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第27回 まだまだある成城ロケ映画 パート1

 これまで、成城学園内や駅前商店街で撮影された映画を紹介してきました。しかし、筆者が発見した成城ロケ映画は凡そ百六十本! お伝えしたい作品はまだまだあります。
 
 成城台地の西端に架かるのが富士見橋。その名のとおり、夕方には美しく浮かび上がる富士山が眺められる場所で、通りの名前(成城富士見橋通り)にもなっています。木橋だった富士見橋が写る作品には、宇津井健が‶スーパージャイアンツ〟を演じた新東宝映画『宇宙怪人出現』(58)を始め、石原裕次郎が浅丘ルリ子と橋上で会う『世界を賭ける恋』(59/日活)、波平(藤原釜足)が行方不明となったタラちゃんを捜す『サザエさんとエプロンおばさん』(60:青柳信雄監督)があり、深作欣二監督による反戦映画『軍旗はためく下に』(72/左幸子・中村翫右衛門出演)では、橋はコンクリート製になっています。いずれも成城居住者による作品なのが面白いところ。それだけここは、絵になる撮影ポイントだったのでしょう。

富士見橋から見た夕景。富士山のシルエットが美しい(筆者撮影)


現在の富士見橋。橋の先右側が「少年ジェット探偵事務所」。藤田進の家はこの辺りにあった(筆者撮影)


不動橋上から見た現在の富士見橋。小田急線は貸菜園の下を走っている(筆者撮影)

 不動橋は、鶴田浩二と有馬稲子主演の『結婚期』(54:井上梅次監督)、やはり青柳信雄監督と江利チエミによる『初恋チャッチャ娘』(56)、江波杏子主演の大映映画『女賭博師 丁半旅』(69)といった作品に登場。大映テレビ室製作のTVドラマ『少年ジェット』(59〜60)では、なんと富士見橋脇のお宅(俳優・藤田進の家か)がジェットの探偵事務所に設定されており、富士見橋と不動橋をバイクで疾走する少年探偵の姿を見ることができます。見れば多くの作品で、成城学園前駅の地下化により隠れてしまった小田急線の切通しが確認され、どちらの橋も国分寺崖線の淵に架かっていたことが実感されます。

富士見橋から捉えた不動橋と小田急線「デキ1010形」貨物輸送車両(1956年4月:N氏提供)
※画像処理:PaC TaIZ / 岡本和泉
木橋だった富士見橋でのツーショット。こちらにも小田急線の「デハ1700形」車両が写り込んでいる(1953年頃:成城在住I氏提供)
※画像処理:PaC TaIZ / 岡本和泉

 田中絹代が監督した『恋文』(53/新東宝)では、本編には出てこないにもかかわらず、何故か主演の森雅之と久我美子が不動橋に立つ姿がスチール(DVDジャケットに使用)に残されています。これも、当地が絵になるスポットだったことの証し。森雅之は旧制成城高等学校時代から演劇に傾倒、本作の他にも『安城家の舞踏会』(47:吉村公三郎監督)や『破れ太鼓』(49:木下惠介監督)、『羅生門』(50:黒澤明監督)、『雨月物語』(53:溝口健二監督)、『浮雲』(55:成瀬巳喜男監督)といった錚々たる監督の名作・傑作に多数出演しています。

不動橋でのひとコマ(1952年:成城在住I氏提供)。『恋文』DVDパッケージ(右:筆者所蔵)と全く同じ光景が広がる
※画像処理:PaC TaIZ / 岡本和泉

 ちなみに、『女賭博師 丁半旅』に写る小田急線の車両は、黄色と紺色のツートンカラー。現在でも見られる、アイボリーに青のラインが入った車両が導入(69年末)される以前のもので、当該車両は『夢のハワイで盆踊り』(64/東映)、『喜劇・駅前医院』(65)、『クレージーだよ!天下無敵』(67)、『乱れ雲』(同:成瀬巳喜男監督)といった映画にも登場します。
 
 これまで、しばしば紹介してきたいちょう並木。‶社長シリーズ〟でお馴染みの松林宗恵監督もよく自作に登場させており、『月に飛ぶ雁』(55)では東宝映画初出演の若尾文子を、『続社長紳士録』(64)では司葉子と小林桂樹を当並木道に立たせています。肝心の森繁社長は『続社長太平記』(59:青柳信雄監督)でいちょう並木を歩き、子供たちと「春が来た」を歌いながら会社に出勤していきます。

1950年代のいちょう並木(成城学園教育研究所所提供)

 成城学園創始者・澤柳政太郎の自宅(かつての「華寿司」、現在の「ほしや」の辺り)があったことから命名された「澤柳通り」。青柳信雄監督は製作を担当した『銀座カンカン娘』(49/新東宝:高峰秀子主演)のほか、この通りにあった三浦屋酒店をしばしばロケ地に選んでいます。なにせ、監督の自宅はここから徒歩1分のところ。柳家金語楼&雪村いづみ出演の『花嫁会議』(56)や、江利チエミの‶サザエさん〟シリーズなどで当店前ロケを行ったのも、仕事(撮影)に行くのが楽だったからに違いありません。

(左)桜並木でもある澤柳通り (右)澤柳政太郎邸のあった場所(筆者撮影)

 一本横の通りにある、土塀が残る家・F邸は、永井豪原作の『ハレンチ学園』(70/日活)と、三益愛子・木暮実千代・田中絹代の三女優競演の『三婆』(74)でロケ地となりました。青柳信雄監督作で高島忠夫・藤木悠の主演による『サラリーマン権三と助十 恋愛交叉点』(62:駅前の蕎麦店「きぬた家」も登場)と、大学1年生だった筆者がロケを目撃した『青春の蹉跌』(74:萩原健一&檀ふみ出演)も、この通りで撮影。F邸は、今でもきちんと土塀が保持されていることに感動を覚えます。

『ハレンチ学園』で見られる土塀。今でもしっかり残されているのに感動する(筆者撮影)

 植木等の出世作『ニッポン無責任時代』(62)で、ハナ肇扮する氏家社長邸に見立てられたのが五丁目10番の旧中村邸。この立派なお宅も、様々な映画のロケ地となっています。千葉泰樹監督の『若い恋人たち』(59)では宝田明(本年3月、惜しくも逝去)扮する主人公の自宅として、さらには六丁目に住んだ並木鏡太郎監督の『地下帝国の処刑室』(60/新東宝)、学園ロケも行われた太陽族映画『狂熱の果て』(61/大宝)、園まりの同名ヒット曲の映画化で自身も出演した『逢いたくて逢いたくて』(66/日活)などに豪邸として登場。垣根に囲まれた、成城らしい素敵なお宅の様子が見られます。
 
 この家の前の通りでは、団令子・中島そのみ・重山規子の‶お姐ちゃんトリオ〟による『お姐ちゃんはツイてるぜ』(60:筧正典監督=旧制成城高校卒)のロケが行われた他、大林宣彦監督が自主製作16ミリ映画『ÈMOTION =伝説の午後= いつか見たドラキュラ』(66)のオープニング・シーンを撮影。コマ落としが印象的なこの場面、成城パン製のアンパンを小道具に使っているあたりからも、監督の強い成城愛が感じられます。
 大林監督は他にも、成城大学の学生だった時分に、砧中学校脇の石段を舞台に『だんだんこ』(57)という8ミリ映画を、正門前や竣工したばかりの大学1号館の屋上を使って『絵の中の少女』(58)という、やはり8ミリ個人映画を製作。大学中退後にも、『complexe=微熱の波瑠あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道』(64)なる16ミリ作品を学園内で撮っており、本作ではグラウンド脇の雑木林やテニスコート、小川だった頃の仙川の情景(道理で大雨が降ると氾濫するはず)を見ることができます。

『いつか見たドラキュラ』が撮られた通り。右が旧中村邸(筆者撮影)
『だんだんこ』が撮影された砧中学校脇の階段(筆者撮影)

※『砧』834号(2022年10月発行)より転載(画像を大幅追加)

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。