【Jumpホラー小説大賞銅賞受賞作品】君の知らない連続殺人 中編
第三章
1
二人目の被害者――清水くんが発見された例の連続殺人事件は、安直にK市高校生連続殺人事件と呼ばれるようになったらしい。
『二人目の被害者の清水光輝さん(17)』
二〇二三年六月某日。わたしはネットニュースに乗ったばかりの、明るい茶髪の少女の顔写真と、眼鏡をかけた少年の顔写真を見下ろす。
テレビ番組では、被害者たちが揃って若いからか、日夜真剣な表情を取り繕った訳知り顔のコメンテーターたちが、理不尽に青少年の未来を奪うのは許せないうんぬんと好き勝手感想を述べている。
理由があればいいというわけではないだろうに。
そしてワイドショーで取り上げられてから一気に知名度が上がったこの事件についてコメントしているのは、専門家気取りでご高説を垂れる年配のコメンテーターやタレントだけではない。様々な推測が飛び交っているのはネット上でも同様で、やれ快楽主義者による無差別殺人だのと、お節介な野次馬達が自説を高らかに叫んでいる。
嫌だな、と、思った。
人の死はエンターテイメントではない。
「それにしても、本当に犯人はうちの高校から標的選んでるのかな? こわ」
「さあ。先生たちは頑なに認めてないけど。さすがに三人目が見つかったら学校休みになるかもね」
「うわあ」
教室内で例の事件について話している女子生徒の会話に耳を傾けながら、SNSにアップロードされていた、ワイドショーの切り抜き動画を見下ろす。
……うちの学校から標的を選んでいるわけではないと思うけれど。
「よ、唯衣」
「え。ああ、響也、おはよう」
不意にぽんと肩を叩かれて、一瞬思考が止まった。
「やっぱ、記憶戻りそうにないか?」
「うん、今のとこ、何も思い出せないかな」
「そっか……」
呟く響也の顔はどこか安堵しているように見えた。思わず眉を寄せる。
「……なんか、嬉しそうだね響也」
「は?」
「ほっとしてるように見えたから」
指摘が予想外だったのか、響也が目を丸くして自分の顔に手を当てる。探るように目を細めてみせると、彼は気まずげに視線を彷徨わせた。
「いや、まさか。そんなわけないだろ」
「……そう?」
「それにさ。おばさんとうまくやれてるのかなって気になって」
「お母さんと?」
誤魔化しのつもりで口に出したのかもしれないが、意外な話題だった。
「あ、いや、ほら、昔からの腐れ縁だからわかることだけど。おばさんとお前、ちょっと揉めてたみたいだったから、それで」
「揉めてた?」
確かに、母とうまくいっているか、と言われると返答に困るけれども。
とはいえ、今も特に反抗しようとは思わないし、記憶を失う前の「わたし」も母親に真っ向から反抗するようなタイプではないのではないか。
そんなこちらの考えが伝わったのか、彼は「いや」と頭を掻いた。
「唯衣がこう、反抗期みたいにおばさんに食って掛かってたとか、絵に描いたような、まさにって感じの喧嘩をしてたわけじゃなくて。端から見ればただおばさんがヒステリックになってるだけ、みたいなイメージ」
「イメージって」
「いやほら、実際に見たわけじゃないからさ」
それはそうだろうが、幼なじみの響也が言うなら、ある程度は当てはまりそうだ。
「話を聞かないで怒り出すことがあるとか、変なとこでキレるとか、母親ってのは多かれ少なかれどこもそうだろ。でも、気を悪くしたらごめんだけどさ、お前んとこは昔から過激だったんだよ。特に数年前、中学三年の頃とかは」
「中学三年の頃……」
「三年前はいろいろあったからな。唯衣も高校受験とか失敗しちゃって、あの時は明らかにおばさんもピリピリしててさ……それで今、大学受験目前になっていろいろ口出しをされて、唯衣もストレス溜めてたみたいだったんだよな」
覚えてないかもしれないけど、と、取ってつけたように付け加えられる。
「なんか自暴自棄になってそうで、見てて心配してたんだ」
響也が窓枠に寄り掛かる。僅かに開いた窓の隙間から風が吹き込み、膨らんだカーテンが響也の姿をわたしから隠す。
カーテンが萎んで、響也の顔が再び見えたその一瞬、背筋を悪寒が駆けのぼった。
――彼はひどく冷たい目でわたしを見ていた。
友人を失ったばかりで精神的に参っているから、そういう目になったという印象ではない。少なくとも友人を見る目ではない――そう、敵意だ。
敵意と警戒が、その一瞬、確かにわたしに向けられていた。
「……唯衣? 大丈夫か?」
「あ……ううん。なんでもない」
固まっていたわたしを怪訝に思ったのか、響也が訝しげに首を傾げてみせた。わたしは慌てて首を振り、「それよりさ」と口を開いた。
「昼休み、まりあのところに行かない? ちょっと三人で話したいことがあって」
*
教室では人が多いからということで、わたしたちは人気の少ない西校舎の踊り場まで移動した。西校舎にあるのは音楽室や美術室などの特別教室だ。だから昼休みはほとんど人の気配がしないのだが、そのせいか昼だというのに薄暗い。
「で、話したいことってなんだ?」
「えっと……あのさ」
なぜか、あまり二人の顔を見ることができない。視線を逸らしたまま口を開いた。
「連続殺人で、うちの学校から二人も被害者が出てるの、おかしくないかなって思って」
「それは……」
「まあ、犯人がうちの学校を狙ってるか……それか偶然かもしれないしさ。犯人は多分高校生を狙ってるんだろ? たまたまうちの高校から選ばれただけで……」
「――本当にそう思う?」
問うと、しん、と重い沈黙が落ちた。
蛍光灯が、ジ、ジ、と立てる音が妙に響いて聞こえる。
「……一人目の被害者の西寺春花さん。二人は西寺さんのこと一言も言わなかったけど、西寺さんってどういう人なの? どうして亡くなってるって教えてくれなかったの?」
「いや、それは……無闇に教えたら不安にさせるかなって思ったから」
「それだけ?」
「……どういう意味だよ?」
響也の声が低くなる。ちょっと、とまりあが諫める素振りを見せたが、わたしは足元に視線を下げたまま続けた。
「西寺さんってわたしと仲が良かったんだよね? てことは、わたしと響也、清水くんとまりあ、それから西寺さんの五人で『仲が良かった』んじゃないの?」
わたしが目を覚ましたばかりの時、響也たちは意図的に『四人グループである』と思い込ませようとしていた。同じ中学だったのか、と聞いた時、響也が「四人でつるむようになった」と言い、他の二人が否定しなかったことがその証拠。
つまり彼らは、わたしに西寺春花のことを隠したかった。それは間違いない。
「……誰が言ってたんだよ、そんなこと」
「ちょっと響也」
ただ、風向きが変わった。清水くんが殺害されたことで、西寺春花の情報からわたしを遠ざけることは難しくなった。
「どうして西寺さんを、わたしの中で『いない人』にしたかったの?」
「……それは、だから、唯衣を怖がらせたくなかったから」
「納得できないっ」
わたしは吐き捨てるようにして言った。
「……ねえ、二人は怖くないの? 『グループ』の中から二人も殺されちゃってるんだよ? 明らかにおかしいよ。わたしたち、殺人犯に狙われてるかもしれないんだよ」
「……」
「三年前の事件のことだって知ってる。警察は三年前の事件と、今起きてる事件を同一犯の可能性が高いとして捜査してるって。響也が言ったみたいに、わたしだけが疑われてるわけじゃないってほっとしたけど、宇野が犯人だったらまた別の怖さがあるよね?」
「……」
「――西寺さんも例の学習塾の出身者だった。わたしと響也もそうだ。清水くんは? まりあはどうなの?」
「……」
「ねえ……」
あのさ、と、ふとわたしの言葉を遮る声。――響也だ。
「唯衣、お前、本当に何も思い出してないのか?」
「え?」
「記憶喪失ってどこまでが本当なんだ?」
「響也……?」
「だってお前……お前が……お前が西寺を殺したんじゃないのか? 清水の事件はお前が本当に犯人じゃないのか?」
何を言われているのかわからず硬直する。
昨日、刑事から話を聞かれたばかりの時とは、まったく様子が違う。
「きょ、響也はわたしを疑ってるの……?」
「それは……だって、お前には二件ともアリバイがない。西寺のことも殺せる。清水のことだって。家にいたなんていくらでも嘘を吐ける」
「わたしは清水くんを殺してなんてないよっ」
「だったら西寺のことはどうなんだよっ」
詰め寄られ、睨みつけられる。――言葉に詰まった。西寺さんの事件に関しては、わたしは語る言葉を持たない。
「お前は西寺に――」
「響也」
まりあが強い口調で響也の言葉を遮った。冷ややかな目つきで睨まれた響也は、はっとしたように息を呑み、それから唇を噛む。
「余計なこと言いすぎ」
「うるさいな……」
(――『余計なこと』……)
やはり二人は何かを隠している。
亡くなった清水くんも、そして恐らく、西寺さんも。――わたしたちはただの『仲良し五人グループ』ではなかったのだろう。付き合いが深いことが意外に思われるほどのタイプの違う五人が一緒にいる、それだけの事情が「わたしたち」にはあったのだ。
「悪いけど、唯衣。唯衣が納得しようがしまいが、そんなことはどうでもいいんだ。わたしたちは何も話さないし、話したくもないから」
「なんで……? い、嫌だよ、何も知らないまま命を狙われるかもしれないなんて」
「……ごめんね」
言葉では謝っているのに、その声は謝罪をする気など感じさせない、冷たいものだった。
わたしが呆然としていると、ふと、まりあが張り詰めていた表情を緩めた。
「話せないこともあるけど、大丈夫だよ。唯衣が殺されたりしないように、わたしたちがちゃんと守るから。これは嘘じゃないよ。響也は疑心暗鬼になって四方八方に疑いを向けてるみたいだけど、わたしは唯衣のこと疑ったりしてないから」
「……」
「いろいろ事情はあるけど、わたしたちが友達なのは本当なんだよ。それだけは信じてほしいな」
「うん……」
なんとか頷く。まりあは微笑を浮かべたまま「よかった」と言うと、響也を軽く睨んだのち、わたしに声をかけた。「……そろそろ戻ろう。昼休み終わっちゃう」
わたしはまた、それにもなんとか頷きを返し、重い足を引きずって教室に戻ることになった。
2
『ああ、たしかに村上さんも清水くんも例の塾の生徒だった、と思うよ。多分だけど』
「多分、ですか」
帰宅後。
気になることはさっさと確かめてしまおうと電話したのは柏木さんだった。母がいれば勉強もせず何をしているのかと咎められるだろうが、今は不在なので問題はない。
『悪いな、あまり胡桃の話に出てきてなかった子のことはよく覚えてなくて。ただ、清水光輝くんのことはたまに話題に出ていたかな。塾で頭がいいのは川谷さんと清水くんだって。それに、あー……村上さんは胡桃とそこそこ親しかったかもしれない。席が近くてよく喋るという話があったような』
「そうですか……」
放課後、柏木さんに電話をかけると――以前会った時に念の為番号を交換しておいたのだ――やはり、清水くんとまりあも例の学習塾に通っていたことが明らかになった。
ほとんどわかっていたこととはいえ、これで、二人が隠していることは三年前の事件に関係する可能性が高くなった。
(本当に、三年前に何があったんだろう……)
まりあは疑っていないと言ってくれはしたが、響也は少なからずわたしに疑いを向けている。――つまり、わたしと西寺さんとの間には、響也にそう思わせるだけの何かがあったということだ。
(それに……)
柏木さんは本当に従妹の胡桃さんと仲が良かったのだろう。もちろん記者として調べていることもあるのだろうが、胡桃さん自身からよく話を聞いていたということが、彼の持つ情報の詳細さから窺い知れる。
「あの、柏木さん」
『ん?』
「西寺春花、わたし、村上まりあ、八上響也、清水光輝と聞いて、この五人に共通した『隠し事』があるとしたら、なんだと思いますか?」
『いきなりなんなんだ……』
困惑しきりといった様子だったが、彼の答えは『知らない』だった。
『……心当たりはないよ。たしかその五人は同じ高校に進学したメンバーだったよな?』
「はい」
『少なくとも中学時代、塾でその五人が仲良くしていたって話は聞いたことないけど、何か気になることでもあるのか?』
「そうですか……いえ、わたしにもよくわからなくて」
さすがに柏木さんでも知らないか。
しかし、やはり学習塾で『グループ』ができたわけじゃないのか。高校になってできたのか。進学して高校で再開し、何か秘密を抱えたか。あるいは、事件後にもうグループができていた?
例の学習塾は当然と言おうかなんと言おうか、横井胡桃の死によって潰れてしまっている。調べに行こうにも、もう建物があるかどうかすら定かではない。
『何か気になることがあるなら、自分の身の回りを調べてみるのはどうかな』
「身の回り?」
『たとえばスマホとかパソコンとかタブレットとかな。継続して使ってるだろ。ということは、そこに入っているデータを見れば、記憶を失う前の君が何を考えて過ごしていたのかがわかるかもしれない』
「確かに……」
色々といっぱいいっぱいで思いつかなかったが、良く考えればそれが一番手っ取り早い。
とはいえスマホは指紋でロックを開けられたが、パソコンのパスワードはわからない。
……いや、パソコンは家族共用だ。タブレットは持っていない。となると、『知られたくない』データがあるとするなら、指紋認証でしか開けられないように設定されているらしいスマホに入っている可能性が高いか。
「ありがとうございます。調べてみます」
『そうか。何かわかったら教えてくれよ』
「はい」
頷いて電話を切り、スマホを見下ろした。調べるなら今が好機。
まずはトークアプリを調べよう。
記憶を失う前の「わたし」はトークアプリをよく使っていたようだが、記憶を失ってからは、トークアプリに「友達登録」されている人々について、誰が誰だかよくわからなくて持て余していた。
表示名をフルネームにしてくれていればいいが、名前だけや苗字だけ、ひどいと記号だけの表示名もあり、一見しただけでは誰が誰かがわからない人もいる。あだ名になるともはや名前の原型もない人もいる。誰が誰だか判別できるのはフルネームで登録されている清水くん、目を覚ましてからやりとりしている響也とまりあ、それから母くらいだ。
(西寺さんは……)
わからない。
そもそも、ありふれた名前だからか、『はるか』や『ハルカ』や『HARUKA』など、「友達登録」されているはるかさんだけで三人もいる。どれもトークを遡っても大したことは話していない。西寺で検索してもヒットはなかったので、この中に西寺さんがいると思われるが、そうでない可能性もある。
あまり人に聞かれたくない話を――響也がわたしを西寺さん殺しの犯人だと疑うような――するのであれば、いくらでもスクリーンショットで記録を残せるトークアプリを選ぶ可能性は低い。
「うーん……」
響也たちやクラスメイトに聞けばわかるかもしれないが、響也たちが教えてくれる気はあまりしない。クラスメイトに聞いて西寺さんのアカウントが判明したところで、何かがわかるという確証もない。
……西寺さんと「わたし」がどんなやりとりをしていたかを探るのは後回しにしよう。
何かほかに気になるデータはないだろうか。
(メモ帳にも大したメモはないし)
SNSの投稿にも気になるものはない。
アプリもパズルゲームや動画サイトのものばかりで、ダウンロードデータの中にも怪しいものはない。日記のようなものがあればと思ったが、見つからない。
「何もないのかな……」
ギャラリーで写真をスクロールしながら確認していく。
思ったよりも人が写った写真が少ない。おしゃれなレストランやカフェに行った、という食事の記録は残されているが、それだけだ。……あとは、参考書がどのくらい進んだかの記録くらいか。これはわかる。母にたまにチェックされるので、欠かしてはならないのだ。
「あれ……」
ふとそこで不自然さに指を止めた。人が写った写真が少ない。それどころか、
(あのグループで撮った写真が一つもない……)
顔から血の気が引いていく。
こう見ると一目瞭然だ。響也もまりあも清水くんも、そして西寺さんも、共に遊びに行くような『仲のいい』友達ではなかったということだ。
……誰かと遊びに行くこともなく、ただ、教育熱心な母親の元でずっと勉強していたのか。
高校三年間、川谷唯衣には友達なんていなかったのだ。高校で、『仲良し』と固まって過ごしているように見えて、その実――。
(なんというか、我ながら寂しい人生だ)
川谷唯衣はこれまで、何を思って生きてきたのだろう。グループは何が目的で、いつできたのだろう。
「……他には……」
削除されたアプリなどがわかったりしないか。
設定アプリを呼び出し、インストールしたアプリについて見ていく。アンインストールしたアプリの履歴の中には特に気になるものはない。
が、ふと気になるものを見つけた。
「メモアプリ……?」
元からスマホに入っているメモ帳とは別に、メモアプリがスマホにインストールされていることになっている。しかし、ホーム画面にメモアプリのアイコンは表示されていない。
だが、アプリを開くことはできる。――意図的に隠しているということだ。
(……何か……)
何かがある。
ウインドウのアプリを開くというコマンドを押すと、シンプルなメモアプリが起動する。どうやら小説を書くための機能が豊富なアプリのようだ。
オフラインで小説を書くことができて、作品ごとに何話も書くことができる。登場人物や設定を整理する機能もあり、小説を書くのには使いやすそうだが――。
「なんだ……書いた小説を隠してただけか……」
いくつかの短編や、長編の書きかけ。ジャンルはそれぞれで、ミステリーもファンタジーもある。
小説を書くのが趣味であることを知られたくなくて、アプリをホーム画面から消していた、というのは有り得そうだ。このスマホは母も見る。
ミステリのファイルを開くと、肝心の中身はほとんどなかった。ファイルだけ作ったのだろうかと思っていると、下書きが作品メモとして保存されていることに気がついた。
「……あれ」
作品メモ、だが、中身がおかしい。
大体がコピーされたURLだった。一つの作品メモの中にまとめられたURLだけで十近くある。中身は――。
「『都内中学生連続殺人 四人目の被害者の遺体発見か 警視庁が関連を捜査』……? これ、三年前の事件の……」
まさか、このURL全部が?
順番にリンクを開いていくと、全てがK市中学生連続殺人事件のニュースもしくは記事だった。それも集めているのは四件目の殺人についてのみ。
柏木胡桃の死。宇野春樹の失踪――。
(やっぱり、仲が良かったから……? いやでも、それならこんなに手の込んだ隠し方をする必要は……)
小説全てカモフラージュのために書いたというわけではないだろうが、少なくともミステリのファイルは隠すために作られたはずだ。
「あ」
作品メモがもう一つある。
開いてみれば、そこに保存されていたものもURLだった。しかし、一つだけ。
URLを押すと、飛ばされたのはいわゆる掲示板のサイトだった。使った記憶はまあ、ないけれども、SNSが登場する前はインターネット上のやりとりをするにあたって重宝されていたことくらいは知っている。
『未解決事件について語る part.324』
読み進めていくと、様々な未解決事件について語られている途中、三年前の連続殺人事件に言及する書き込みが現れた。そして、『宇野春樹』を名乗る人物が掲示板に現れている。
「嘘……」
心臓がばくばくと音を立て始める。
さすがに――本物、のわけはないだろうが。だが、書き込みの時期が、今起きている連続殺人事件、その一件目が発覚したほんの少し前であることが気になる。
(まさかこの宇野春樹、本物……? 書き込みをしたあと犯行に……?)
不安に苛まれながらも掲示板を少しずつ読み進めていく。
この宇野春樹が本物かどうか。読んだところでわかるとは思えないが――。
「ただいま」
母の声だ。今までで一番大きく心臓が跳ね、反射的にアプリを閉じる。
帰ってくると言われた時刻より大分早い。
ど、ど、ど、ど、と早鐘を打つ自分の心臓の音を聞きながら、なんとか「おかえり」と返した。「早いね、お母さん」
「仕事がちょうどキリがよかったのよ。……それで、あなたの勉強は進んでるの」
「あ……えっと……」
本来の予定では母が帰ってくるまでにはスマホを調べ終え、少しは参考書を進めている予定だった。
わたしが言葉に詰まると、眉を寄せた母が溜息を吐く。長く大きな溜息だった。
「余裕ね」
「……」
「あの時も大切な時期に様子がおかしくなって。――本当に間の悪い子」
言うと、母はそのまま洗面台に向かう。
ジャー、という水の流れる音を聞きながら、わたしは黙ってスマホの画面を見下ろした。ふと、掲示板のリンクが貼られている作品メモには続きがある。
スクロールを続けていると、ようやく短い文に行き着いた。
『もう我慢できない。西寺のこともみんな滅茶苦茶にしてやる』
――響也は、記憶を失う前のわたしが自棄になりそうな雰囲気だったと言っていた。
これまでどういうことかわかっていなかったが、今になってようやくわかったかもしれない。
友人は友人でなく、親とは打ち解けられず。川谷唯衣は孤独だったのだ。
(わたし、本当に――西寺さんを殺していたりして)
少なくとも、憎んでいた。
こんなことを書くくらいには。
未解決事件について語る part.324
32:名無しさん 2023/6/15 1:00:16 ID:duFGkki7NU
自称本物の殺人鬼がいるというスレはここですかな
33:名無しさん 2023/6/15 2:53:19 ID:Kag89annKq
証拠…自撮り写真うpとかどうすかね
34:名無しさん 2023/6/15 5:36:10 ID:2zT3Kaaj4h
≫33 無茶いうなw
35:名無しさん 2023/6/15 5:53:00 ID:itkyf7M1ml
≫33 もしやネットリテラシーとかない世界に生まれ落ちた方ですかねw
36:名無しさん 2023/6/15 7:19:45 ID:Z80ikg iy9kK
さすがに自撮り写真は無理だが、私しか知らないことを話すことはできる
37:名無しさん 2023/6/15 8:40:00 ID:KJHkj gkS61
キマシタワ~! ワクテカ
38:名無しさん 2023/6/15 9:22:59 ID:Kag89annKq
そうだな、たとえば四件目の殺人についてなんだが
39:名無しさん 2023/6/15 10:20:41 ID:LHK6Ruyfyt
刻んでくるじゃん 一気に全部送れやw
40:名無しさん 2023/6/15 14:45:53 ID:Z80ikg iy9kK
あれは私がやったものじゃない。逃げたらいつの間にか私のせいにされていたが。
そもそも私なら現場にわざわざ凶器を残していったりしない
41:名無しさん 2023/6/15 15:08:32 ID:61AfykaHn8
なんか突然それっぽい情報きましたがwww
42:名無しさん 2023/6/15 15:24:42 ID:0YRajyhGg2
四件目の殺人ってなんだっけ? 塾の中で女の子が殺されてたってやつ?
今まで遺体が見つかってたのが屋外だったのに、四件目だけ屋内になってたからおかしいなとは思ってたけど
43:名無しさん 2023/6/15 15:46:52 ID:duFGkki7NU
気になってネットニュース検索してみたけど、謎に頭に打撲傷?みたいなのがあったって報道されてたな。見た感じだけど四件目だけだよなあれ
44:名無しさん 2023/6/15 16:06:46 ID:Y5PGUIl5xW
≫43 多分
そこどうなんすか自称宇野春樹さん
45:名無しさん 2023/6/15 16:25:02 ID:Z80ikg iy9kK
それも私がやったわけじゃない
46:名無しさん 2023/6/15 16:42:52 ID:K09gwQ7coo
ほええええええ
今さらになってすさまじい情報出てきたんだが?これマジな話だったらK察の無能さが浮き彫りになったということになりますがそれはw
47:名無しさん 2023/6/15 16:58:50 ID:LHK6Ruyfyt
不穏すぎて草ョ
48:名無しさん 2023/6/15 17:20:49 ID:zT3Kaj4h 5yt
>>45 それは本当の話なんですか?
割と本気で詳しいお話を伺いたいんですが……。よければこちらにDMください
@ksw_writer
第四章
1
受験生とは難儀な生き物だ。
人によって程度は違うが、急き立てられるように頭の中に知識を詰め込んでいく。入学試験、ただそれだけのために若い時間を費やす。平日休日関係なく、脳味噌に休みなんてものは消えてなくなる。
進学したその先で本当に学びたいものを見つけ、必死に勉学に励んでいる者はいい。だが果たして、そういった学生がどれほどいるのか。
あるいは、いい相手を、いい就職を――そういった望みの可能性を少しでも上げるためなのかもしれない。けれども未来は不確定だ。それこそ不毛な努力になるかもしれないのに、どうしてわたしたちは――時にはわたしたち以上に親が、受験に死に物狂いになるのか。
(考えたって仕方ないか……)
母が「ああ」なっているのは、三年前の受験失敗によるもの――なのだろう。高校受験に失敗した。「間の悪い」ことに、「わたし」はトラブルとやらに気を取られていたから。
溜息をついて顔を上げてテレビの画面を見る。
チャンネルは当然朝のニュース番組だ。
『続いてのニュースです。昨日夕刻、都内の公園の池の水を抜く大掃除の最中、人の骨らしきものを発見したという通報がありました。警察が駆けつけたところ、池の中にはほとんど白骨化した遺体が見つかりました。警察は、身元の確認を進めるとともに、現場の状況から池に滑り落ちたとみて詳しいいきさつを――』
「最近はいろいろと物騒ね」
ぼんやりと眺めていると、母が特に気持ちのこもっていなさそうな声で言った。
「例の殺人事件のせいで、ここらの小中学校はしばらくの間休校にするとこが多いみたいよ。おかしな話だわ。被害者が出ている高校は休校にしたがらないのに。そうすれば大して重要じゃない、受けなくていいような学校の授業なんて受けなくていいのにね」
「……そうだね」
小中学校は市立だが、高校は都立だ。都内全域から生徒が通ってくるのだから、簡単には休校にならない。――とはいえ、高校側が『うちの高校の生徒が連続殺人に狙われている』と考えれば、休校は十分にあり得そうだが。
(そうはならないんだろうな)
学校側とて認めたくはないはずだ。連続殺人鬼に標的にされているなど、まるでやましいことがあるようだ。
「唯衣も気を付けるのよ。まあ、唯衣はいい子だし、誰かに殺されるような子じゃないとは思うけれど。そうでしょう」
黙って朝食のパンをちぎっていると、母の声が僅かに低く沈む。
「……聞いてるの、唯衣?」
「聞いてるよ、お母さん」
ここ数日で作るのに慣れてきた笑顔を浮かべてみせる。
「それにしても、ほんっとうに唯衣が知識とか、そういう勉強のことを忘れなくてよかったわ。今そんなことになったら、今まで積み重ねてきた唯衣の努力が全部無駄になっちゃうものね」
「そうだね」
首を縦に振り、口の中のパンを紅茶で流し込む。「忘れなくてよかった」
こちらの反応に満足したのか、母親は笑みを浮かべてキッチンの中へと消える。その背中を横目に、俺は朝食の席から離れた。
「ごちそうさま」
「はい。もうそろそろ出るでしょ? 食器そのままでいいわよ」
「わかった」
緩んでいた制服ネクタイを締めつつ、居間を後にする。そして、スカートのポケットに入れていたスマホの電源をつけた。
今日は土曜日だ。本来なら学校は休みだが、受験生に休日はない。模試だの特別講義だので予定が埋まっている。今週も例に漏れず、今日明日と予定は既に決まっていた。
「じゃあ頑張ってね。明日は少し離れた校舎で模試でしょ?」
「まあね」
「今度こそA判定取るためにも、ちゃんと授業受けて、真面目に自習もしてきなさいよ」
「ちゃんとわかってるよ。じゃあ、行ってくる」
*
「川谷さんっ」
学校へ向かうバスを待っている途中、名前を呼ばれて顔を上げる。
「えと、久しぶり!」
「えっと……?」
道路を挟んで反対側のバス停から、横断歩道を渡ってこちらに駆けてくる女子。見覚えのない顔だ。制服もわたしのものとは違う。
誰だろうと思わず首を傾げると、彼女は戸惑ったように「え?」と目を瞬かせた。
(「わたし」の知り合いかな……)
久しぶりと言うからには知人なのだろう。わたしの反応に戸惑った様子のその子に、わたしは慌てて自分の身に起きた事情を説明する。
「ごめん、実は……」
あらかた説明を聞くと、彼女――渡部鈴花さんは、呆然とした様子でわたしの顔をまじまじと見つめた。
「記憶喪失なんて、本当にあるんだ……あ、ごめんねじろじろ見て。怪我は大丈夫?」
「うん、なんとかね」
そっか、と渡部さんが相好を崩す。
――彼女はたびたび話題に上がる響也の「彼女」だ。どうやら以前、話す約束をしていたらしい。何について話すつもりだったのかと言えば響也のことだそうだ。
「響也は高校になってからバイトが同じで付き合ったんだけど。周りに女の子多くて不安で、幼なじみだっていう川谷さんに話を聞くつもりだったんだ」
確かに、響也は「グループ」の女子と距離が近い。
単純に仲がいいから、というわけではないだろうが――清水くんが殺害された夜もまりあと二人でいるなど、彼女からしてはいい気分はしないだろう。
(わたしを相談相手に選んだってことは、一応わたしへの牽制の意味もあったんだろうけど)
何にせよ、響也の「彼女もそんなんじゃないってわかってる」といった趣旨の発言は、そう正確でもなかったということになりそうだ。
「でも、響也の周りで人が殺されたり、川谷さんとも連絡が取れなくなって……そっか、そんな大変なことになってたんだね」
「わたしとはどうやって知り合ったの?」
「たまたま響也と二人で帰ってるところを目撃しちゃってね。それで……あの、その場で問い詰めたら、ただの幼なじみで、道が一緒だから二人で帰ってるだけで、誤解だって……」
恥ずかしそうに身を縮める渡部さん。しかし誤解と言っても、
「……よく納得したね。『ただの幼なじみ』ってかなり怪しいって思いそうだけど」
「それはそうなんだけど、本当にそんな感じはしなかったから……あ、というか、その時の川谷さんがすごく憂鬱そうだったから。普通彼氏と二人で帰ってたらもう少し楽しそうな顔をするんじゃないかと思って」
憂鬱そう、か。まあ、あまり楽しい帰路ではなかっただろうということは想像がつく。
「その時連絡先交換して。たまに会って、響也の様子とか報告してもらってたんだ」
「たまにと言うと?」
「数か月ごとくらい。普通におしゃべりもしたよ。二年生の夏くらいからだから、川谷さんとは知り合って一年ぐらいになるかな」
それなりに長い。
わたしはその頃から既に「グループ」の子たちと一緒にいたのだろうか。
「おしゃべりって、わたしは普段渡部さんに何話してたの?」
「うーん、学校の様子とか? わりと友達からのトークを気にしてる風だったよ。あんまり楽しそうにSNSチェックしてるわけじゃなさそうだったけど……。ご飯の写真アップするのも、なんか義務的だなー、みたいな。あと、あんまりお母さんとうまくいってなさそうだなとは……あ、ごめん」
「ううん、大丈夫」
渡部さんはよく人を見る人のようだ。
写真をアップが義務的というのはどういうことなのか。……誰かに義務づけられていた? 母だろうか。いや、母は別にそこまで厳しくSNSを監視しない。カフェで勉強することもあったらしく、そのあたりは寛容だ。
行動記録をつけていた? ――あるいは誰かにつけさせられていた?
「あの、話してて何か変なこととかはあった?」
「変なこと? うーん……あ。なんか、友達からの電話に慌てて出てたことがあったんだけど。その時『ごめん』とか『もうしない』とか、ずっと謝ってたのが聞こえてきて。よく聞こえなかったけど、電話の相手もなんかこう、怒鳴ってたみたいで」
「わたし、怒鳴られてたんだ……?」
「『わかってんだろうな』みたいな声がちょっとだけ聞こえてきた。一応、大丈夫? って聞いたら、大丈夫って言ってたけど……そのあとすぐに解散したから、本当に大丈夫なのかなって気になってたんだ。何か学校でその……いじめみたいなのがあったりするのかな、って。あの、今は平気?」
「今はそういうのはないけど……それっていつ頃の話?」
「今年の二月くらい? 三年に上がる前だよ」
いじめ。いじめか……というよりは、その話だと「わたし」は脅されていたんだろうか。
何をネタに脅されていた? 脅されるような何かをしたのか。
「相手が誰、とかは……」
「ごめん、そこまでは……。もっとちゃんと聞いとけばよかったね」
申し訳なさそうにする渡部さんに、大丈夫だよ、と言う。他校の生徒である渡部さんに余計な心配をかけるわけにもいかないし、そもそも三年前のことに絡んでくるなら、彼女に何かできたわけでもない。
「四月くらいにも会ったけど、川谷さん、あんまり元気なかったから、心配してたんだ。事故も、足を滑らすほど疲れてたってことなのかな」
「……そうなのかも。心配かけてごめんね」
「ううん、わたしは全然……川谷さんはこれから学校? 土曜だけど」
「まあね、自習室に行くんだ。……あ、バス、来たみたいだよ」
いいの? と言って、渡部さんの背後を指差す。
丁度今バス停に停まっているのは、きっと彼女が乗る予定だったバスだろう。今から走れば間に合うだろう。しかし、
「あ、別にいいの。結構頻繁に来るバスだから」
「そう?」
それならいいけど、とわたしが言うのと同時、バスがエンジン音を響かせて走り去っていく。
しばらく二人で無言でいると、今度はわたしが乗るバスがやってくる。
「それじゃ、渡部さん。私はそろそろ授業があるから」
「あ、うん。突然話しかけてごめんね……あ、あと」
「ん?」
「何かあったら相談してね。わたし相談乗ってもらってばっかりだったから」
「……うん」
なんだ、と思った。――友人がいないわけじゃなかったのか。
困りごとを相談しているわけではなさそうなので、付き合いは薄かったのだろうが――川谷唯衣にも、響也たち以外の親しい知人がいたのだ。
「じゃあ、また今度」
少し気持ちが上向いたまま、バスに乗る。
手を振ってくれる渡部さんに対して、手を振り返した。
2
「あ」
バスの中で、響也とばったり出くわした。
気づいたのはほぼ同時で、思わずというように漏れた声が重なる。
「唯衣。おはよう、早いじゃん。珍しいなバスで会うの。お前も塾だよな? 何、自習?」
「おはよう。うん、自習」
響也はつい先日の踊り場でのやり取りなど覚えていないといった
「そっか。俺も自習。いやー明日一斉模試じゃん? だから一応ね」
「そうなんだ」
本当に、ただ自習したいだけなのだろうか。
わたしはつい先程渡部さんと話したことを思い出し、唇を噛んだ。――行動記録。を、つけさせられていた可能性。
「前回の模試は結構良かったけどさ、今回はあんま勉強してなくてやばいんだよね」
「そっか」
適当に相槌を打ちつつ、取り出したスマホでネットニュースのページを開く。人死にに関するニュースをもう一度ざっと見てみたが、高校生連続殺人事件関連のものは特に更新されていない。
「……そういえば、響也。さっき、渡部さんに会ったよ」
「鈴花に? へー。いつの間に知り合ったんだ。何話してたの?」
「大した話じゃないよ。主に響也の愚痴とか」
「はははは……え、まじ?」
乾いた笑いから一転、口元を引き攣らせた響也にさあね、と返してインターネットブラウザを開き直した。
(そういえば……もしも宇野春樹が今回の連続殺人の犯人だとして)
不可解なことがある。
今回の連続殺人事件の犯人を宇野とした時に生まれる『三年』のブランクだ。
――仮に今回の事件を三年前の続きだとして、三年の空白期間を設けた理由はなんだというのか。三年待つ意味があったのだろうか。
(ほとぼりが冷めるまで逃げてた……? 三年って、ほとぼりが冷めるって言える期間なのかな……)
警察の捜査には詳しくはない。宇野の意図がよくわからない。
「えー愚痴かぁそっかー俺気づかないうちになんかしてんのかな」
「直接聞いてみるといいよ」
「テキトーだな! 唯衣が言ったんだろ!」
ははは、と苦笑を返しつつ、「宇野春樹」と検索して画面をスクロールする。特にめぼしいものはない。あの作品メモでほとんどネットにある情報は集めつくしたとみていいかもしれない。
とはいえ、あのURLにあった記事の中にも、掲示板の中にも、『空白期間』の疑問に答えを出すような内容はなかったはず。
「なっ唯衣、せっかく仲良くなったんならちょっといろいろ聞きだしてきてよ。女同士だから言えることってあるんだろ? 俺のちょっと嫌なとことかさ」
「仮にも自分の彼女なんだから、自分で考えなよ……」
「冷たいなー」
響也が唇を曲げた時、スマホが震えた――柏木さんからの電話だった。
液晶に、以前電話帳に登録しておいた彼の名前が浮かんでいる。
幸い、マナーモードにしていたので車内には音は大して響かなかったが、端末が細かく振動していたのは響也も気が付いたらしい。彼は「電話?」と軽く片眉を上げてみせた。
「バス内だから出れないよな。誰から?」
「……あ、うん。ちょっと最近知り合った人から。あとでかけ直すよ」
「ふーん」
そういえば、柏木さんから電話を貰うのは初めてな気がするが、一体なんだろう、事件のこと以外で連絡を取ってくるわけはないから、関係することなんだろうが。
しばらくして、少しの振動とともにバスが止まった。そして目の前には目を覚ましてしばらく過ごしているうちに見慣れたバス停がある。
「じゃ、降りよう唯衣」
「ああ、響也、先に行ってていいよ。わたしはさっきの電話番号にかけ直すから」
「あ、ああ……そう、か。んじゃ俺行ってるな」
「うん、ありがとう。そっちも」
少し迷う素振りを見せるも、すぐにいつもの明るい笑顔のまま横断歩道を駆けていく響也の後ろ姿を見つつ、通信履歴に表示された電話番号を押す。
三回のコールで柏木さんは電話口に出た。
「もしもし、わたしですが。さっきはすぐに出られなくてすみません。バスに乗っていたもので」
『あ、そうだったんだ。いや悪いな、土曜日だから家にいるのかと……まあ受験生だから塾に行くのか。休日も』
「受験生全員が全員というわけじゃないでしょうけど……それで、どうしたんですか?」
『いや、ついさっき大変なことがわかったんだ。本当は公式発表はまだなんだけど、遅かれ早かれわかるなら早く伝えるべきだと思って』
柏木さんが早口で捲し立てる。相当動揺しているのか、心なしか息も荒いようだ。
落ち着いてください、と告げると、彼が電話の向こうで息を深く吸い込むのがわかった。
そして。
『身元不明の白骨死体』
「は?」
予想外の言葉に眉を寄せると、「知ってるか?」と柏木が続ける。
『数日前の夜に見つかったんだそうだ。つい先日ちらっとニュースになってたんだけど』
「ああ、そういえば、朝のニュースで見ました。それがどうしたんですか?」
『――その死体が、宇野春樹のものじゃないかっていう声が上がってる』
耳を疑う。
一気に血の気が引いたのがわかった。
「まさかそんな馬鹿なことが……」
『ところが馬鹿なことかっていうとそうでもなくてな……とりあえず、今多分だけど、警察による鑑定が始まってる。そのうちどっちかはっきりすると思う』
「そうですか」
動揺を鎮めてそれだけ返し、スマホを持つ手に力を籠める。
――しかし、宇野春樹が死んでいる?
そんなバカな。
今なお続いている連続殺人事件の犯人は宇野であると、わたしはほとんど信じていた。
が、もし本当に白骨死体が宇野春樹のものだとしたら、認識が根本から覆されることになる。――三年前の事件の続きを、犯人が気紛れで再開したのではなく、全くの別人が例の塾のクラスにいた者を殺していっていることになるからだ。
意味がわからないことが増えてしまった。しかも増えたのはより厄介な謎だ。
「警察が、宇野春樹を追っているという発表をしてなかったのは、この白骨死体があったせいだったみたいですね」
『多分。そう疑った人がいるんだろう』
「それと。仮に死体が宇野だったとして、彼はどうして亡くなったんでしょうか。警察は滑り落ちた、と考えているみたいな報道でしたけど……」
『うーん……どうなんだろうな。死体の発見場所は都内の公園にある汚い池でな。なんか十年ぶりくらいに掃除することになって、それで偶然見つかったんだと。とはいえ、死んだのは昨日今日じゃないぞ。白骨化してるって言うんだったら、死んでからかなり時間が経ってるはずだ』
「……あの、本当は事故じゃなく、殺人だったという可能性はないですか? 被害者の遺族が、進まない捜査に苛立って、我慢しきれず殺してしまい、それをずっと隠し続けてきたというのはありませんか?」
『うーん。宇野が姿を消したのは事件後すぐだからな。宇野が最有力容疑者であると大々的に報道され始めたのは、四件目の殺人が報道されたあとだ。被害者遺族といえど、それまでは宇野が一番の容疑者だったなんて、四件目の殺人が起こるまでは知らないはずだ』
「たしかに……そうですね」
宇野春樹が犯人だ、とメディアで言われていたら、そもそも学習塾が四件目の殺人まで彼を講師のままでいさせないはずだ。
とはいえ、三年前の中学生連続殺人事件は、かなり立て続けに起こった。被害者三人が同じ学習塾出身だと明らかになって、ほとんどその直後に四件目が起きた。宇野が本格的に警察にマークされ出したのがいつ頃かはわからないが、被害者遺族が宇野=犯人という説に四件目以前に辿り着くのは難しそうだ。
『あとは、宇野を殺して得をする人間が他にいて、そいつに殺されたか、だな』
柏木さんが低い声で言った言葉に目を細めた。
「……まさか、三年前の事件の犯人も、本当は宇野ではなかったってことですか? 疑われていた男を殺すことで逃亡・蒸発したと見せかけて捜査を撹乱し、真犯人は今も逃走している、とか――」
『……いや、それはないよ。俺もあの時は躍起になって調べてたから間違いないと思う。三年前の連続殺人事件の下手人は宇野のはずだ』
さすがにないか。
「じゃあ、どうして宇野は殺されたんでしょうか……」
さあ、それがわかれば苦労はしないな、と柏木さんが疲れた声で返した。確かにその通り。
三年前に、宇野を殺すメリットがある人間がいたというのだろうか。だが、真犯人がいたわけではないのだとしたら、一体殺人事件の容疑者を殺して何の意味があるのだろう。
「振り出しですね……」
気になるのは、宇野を殺した犯人と、高校生連続殺人事件の犯人が同一かどうかだ。
もしそうだとしたら、どうして今になって、かつての塾生を殺す必要があったのか。
当時、連続殺人事件の容疑者であった宇野を恨んでいる人間は多くいたはずだ。故に、宇野が誰かに狙われ、殺される理由はあった。
しかし西寺さんや清水くんに、狙われる理由があったとは思えない。
そもそも、白骨死体は宇野春樹のもので間違いないのか。間違いないとして、宇野春樹の殺害と、今起きている事件の犯人は別なのか、同じなのか。
わからないことが増えていく一方だ。
うーん、と低く唸った柏木が言う。
『三年前の事件をもう一度調べ直す必要があるかもしれないなあ』
「と、いうと……?」
『いや、ほら。例の死体が宇野であれば冗談抜きで手詰まりだろ? でも、やっぱりあの塾の出身者が次々殺されてるってことは、三年前の事件との関係性は疑いようがない。ならあの事件に、俺の知らない一面が隠されてるかもしれないってことにならないか?』
「確かに……」
言いながら、ふと顔を上げる。
……飛躍しすぎているかもしれないが。
『川谷さん? どうしたんだ』
こちらが暫く黙っていたからか、柏木さんが怪訝そうな声で聞いてくる。
「あの、わたしが頭を打ったのは本当に、足を滑らせただけ、なんでしょうか」
『……まさか、川谷さんも狙われてたってことか? 頭の怪我は、連続殺人事件の犯人が川谷さんを殺そうとして失敗して負った、と?』
「わかりません。わたしは他の被害者のように刺されませんでしたし……事故の可能性の方が高いとは思います」
『いやでも、可能性が全くのゼロってわけじゃない、かもな。君を刺そうとしたが、人の気配がしてその場を立ち去るしかなかったのかもしれない。公園に監視カメラは?』
「ありませんでした」
電話の向こうで柏木さんが呻く。
……やはり、夜遅くまでの自習で疲れていたといっても、馴染みのある階段で足を滑らせるというのはおかしい気がする。公園を突っ切ると、家からバス停までの距離をショートカットできるので、記憶を失うまでの自分もあの公園の階段を使い慣れていたはずだ。
事故の可能性の方が高いのは依然変わらない。しかし――。
「とにかく、ありがとうございました。わたしも三年前のことを知っていそうな知り合いにいろいろ尋ねてみることにします。明日は模試なので、上手く誤魔化せば少し話を聞きに行ったりできるかもしれません」
『そうなのか。くれぐれも無理はしないようにな』
「はい」
『じゃあ模試頑張って』
頷いて電話を切る。
――考えなくてはいけないことが多くなった。わたしは大きく溜息を吐く。
そして、その日の夕方。
警察は、例の白骨死体が宇野春樹のものであること、そして宇野は事件のあった三年前に殺されていたと思われるということを、正式に発表した。
3
『まさか白骨死体が宇野春樹のものだったとは……驚きですね』
『ええ。今まさに恐れられている連続殺人事件の被害者たちの共通点は、宇野が講師をしていた塾に通っていた、という話でしたでしょう? 警察も宇野春樹が犯人だと見込んで捜査をしていたでしょうから、今頃激震が走っている頃でしょう』
『しかし、高校生連続殺人事件の犯人は、一体何者なのでしょうか。三年前の連続殺人の続きを、指名手配犯である宇野春樹自らが行っていたというセンは消えてしまったのですよね?』
『それは――』
朝、慌ただしくて見逃したワイドショーをスマホの動画から視聴しつつ、テーブルに広げた問題用紙のページを捲る。
――翌日午後四時、模試会場から近いファーストフード店にて。
つい先程全時程を終了した今日の模試、その自己採点の途中である。
発見された白骨死体が宇野のものだと正式に発表されたことで、俄かに世間は騒がしくなり始めた。謎の連続殺人の目的や犯人を探ろうと、朝のワイドショーではやはりコメンテーター達が勝手な意見を戦わせ、ネットやSNSも大層賑やかだ。
その反面、模試会場は世間に比べて静かだったな、と今日の周囲の様子を思い出す。
模試を受けに来た人数は模試受験を予約した人数より僅かに少ないようなので、外出を控えた者がいるのだろう。被害者たちに『中学三年生の時に同じ塾に通っていた』という共通点があったとしても、同じ年頃だということを懸念してここに来るのをやめたというわけだ。
世間では高校生連続殺人事件の犯人を『宇野の意志を引き継ぐ享楽殺人者』だとして騒ぐ者が多いようだが、さすがに警察も、根拠があるわけではないこの意見を真に受けて捜査を行ってはいないだろう。かといって、これも柏木さんと話していたことだけれども、今になってその他の理由で新たにあの塾の出身者を殺さなければならない人間がいるのかというと返事に窮するのもまた事実だ。
今のところ、例の塾の出身者が殺されている理由として、主に考えられる可能性は三つ。
第一に、先程の意見だが、何かの形で宇野の薫陶を受けた人間が、三年前の連続殺人の続きを演じている可能性。
第二に、宇野や三年前の事件とは関係のない件で、今になって彼らを殺さねばならない理由ができた可能性。
そして最後に、宇野や三年前の事件と関係のある人間が、今になって彼らを殺さねばならない理由ができた可能性だ。
三つの可能性のうち、最も考えられるのは三つ目の可能性だが――。
「あれ? 唯衣」
そこまで考えた時、ここ最近で聞き慣れた声が耳に届いた。
「……まりあ。なんでここに」
「会場から近いし、点数気になるし自己採点ここでしようかと思って。なんだ、唯衣もだったんだね、偶然だ」
言いながら、まりあは「ここいい?」と正面の席を指差す。わたしが頷くと彼女は微笑んで椅子に腰かけた。
(『偶然』か……)
昨日も、響也はそう言っていた。同じバスに乗って、偶然だと。
「自己採点くらい、家でやればいいんだろうけど……。わたし、家だと集中できないから。そうだ、唯衣。英語の大問五の問三、あれ迷わなかった?」
「あー、そうかも……」
まりあは意気揚々と英語の解答ページを探し、模範解答一覧に目を走らせている。そして眉を顰めると、「あーあ」と零して肩を落とした。
「答え『c』かあ。最後、変えなければよかった。唯衣、ここ『b』と『c』で迷ったよね? わたし結局『b』にしちゃった……」
問題用紙にメモした答えを見る。大問五の問三、長文読解の中に入っている文法問題だ。件の問題番号を見ると、『a』の選択肢に丸をつけている。
「わたしは『a』にしたみたい」
「『a』? え、ここって、『b』か『c』かで迷うとこじゃない……? わたし『a』最初に切っちゃったし……というか、『みたい』って?」
「ああ、いろいろ考えごとしてたら、あんまり試験に集中できなくて」
事件のことばかり考えてしまっていたから。
塾では模試が終わってすぐの自己採点を強く推奨されているため、一応はそれに従って問題用紙に解答をメモするようにしている。だが、そもそも解答自体がお座なりだったから、果たして意味があるのかどうか。
「集中できてないって、それ大丈夫……? お母さん厳しいんだよね?」
「うーん……」
たしかに。
自己採点の結果は必ず聞かれるだろう。……困ったな。
「まあ、集中できなかったことはもう仕方ないし……結果は変わらないから、正直に言うしかないかな」
「まあ、それはそうだけど……」
心配そうに眉を寄せる彼女に、「大丈夫だから」と言葉を重ねる。
今、考えても仕方のないことだ。
「そう……。そういえば唯衣、さっきから何を聞いてるの?」
「え、ああ」
訝しげな表情を浮かべたまりあが指し示したのはテーブルの上に置かれていたスマホから伸びるイヤホンのコードだった。
わたしは閉じていたスマホケースの蓋を開けて液晶を見せる。
「これって……」
「朝のワイドショーだよ。画面見なくても音聞いてれば大体は何の話してるかわかるから」
「内容、例の連続殺人の話……だね」
「うん」
わたしが頷くと、彼女はさらに眉を曇らせた。
「唯衣。変に首を突っ込んで、わざわざ嫌なことを思い出そうとしなくても別にいいんじゃないかな? そっちの方が穏やかに、っていうと変かもだけど……平和でいられると思うけど」
知らない方が平和でいられる。……本当にそうだろうか。
実際に人が殺されている。塾生から標的を選んでいるならわたしも殺されるかもしれない。それに――。
「平和でいられるって、それはわたしの話? それとも、まりあや響也の話?」
「……どういうこと?」
「まりあがここに来たのって、偶然じゃないよね?」
わたしの母が大学受験に熱心であることは知られている。となれば、全国規模の大きな模試にわたしが参加することは、予想がついたはずだ。
わたしの家から近い受験会場はそこまで大きくはない。会場でわたしの姿を見つけることができれば、後を追うだけでここに来ることができる。偶然を装い、何食わぬ顔をして顔を見せることもだ。
「響也も昨日バスが同じだった。……わたしの家のことをよく知ってる響也なら、わたしが普段どの時間のバスに乗ることが多いかくらい、予想がつくかもしれない」
「響也が狙って唯衣と同じバスに乗ったってこと? さすがにそれはないんじゃないかなあ」
「……まりあは? わたしを見つけて後を追ってきたんじゃないの?」
まりあが押し黙った。今まで浮かんでいた笑顔が消え、どこか腹立たしげな、それでいて面倒くさそうな、そんな表情になる。
「わたし、二人に監視されてる?」
「……今は別に、監視ってほどのことじゃないと思うけど」
「『今は』? ということは、昔は監視されてた?」
「……、」
「響也が、記憶を失う前のわたしは、どうも自棄になりかかっていたみたいだったって言ってた。そのことと何か関係あるの?」
「本当に――」まりあが顔を逸らして目を伏せた。「響也は余計なことしか言わないね」
ということは、やはり、わたしは行動を見張られていたのか。
つまり、高校の「グループ」は、わたしを見張るためにあったと――。
「……わたしは三年前、何を知ったの? そのことでわたしを見張ってるんだよね? 何を隠してるの? もしかして今の連続殺人事件についても何か知ってるの?」
「――そんなことはわたしが知りたい!」
初めてまりあが声を張り上げた。面食らい、一歩後ずさる。
一瞬、静まり返った店内を見回して、まりあがはっと息を呑む。そして気まずそうにかぶりを振ると、わたしを厳しい眼差しで刺す。
「何も覚えてないんでしょ? 春花のことも殺してないし、光輝のことも殺してないんだよね?」
「うん……」
「――だったら悪いこと言わないからもう全部忘れた方がいいと思うよ。唯衣自身のためにもね」
それだけ言って、まりあが立ち上がる。
引き留める間もなく、まりあはさっさと自分のトレーを片付けると店を去って行った。
*
……あらかた自己採点は終わったが、母の言うA判定には届かないだろう点数だった。
記憶喪失は関係ない、というわけではないけれども、上の空だったことが一番の原因だろう。今から帰宅するのが憂鬱だ。
とはいえ、もたもたとしているより、人通りが多いうちに早めに帰る方がいいだろう。何せわたしは殺人犯に狙われる条件を満たしている。……まりあの言う通り、一人で行動するのはよくない。一人になるなら少なくとも人目がある場所でなければ。
ワイドショーを流していたスマホをしまい、店を出て、バス停に向かう。――その途中で、見たことのあるスーツ姿の男性を見つけた。何やらメモと睨めっこをしている。
「緑川刑事……?」
思わず呟いたところで、その人がぱっとこちらに視線を向けた。驚いたような表情の彼の口が、「君は……」と動いて固まる。
ここまできてスルーするのも不自然なので、わたしは苦く笑いながら「こんにちは」と挨拶をした。
「その、お久しぶりです……。すみません、何か捜査の途中でしたか」
「ああいや大丈夫ですよ。こうして話すのは……君にとっては二度目になりますか」
「わたしにとっては? 『以前』、話したことがあったんですか」
「まあほんの短いやりとりくらいですが。K市では昔にもいろいろありましたからねー」
ということは、緑川刑事は三年前の事件を担当していたのだろうか。その時に少しだけ話したことがある、と。
「今日は少し人を探してるんですよ。ここらの塾か何かで模試をやっているから、そこにいるらしいという噂だったんですけど――川谷さん」
「はい?」
「村上まりあさん、知ってますよね。どこかで見ませんでした?」
思わず目を見開いた。どこかで見なかったも何も、つい先程まで一緒にいた。
「ああ、ついさっきまでそこのお店で一緒にいたんですけど……」
「えっ」
「別れちゃったばかりで……」
言うと、緑川刑事は残念そうに肩を落とした。
「そうですか。話を聞きたいと思ってたんですけど……こりゃお家に伺うしかないか……」
「……あの。何かあったんですか」
「え? あー……」
おいそれと捜査情報は話せないということなのか、緑川刑事が視線を彷徨わせる。
なぜまたまりあに話を聞こうとしているのか。響也とまりあはアリバイがあって、もう容疑者からほとんど外れているのではなかったか。
「……響也とまりあは友人です。何があったのかお話してもらえれば、わたしから何かお話することができるかもしれませんが」
「ああー、なるほど……うーん、じゃあ先に聞いてもいいですか」
こちらが答えれば話してくれるということか。
「……はい。二人のことも詳しく調べてたんですね」
「君だけを疑っているわけじゃないと言ったでしょう。……それで、村上さんと八上くんというのは、交際をされているんですかね?」
「…………はい?」
「たとえば、お互いを庇い合うくらいには」
なるほど、そういうことか。
「付き合ってはいません。でも親しいので、そういうことは有り得る、と思います。……それで、庇い合うというのは」
「……他言しないでくださいよ。僕がバディに怒られちゃいますからね。――清水くんの死亡推定時刻、彼らにはお互いと一緒にいたというアリバイがありました。ただ……どうやらそれが嘘のようでね」
「嘘……」
「もともと完璧と言えるアリバイではなかったから、いろいろ調べていたんですけどね。八上くんの方を、その時刻別の場所で一人でいるのを見かけたという証言が得られて……。コンビニのチキンの件も、そもそも一人がチキンを二つ買っていただけだったので、裏付けにはならない」
つまり、清水くんの死亡推定時刻、二人がずっと一緒にいたというのは偽りだったということだ。
「彼らはどうしてそんな嘘をついたのか……」
「……」
「何かご存じないですかね」
緑川刑事が目を細めてこちらを見る。……なぜ二人がそんな嘘をついたのか、聞きたいのはわたしの方だ。
――彼らは一体何を隠している。どうしてアリバイを偽ったりしたのか。
四人が揃って、わたしを見張っていた理由はなんだ。
「……わかりません」
「そうですか。ではこれも何かわかりましたら以前渡した名刺にご連絡を」
了解です、とわたしは頷いた。
*
まりあと響也がアリバイを偽っていた。
疚しいことがあるのか、あるいは、疑われることを恐れてか。悪いこと言わないからもう全部忘れた方がいいと思う、と、彼女は言っていた。あれは一体どういう意味だったのか。
(そもそも、緑川刑事も言ってたけど、二人の主張していたアリバイは、もともと完璧じゃなかった)
二人が清水くん殺害に関わっているという仮定の上では、自然と二人でアリバイを証明し合っていることになる。となると、二時間ずっと二人でいたという物的証拠がないことには、アリバイと言うには弱い。二人が共謀して清水くんを殺したとしても、もう少し確実なアリバイ工作をしないだろうか。
考えながら玄関ドアを開けると、内から鍵を開けた母親がすぐそこに立っていた。
さっ、と顔から血の気が引いた。
「おかえり、唯衣。模試どうだった?」
「ただいま、お母さん」
帰ってくるなり。
玄関の近くに立っていた母に、とりあえずはそうとだけ返す。遅くなってしまったとはいえ、玄関で待ち構えられていた、とは。
「向こうで自己採点してきたんでしょ? ずいぶんと遅かったけど。出来はどう? 今回はA判定取れそう?」
「えっと、どうかな。模試の制度とかよく覚えてないから、判定がどうとかはわからないよ」
「でも手応えはあるんでしょ?」
噛み合ってない会話を続けながら、早足で向かった洗面所で手洗いとうがいを済ませ、その足でリビングダイニングへと向かう。模試の出来が気になって仕方がないらしい母もまた早足で後を着いてくるため、まるで不毛な鬼ごっこをしているようだ。
母の視線が恐ろしく、身が竦む。
もう少し集中して模試に取り組むべきだった。
「……ちょっと、ねぇ、唯衣? お母さんの話聞いてるの」
「き、聞いてるよ」
「なら、ほら、採点結果出しなさい」
テーブルの上には既に夕食が用意されていた。湯気を立てる味噌汁を見て、苦し紛れに食事の後にしたら――と言えば、途端、母親の眦が吊り上がった。
辛うじて保っていた場の空気が砕けて散る。スイッチが切り替わったような変化だった。言わなければよかった、と即座に後悔した。
「早く出しなさい」
「わかったから……」
落ち着いて、と静かな声で告げてカバンを開けた。
中から取り出した記録用紙を取り出す。間違えた問題番号とその問題の配点、大問ごとの集計点数と合計点数を記し、復習レポートと共に提出しろと塾から配布された用紙だ。
渡す手が震える。この緊張感を知っているような気がした。……「わたし」も、常にこの緊張感にさらされていたのだろうか。
母親はこちらの手からそれを半ば奪い取るようにして受け取ると、記録された点数に目を走らせる。
そして。
「……何よこれ」
聞こえてきたのは狂気すら孕むような低い声だった。声自体は決して大きくはなかったが、重みを伴ってしっかりとこちらの耳に届いた。
「なんなの、この点数。特に英語よ、ふざけてるの? どういうつもりなの? 唯衣」
「そんな。ふざけているつもりは」
「ふざけてるつもりは何? ないって言いたいの? そんなわけないでしょ……? だってあなた今までこんな点数取ったことなかったじゃない、ふざけてないのならありえないはずでしょ、こんなの、ねぇ!」
最後は殆ど金切り声だった。
こちらに向かって投げつけられた記録用紙が、空気の抵抗を受けて中途半端なところで床に落ちる。
「いい加減に、いい加減にしなさいよ! また、また、また失敗するつもりなの? こんな英語じゃ! 志望校に行けないでしょ! 唯衣ッ」
「……失敗、って、高校の?」
「そうよ、あなたは高校受験に失敗した! そのせいでお父さんは出ていった! そうよ唯衣はもっと完璧な道を歩むはずだった、それなのに失敗した、あんな高校、内申がよくなる以外に価値はなかったのにッ」
一息に吐き捨てた目の前の女が、血走った目でこちらを睨みつけてくる。
――お父さんが出て行った。初めて聞いた。
(わたしのせいで離婚したってこと……?)
けれど、と思う。連続殺人が起こり、周りの人間が次々と殺されていっていた恐慌状態の中、まともに受験勉強ができたのだろうか。
「何とか言いなさいよ!」
甲高い声で叫び、母がテーブルの上の味噌汁の椀に手を伸ばした。
そしてやけに素早い動作でそれを掴むと、中身を零しながらもそれをこちらに向かって投げつけた。
湯気を立てる薄茶色が視界に広がる。
「ッ」
咄嗟に顔を腕で庇う。
痛みに近い熱さが左腕に走り、反射的に首を竦めて目を閉じた。と同時に、カラン、と音を立てて黒いプラスチック製の椀が床に転がる。
じわじわと痛み出す左腕を右手で押さえながら顔を上げると、目の前には肩で息をつく母親が、こちらを変わらず睨めつけていた。
「……あ、なたのせいよ。何もかもあなたのせい。記憶喪失になったのも全部あなたのせい。あなたが不注意だったから」
注ぎたてではなかったのか、味噌汁の温度はそう高くはなかった。すぐに冷やせば火傷にはならないだろう。
「言う通りにしなさい。きちんと点を取って、そして成功して今度こそ私を安心させて。それに、それがあなたのためなのよ。記憶がないなんて言い訳にならない。そうでしょ?」
徐に、箸を掴んだ。
これを振りかざし、もしも、勢いのまま思い切り目玉に刺したのなら。あの、恐ろしい目に突き刺したなら。箸の先は簡単に下垂体に達し、絶命するだろう。あっけなく。
――そして、母の口はこれから永遠に開かれることはない。
(う……)
恐ろしい想像に唾を飲み下す。だが、初めて脳裏に思い浮かべた想像ではない気がした。
わたしは、記憶喪失になる前も、同じようなことを考えていた?
「あの、宇野春樹という男、実は死んでいたそうね」
母の口から想定外の名前が飛び出す。突如変わった話題に面食らっていると、目の前の女は見る間に虚ろな瞳を憎しみの色に染め上げた。
母は言った。
「できるものなら私が殺してやりたかったわ」
ドクン、と自らの心臓の鼓動がやけに大きく聞こえた。
「だってあんな事件が起きなければ上手くいってたはずじゃない。塾の先生があの人でさえなければ、唯衣は完璧な道を歩んでいけていたはずじゃない。お父さんもいなくならなかったし、家族はずっと一緒だった。あの男がずっと憎かった。この手では殺せなかったけど、まあ死んだのならいい気味」
鼓動が早くなる。呼吸が速くなる。
「一体誰が殺したんでしょうねぇ? いっそのこと唯衣だったら嬉しいわ。まあ今の唯衣は何も覚えてないんでしょうけど!」
『殺してやる』
夢の中と同じ声が、母親の金切り声と重なった。ぎぃん、と脳の奥を抉るような耳鳴りがして顔を歪める。
掴んでいた箸を強く握り込んだ。掌に爪が食い込み、赤い痕を作る。
誰かに言った言葉なのか。あるいは誰かから言われた言葉なのか。何も覚えていない。
「何よその目。何か言いたいことでもあるの?」
「……」
呼吸を整える。
……違う。そんな、そんなはずがない。わたしは誰も殺してなんかない。自分で自分を信じられなくなって、どうする。
箸を握りしめていた力を緩めた。そして箸をゆっくりテーブルの上に戻した。
母の虚ろな瞳がこちらを捉える。わたしはなんとか微笑んで言った。
「ごめん。模試、集中できてなくて。次からは気をつけるよ」
――自分が恐ろしい。何があったのか、知るのが怖い。
記憶を思い出したいけれども、思い出すことが恐ろしい。
まりあの言葉は正しいのかもしれない。
――わたしは何も思い出さないでいた方が平和なのかもしれない。
そして二日後。
村上まりあの刺殺体が発見され、わたしたちの通う高校はついに休校になった。
かしわもち @ksw_writer
2023/6/16
UNO:来ましたよ
かしわもち:初めまして、かしわもちと申します。先程は突然すみません。
スレの話が本当かどうか聞きたくて……。DM開放してくださってありがとうございました。
UNO:プロフ見ました。記者の方なんですね。
もしかして、三年前の連続殺人事件の関係者でいらっしゃるんですか?
かしわもち:というよりは、四件目の被害者の関係者です
UNO:なるほど。それは気になるでしょうね
というより、そういう方がいるかもなーと思って暴露したので。DM開放もあくまで自分のためですよ
かしわもち:というと……?
UNO:端的に言うとあれは騙りです。私はあの連続殺人鬼・宇野春樹ではありません
ただ、嘘じゃないこともある。四件目の殺人が宇野の仕業じゃないと、私は本気でそう思っています
かしわもち:それは本当ですか? 何か根拠が?
もしかして何か知ってらっしゃるんですか?
UNO:いろいろ知ってます。あんまり私も貯め込みたいタイプじゃないので、そろそろぶちまけないとやっていられない。
かしわもち:それって、教えていただくことはできるのでしょうか?
UNO:はい。何の関係もない他人にはアレかなと思って意味深なことを書いていたのですが、つぶやきを拝見する限りおかしな人じゃなさそうなんで、お話しますよ。ちょっと長くなりそうですけど
かしわもち:では、対面でもよろしいですか? 私としてもいろいろ質問させていただたいので、顔を見ての方が……
UNO:確かに。まあ、私としては別に 構いませんよ。じゃあ、どこにしましょうか? どこに住んでますか?
後編リンク→【Jumpホラー小説大賞銅賞受賞作品】君の知らない連続殺人 後編|日部星花(小説家) (note.com)
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