始まってからしばらく経ち、一部とはいえ被害者や捜査状況についての情報もメディアに公開され始めている。

世間的にも重大事件の扱いを受けていることは三好も知っているが、一課が泣きついてきた「不可解な点」というのを具体的には知らなかった。

言うと、火島が「それはな」と肩をすくめる。

「これ、といった容疑者に鉄壁のアリバイがあって、それをどうしても崩せないんだと。だから迷宮入りになんてとんでもないことになる前にこっちに話に振ってきたんだよ」

「な、なるほど」

「つまり、どうあってもお前らでアリバイをどうにか崩せと暗に言われている訳だ」

「な、なるほど……」

 聞いてみれば話は簡単、お偉いさんの無茶ぶりである。

「切羽詰まっているのに、うちのような……その、小さな部署に相談してくるものなんですね」

「無茶ぶりに応えた実績が多少なりともあるからだろうな」

「はあ……。というかそもそもこの班って……『人の手によるものではないような』不審死や異状死を主に担当する班、なんですよね?」

「ま、そうだな」

「あの、本当に……」ごく、と唾を飲み込んだ。「実際に、『そういう』事件があったことって……」

「……」

「あの、何か言ってくれませんかね!」

うっすら笑みを浮かべたまま何も言わない上司に三好が半泣きになったところで、ふはは、と火島が笑った。

「まあ、世の中、科学で説明できる事象ばっかじゃないってことはわかるよな、この部署にいるとよ」

「エ……」

 じゃまさかここに回されてくるのはやはり『マジモン』だと思われるような――?

 真っ青になった三好を見て、火島は「まあ別に」とかぶりを振った。

「何もお前一人で調べろって言ってる訳じゃないさ。窓際部署は窓際部署なりの強さがあってな。表じゃ民間人に捜査情報漏らすなんてことはご法度だが、うちには有識者という名の、勝手知ったる民間人の協力者がいる。そいつに力を借りに行ってほしい。要はお使いの延長だよ、新人君」

「民間人の協力者……?」

「そうだ。そういった、不審な事件には裏でも表でも数多く携わってきた男でな。ある程度名が通ってる――あいつなら事件解決の手伝いをしてくれるはずだ」

そう言って、火島は三好に一枚の紙切れを手渡した。ボールペンで住所らしきものが乱雑に書かれている。

ここに協力者とやらがいるのだろうか。

「それじゃあ頼んだぞ」

「は、はい」民間人の協力者。警察としてはどうなのだろうという話だが、なんとも、秘密部署らしい響きではないか。「でも、僕一人で大丈夫でしょうか……」

「大丈夫大丈夫。俺はお前を見て、わざわざここに引き入れたんだ。これでも人を見る目には自信があってな……期待してるぞ」

 

   3


「なるほど。例の連続殺人事件について、ですか。なんというか、今回はかなり大きな事件ですね。いえ、事件を大きい小さいと評価するのはナンセンスだということはわかっているのですが」

三好の話を聞き終えた神代が、資料に目を落としたまま少なからず驚きの篭った声で呟く。

本当に民間人に協力なんて求めていいのか、とはずっと思っていたが、神代は『今回は』と言った。彼が今までも何度か怪異班に手を貸してきた協力者というのは、本当のことなのだろう。

「それにしても火島警部は随分とあなたを買っておられるようだ」

「え?」

「ああ、不躾な言い方ですみません。ただ、僕はあの人との付き合いも長いですが、火島警部はああ見えて割と慎重な方なんですよ。それなのに新人の方に大きな案件を任せるとは……よほど三好さんは優秀な方なんですね」

「い、いやそんな」

……ことは、もしかしたらあるのだろうか。

三好は照れ笑いを浮かべ、頭をかく。

異動前も別に目立った功績を上げていた訳ではないが、地道な努力は重ねてきたつもりだ。わざわざ自分を引き抜いたということは、火島にはその点を高く評価して貰えているのかもしれない。

「それとも何か、人とは違う特別な力があるのでしょうか」

「いやいや。昔から粘り強いのだけが取り柄で。俺……僕なんて大したことありませんよ」

慌てて言い直すと、「無理せず『俺』でいいですよ」と神代が笑った。う、と詰まって今度は羞恥を誤魔化すように頭をかく。

「すみません、失礼を……俺昔から割と口が悪くて」

「気にしないでください。別に歳もさほど変わらないでしょうし、そんなに緊張しなくていいですよ」

確かにそうか、と頷いて、ふと三好は顔を上げた。

「あの、さっきはすみません。せっかくさっきまでピアノでかっこいい演奏をしてたのに、俺が入ってきたせいで止めてしまったみたいで」

「ああいえ。あれは生演奏ではなくてCDですから、それこそお気になさらず」

「え。妹さんが弾いていたんじゃないんですか?」

アップライトピアノの椅子には変わらず黒いセーラー服の少女が座っている。視線を向けると、少女は少し嫌そうな顔でこちらを見たが、何か気に触ることを言ってしまっただろうか。中学生くらいの女の子に道端の虫の死骸を見るような目を向けられるのは、割と心にくる。

「妹?」一瞬、目を瞬かせた神代がややあって膝を打った。「……ああ、あやめのことですか。違いますよ。その子は妹ではありません」

「え、違うんですか?」

ええ、と神代が後ろを振り返る。あやめ、と呼ばれた黒ずくめの少女がぴょんと椅子から飛び降りて会釈した。

「あやめは僕が引き取って育てている子です。つまり娘ですね、義理の」

「……そーそ、久遠と血が繋がってると思われるなんて冗談じゃないわ」

黒ずくめの少女・あやめが初めて口を開く。月並みな表現だが、鈴が鳴るような可愛らしい声だった――言っていることはそれなりに酷いが。

「三好さんでしたっけ」

「え、あ、うん」

「はじめまして。聞いてたと思うけど、私、あやめっていいます。さっきは演奏を褒めてくれてありがとう。あんまり技術に自信がないから、いつもは誰かに聞かれたらCDって言うか久遠が弾いてることにするんだけど、三好さんのおかげでちょっと自信がついたわ」

「あ……そうだったんだ」

にっこりと微笑まれて、三好は少し焦りながらそう返す。

それは十四、五歳であるはずの少女が浮かべるには大人びた、どこか神秘的なうつくしい微笑だった。少女らしさよりつやっぽさを感じる笑みにどきりとさせられたが――まあとかく嫌そうな目はしまってくれたようだったので安心した。

そして、そのあやめはひょいっと身軽にソファの背を乗り越えると、神代の隣に座る。それを見て神代が少し眉を寄せた。

「あやめ」

「いいじゃない。どうせ全部聞いてたんだもの。……そもそも久遠が私を紹介するタイミングを逃したからいけないのよ?」

「いやそれはそうなんだけどね。呼び捨てじゃなくて、ちゃんとお父さんと呼びなさい」

「嫌よ」

「ならパパでも」

「きんも」

神代が地面に沈んだ。

たった三文字で養父を沈めたあやめのあんまりな物言いに、三好は心の中で神代に手を合わせた。

「それで三好さん、具体的には久遠に何を頼みにきたんですか?」

「ああ、いや……」項垂れたままの神代を気にしながら、三好は視線を彷徨わせた。「詳しくはあまり決めてなくて」

「あら。そうなんですか?」

「実はね。言われるままここに来たから。お恥ずかしいことに行き当たりばったりで、あまりよく考えてなかったんだ」

「――ならまずは一件目と二件目の事件について調べに行きましょうか」

神代が青い顔を上げ、そう提案してくる。三好は片眉を上げた。

「え、一件目と二件目だけ、ですか?」

「とりあえずは、ですね。三件目は最近起こった事件ですし、捜査も始まったばかりで資料もほぼないでしょうから。それに現場には他の課の捜査員の方が結構いらっしゃるのではないかと思いまして。それはなんというか、三好さんが困るでしょう?」

「た、確かに……」

あくまでも怪異班は表には存在しない部署だ。しかも民間人連れで聞き込みなど以ての外、他の捜査員に見られてしまっては恐らく面倒なことになる。

「現場にはまだ熱心な捜査員の方が残っているかもしれませんが、あらかた調べは終わっているはずですからね。三件目の現場に比べればうろついている人も少ないでしょう。ですから、まずは連続殺人という前提を脇に置いて一件目と二件目の事件を調べ――怪異が関係しているかどうかについて検証してみることにしませんか?」

「ひえ……」

――なにせ、オカルトが関係するのであれば、そもそも連続殺人という前提が壊れてしまうかもしれませんからねえ。人外を人の常識ではかるなんて無理がありますから。

言ってから、神代は神秘的な笑みを浮かべた。


   4


「……あの。一つ聞いてもいいですか」

「はい、なんでしょう」

一件目の現場・A大学近くの公園に向かう覆面パトカーの中。

苦々しい声で発された声に応えたのは、助手席に座っている神代だ。

「なんで捜査にあやめちゃんが同行することになってるんですか……っ!」

「それはね三好さん」

後部座席から身を乗り出したあやめが、したり顔で言う――「私も事件が気になっちゃったからです」

「気になったからって覆面パトカーに潜り込まないで!」

狭い車内に三好のツッコミが響き渡り、神代とあやめがあはははと声を合わせて笑う。仲がいいのか悪いのかわからない美形父娘だが、息はぴったりだ。

――この親子、一見穏やかというか、善人そうに見えるけど実は割と腹黒いというか、とんでもなく面の皮が厚い人種なんじゃ……。

子連れで捜査なんて、他の捜査員に見られでもしたらどうなることやら。どころか、聞き込み先の人間にも不審に思われるに違いない。

かといって、捜査に乗り出す三好と神代の目を盗み、更には隙をついて覆面パトカーのトランクに潜り込んだ彼女を、聞き込みの間中車内にじっとさせておくことなど、果たしてできるのだろうか。否、きっとできない。反語――。

「現場には行かないし、聞き込みの時は上手く隠れますから大丈夫。盗み聞きだけにします。話に首を突っ込むのはやめるわ。なるべく」

「なるべくじゃなくて普通にやめてね」

「こう見えて私、頭は割といいのよ。きっと役に立てます」

三好の言葉を黙殺して胸を張るあやめに火島が重なった。……そうだこの親子、なんだかよくわからないが火島警部に似てるんだ。

さすがは古い知り合いというだけあるな、と三好は溜息をつく。

「あやめちゃん、じゃあ頼むから大人しくしててくれよ」

「わかってます!」

「ほんとかな……それとシートベルト締めてね……俺一応警察だからさ……」

「そうだったわね!」

そうだったわねとはどういう意味だ。

そんなに警察官らしい威厳はないのか、僕には――慌てて座席に腰掛けシートベルトを締めるあやめをミラーで見て半目になりながらも、三好は前方に見えてきた古びた建物に唇を引き結ぶ。

A大学。東京の郊外に位置する、比較的規模の小さい私立大学の一つしかないキャンパスで、一件目の被害者である筒井日菜子という女性が、大学院生として通っているところでもある。

今回の目的地は、そのA大学から最も近い公園であるもみじ児童公園と、一課がマークしている人物の住むアパートだ。そして連続殺人事件の一人目の被害者は、その児童公園内から刺殺体として見つかったのだそうだが――。

児童公園は狭いため車を停めるスペースはない。仕方なく近くにあった有料駐車場に車を停めると、三好は神代と共にそこから降りた。

「じゃあ久遠、三好さん、行ってらっしゃい」

あやめに見送られながら車から離れ、公園内に足を踏み入れる。まずは現場検証である。

神代が予想した通り現場にいる人はまばらで、特に怪しまれることなく二人は中に入ることができた。それは内心緊張していた三好よりも、完全部外者であるはずの神代が妙に堂々としていたというのもあるだろう――やはり親子揃ってあの神経が図太そうな火島に似ている。

「さすがに遺体はもうないですね」

「はい。一人目の事件からは割と時間が経ってますしね」

実際に被害者が倒れていたという場所は入口から遊具へと繋がる道の真ん中だった。

遺体があったことを示す白いテープが囲う中央には、赤黒い痕がこびり付いている。恐らくは被害者の流した血だろう。

「やはり資料通り、被害者はまさにここで刺され、殺されたんですね。どこかから死体を運んできたわけではなさそうだ」

「うつ伏せで倒れていたそうです。後ろから襲われて背中から腹をぶっすりやられ、それで失血死したと」

「そして指を持ち去られた」

言うなりふむ、と神代が頷いた。

「……死亡推定時刻は夜。A大学の院生であった被害者の女性は、大学が終わったあとにこの児童公園に寄った……ということのようですが、どうしてわざわざ公園なんかに行ったんですかね」

「夜の公園を散歩するのが好きらしいですよ。だから大学が終わったあとはこの公園内を歩くんだそうです」

「そのことを知っている人間は?」

三好は資料を見下ろし、眉根を寄せた。

「……今のところは、『このこと』を教えてくれた被害者と同じゼミに所属する女性だけ、だと」

「はあ。なるほど、そういうことでしたか」

神代は穏やかな笑みを浮かべたまま、遺体が横たわっていたであろうその場所へと歩いていく。

「そしてその女性には、確固たるアリバイがあるんですね?」

「そういうこと、みたいですね」

口に出して整理してみると改めて、捜査一課のベテランたちが行き詰まるのもわかる気がした。

更にその女性には、被害者の女性を殺す動機もあったという。資料によると、同じゼミに所属する男性一人を巡ってトラブルがあったらしい。異性関係のトラブル、まさに『らしい』動機だ。

しかし、揺るぎないアリバイがある。

マークされているその女性は死亡推定時刻のあいだ、現場から遠く離れた高校時代の友人の家に泊まりに行っていたのだという。当然偽装工作も疑われたが、捜査一課にはついにはそれを破ることができなかった。

「なるほど。確かに難しい事件のようですね」

「はい。それと、あの……」三好は恐る恐る、穏やかな笑顔を浮かべたままの神代の横顔を見る。「やっぱりこれ、怪異? みたいなのが関わってるんですかね。だってこんな、この人しかありえなさそうなのに、アリバイが完璧なんて」

しかし神代は肩をすくめ、「さあ」と首を振った。

「まだわかりません。二件目についても調べてみないとどうにも。そしてやはり、できればその犯人と思わしき女性にも話を聞きたいですね」

「そうですか。……やっぱり神代さん、慣れてるんですね、こういう捜査」

血を見ても動揺するどころか笑みを浮かべたまま表情を動かさず、躊躇なく現場を検分する。資料から冷静にあったことを分析し、状況を整理する。当たり前のように、連続殺人犯かもしれない女に話を聞きに行こうとする――全て普通の感性の人間には難しい行動だろう。

怪異調査コンサルタントとして、神代は一体どのくらいの経験を積んできたのだろうか。

「別に慣れてる、というほどではありませんが……まあ確かに一般の方に比べればずっと耐性はあるでしょうね」

「冷静だし、分析も的確だし、今からでも警察に入って怪異班の一員になればいいんじゃないですか?」

「はは……」

神代が穏やかな笑みを苦笑に変えて頬を指でかく。

半分世辞のつもりではあったものの、三好は言いながら自分の発言がそれなりに的を射ているかもしれないということに気がついた。そもそも火島の知り合いであるなら、わざわざコンサルタントなどという面倒な立場にいないで、警察官になれば良かったのではないか。

「僕が警察はちょっと。そんな資格もないですしね」

「ええ? 別にそんなこと」

「……あるんですよ」

やや食い気味な主張に、三好は目を瞬かせる。

神代は神秘的な美しさすら感じさせる整ったかんばせに、無機質な笑みを浮かべていた。

いつもの穏やかな笑みと似ているが違う、どこか冷たい微笑みだった。

「僕は罪深い人間だ。あくまで正義を語る警察と、立場を同じくすることはできません」

「罪深い、って……」

「何故一般人が、警視庁の警部と知り合いで、しかも表には出ていない部署と繋がっているどころか、胡散臭い事件解決に協力すらしているのか。気になりませんでした?」

神代が目を細める。三好が言葉に詰まったのを見て、彼は更に続けた。

「人を殺めたことがあるんです、僕」

「え?」

「その時……火島警部にお世話になっていました。それ以来の付き合いなんですよ、あの人とは」

 衝撃で言葉が出てこない。

人を殺めた、だって。まさか、この男が? 

常に温和な物腰に穏やかな笑顔でおり、更には可愛がっているらしい養女に暴言を吐かれ、落ち込んでいたこの男が、人殺し?

いや、だが、と三好は目を細めた。

先程彼の浮かべた無機質な笑みは確かに異質だった。美しく、そしてどこまでも冷たかった――。

「なら、怪異調査コンサルタントなんて仕事をやることにしたのは、火島警部にお世話になったから彼の手伝いをしようとか、そういう理由なんですか?」

「まあそれもありますが、一番の理由は違います」

神代はそう言い、もうここでは調べることはないとばかりに公園の出口へ向かって歩き出す。

慌ててその後を追いながら、三好は「じゃあ、なんでなんですか」と重ねて問うた。

「簡単ですよ」

神代が足を止めて、背後の三好を振り返る。

そして静かに口の端を上げた。


「人の道を外れた者にしか見えないモノもある、ということです」


   5


「……あやめちゃん、本当についてくるの?」

「ええ」

「わかってる? 相手は連続殺人犯かもしれないんだよ。女の子がついてくるには危険すぎるし、そもそも民間人の子供が捜査についてくるなんて」

「ああもうしつこい!」ぎっ! と鋭い目付きで、あやめが下から睨み上げてきた。「だから三好さんはもてないのよっ、どうせ彼女いないでしょっ」

あまりにもあんまりな言葉の矢が三好の胸に突き刺さる。何より図星だった。ダメージがでかい。

別にもてなくなんかないやい、彼女がいないのも最近ふられただけだい……と三好がいじけた気持ちになったところで、神代が「三好さん」と声をかけてきた。ニコニコの笑顔であった。

「着きましたよ。ここが例の、怪しい女性のアパートでしたよね」

「……神代さん」

「はい?」

「なんでそんなニコニコなんですか?」

「嫌だな」神代が変わらずニコニコしながらかぶりを振った。「別に、あやめに暴言吐かれ仲間ができたなんて喜んでいる訳ではありませんよ」

喜んでいる顔だった。

「あんたと一緒にしないでください!」三好は堪らず叫ぶ。「きもいよりはましです!」

「もてないもきもいも同じようなものでしょう!」会ってからずっと、物静かで穏やかな態度を崩さなかった神代が初めて叫んだ。「その程度の差でふんぞり返るのはやめてもらいたいですね!」

「一生やってなさい」あやめが道端の吐瀉物を見るような目で吐き捨てた。


――ともあれ、聞き込みである。

三好と神代はあの現場から帰ったあと、すぐに聞き込み先のアパートの近くまで車で移動した。ついてくると言って聞かないあやめを仕方なく同行させたことで、神代の暴露から互いに気まずくならなかったところまではよかったのだが、別のところで空気がギッスギスになった。若い女の子の暴言は思ったより傷つくもんなんだな、と心の傷を抱えながら三好はアパートのインターホンを押す。

『はい』

「警視庁の者です。お話を聞きたいのですが」

すぐに返ってきた声にそう言うと、『警察の人ですか』という言葉と共に、忌々しげな溜息が聞こえてくる。もううんざり、という感情が滲んだ溜息だった。

『もうお話することもないと思いますけど?』

「すみません。あの、僕は少し違う部署の者で。軽くお話をして頂けるだけでいいので」

『……はあ、わかりました。少し待っててください』

もう一度溜息が聞こえてくると、ややあってから足音が近づいてきた。どうやら話は聞かせて貰えるらしい。

鍵の開く音がして、扉が開く。開いた隙間から顔を覗かせたのは、やややつれた容貌の若い女性だ。

「どうぞ……あら」

アリバイによって容疑者から外された、怪しい女性――葛城乙葉が、きりっとした眉を寄せ、視線をやや下に投げた。そして。

「その子は?」

と言った。

「げ」

三好は思わず、そう声を漏らしてしまう。

忘れていた。あやめの存在をすっかり忘れていた。

子連れの捜査員なんているはずがない。これでは警察かどうかすら疑われてもおかしくはない。そもそも聞き込みの時は隠れてるとかなんとか言ってなかったかあやめちゃん。なんで普通に葛城から見える場所にいるんだあやめちゃん。

葛城が訝しげな表情で三好の顔を見る。

「今、げ、って仰いました?」

「いえ! まさか! そんなこと言ってません!」

「言いましたよね。この子、知り合いですか? ……子供を連れて聞き込みにきたんですか?」

「いえあの」

「あなた……」いよいよ葛城乙葉の眉がつり上がった。「本当に警察の方?」

――どうしよう。

完全にパニックに陥った三好の頭の中を、その五文字が支配する。

これではとても話を聞かせてもらえまい。いや、最悪通報される可能性さえある。

そんなことになれば、表にはないはずの怪異班の仕事が表沙汰になってしまう。一体どうすべきなのか全くわからない。まさに窮地だ。

……しかし、その三好の窮地を救ったのは元凶たるあやめだった。

「あの、ごめんなさい。違うんです、私」

「え?」

 恐る恐る、といった表情で口を開いたあやめを見て葛城が首を捻る。

「知り合いじゃないです。私、たまたまこの近くにいたんですけど、刑事さんみたいな人たちがいたから、つい好奇心でついてきちゃって……」

「たまたま近くに?」

「はい。つい、野次馬根性で……あの、本当にすみませんでしたっ! 私もう帰りますからっ!」

そう言うと、あやめはすごい速さで頭を下げ、すごい速さでその場を駆け出していった。

三好はぽかん、としてその様子を見送る。

フォローはありがたいが――いや、そもそも同行したいと言って着いてきている時点でありがたいもくそもないのだが――よかったのだろうか。あやめも気になっているから話を聞きたいと言っていたはずだが。

「……勘違いしてすみません。上がってください」

若干、気まずそうな葛城の声にはっと我に返る。

横の神代の顔を見ると、彼は整った顔ににこ、といつもの穏やかな笑みを浮かべた。

「ではお言葉に甘えて、上がらせてもらいましょうか」


「――だから何もかもお話しした通りなんですよ」

 ソファに腰掛け、長い脚を組んだ葛城が苛立たし気に言う。

「確かに私は日菜子と揉めてましたし、最近はその、異性をめぐって対立関係にあったのも事実です。でも私は何もやってません。日菜子を殺してなんかないし、そもそも日菜子の死んだ日、私はそれなりに遠い友人の家に泊まっていました。……違う部署から来たって仰ってましたけど、あなたも警察の人なんでしょ? そのくらいご存じなんじゃないんですか? なのに今更また私を犯人扱い?」

「あはは……いや、そんなつもりは。ただ、ご本人から話を伺いたいと思いまして」

 やはり、彼女の話した内容は資料と全く同じだった。

一人目の被害者・筒井日菜子とは揉めてはいたものの殺していない。アリバイがあり、犯行は不可能。齟齬はない。

「あの、でしたら。筒井さんの、夜の公園を散歩する習慣について知ってる人に心当たりはありませんか? 今のところそのことを知ってるのは葛城さんしかいないみたいなので……」

「それについても何度も申し上げましたけど、知りません。もっと探せばいいんじゃないんですか? というかそういうのを探すのがあなたたちの仕事なんじゃないんですか?」

 些か乱暴ではあるが正論だった。三好は言い返せずに黙り込む。

 一課の捜査員たちが探してはいるのだろう。しかしそれでも見つからなかったからこそ、火島のもとに話が来たのだ。であれば、絶対とはもちろん言えないものの、『そんな人間はいない』と考えた方が自然ではないだろうか。

 しかし彼女のアリバイは揺らがない。

裏取りは完璧だったという。彼女は確かに事件のあった晩、まるで『こうなることがわかっていたかのように』離れた場所にいた。

 ――怪異。人ならざる者による事件。

 火島の声が、三好の脳裏に蘇る。

「あの」

 発された声に、三好は横に座った神代を見た。

彼は、戸棚の上にあるコルクボードに貼ってある写真を見つめていた。

高校時代の葛城と思わしき少女の写真や、家族写真のほかに、葛城と被害者の筒井、そして一人の男性が共に笑っている写真もある。この写真の葛城の顔色はよく、筒井もイヤリングを煌めかせて楽しげだ。今や見る影もないが。

「あの写真に映っているのは、葛城さんと筒井さんと……それから男性は筒井さんの恋人の方ですか?」

「……ええ。それが何か?」

「いえ。別に」

 神代はにこりと笑ってそう言うと、おもむろにソファから立ち上がった。

「では、僕らはこのあたりでお暇します」

「えっ」

「お話を聞かせていただいて、ありがとうございました。行きましょうか、三好さん」

 呆気にとられた顔をする葛城に一礼すると、さっさと神代は玄関に向かって歩いていく。

三好も慌てて立ち上がり、葛城に会釈すると、急いで彼の後を追った。そして、立ち止まる気が微塵もなさそうな背中に声を掛ける。

「ちょ、神代さん! もういいんですか?」

「ええ。知りたいことは知ることができましたから」

「で、でも……」

 話を聞いている最中、神代は口を開かなかった。質問をしたのも今の一度だけだ。

 ほとんど何も、手持ちの情報に変化はない。

それで本当にいいのだろうか、と三好は眉を寄せる。

「大丈夫ですよ。本当に知りたいことは知れたので……あ、そうだ、三好さん」

「あ、はい」

「葛城さんは連続殺人の犯人と見做されている訳ですよね。なら、二人目の被害者を殺す動機も強いものだったんですか?」

「強いかどうかは犯人次第なので、俺にはなんとも……。ですが、動機らしいものは見つかったそうですよ。葛城さんは二人目の被害者とは高校時代にトラブルを起こしていたとかいう話です」

「なるほど。まあでも高校時代のトラブルなわけですし、やはり筒井さんとのいざこざに比べれば薄いようにも思えますね」

 三好は頷く。確かに葛城が本当に犯人なのだとしたら、一件目の事件よりも二件目の事件の動機の方が薄いように感じられるのは事実だ。あくまでも他人の目から見ての話であるため、一概にそのトラブルとやらが動機として弱いと言うことはできないが。

「この連続殺人、二件目と三件目が模倣犯という可能性は?」

「それはないですよ。全部の事件が刺殺、身体の一部を持ち去られている上、発見された凶器も一致してるんです。身体の一部を持ち去られているというだけならまだしも、メディアに出てない凶器まで同じとなると、同一犯でないとおかしいでしょう」

「……ふむ。確かにそうですね」

 言いながら、神代が腕時計を見下ろす。

「ああ、もうこんな時間だ。そろそろ帰りますか」

「え、もうですか?」

三好は首を捻った。

時計の針は午後五時を指しているが、夏なのでまだ暗くなるまで時間もある。

「まだ二件目の捜査が終わってませんけど……。俺、近くに住んでるので二件目の現場近くの地理わりと詳しいんですよ。今からなら十分間に合うような気もしますが」

「いえ、今日はそろそろ。あやめも退屈しているでしょうし、僕も考えを整理したいですから。事務所に戻りましょう」

「そ、そうですか」

 まあ確かに、あやめちゃんをずっと放置していたらかわいそうか。三好はそう思って、ポケットから車のキーを取り出す。

 それに今から帰れば、今日の成果を火島に報告することもできるだろう。まだ何かを探り当てたという手ごたえはないが、神代について聞きたいこともあるので、三好としても丁度いいかもしれない。

「じゃあ今日は上がりということで。帰りましょうか」

「はい。僕のほうでも調べておきたいことができましたので、また何かあったらお話しします」

 神代はそう言って、またあの穏やかな笑顔を浮かべた。


   6


 ――それから数日が経ち。

三好は再び火島から神代の事務所へ赴けと言われ、例の事務所へ向かっていた。


この数日、神代からの連絡は全くなかったが、彼の調べたいことというのはどうにかなったのだろうか。それにしても一体何を調べたいと考えていたのだろう。

今日は二件目の事件について調べに行くのだろうが、少しは捜査を進展させることが……あるいは、葛城のアリバイを崩す手がかりを見つけることはできるのだろうか。

「よし、着いた」

事務所のある古びた建物を見上げる。今日もあやめがピアノを弾いているのだろうか。

そう言えば、と三好は階段を上りながら考える。

あやめは、神代がかつて人を殺したことがあると知って、養女になったのだろうか。

あの後火島から話は聞いたが、神代が殺したのは丁度あやめくらいの年頃の少女だったはずだ。怪異調査コンサルタントなどという胡散臭い職業に就く養父を受け入れているような少女なのだから、知っていてもおかしくはないが……怖くはないのだろうか。

神代は自身を罪深い人間だと言っていた。

彼の本質が悪なのか善なのか、三好にはわからない。しかしその言葉に嘘はないように思えた。神代はかつて人を殺めたことを後悔しているのだろう。それは間違いないと、三好はそう思う。

それを聡いあやめはわかっているからこそ、彼のそばにいる、と……そういうことなのだろうか。

「あ、今日は弾いてないのか」

事務所の前に辿り着いてもピアノの音は聞こえてこなかったため、今日はあやめの気分が乗らない日らしい。

それを少し残念に思いながら事務所の扉を開ける。こんにちは、と声をかけながら中に入ると、「いらっしゃい」という声が返ってくる。神代の声だ。

「どうも、神代さん。あやめちゃんも」

「こんにちは、三好さん」

「三日ぶりでしょうか、三好さん。すみません、ご連絡が遅くなってしまいまして。昨日まであやめと一緒に調べたいことを調べていたものですから」

どうぞ、と促されたので言われるままにソファに座る。あやめがお茶を出そうとしてくれたが、三好は「飲み物は大丈夫」と辞退した。それを聞いてあやめが怪訝そうに眉を寄せる。

「あら、どうしてですか? 私、紅茶を淹れるの、割と得意なのよ」

「いや、そんなに長居はしないから……。俺と神代さんはほら、これから二件目の事件を調べに行かなきゃ行けないしね」

そうですよね、神代さん。

前のソファに腰掛けた神代にそう聞くと、彼はゆったりとした動作で顔を上げ、それから首を横に振った。

「いいえ。その必要はありません」

「えっ?」

「調べていって大体真相はわかりました。現場に赴く必要はありません」

どういうことだ。

三好は目を白黒させた。この三日で一体何を調べ、何を掴んだというのか。大体真相を掴めたというのは、本当なのか。

神代が目を細めた。

「色々と聞きたいこともあるでしょうから、諸々きちんと説明しますよ。ですからまずは」

ことり、と音がしたと思えば、ふわりと紅茶の香りが鼻をかすめる。

目の前にはいつの間にか紅茶の入ったカップが置かれており、あやめが楽しげに笑っていた。

「お茶でもいかがですか」


「……さて、まず始めに。この連続殺人事件は怪異、つまり人ならざる者によるものではありません」

「え」あやめの淹れてくれた紅茶を口に含みながら、三好は顔を上げる。「そうなんですか」

ええ、と頷く神代が、ティーカップを持ち上げてみせる。黒ずくめの美形と、白い陶器のティーカップの組み合わせは妙に絵になった。

「まあ、そうですよね。怪異……お化けやら幽霊やら都市伝説やらなんて、そうそういませんしありませんよね」

三好は肩を竦めて苦笑する。

怪異班などという通称を貰った班にいても、人ならざる者の起こした事件などと簡単に遭遇する訳がない。そもそも、怪異なんてものがこの世に存在するかどうかもわからないのだ。いないとも言いきれないのは悪魔の証明と同じだが。

どこか浮世離れした神代と一緒にいると、そのことをつい忘れて、当たり前のように怪異の存在を頭に入れて捜査に当たってしまったが、普通、トリックがある事件であると考える方が自然だ。

「ということは、やっぱり葛城乙葉がアリバイトリックを使ってたってことなんですよね?」

「はい」

「うわっ、それがわかったんですか! すごいですね神代さん」

捜査員の誰もわからなかった、葛城のアリバイを崩す方法を見つけたのが、民間人か。

まるで小説の中の顧問探偵だなと思いつつ、三好は目を輝かせて身を乗り出す。

「それで、葛城はどうやってアリバイを作ったんです?」

「割と使い古された手口ですよ。彼女が行ったのは『交換殺人』です」

「こ、交換殺人?」

確かにミステリー小説やドラマなどで聞いたことのある手口だ。人を殺したいと考えている他人同士が、それぞれの殺意の対象を入れ替えて殺人を行うこと、それを交換殺人という――そこまでミステリーに詳しくない三好もそれは知っている。

「ええ。葛城さんは、例の泊まり先の高校時代の友人と共謀し、二人目の被害者を殺したんです。自分が殺したかった、筒井日菜子をその友人に殺してもらう代わりにね」

「ええ、ま、まさか」

「信じられないと思うけど、そのまさかなのよね」あやめが空になった三好のティーカップに新たに紅茶を注いでくれながら言う。「私も久遠に協力して調べたんですけど。葛城さんには二件目のアリバイがなかったでしょう? 一件目のアリバイがあったことの印象が強すぎて誰も気にとめなかった上、一応は容疑者から外れた訳だけど」

確かにその通りだ。

二件目が模倣犯ではないとわかった時から、一件目のアリバイが強固だった葛城乙葉には、それ以上捜査の手が伸びることはなかった。変わらず怪しまれてはいたものの、彼女には筒井日菜子を殺すことは不可能だと思われたからだ。

だからこそ、彼女に二件目の殺人にアリバイがないということに注目した者はいなかった。

「葛城さんが泊まった先の高校時代の友人の方に会いに行ったんです。火島警部に場所を聞いて」

「え、そうなんですか」

「ええ。話を聞いたところ、彼女にはやはり二件目の被害者の方を殺す動機がありました。交換殺人という手口によってアリバイがあるからでしょうね、そこまで躊躇いなく話して貰えました……高校時代から付き合っていた恋人を二件目の被害者の方に奪われたそうですよ。しかもその恋人と被害者の方は、もうすぐで結婚する予定だったとか。葛城さんと二人目の被害者との間にあったというトラブルも、よく調べてみれば大したことないものでした」

「そんな……」

「それにまあ、葛城は自分の家に泊まりにきていたと証言した本人が筒井日菜子を殺しに行っていたとは、普通誰も考えませんよね」

神代が苦笑する。

三好はごくりと唾を飲み下した。信じ難い話ではあるが、可能性がない訳ではない、か。

「あの、じゃあ証拠はあるんですか?」

「残念ながらそれはありません」

神代は首を横に振った。「……ただ、その方向で令状を取り、彼女らの家を詳しく調べたら証拠くらい出てくるかもしれません。例えば、ターゲットを殺した証、『持ち去った身体の一部』とかね」

三好は息を呑む。

一人目の被害者は両耳を。

二人目の被害者は左手の指を。

それぞれ、持ち去られていた――。

「死んだということだけは、いずれ死体が発見されたらニュースになるだろうし知れたかもしれないですが。僕が思うに、その『証』を相手に持ち帰ることこそ彼女たちにとっては大切なことだったんでしょう。両耳にも、左手の指にも、被害者の女性たちが、恋人に愛されていた証があった。葛城さんたちはそれを奪いたかったんです」

三好は、葛城の部屋にあった写真を思い出す。

彼女とともに写っていた一人目の被害者・筒井日菜子の両耳には、イヤリングが煌めいていた。

そして二人目の被害者は結婚の約束をしており、殺された時には左手の指を奪われていた。

もし、その筒井のイヤリングが恋人からの贈り物だったとしたら。二人目の被害者の左手の指が全て奪われたのは、左手の薬指を切り取ることを隠すカモフラージュだったとしたら――。

「じゃあ、葛城たちは未だにお互いに持ってるんですか? それぞれが殺した女性たちの身体の一部を」

「その可能性は、十分にあるでしょうね」

「……でも、それなら、三件目の事件は?」

三好は顔を上げる。あわてて言葉を繋げた。

「一件目と二件目の事件が、交換殺人だったかもしれないということはわかりました。凶器が同じだったのも、連続殺人と見せかけるために二人で揃えた、ということで説明がつきます。でも、これは三件の連続殺人とされてる事件なんですよ。交換殺人なら三件目が起きるはずがないじゃないですか。……いや、まさか、それなら、三件目こそが怪異の――」

「三好さん。最初に言った通り、この三件の殺人には怪異は関わっていません」

神代が音もなくカップをソーサーに戻した。

紅茶はなみなみとカップに注がれたままで、全く減っているようには思えなかった。

「え?」

瞬間、ぐらり、と視界がぶれた。

次いで襲ってきたのは眠気だ。強烈とまではいかないが、じわじわと意識を侵していく、そんな眠気。

まさか、紅茶に睡眠薬が?

いや、だとしても、何故。何故神代がそんなことを。

「三好さん」

神代が笑う。

整ったかんばせに浮かんでいたのはいつもの穏やかな笑顔ではなく、無機質で異質な、あの冷たい微笑みだった。


「あなた、三件目の事件が起こった時。どこで何をしていました?」


「――え?」

 一瞬、彼の言っている意味が分からず、頭の中が真っ白になった。

 ややあってから、眠気でぼやけた思考回路に染み込んでいくように、発された言葉の意味が理解できるようになる。

「どういう、意味、ですか」

「そのままの意味ですよ。僕はあなたに、三件目の事件当時のアリバイを聞いている。理由は簡単、あなたを疑っているからです」

「どうしてそんな、いきなり……なんで、俺を」

 なんでって、と神代はいかにも不思議そうに首を傾げてみせた。

「あなたは人を殺したことがありますよね?」

 まさか。

 そんな。

 どうして?

 三好は鈍くなっていく思考回路を必死に働かせる。衝撃で言葉が出てこない。何か言わなければならないとわかっているのに、眠気と驚愕で視界も思考も朧だ。

 どうして、と言葉にならない声を再び口の中で呟く。


 ――どうして知ってるんだ?


「いや、正確には、人殺しというよりは罪人、ですかね。あなたが僕と同様、人の道を外れた罪人だということは、初めて会った時からわかっていたんですよ」

 神代は、言葉を発さないまま固まっている三好に語り掛けるように言った。

無機質な笑みを貼り付けたまま、諭すような柔らかい声を発する神代の異様さに肌が粟だつ。

「ならばあなたはどんな罪を犯したのか。それを考えた時、あの火島警部から一人の刑事さんが送り込まれてきたことに意味があると僕は思った。しかも送り込まれてきた刑事さんは、僕と同じ罪人だときている。そして、未解決に終わってしまいそうな連続殺人事件を火島警部から任されてきたと言っている――」

 それならば、あなたはその連続殺人事件に関わっていると考えるべきでしょう?

 神代は、ね、と言ってあやめを見た。

 ……どうしてだ。いや、おかしい。初めて会った時から、なんだって?

 三好が人の道を外れた罪人だと、すぐにわかった、と神代は言った。それは一体どういう意味だ。

「どうして自分が罪人だとわかったのか、という顔ですね。まあ無理もありません」

「ッ」

「理屈は簡単です」

 神代が目を細める。あやめが前に出る。

夏だと言うのに、厚い布地の長袖セーラー服を纏った美しい少女が、三好を見下ろす。


「ここにいるあやめを見ることができるのは、『人の道を外れたような罪を犯した者』だけだからです」


「なん、だって……」

「要するに養女は嘘なんですよ。彼女は、あやめはこの世ならざる者。幽霊、呪い……怪異と呼ばれるものの類なんです。大きな罪を犯した者しか、姿を見ることができない存在――それがあやめです」

 言ったでしょう、と神代が言った。

「『人の道を外れた者にしか見えないモノもある』、と」

 そうか。……そうだったのか。

三好は霞んでいく意識の中で、記憶を辿っていく。

 一番初めに会った時、神代が演奏を『CD』と誤魔化したこと。

少女の存在を指摘した時の神代の意外そうな反応、あやめの表情。

話を聞きたいと言っていた葛城を前に、声を掛けられたと同時にすぐに退散したあやめ。

「かつらぎが、あやめちゃんを、見ることができたのは……」

「彼女が殺人犯だったからです。ちなみに例のご友人を訪ねた時、彼女もあやめを認識できていました」

「あなたが、おれに同行するかたちで、そうさに、いったのは」

「あなたからなるべく情報を引き出したかったからです。真相を突き止められないよりは突き止められた方がいいでしょう? それに実際に話してみて、あなたが三件目の犯人だと九割がた確信できましたしね」

「そうかあ……」

 なんだ、最初から全て、茶番のようなものだったのか。

 少なからず気を張っていたが、ここまで全部神代と火島の手のひらの上だったと思うと、なんだか全てが馬鹿らしくなった。

 それに、持ち去られた耳と指にまさかそんな意味があったとは。身体の一部を持ち去ることで三件目も連続殺人事件のうちの一つと見せかけたかったが、わざわざ足の指を切り取っても意味はなかったわけだ。

神代のことだ、左手の指と両耳を持ち去った意味についても、推測を立てていたに違いない。だとすると、彼は初めから三件目だけ『他と違う』ということを半ばわかっていたのだろう。だからこそもっともらしい理由をつけて、一件目と二件目だけを調べようと提案したのだ。

そしてまんまと三好はそれに乗っかった。三件目の犯人である三好にとって、その提案は好都合でしかなかったからだ。

「おれのはつげんの、どこで、かくしんを得たんですか」

「あなたが三件すべて『凶器は一致している』と言い切った時ですよ。ということはあなたは、まだ三人目の被害者は発見されたばかりで捜査も進んでおらず資料もないのに、三つの事件の凶器がなんなのかを知っていたことになります。それは犯人がわざわざ一件目と二件目の凶器と同じものを選んで殺害したから、と考えられますよね?」

「ならなんで、おれが、一件目と二件目の凶器を、知ることができた、と……?」

「あくまで推測ですが。あなたは二件目の事件現場から家が近いと言っていましたね。二件目も同じような、いつでも誰でも入れる公園から遺体が見つかったそうですし、あなたは遺体のそばにあった凶器を実際に見たんじゃないですか?」

 三好は乾いた笑い声を立てた。

 完敗だった。

「すごいなあ」

 ――そう、全ては神代の言う通りだった。

 資料では他の人間ということになっているが、二件目の本当の第一発見者は三好だった。遺体を発見したのも、もちろん凶器を目撃したのもほんの偶然だったが、そこでふと、殺人を連続殺人事件の一つにしてしまう計画を思いついた。

 長年付き合っていた恋人を殺したのも、その計画を思いついたからだった。

 結婚まで考えていたのに、浮気され、挙句捨てられた――そんなありふれた、そして何より薄っぺらい動機で、人の命を手にかけた。

 ……人の道を外れた者にしか見えないという少女、あやめ。

自分が彼女を見ることができたのも、当然だろうな――。

「なんだ。こんなに大人しくしているなら、わざわざ睡眠薬入りのなんて飲ませなくてもよかったんじゃないの? 逆上して暴れるかもしれないと思ってたけど、杞憂だったわね」

「そうだね。まあでも、起きたら取り調べ室に運ばれてたっていうのもまあ、手錠はめられて引きずられるよりはましじゃないかな」

「何よそれ」

 黒いセーラー服に身を包んだ少女が、仕方なさそうに肩をすくめる。

 あやめは、この世ならざる者……怪異だと神代は言った。それならば彼女は『もともと』は何者だったのだろうか。

 中学生の頃、恋人を殺したのだと、神代は言っていた。

 まさか――。

「なんにせよ、おそろい、ですね……」

 そう残して。

 三好は意識を蝕む眠気に身を委ねた。


   7


「おそろい、ねえ……」

 ソファに横たわり、深く寝入った三好を見下ろしたあやめが、呆れたように鼻を鳴らした。的外れな男だわ、と。

「おそろいなんて自分に失礼よ。

――久遠が私を殺した理由の方が、よっぽど気持ち悪いもの」

 吐き捨てるような口調に、酷いなあ、と神代が微苦笑する。

「終わったかー?」

「あら」

 唐突に開かれた扉から顔を覗かせたのは火島だった。あやめが片眉を上げる。

 火島は「よう」と片手を上げると、遠慮なく事務所の中に足を踏み入れ、ソファの上で眠っている三好の手首に手錠をかける。

「お疲れ様です、火島警部」

「そっちこそな、久遠」

 にやりとあくどい笑みを浮かべた火島を見て、あやめが眉を寄せた。そしてはあ、と溜息を吐くとかぶりを振る。

「お父さんたら、いきなり殺人犯っぽいやつ送り込んできて私に悪人判定させようなんて、どういう神経してんのかしら。異様に勘がいいのも何年たっても変わらないんだから。相変わらず狸親父ね」

「こら、あやめ」

 反射的にそう咎めると、三好を背負おうとしていた火島がこちらを振り向いた。

「お、あやめ、なんだって?」

「いえその。警部のたくらみが見事だったと」

「おーおーそうか!」火島のあくどい笑みが、親ばかそのもののデレデレとした笑みに変わる。「ありがとうなあやめ! もー今回もお前のおかげで事件解決だ! えらい! すごい! 久遠なんかよりずっとすごいなー!」

「はは……」

 何もない空中を、火島の手が凄い速さで行ったり来たりする。きっとあやめを撫でる動作なのだろうが、残念ながらそのあやめは神代の横で、奇行を続ける火島――生前自らの父だった男を、まるで虫でも見るような目で見ていた。神代は静かに胸を痛める。

「じゃ、そろそろ俺はこいつを連れて戻る。動機についてはまだわかってないが、まあ調べればすぐにわかるだろう」

「ええ。……警部」

「ん?」

 出ていこうとする火島の背中に声を掛ける。

 火島は足を止めると、なんだ、と言って振り返った。


「あやめを、あなたの娘を殺した俺を、憎んでいますか」


「……はは、久遠。どうしたんだ、いきなり。そんなの」

 火島の目が、神代の目を真っ直ぐに捉える。

「当り前だろう」

「……そうですよね」

それは、どこまでも昏い目だった。

その目を見て、神代は静かに笑った。あくまで、穏やかに。人好きのする笑顔を浮かべた。

わかっている。

自分が罪深い人間であること。罰されるべき人間であること。この世界で生きていくのに相応しい資質を持っていないということ。神代は全て自覚している。

あの時の光景が頭に染み付いて離れない。未だに鮮明に思い出されるのだ。あやめを殺した時の、彼女の苦悶の表情が。

……神代久遠は、火島あやめの、首を締めて殺した。

そしてあやめの言う通り、彼が十年以上前に彼女を殺した時の動機は、まさに何よりも気持ちの悪いものだった。

あの時の神代はただ、あやめを殺してみたかっただけだった。

友人であり、恋人でもあった少女……火島あやめの苦しむ顔を、自分を心のそこから憎む表情を、あの時の神代は見たかったのだ。十年以上前のあの時、神代にとってあやめは、確かに誰より大切な少女だったのにも関わらず、だ。

そしてあやめは死の瞬間、友人であり、恋人であり、これから自分を殺す男でもある神代を、強く強く怨んだ。憎んだ。呪ってやると。このまま死んでたまるかと。

――そうして、火島あやめは怪異となった。


罪ある者にしか認識できない、幽霊とも、怨霊とも、思念体とも違う何か。

彼女を表す言葉として最も相応しいものがあるとすれば、それはきっと呪いであろうと神代は思う。死の間際、あやめは正しく神代を呪ったのだ。

そしてこれから一生、神代は彼女の思念から、意志から、呪縛から逃れられない。それが、神代のせいで怪異と成った彼女の呪いだった。

「お前はあやめを殺した。俺から娘を奪った男だ。そんなやつが、憎くないわけがない」

「ええ」

「……だが同時に、俺はお前を怪異班の協力者として信用してもいる。お前のその頭脳はうちの班に必要だ。これでも、人を見る目だけには自信があるんだよ……まあ、十数年前は、娘に彼氏がいたことすら知らなかったけどな」

 それに、と火島は呟いて、瞳の中の昏さを消した。

「お前が捕まった時も、怪異調査コンサルタントとして、俺に協力すると申し出た時も、お前はあやめが未だ霊として側にいると言った。その言葉に嘘がないことも、お前がいかれていないということも、俺にはわかる。そしてお前はこれまでいくつもの事件を解決してみせることで、あやめの存在を証明した」

「……ええ」

「あやめはまだそこにいて、お前の側で、お前を呪い続けている。なら、それがあやめの願いなんだろう。お前が、悪を見破る悪であること。怪異の呪いを以てして、怪異や悪を看破すること。怪異でもって、怪異を調査すること――それが殺された娘の復讐であるとするならば、俺はそれでいい」

 娘の願いを尊重するのが、正しい父の在り方だろう? 

 そう言って、火島は再びにやりとあくどい笑みを浮かべた。

「わかってるじゃない、お父さん」

 ふわりと微笑んだあやめが、神代の横に音もなく寄り添う。神代は目を細めると、黙って隣に立つ彼女の背に手を添えた。

「そうよ。私と久遠は二人で一つ。呪った者と、呪われた者。故に、もはや離れることはかなわない」

「その通り。僕たちはお互いが唯一無二の相棒だ。怪異調査コンサルタントは、僕とあやめ、どちらが欠けても成り立たない」

 毒を以て毒を制し。

 怪異で以て悪を断じる。

 それが呪い呪われた二人の正しい在り方だ。

「それじゃあお父さん」

「それでは火島警部」

 二人は同時にうつくしい笑みを浮かべると、音もなく一礼した。


「「――またのご利用をお待ちしております」」




終 


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