文化の不思議に立ち止まる:ドイツ文化哲学入門
便利さと引きかえに
スマホやSNSって便利ですね。おかげでこれまでよりも気軽で簡単に、誰かとコンタクトが取れるようになりました。でもそのせいで、友だちの投稿に「いいね」をうっかり忘れたり、既読スルーしていたりしないか、常に気持ちがそわそわ・・・挙句の果てにスマホが手元にないと不安を感じて居ても立っても居られない、なんていうこともあるのではないでしょうか。
そもそも文化って何だろう?
「文化」とはそもそもどのようなものかと考えてみると、最近の技術だけにかぎらず、こうしたことがしばしば生じていることに気づきます。考えてみると不思議なことです。文化とは人間の幸福を追求するために、多くの人々の手によって生み出されてきた伝統であるはずです。けれどもそれがあるために、むしろわたしたちは苦しい思いをするところもある。まるで文化のためにわたしたちが生きて働かされているかのようです。
ジンメル:文化とは「悲劇」だ!
文化のこうしたあり方を深く受け止め、徹底的に考えたのは、ドイツの社会学者であり哲学者であったゲオルク・ジンメル(1858-1918)でした。彼はこう考えました。文化はたしかに人間によって作り出されたものである。けれども、それはひとりの個人によって生み出されたものではない。多くの人の意志が絡まり合っているから、うまくいかなくても当然だ。だから文化は「悲劇」なんだ、と。
都会の雑踏で目覚める「わたし」
「都会」について思い浮かべるとそれはよくわかります。人と人とがぶつかりそうな距離を歩いているのに孤独を感じざるをえないのは、そのどこにも自分の姿を見出せないからでしょう。ただそれも悪いことばかりじゃない、と考えるところが、ジンメルという哲学者の懐の深さです。大都市の雑踏でふと「我」にかえるとき、わたしたちはひとりひとりが異なる自由な個人になれるのだと彼は言います。哲学者というと「ひきこもり」のイメージがありますが、ジンメルのように散歩しながら考えるのも、文化について哲学するためには必要なことかもしれませんね。
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※本記事は成城大学入試情報サイト「成城ブリッジ」より転載しています。
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