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デビッド・ボウイが意味不明なので

音楽は割と聴いているのですが、デビッド・ボウイの魅力が全然わかりません。別に放っておいても良いのですが、資料を集めてちょっと研究してみます。

最初はこの記事です。これは彼の音楽に直接言及していないので1999年当時に彼が何を予期していたかと言う事だと思います。

とりあえず、下はデビッド・ボウイの音楽活動の概要です。素晴らしい資料です。

次はこれ。Life on Marsはデビッド・ボウイの最高傑作と言う人もいますが、私にはそれがなぜ傑作なのかが全然わかりません。この一連の記事(たくさんあります)はちゃんとした解釈と言うよりは創作かもしれませんが、とりあえず読みましょう。

理解し難いのが英語だからってわけではないのは、英語サイトでも同じように「どう読んだら良いの?」と言う記事がたくさんあります。

これもそうです。70年代初頭にこの曲が発表されたとき、完全に新しくて興味を引くものが無いと感じていたのでしょう。60年代でもう出尽くしちゃったよねと。

デビッド・ボウイとは関係なくて、こちらはもうちょっと政治とか社会とかも含むイメージだけれど、70年代ってこうなんだなと言うのが言われている。(話は横道に反れているよ。)

こちらも英語サイトだけれど、もう少しシンプルに解説している。

このあたりは上の英語記事と似た解釈になっている。

日本語で検索するとこのサイトが必ず出てきます。なるほどなと思いますが、英語サイトではこうした解釈にはまだ当たっていません。でも、素晴らしい理解力です。私としてはLife on Marsも難解ですが、ビートルズのA day in the lifeも同程度に難解なので難しいです。

A day in the life(ビートルズ)についてはこちら。

この中で言われている、” I’d love to turn you on(君のスイッチを入れたい)”に関してはこちらに記述あり。

この記事の別ページにこんな記述がある。
『「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の肝は傍観するような感覚だ。そしてこのオープニングのテーマは、新しい世界をじっと見入ることだった。』

これに比べるとLife on Marsの方はもっと積極的に世の中の出来事に対して退屈だと言っているように思える。


ところで、Life on Marsはいろいろなところでなぜ書かれたかと言う理由としてシナトラのMy Wayの英語版がボツにされたのでそのパロディを作ったと言うのが出てくる。
なのでまずはMy Wayがどんな歌詞だったかを確認。

My Wayは「人生いろいろあったけど、私は私の人生を歩んできて満足しているよ」と言う感じです。

それに対してボツになったデビッド・ボウイの歌詞はこれです。

簡単に言うと、愚か者の失恋の歌みたいな感じになっていて、My Wayとはずいぶんと違っている。全く満足のいく人生ではない。それを考慮してLife on MarsはMy Wayを下敷きにして、・・・どこがパロディになっているの?

パロディと言うより、歌詞としては全然関係無い事を言っているようだ。My Wayは人生も終盤を迎えた年代で、Life on Marsは少女年代。人生これからだけれども、オヤジ世代が用意しているものなんて退屈だよね、と。それよりもさ、火星に生物っているのかな?みたいな。


Life on Marsはデビッド・ボウイの初期の頃の作品ですが、亡くなる直前の作品はこんな風だそうです。飛びすぎかもしれませんが。

Life on Marsに戻りますが、意味は意外とシンプルなところに収束するのでしょうか?この記事の下のところを読んでみましょう。

そんなわけで、Youtubeでデビッド・ボウイの曲をずっと流して聞いていましたが、1つ感じる事がありました。それは彼の曲は「言語化を拒否する」という事です。と言うのは、他のアーティストですと、数曲聞くと「ああ、この人の音楽だな」となんとなく全体の想像がついてしまうのですが、デビッド・ボウイの場合はそれができません。音的に類型化できそうなものもいくつかありますし、何かに似た感じというのも無いではないのですが、それでも全体にバラバラで傾向が掴めないのです。

だから「デビッド・ボウイが好き」と言うとしたらデビッド・ボウイのバラバラさが、つまりクリエイティブと言うか、毎回驚かせてくれるところが好きみたいなイメージになって、他のアーティストが好きと言うのとは意味が違うのではないでしょうか?

逆に言えば、デビッド・ボウイの音楽の場合、適当につまみ食いしても、デビッド・ボウイ全体を把握したいという欲求が無ければそれで成立する感じがします。ポイント、ポイントだけ聞いてそれが好きであれば別に他のは特に繋がりで聞く必要がないかもしれません。絶えず変化し続けているからです。

変化と言えばですが、デビッド・ボウイ氏はきっと素直に一つのところに留まるのが嫌いなのか、それとも音や言語への感覚がちょっと他の人と違うのかわかりませんが、変なところで叫ぶような歌い方をします。変なところと言うのは私だけの感覚かもしれませんが、なぜここにアクセント的な高揚を入れるのか?と感じます。違いを作ろうとするのか、それともそういう感覚で生きているのかわかりません。それが、あえて言うならデビッド・ボウイの色になっている気がします。他は変化して曲どうしのつながりが希薄に感じられてもその点だけは共通するようです。

もうちょっといろいろ情報収集しながら聞いてみます。

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